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痺れた手に堅パンの感触がこそばゆい。
岩盤に穴をあけてしまうようなドリルの振動をずっと支えていたせいで、チャドの手は休憩時間も震えっぱなしだ。
ドリルを握ることはおろか、薄暗く蒸し暑い坑道で岩肌に座ることも、頬が筋肉痛になるほどの堅パンの昼食にも慣れていない。今日も、かじりつこうとした端からパンを取り落とし、年季の入った工員に笑われた。
チャドは、ここ半年で大陸全土に大量発生した元傭兵の労働者だ。
半年前までは剣をとり銃をとり、街や隊商の護衛をして生活していた者たちが食い扶持に困ることはなかったのに。
傭兵がみな失業した理由は簡単。とある英雄たちの一行が、世界を悪から救って平和をもたらしたからだ。
全世界を巻き込んだその戦いは、半年経って「光石戦争」と呼ばれるようになっていた。
人々の暮らしを支える、熱を生み出す力を持った石「光石」。それを大量に精製してとんでもない兵器を作り出し、欲望に取り憑かれてしまった某国の宰相。その野望を打ち砕いた人々の力。
まるで本や芝居みたいな話じゃないか。
人々の先頭に立っていたのは六人の英雄たち。その六人を中心でまとめ上げたのが、チャドより五つも年下の、十六のガキ。その名はリオネル・オークハント。
チャドはそいつを知っていた。確か二年前、盗賊と熊の出る森を行く密輸隊商の護衛の仕事のときに、泣きべそをかいていた新米のガキンチョ傭兵見習い。
今や世界的な英雄となったリオネルにそんなガキの面影を重ねる人はいないだろう。考えてみれば自然なことだ。
リオネル・オークハント。
いかにも英雄にふさわしい、立派な名前じゃないか――名字もないだだのチャドとは大違いだ。
そんなことを考えていると、苦々しい思いが胃袋の上あたりに渦巻いてくる。
――俺だって、あれくらいのこと。
新兵器を盾に暴挙に出た悪の宰相に対しては、三つの国が共同して立ち向かった。数々の偶然からそれら指導者たちと共に行動することになった英雄一行。別に彼らが特別だったわけではない。しっかりした後ろ盾はあったのだ。幼い頃から戦いの中で育ったチャドだって、傭兵の間ではそれなりに腕が知られている部類だった。運命の歯車が紙一枚ほど違うタイミングで動いていたら、チャドだって英雄になれたかもしれないのだ。
そんな思いとともに、一度坑道に落ちてススのついた堅パンの表面を払ってかじりつく。苦い。だが朝から作業しっぱなしの胃袋には、温かな光が灯ったようにしみわたった。
カンカンカン!
と、急に坑道の向こうから鋭い鐘の音。チャドは近くの水瓶から一口水を飲み、喉と食道に居座る堅パンの残党を腹に流し込むと、坑道を走った。
「やあ、どうだい調子は。」
坑道を走っていると、後ろから走ってきた色白の優男がチャドに並びかけてきた。
「最悪だ。」
「ハハ、そんな顔してるね。まあ、一週間ぶりの戦場だ。久々にひと暴れといこうよ。」
そう言うと、優男は「じゃ、お先に」とチャドを追い越していった。
世界を巻き込んだ戦いは終わったが、まだ人々の脅威となる存在は残っていた。魔物。そう呼ばれているが、実際は大したことない。ごくごく小さな光石の欠片を飲み込んで強力かつ凶暴になった動物。戦いの前は、新兵器のための光石精製の廃棄物のせいで恐ろしいまでに力を増した魔物が各地に広がっていたが、今ではこんな鉱山や深い森などに、ちょっと強いくらいのヤツが時々現れる程度。
まあ、そういう雑魚のおかげで、チャドたち元傭兵がこうして鉱山の新規開拓のような、未知の場所を探る仕事に就けるのだが。
――アイツ一人いれば十分だろ。
魔物討伐者には手当が出るので走ってみたが、足の速い元商売敵に先を越されては、走る意味もない。戦いを知らない一般の工員はすぐ騒ぐが、どうせ「やたら噛み付くコウモリ」くらいのヤツが一匹出たくらいだろう。あの男だって、軟弱そうな見た目だが一度は敵としてチャドを死の間際に追い込んだこともある腕なのだ。
――まあ、仮に手こずってたらコウモリに石を投げるくらいはしてやるか。
チャドが現場に着いた頃にはヤツが「おつかれ!」と言って魔物の亡骸を解体している絵しか浮かばないが、チャドは非常用に支給された光石銃を腰のホルダーから抜かないまま、のんきに坑道を歩いていった。




