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僕は彼女が好きだった。

 夏休みも一週間が過ぎた。

 思ったより、人の決意というのは柔らかいもので、初日に一日十時間勉強するぞ!と目標を立てたものの、今では五時間も勉強していない。昼頃に起き、だらだら遊んで、夜にあわてて勉強し、また遊んで寝る。こんなんではいかんと思いつつも、欲望に逆らえない。


 人間は弱い生き物だ。克服できた人間が大学に行くんだ!というが、はてさて、克服できた人間なんて近くにいるだろうか。

 学校の友だち、なんてものは存在しないから、LINEだのなんだので聞いてみることもできない。唯一いるとすれば、隣人の彼女くらいだろう。が、彼女は別に友達と呼べるほど仲がいいわけでもない。


 暇だ。とても暇。暇だが時間があるわけじゃない。暇、というのは何もすることがない時間を指す時と、何もしたくない時間を指す時がある。いまは後者。


 スマホを手に取り、布団に寝転がりながら動画アプリを立ち上げる。


 最近、Vtuberというのが流行っている。かく言う僕もミーハーなので、有名どころだけはしっかり押さえているつもりだ。大手で言えばにじさんじだのホロライブだの。誰が好きというわけでもないが、暇つぶしにはちょうどいい。


 ただし、僕が唯一、通知を入れているVtuberがいた。「空蝉あさぎ」という名前で、活動を始めたのはごく最近……ちょうど、僕がこのアパートに越してきたあたりからだ。初配信から一週間くらい経ってからちょくちょく見かけるようになり、いまではほぼ全ての配信や動画を見てしまっている。週に3回の生放送やTwitterでの短い動画など。こんなことを言うのは気恥ずかしいが、生きがい、という奴だろう。


 彼女は――あまり実在する人間のように扱うのも違和感があるのだが――現代にやってきた平安貴族、という設定で、立ち絵もそんな感じ。中堅の事務所に所属しており、いま現在チャンネル登録者は9万人前後。軽すぎるフットワークが有名で、自分のチャンネルにいない日は別の人のチャンネルに必ずと言っていいほど出没している。配信時間帯は午後八時ごろで、ファンネームは#うつせみ随身、ファンアートは #うつせみの巻。

 

 僕は彼女が好きだった。

 推し、という概念のその上。立ち絵はもとより、声、歌、文字、心境、それら全てを受け入れる自信があった。だが、僕は決してガチ恋勢は名乗りたくない。これはプライドの問題ということもあるし、僕が彼女を「恋愛対象」として見ていることは、絶対に認めるわけにはいかなかった。

 

 人生で、まともな恋愛というものを経験したことがない僕は、まともでないモノを恋愛対象に置きそうになったことが何度かある。最初は動物だった。近所の野良猫に、毎日のように会いに行っていた。

 話ができると信じ込んでいたし、あろうことか人間になって現れてくれますように、なんてお願い事までしたことすらある。

 だが、それはちゃんと()()()ことができた。人の形をとっていなかったからでもあるし、そういうおとぎ話の世界を卒業したからでもある。


 しかし、僕の自業自得の受難はそれで終わらなかった。

「空蝉あさぎ」より前に、好きになったVtuberがいた。名前は伏せることにする――誰かの逆鱗にふれるようなことがあるかもしれない――が、彼女に、僕はずいぶんと入れ込んでいた気がする。

 

 彼女のためにイラストを学び、音楽を学び、ほぼ毎日、すべてのツイートにリプライを飛ばし、バイトで稼いだ小遣いはすべて彼女のグッズに消えていった。

 認めてほしかった。僕という人間を好きになってほしかった。事実、僕が使っていた名義は界隈ではかなり有名になったし、そのVtuber本人にも認知してもらった。

 手が届かないと分かっていても、僕は彼女に恋焦がれていたわけだ。

 

 今考えるとおぞましい。

 あの出来事をきっかけに、僕は一ヶ月学校を休み、ひたすら彼女の肖像を書いていた覚えがある。思い出したくないが、忘れることはできない。


 ともあれ、Vtuberにそういう感情を抱きたくないという自分がいるのである。

 割り切って接することで、いままで無事にこのコンテンツに関わり続けてきたわけだが、「空蝉あさぎ」だけは違った。

 

 理性で好き、というより、感情で好きなのだ。

 なにかのきっかけで理性の楔がはずれないように、毎日怯えながら配信を見ている。太陽を直接見ると目が焼けるから、間に遮光板を挟んで観察するように、僕は空蝉あさぎのことを、理性というフィルターを挟んで味わっているのだ。


 空蝉あさぎのチャンネルに、更新はなかった。

 しょうがないので、まだ見終わっていなかった雑談配信のアーカイブを見ることにした。先日一時間くらい見たあとに、寝落ちしてしまったのだ。


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