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八狩涼奈の工房再建計画  作者: 冬雛
序章 争いから最も遠い場所
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4 乖離

 來遠くどおの調査隊が来訪した日から、十三日が経っていた。涼奈すずなは昨日をもって二月に渡る碧水での任期を終えたのだ。


 晴天の空。日は既に高い位置にある。夏の色も強まってきた時節、暑がりのきらいがある涼奈の身には些か応える天気だった。


 そんな半鬼の少年安曇あづみ涼奈は王宮の庭の門前にいた。故郷風連しづれへの出立の時刻が近付き、遂に王宮を出る段になったのだ。


「寂しくなるな」


 相も変わらず感情の読めない表情で、彼の上官が言った。


「本当に思ってます?」


 冗談ではなくただ疑問に思い、質す涼奈。


「当たり前だ。貴様さえよければ、このままわたしもとで働いて欲しいのだがな。……まぁ、そういう訳にもいかんのだろう。あらたにはよろしく伝えておいてくれ」


 涼奈が首肯を返すと、彼女はやや気落ちした声になった。


「本当に、可能であればずっとここで私の補佐をしてもらいたいのだがな……。無論、私にそれを強制する権利は無いし、するつもりも無い。だが、考えておいてくれ。私はいつでも貴様を受け入れてやるからな」


 それを聞いて、少年は思わず吹き出してしまった。

 その反応に、凛はやや気色ばんで問うた。


「何がおかしい?」


「いえ、改さんは本当にお姉さんに似たんだと思って。そういう感情が表に出辛いところがそっくりです」


 何故か機嫌の悪い時は見ただけで分かってしまうところもそっくりだ、とは口には出すまい。

 涼奈の自分に対する評価に納得がいかなかったのか、凛は口を噤んでむっとしている。


 いつでも受け入れると言ってのける程気に入っていたのならもう少し好感的に接してくれ、というのが涼奈の本心だった。だがそれも、彼女の個性なのだろう。とても咎める気にはならなかった。


「それでは、長い間本当にお世話になりました」


「長い? 短い間だっただろう……まさか、これが若人との感じ方の差異なのか……?」


 世話になった側からその期間を『短い』とするのを失礼に思い、涼奈が何となく言っただけなのだが、何故だか凛は一人で焦っている様子だ。

 涼奈はふと気になった。


「凛さんっておいくつなんですか?」


「……改に聞いたらどうだ?」


 彼女がその場で答えるのを避けたのは、実は涼奈の予想通りだったりする。


「じゃあ、僕はもう行きますね」


「あぁ――」


 少年の元上官は微笑を湛えた。


「またいつでも来い。茶くらいは振る舞ってやる」


 大した荷物も無いままに、半鬼の少年は二月の間身を置いた王宮を後にした。



        ×     ×     ×



 王都碧水の目抜き通り。市が展開され、田舎者が見たら目眩を覚えるような賑わいを見せている。――実際、二月前の涼奈がまさしくそうだった。


「安曇さん!」


 雑踏の中を往く少年の名を、誰かが呼んだ。

 声の主はすぐに見つかった。万屋の一人娘、天音あまねだ。碧水に来て間も無い頃の右も左も分からない涼奈に、彼女は都で暮らす上で必要な様々な事を教えてくれた。涼奈に取っては恩人なのだ。


「天音さん。こんにちは」


「安曇さん、今日で故郷に戻られてしまうんですよね……ちょっと寂しいです」


 天音は大袈裟に肩を落として見せる。その仕草が、涼奈には少し可笑おかしく思えた。


「また近い内に会えますよ。碧水に来た時は、真っ先にお店に寄りますから」


「……約束ですよ?」


 涼奈が頷くと、天音は嬉しそうに笑い、手を差し出した。


「はい、どうぞ」


「?」


 天音がその手に持っていたのは、全長で一尺程度の小さな短刀だった。柄は小さく、両手での運用は初めから想定していないような造りだ。細身で鍔も無く、護身用の懐剣といった印象を受ける。


「私からの贈り物です。うちで扱っている品で、一級の刀匠さんが造った物なので質はとても良いですよ。……まぁ、使う機会は無い方がいいんですけどね。でも、いざって時の事を考えると安心ですし、持っていて損は無いと思いますよ」


「こんな良い品を、貰ってもいいんですか?」


 何だか申し訳無く思えて、涼奈は問わずにはいられなかった。


「いいんです。お代なら、今度来た時にお店の手伝いでもして返してください」


 屈託の無い笑みで、彼女は言い切った。

 涼奈は深々と頭を下げ、礼を伝える。


 慣れない都での生活で、世話になってばかりだったというのに――。しかし今の涼奈では、彼女に恩を返す事はできない。それが苛立たしくて、情けなくて、涼奈は居た堪れない気持ちになった。



        ×     ×     ×



 天音に別れを告げてから、涼奈は厩舎きゅうしゃを目指して碧水の街を歩いていた。

 日は若干傾き始めていた。この調子だと、村へ着くのは日が沈んだ後になりそうだ。それでも構わない。積もる話は、日を改めてからゆっくりとすればいい。村の住民達の中には、それこそ二月前の涼奈のように殆ど都を知らないような者もいる。そんな連中に、都であった事をじっくりと話し、聞かせてやりたい。王の所在する地がどんな様子なのか、それを村の皆に教えてあげたかった。


 涼奈は時々、こう自問する事がある。


 ――自分が生まれてきた理由は何なのか。


 恐らく、誰だってそんな疑問を一度は持つだろう。そして、この問いに対し満足のいく答えを出せる者は殆どいないはずだ。御多分に洩れず、涼奈もその内の一人だった。


 二月の都暮らしを経てその問いに対する答えを見つけられるのではないか――涼奈の胸の内には少なからずそんな期待があった。

 しかし、望んだような答えは得られなかった。結局、ほんの少し生活の環境が変わったからといって、ひとの本質はそう易々と変わりはしない。


 だが、変化はあったと思う。自分を見つける事はできなかったが、今の自分を確かめる事ができた。


 涼奈は支えられてばかりだった。思い返せば、四年前のあの日からそうだ。両親が殺され、拠り所を失くした涼奈を迎え入れてくれたのは村長だった。

 改は読み書きを教えてくれた。この世界の歴史についても教えてくれた。都を知らない涼奈のために、此度のような経験をくれた。

 村の者達も心配だったはずだ。身寄りの無い年端もいかぬ少年が、無事に生きていけるのか。彼らの気遣いに気が付かない程涼奈は愚鈍ではない。

 そして――。


 涼奈は懐の短刀を握り締めた。その際、衣の肩部分にある傷の繕われた跡が目に入った。

 王宮での任を無事終える事ができたのは、周りの者達の支えがあったからだ。今ならそれがはっきりと分かる。


 恩義に報いるためにも、涼奈は自分なりの答えを見つけなければならない。限られた時間の中で、可能な限り早急に。きっと、思っている程時間は無いはずだ。


 このまま村長の下で働くというのも、一つの答えだろう。だが、それだけではない。幾多の選択肢の中から、自分の為すべき事を見つけるのだ。


 そこでふと、涼奈はあの真っ黒な青年を思い出した。己の信ずるものを見つけ、国に仕えるあの青年を。

 水月みなつき悠志郎。彼に会う事は恐らくもう一度も無いだろう。彼ら調査隊も後三日で自国へと戻るのだ。

 今日は確か卯竜の南方にある鉱山の調査へ向かっていたはずだ。だとすると、涼奈が向かう風連とは正反対の方角になる。


 彼らが王宮を訪れた日の晩、彼が最後に言った事を未だに覚えている。

 彼の言う『救い』とは何だったのか。涼奈はその際に質さなかったのを悔やむ一方で、どうしてかは分からないが、それが正しい選択であったような気がしてならなかった。


 ひとまず、村へ帰ったら改へ礼を伝える。そして屋敷の皆に土産話でもしたら、またいつもの日常へと戻るのだ。今後の事を考えるのは、そうなってからでいい。


 今はただ、久方振りの故郷の空気を満足いくまで味わいたかった。



        ×     ×     ×



 涼奈が異変に気が付いたのは、村長屋敷の前に立った時だった。

 場所は正門ではなく通用門。乗って来た使い魔を入れておくため厩舎に寄った涼奈は、正門とは逆側から屋敷へ到着する形となったのだ。

 案に違わず日は既に没しており、辺りは闇に包まれている。そこで異常な点が一つ、


 ――明かりが、無い……?


 あり得ない暗さだった。暫くの間都で夜を迎えていた所為で、その明かりの多さに目が慣れてしまったから、などという話ではない。屋敷自体から光源を認めることはできなかったし、普段であれば母屋の外であっても魔力灯篭などの照明が光を放っているはずだ。――それらが総じて、消えている。


 事態の異常性に気付くと共に、全身を戦慄が走り抜ける。

 何が起きたのか。そんな事を冷静に推理できる状態ではなかった。


 大慌てで門を開け払い、もたつく足で必死に駆ける。

 光源を一切失った屋敷中を駆け巡り、ようやく気が付いた。


 ――誰もいない。


 まずい、絶対にまずい。


 屋敷の使用人達はどこだ? 村長は? 改は?


 不安が脳裏をぎると同時、涼奈は上階であることも忘れ、丸窓を突き破って地上へと飛び降りる。受け身に失敗し、身体を強く打ち付けながらも、転がるように涼奈は駆けた。


 すぐさま霊子を足に纏わせ、地への作用を増幅させた早駆けで加速し、一気に正門を飛び越える。純血の鬼には数段劣るが、涼奈のの身体能力は人間のそれを凌駕する。

 着地と同時に早駆けを再開し、凄まじい速度で緩い傾斜を下っていく。

 民家の方へ向かわなければならない。村の住民達がそこにいるはずなのだ。事態が一刻を争うのは、涼奈の生物としての本能が察知していた。


 涼奈は全身の毛が逆立つのを、確かに感じた。

 異様過ぎる。民家が立ち並ぶこの場所へ来ても、光源が一切視認できない。地上を照らす月明かりのみを頼りに、辺りの状況を確認しようとする。


 ――誰も……いない……?


 その時。涼奈がふらつく足取りで、明かりの消えた民家の中を探ろうとしたその時だ。踏み出した足に、何かが当たった。


「ぁ……」


 声は出なかった。できる事なら叫びたかった。が、それができなくなる程に、その光景は涼奈の思考力を決定的に破壊した。


 人間の――村長の身体だった。勿論、それが正常な状態であるなら、涼奈は恐怖を覚えはしない。

 胸の部分が深く穿たれ、夥しい量の血が流れている。生死など、問うだけ無駄だと言わんばかりの状態だった。


 その骸の横には――金色こんじきの刃を持つ大振りの薙刀が転がっていた。


(改さんは……改さんを、探さないと……)


 よく目を凝らして、そこで涼奈は気が付いた。――いや、気が付いてしまった。

 辺り一帯、そこら中に骸が散乱していた。その全てに金色の薙刀が突き立てられ、そしてその全ての顔に見覚えがあった。――全員、村の住民達だ。


 それら数多の骸の中からある人物のものを認めた時、涼奈の理性は根底から崩壊した。


「ぁ……あ、ぁ……」


 改だった。地に伏せた体勢で、背中から深く刺し貫かれている。傷口から流れる鮮血が、暗がりにありながらも妙に生々しく視認できた。

 最早、何も考えられなかった。怒りなど湧いてこようはずもない。そんな余裕は欠片程も無いのだから。


 だがそれでも、涼奈の思考は完全には停止しなかった。

 辺り一面に転がる死体の只中にありながらも、涼奈はまだある人物の顔を見ていない。


 ――朱里しゅり


 それは、幼馴染の名だった。かつて涼奈が親を失った日、共に日の出を見に行っていた友人だ。

 彼女は村で最も涼奈を心配していた。『自分があの日涼奈を誘っていなければ』――彼女にはそんな負い目があったのだ。無論、涼奈の方はそんな風に思った事など一度も無かったのだが。

 故に、涼奈が成長した姿を一番見せたい相手は彼女だった。自分が単身でも生き抜いていく力を持っていると証明し、早く安心させてやりたかった。


 そんな相手が、まだ生きているかもしれないのだ。ここで止まる訳にはいかない。

 朱里を見つける――ただそれだけの思いが、涼奈の心を完全には殺させなかった。


 ――ざく、と。

 絶望の只中にあって冷静さを失った涼奈の見当違いな希望を嘲るように、その鈍い音は響いた。

 肉を断つ音の中に、微かに混じる衣擦れの音。そこに、柔らかく重いものが倒れるような音が続く。


 音のした方を、振り向きたくなかった。見てしまったら最後、そこに映ったものを受け入れなければならないからだ。――だが、それでも。


 果たして、音の正体は人体が倒れた音だった。倒れた者の顔を見咎めて、涼奈は瞠目する。華奢な体躯に地味な野良着の人間。幼馴染の顔を、見間違える訳が無い。――朱里だ。

 だが、涼奈は次なる驚愕を僅か数瞬後に味わう事となった。


 倒れた朱里の近くに、人型の影を一つ認める。そこら中に散らばる骸とは違い、その者だけは立っているようだった。

 周囲に明かりが無いのもあるが、その影に今まで気が付かなかったのは、偏にその者の纏う衣が黒一色だった事にるだろう。

 その影はやおら首をめぐらし、こちらへと目を向ける。纏った衣が夜の闇に紛れ、まるでその黄金の双眸のみが中空に浮いているように見えた。


 水月悠志郎。間違えようが無い。それは、本来この場所にいるはずの無い人間だ。

 その男が今何をやったのか、それは十分に理解している。だが、ようやく生ある者に会うことが叶った。

 全てが疑問であるこの状況下で、何を聞くべきか。

 これは一体どういうことかと、そう問い質そうとしたところで、涼奈の右眼が反応した。


 悠志郎のすぐ横の空中に、突如として黄金の刃が出現する。先刻から幾度となく目にしている、大振りの薙刀だ。

 だが、涼奈が予知できたのはそこまでだった。


 空を切って飛来した薙刀の刃は、涼奈の腹を刺し貫いた。


「がっ……ぁ……」


 あまりの速さの出来事に、痛みは遅れて届いた。

 激痛によって地へと倒れ込み、血反吐を吐く。自身の下の地面を見ると、おぞましい量の血が流れていた。

 何が起きているのか分からない。ただ、消えゆく意識の中で涼奈は確信を持つ。


 死だ。

 間違い無く、自分は助からない。


 外界の音も認識できない状態で、涼奈は懸命に悠志郎の方を振り仰ぐ。


 するとそこには、先程まではいなかった柊も立っていた。

 一切の表情を浮かべていない悠志郎に対して、柊は明らかにわらっている。口を開いて何か話しているようだったが、内容を聞くことは叶わなかった。


 そこで涼奈は、とうとう視界から色彩が失われていくのを認知する。白と黒と、灰色に染まった世界。その世界すらも、徐々にぼやけて輪郭を失っていく。

 既に、外界を認識できる状態ではなかった。


 無くなっていく意識の最中さなか、涼奈は必死に思考する。

 凛は彼ら調査隊を――柊と水月を怪しいと言っていた。何らかの目的があるのでは、と。もしかすると、その予想は的中していたのかもしれない。

 だとすれば、彼らの目的は――?


 考えていられたのは、そこまでだった。


 涼奈の意識が途絶えるほんの直前。こちらを向いた柊が、何故かその表情に驚愕の色を湛えていた。

 それが、涼奈が見た最後の光景だ。


 その瞬間をもって、安曇涼奈の意識は完全に途絶えた。

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