2話 運命
『ジリジリ』
『フヮァァッ。』
和美はいつもの目覚まし時計で目を覚ました。
『ガーッ、ガーッ。』
リビングからは、一晩中サタンの大きないびきが響いていた。和美はこの音のせいで、昨日はよく眠れなかった。
(今日は絶対に帰らせるんだから。)
疲れ気味の和美は、心の中でつぶやきながら、朝食と弁当の用意をするために台所へ向かった。
『おはよう。』
貴大も目を覚まし、ダイニングに出てきた。
『おはよう。』
『ガーッ、ガーッ。』
『サタンさん、まだ寝てるのか...。仕事とかないのかな?記憶喪失だから会社のことも忘れちゃったのかな?』
『きっと飲み過ぎて酔っ払っただけよ。だからこんな変な格好してるのよ。』
『でも、僕が昨日この人を助けた時は、居酒屋が空いているような時間じゃないし...。』
『とにかく、今日は絶対にこの人を帰らせてね。』
和美は怒った口調で言った。
『帰らせるって言ったって、記憶喪失だったら家の場所も分からないんじゃないかな。』
『まだ記憶喪失って決まった訳じぁないじゃない。』
『そうだな、起きたら記憶が戻るかもしれないな。』
2人が話ていると、圭介もダイニングに出てきた。
『おはよう。』
『おっ、圭介、今日は起きるのが早いな。』
『だって、おじさんのいびきがうるさいもん。』
『ごめんな圭介、今日はちゃんと、あのおじさんを家に返すからなぁ。』
すると亜優もいびきにうんざりして起きてきた。
『ねぇ、このおじさんのせいで寝れなかったんだけど。』
いつもより不機嫌な様子だった。
『あなた、この人をそろそろ起こして。』
『そうだな。』
貴大はリビングで寝そべるサタンを起こしにいった。
『サタンさん、もう朝ですよ。起きてください。』
『むにゃむにゃぁぁ、何事だぁ、吾輩は魔王であるぞぉ。』
『サタンさん、サタンさん...。』
何度起こしても、一向に起きる気配が無かった。貴大とサタン以外は既に朝食を取りはじめていた。
『まだ起きないのぉ?』
『全然起きそうにないよ。困ったなぁ。』
『わかったわ。このままじゃ会社に遅れちゃうから、後でその人が起きたら、私が家から追い出しておくわ。』
『そうか、頼んだよ。ありがとう。』
貴大も朝食を摂り、和美とサタン以外は家を後にした。
サタンが目覚めたのは、9時を過ぎた頃だった。
『フヮァァ、今日も優雅な目覚めだ。』
『やっと起きたんですか、今何時だと思っているんですか。』
サタンが起きたことに気づいた和美は、怒った顔でサタンに近づいていった。
『なんだ、吾輩にまた口答えするつもりか!とっとと吾輩の朝食の用意をしろ!』
『あなたに出す食事はありません。お願いですから、早くご自宅に戻ってください。』
『吾輩もこのようなみすぼらしい家を早く出ていきたいのだ。だが、どうやって帰れば良いのかわからんのだ。』
『えっ、帰り道が分からないんですか。』
貴大が言った通り、この人は記憶喪失なのだと、この時和美は確信した。
『本当に帰り方が分からないんですか?』
『ああ、ここは吾輩の見たことが無い物ばかりでな、吾輩のおった魔界がどこにあるのかも見当がつかん。』
『魔界?』
『まさかお前は魔界も知らぬと言うのか。魔界は我が魔王一族が暮らすこの世の地獄であるぞ。』
『やっぱり記憶喪失なんですね。今から警察に行って保護してもらいましょう。』
『昨日から記憶喪失とずっと申しておるが、記憶喪失とは何のことだ?それに警察とは何だ?』
『記憶を無くしていることです。警察はあなたのような不審者を捕まえる人達のことです。きっとあなたは記憶を無くしているから、そんな変な格好をしているんですよ。』
『変!?またお前は吾輩を馬鹿にするのか!今度こそ許さん!』
サタンは魔力で和美を懲らしめようとした。
『はアァァァァ!』
しかし、やはり何も起きなかった。魔力が封印されているのを忘れていた。
(そうだ、魔力が封印されていたのだった!)
『なっ、なんですか急に。とにかく警察署に行きますよ。』
和美はサタンの急な奇行にびっくりしたが、すぐに表情を戻した。サタンもそっぽを向いた。
『その警察とやらに吾輩は行くつもりは無いぞ。吾輩のことを捕まえるのであろう。』
『捕まるようなことをしなきゃいいんです。いいからついて来てください。』
『いや行かん、絶対に行かん!』
サタンは頑固な顔で全く動く気配がなかった。困った和美は警察署に電話し、事の経緯を話した。
『わかりました。今からそちらへ伺います。』
『ありがとうございます。』
数分後、警官が生田家に到着した。
『ピンポーン』
『はーい。』
和美は玄関を開けると、2人の若い警官が立っていた。
『はじめまして、警察署の坂口です。こちらは板野です。記憶喪失の男性を保護しているということで伺ったのですが...。』
『はい、昨日ウチの主人が池で溺れているのを助けたそうなんですが、どうも様子が変で。とりあえず中にあがってください。』
和美は警官達をサタンのいるリビングに案内した。リビングに入った警官達は、奇抜な格好のサタンに驚いた。
『この人が例の男性ですか...。』
サタンも突然現れた警官に驚き、警官を睨み付けた。
『なんだ貴様らは!』
『きっ...貴様ら!?』
サタンの妙な言葉遣いに警官達は驚いた。
『す、すみません。昨日からずっとこんな感じで。』
サタンの失礼な態度を、和美は咄嗟に謝罪した。
『そうですか...、それは重症ですね。』
『まさかお前達は警察とやらではなかろうな?』
『いや、それが私達は警察署の者でして、今から署でお話を伺いたいのですが。』
坂口はサタンに近づいて、警察署に行くように説得したが、サタンは断固拒否した。
『吾輩は絶対に行かんぞ。さては、そうやって吾輩を捕えようとするということは、貴様らはアーサーの一味だな!』
『捕まえたりはしませんよ。あくまで任意同行ですので、署まで来ていただけると、帰り道がわかるかもしれませんよ。』
『何!?お前、魔界への帰り方を知っているのか!?』
そっぽを向いていたサタンは、警官の方に飛び付いていった。
『魔界!?』
板野は坂口に飛び付いたサタンを引き離そうとした。
『魔界という場所は日本にはありませんが...。』
この男性はふざけているのだと警官達は思った。
(もしや、何か隠しているのか?)
『なんだ、やはりわからぬのか。なら吾輩は行かん。』
サタンは再び顔を背けた。
『あの正直に答えていただきたいのですが、どちらにお住いなのですか?』
『だから魔界だと言っておるだろ。』
何度聞いても答えは同じだった。警官達は、真面目な表情で答えるサタンがふざけているようには思わなくなっていた。
『困りましたねぇ。奥さん、ちょっとよろしいですか?』
『はい。』
警官達はサタンに話が聞こえないように、和美をリビングとは別の部屋に誘導した。
『おそらくあの男性は、記憶喪失で間違いないでしょう。それで警察署への同行をお願いしたかったのですが、何を言っても行こうとしないもので...。』
『無理やり連れて行くことは出来ないんですか?』
『それが、任意同行という形ですので、強制連行は出来ないんですよ。それで、大変申し訳ないのですが、あちらの男性をしばらくの間、こちらのお宅で預かっていただけないでしょうか?』
『そんな、冗談じゃないわよ!』
『警察としましても、可能なことは尽くしますので。』
『そう言われても、誰か分からない人を家に住まわすなんて。』
『しかし、記憶喪失の人を野放しにする訳にはいきませんし、かと言って、我々警官が無理やり連れて行くこともできませんし。』
『そんな...。』
『お力になれず、大変申し訳ありません。』
『わかりました。』
和美は渋々受け入れるしかなかった。
『では、情報が入り次第、連絡致しますので。』
警官達はアパートを後にした。警官達が帰ったことを知り、サタンは落ち着いた様子だった。だがその一方で、和美は不安で仕方なかった。誰かわからない人を家に住まわせるなど、信じられない話である。頭が混乱していた和美は、とりあえず貴大に電話した。
『もしもし、あなた。』
『おっ、和美どうした?サタンさんのことで何かあったの?』
『ええ、さっき警察署に連絡して、警官の人に家に来てもらったんだけど、あのおじさんったら、全然警察署に行く気がなくて、無理やり連れて行くことも出来ないみたいなの。』
『それで、サタンさんはどうしたの?』
『それなんだけど、警察の人がしばらくの間、あの人をウチで預かって欲しいって...。』
『そうか、なら仕方ないよ。警察の人もそう言ってるんだったら、サタンさんを家族として迎え入れよう。』
『あなた...。』
『大丈夫、きっと近いうちにサタンさんのお家も見つかるよ。』
貴大は快くサタンを家に住まわせることにした。
その夜、貴大は家族一同をリビングに集めた。サタンも一緒だった。
『今日はみんなに大事な話があるんだ。』
圭介は真剣な眼差しだったが、亜優は相変わらずだった。
『昨日父さんが連れてきたおじさんのことなんだけど、ウチで一緒に暮らすことになったんだ。』
『えぇっ、それマジで言ってんの!?』
亜優は顔をしかめた。
『ほんの少しの間だから我慢してくれ。』
『吾輩がこの家の主になることを喜ぶがよい。』
『はいはい、わかりました。』
和美はすっかりサタンの横暴な態度に慣れていた。だが子供達はまだサタンのことを受け入れられていなかった。
『そんな変なおじさんと一緒に暮らすとか本当にありえないんだけど。』
『だから吾輩はおじさんでは無い。魔王サタンだ!』
xはいはい。』
亜優はいつもより不機嫌な顔をしていた。
『まあよい、お前達、吾輩の下僕としてしっかりと仕えるのだぞ。』
そう言ってサタンは風呂場に向かっていった。
『本当に信じられない。もう部屋から出ないから。』
亜優は怒って部屋へ戻っていった。圭介は最初から最後まで黙り込んだままだった。
『圭介ごめんよ。少しの間だから。』
圭介の様子を察した貴大はなだめようとした。
『...。』
圭介も黙って部屋に戻ってしまった。
『やっぱりこうなるか ...。』
貴大は子供達に申し訳ない気持ちだった。
『和美本当にすまない。僕があの人を助けたばっかりに、こんなことになってしまうなんて。』
『もういいのよ。人を助けたのは何も悪いことじゃないし、もうこうするしかないみたいだし。』
『和美...。』
『早くお家が見つかるといいわね-。』