異世界なんて勘弁してくれ、俺は元の世界に帰りたいんだ。
「あなた方の魔筋力をお貸しいただきたいのです。」
導師ソングエルと紹介された男はそう切り出した。
「魔筋力?」
右はじに立っていた若い男が問い返す。
「はい。魔力という言葉でもよろしいのですが、我々の言葉を直訳すると、魔筋力になります。」
王とその側近はソングエルにこの場を任せているらしく、口を挟まない。
「貸そうにも、そんな力を持った覚えはないんだが。」
今度は左端の男が尋ねる。
「以前、お住まいだった世界ではご存知ない方が多かったそうですが、こちらにおいでいただいたときから使えるようになっているはずです。」
「それは、魔力とはどう違うんだ?」
山崎の右となりにいる男、少年と言っていいだろう、高校生ぐらいに見える男が質問する。
「ほぼ同じなのですが、魔力というのは魔筋力がなければ使えないのです。」
「よくわからんな。」
左端からまた声がする
「ご飯を食べて筋肉を動かす。これはご存知ですよね。」
『そりゃ、まあな』と、皆が無言で顔を見合わせる。
「栄養を筋肉を動かす力に変換するのと同様に魔法を使うための機序があるのです。魔筋肉と呼んでいますが、最近の研究ではそれは実際には頭の中にあると推定されています。」
「それが、我々の頭の中にもあると。」
「はい、召喚に反応するのもその魔筋肉の部分です。そして、栄養をどれだけ魔力にできるかはそれぞれが持っている魔筋力次第なのです。」
「そんなことはどうでもいいんです。元の世界に返してください。」
地の底から響くような声を出したのはふくよかな女性だった。
「お返してもよろしいのですが、魔力を学んでからの方がよろしいかと存じます」
「どうしてですか。」
「あなた方が乗っていらしたバスはどうなりましたか?」
「崖から落ちそうになったところまでは覚えています。」
「お返しするなら、そのバスの中ということになります。」
「でも、時間が経っていますよね」
「それはこちらでの時間が経っているとういうことで、お返ししたときにどの時点になるかはわからないのですよ。」
「それはおかしくないですか?」
「いや、わからないというのはわかる。」
山崎はそこではじめて口を開いた。
「ご理解いただいて大変うれしく思います。」
「それじゃあ、返してもらえないということかな?」
「いえ、そうではなく、お返ししてすぐに身の危険があることがあるのなら、大変忍びないことです。そこで、こちらで魔術を身に着けていただいて転げ落ちるバスの中で生き延びるすべとしていただきたいのです。」
「ほかの場所に戻ることは無理なんだろうか。」
「それは、皆さまがどのような魔術を使えるようになるかで変わってくると思いますが。難しいかと存じます。」
そこで王の隣に立っていた男が口を開いた。宰相と紹介された男だった。
「最初に説明した通り、我が国は今、魔族の脅威にさらされている。できることなら諸君の力をお借りしたいのだが、まだ混乱している者もいるだろう。別室を用意したのでそちらでゆっくりお考えくだされ。」
その言葉を受けてソングエルは五人を連れて別室へと案内することになった。
「少々お待ちください。今、お茶の用意をさせます。」
「段取りがわるいな」
ソングエルが席を外すと細身の男がそう言った。
「とりあえず、それぞれ自己紹介でもしようか」
続けてそう言うとゆっくりと全員を見渡した。
「必要ありますか?」
さきほど帰りたいと言っていた女が言った。
「元の世界に帰る手段、この世界で生きていくための方策、そういったことを情報共有しようということ。したくないというのであれば、それはそう判断するのは勝手だよ。」
「帰りたいに決まっているじゃないですか。」
「帰りたいはいいけど、協力はできないってことかな?」
「そうは言ってません。」
「よくわからないけど、名前も知らない人に背中を預けるのも背中を預かるのも抵抗あります。」
中学生、高校生か?がそう言った。
「そんな。」
あまり良い雰囲気じゃないな。山崎がそう考え、みなが無言になったところで侍女なのだろう二人が部屋に入り、お茶らしいものを給仕した。
山崎には女が名前を出すことに抵抗があることが理解できない。差しさわりがあるならこの場限りの偽名を使えばいいではないか。ここはお役所じゃないんだから。
「私は山崎豊彦と言います。32歳。仕事は工場設備のメンテナンス会社の営業をしています。」
拒否する人がいたとしても、ここで関係性を築きたくなるのを待っていられない。
「交渉ごとは強いの?任せた方がいい?」
山崎のはす向かいに座った男が半身を乗り出して訊く。
「それなりの情報がなければ交渉にはなりませんよね。なので、こちらの要望とそれぞれが見た先方の情報をすり合わせてからなら」
「ちょっと待て。それは、この山崎さんをリーダーにするってことか?」
物言いがついた。正面の細身の男。
「交渉事、交渉のために必要な情報の選別は慣れているけど、それはリーダーになりたいって話じゃないですよ。交渉係ができなくはないという話で。そもそも、ここにリーダーが必要だとは考えてませんし。そうだ。この中に弁護士さんがいらっしゃるなら交渉担当をお任せしたいのですけど」
山崎はすでに呆れている。この異様な状況で協力しあうつもりを見せないとか攻撃的な物言いをするとか、生き残るより大事なことがあるんだろうか?そっちの高校生が指摘したばかりじゃあないか。
その高校生は指先でピンチアウト、ピンチインするかのような動きを続けている。話は聞いているようだが、なにか別のことを考えているようだ。
「次は私かな?私は工藤正樹、山崎さんと同じ32歳。高校で数学の教師をしている。なので交渉事が得意とは言えないけど、弓矢の射程を計算したりということがあれば役に立てるかもしれない。趣味は郷土史、というか民話、伝承話を集めたりしている。」
射程を計算のところで高校生が顔を上げた。
「弓矢って使いますか?」
「あ、春原洋二って言います。高校一年生です。」
高校生で合っていたようだ。口を挟まれた工藤は教師の顔になり、『言ってごらん』とでもいうような顔をした。
「弓矢が主戦力じゃなかったら、なんなのよ。銃でもあると言うの?どう見ても中世ぐらいの文化レベルじゃない。王様が統治してるのよ」
鼻から蒸気でも出しそうな勢いで名無しのお姉さまがそう言った。
「だって、魔法があるんですよ。あの調子だとこの国の兵士よりここのメンバーの方が魔筋力が強いってことなんでしょうけど、それでも魔力はあるでしょうし、魔力での遠隔攻撃があれば弓矢も銃もいらないですよね」
「中世と言うなら、だいたい5世紀から17世紀。種子島に鉄砲が伝来したのが1543年ですから、あってもおかしくないですね。あ、私は渡辺薫です。27歳、車のデイーラーで販売をやってます。」
山崎の隣の細身の男が自己紹介した。銃の存在を否定しているときにあってもおかしくないという話を持ち出す。営業職なら共通の目的に達することを考えるのじゃないだろうか?すくなくとも山崎はそうして生きてきた。ところが渡辺はさっきから場を乱すようなことばかり言っている。自己顕示欲が強いということか?と山崎は少し警戒する。合議のときに無駄な時間を使わせるタイプに見えてしまう。
これで4人の自己紹介が終わった。その四人の視線は残りの一人に集まる。しかし、当の本人は両手の指先を見ているだけ。これは、なにか言葉をかけて促してやった方がよさそうだ。山崎がそう考えた時、それを言い出したのは高校生の春原だった。
「真打の出番ですよ。お名前、聞かせてもらえませんか?」
女はゆっくりと顔をあげ、春原を見てからようやく口を開いた。
「山本明日香です。」
名乗っただけでも良かったのかもしれない。