3 彼が見た景色
「今回調査対象となる鉱山はこの七箇所となります」
凛は一枚の紙を相手に見せるように差し出す。それは卯竜とその付近の地形を記した地図だった。地図には確かに七つの印が付けられている。
「ふむ。一箇所に対し二日は掛かると見てもらいたい。滞在は十五日間としたいが、いかに?」
「はい。それで構いません」
柊が言うと、凛は二つ返事で了承を示す。
涼奈が裏通りで出会った三人組は、果たして件の來遠より派遣された調査隊だった。
あの後、襲ってきたならず者を衛士へと引き渡し、涼奈は三人を王宮まで案内した。涼奈が王宮所属の者であった事にはやはり彼らも驚いていた。もっとも、あの場で一番驚いていたのが涼奈である事には違い無いが。
手筈通り涼奈は用意された部屋へ彼らを通し、こうして上官を呼び寄せたのだ。
隊と呼称するには些か少ない人数だが、これで全員らしい。隊を率いているのは涼奈の傷を治して見せた柊という男で、今は彼を中心として左右に残る二人が座している。
凛が何やら複数の資料を見せて説明を始めている。専門的な用語が多くて涼奈には理解ができない。
調査を行う手段も魔術に依るものだろうから、その上で必要な情報――地質や深さなどを教えているのだろうかと適当に予測を付けてみるが、それ程単純な話でない事は然しもの涼奈にも分かる。
程なくして、凛の説明は終わった。
「安曇。客間へ案内しろ」
「こちらへ」
凛に指示され、涼奈は彼らを促す。
それぞれを客間へ案内して涼奈が部屋に戻ると、凛はいの一番にこう言った。
「よく見つけたな。正直、行き違いになると踏んでいたぞ」
「その場合どうするつもりだったんですか……」
「時間を守らなかった奴らの所為だろう? 私の知った事ではない。……まぁ、執務室の窓から正門前は見えるから、それらしき連中が来たら下りていくつもりだったがな」
突如言い渡されたこの仕事。やはり凛は快く引き受けた訳ではないらしい。
「会えたのはほぼ偶然だったんですけどね」
「そうなのか? ……おい、貴様の上衣、肩の部分が裂けているぞ」
しまった、と思った時には既に遅い。上官の鋭い視線が肩から顔の方へ移る。
「何かあったのか……?」
訝しげな眼差しになる凛。
どう説明すればよいものかと悩んでいると、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「まぁいい。貸してみろ。私が繕ってやる」
それは涼奈の予想を遥かに裏切る言葉だった。
× × ×
「凛さんって縫い物なんかできたんですね」
「大変失礼な物言いをしている自覚はあるか?」
机の上に展開された裁縫道具。器用な手つきで部下の衣を縫っているのは凛その人だ。
確かに涼奈の勝手な印象でしかないのだが、あの上官がこうも細かい作業に黙々と取り組んでいるのを見ると得も言われぬ違和感を覚えてしまう。
「ほら、できたぞ」
飛来する薄灰色の上衣。不意の事に、涼奈は思わず取り落としそうになる。あれだけ繊細な作業をしていたと思えば直後にこれなのだから、本当にこの人物は掴めない。
気の抜ける声と共に大きく伸びをする凛。上げた腕を下ろす際の顔が妙に幼く見え、涼奈は思わず笑ってしまう。
「何だ? その気持ちの悪い笑みは」
「いえ、何でも。ありがとうございます」
持ち主の傷と同じく修復された衣に、涼奈は袖を通す。
「全く。何があったのかは聞かないでおいてやるが、王宮に身を置いているという事をゆめ忘れるなよ」
こればかりは素直に反省すべきだろう。何の手掛かりも無かったとはいえ、天音の情報のみで安易に動くべきではなかった。悠志郎の助けがあったから良かったものの、涼奈だけでは上手く対処できていたか怪しいところだ。
「すみませんでした」
深く頭を垂れる涼奈を流し目に見て、彼の上官は鼻を鳴らす。
「私の期待を裏切らないでくれよ。貴様には私の片腕となってもらう予定なのだからな」
「僕、もう少しで村に戻るんですけど……」
「そういえばそうだったな。では何か、來遠の連中より貴様の方が先に出て行くのか。……全く、気が滅入るな」
涼奈の任期は残すところ十二日。先刻の柊の話だと彼らは十五日間は滞在すると言っていた。
「一応、そういう事になりますね。……というか、一応客人なのであからさまに疎んじるのは良くないのでは?」
涼奈からすれば、少なくとも悠志郎は恩人と言っても過言ではない。
しかし彼らは、凛からすれば唐突に本来の職務に無い仕事を押し付けられた原因とも取れる訳なのだから、歓迎できないのも無理もない。
だが凛が彼らに対して嫌悪感を露わにするのは、それだけが理由ではないようだった。
「妙な連中だ」
吐き捨てるように彼女は言う。
「普段からまともに調査を行っているのはあの篠束とかいう学者の女だけだ。柊の本職は魔術医、水月はただの用心棒だ」
今回派遣された調査隊の構成は、確かに涼奈から見ても妙だった。篠束と呼ばれていた女の学者を除いて、後の二人は普段から調査を任としている者ではないのだ。
「不審なのはその両名の実力が相当に優れているという点だな。あのふざけた格好をしている柊という男は、医聖と呼ばれる程腕のある魔術医だ。あの魔術大国の中でも随一の力を持っている」
内一人は柊清斎。隊を率いている男だ。
魔術医とは、魔術に依る治療を生業とする者の事を指す。優れた魔術の繰り手が多い來遠にはその分優秀な魔術医も多いはずだ。そこで医聖と謳われているのだから、並大抵の実力ではないだろう。
「あの黒いのについては情報が得られなかった。だが国家水準で見ても一等級の医者の警護を単身で任されているのだ。尋常な手合いであるはずが無い」
もう一方が、水月悠志郎。涼奈を手練れのならず者から助けた張本人。
確かに、その実力が尋常なものでない事は容易に察しが付く。ある意味では、三人の中で最も底の見えない恐ろしさがある。
どのみち、篠束を除いた二名もかなりの水準で魔術に熟達しているのは間違い無い。魔術による調査であれば二人にもこなす事ができるのだろう。でなければ、用心棒である悠志郎はまだしも、來遠が柊を遣わせた理由がまるで無くなってしまう。――と言っても、結局は通常の調査員を寄越せば済む話なのだから、やはり柊が派遣された理由は涼奈には分からない。
「でも、王都を拠点とするだけであって、調査は現地で行うんですよね? だったら王宮にいる事は殆ど無いでしょうし、仮に何かを企んでいたとしても国に影響は及ぼせないですよ」
「まぁ、そうだろうな。私の考え過ぎだ。……いかんな。何でも深読みするのは、決して褒められた癖じゃないんだが」
しかし、とそこで彼女は言葉を切った。
「警戒しておくに越した事は無い。一応、奴らの行動には注意を払っておけ」
「……分かりました」
× × ×
その日の晩、日が西の山影へと姿を隠し、すっかり夜の帳が下り切った頃。眠りが浅かったのか、目が覚めてしまった涼奈は自室を出て階下へと下りていた。
母屋を出て、身体が外気に晒される。初夏の夜特有の、僅かにひんやりとした空気だ。
門前には夜間も警備の任に当たる衛士がいるだろうが、邸内の広い庭園には誰もいないようだった。――否。薄暗い宵闇の中に、涼奈はうっすらとした人影を捉える。
その者の纏っていた衣服が黒一色であったため、夜の暗さの只中にあっては見つける事は困難だろうと思われた。
その人影はこちらの気配に気が付いたのか、振り返って涼奈を見た。――その黄金の双眸で。
「水月さん。こんな時間にどうされたんですか?」
「……いえ、少し寝付きが悪くて」
相も変わらず、どこか疲労を感じさせる声音で彼は言う。
「僕もそんなところです」
涼奈は肩を竦めた。悠志郎はその肩を見遣り、
「傷の方は大丈夫なのですか?」
「はい、もう痛みもありません。柊さんの治癒は凄いですね。あんなに早く治せるなんて……」
「彼が言うには、外傷なら余程酷くない限りは容易に治せるそうです。彼は最優の魔術医ですから」
やはり柊の実力は、魔術の分野に明るくない涼奈には想像も及ばないところにあるらしい。涼奈は思わず感嘆の声を上げる。
目を凝らして見ると、悠志郎のいた場所は庭に設けられた池の近くだった。池には魚が泳いでおり、時折魚が跳ねたような水音が聞こえてきている。
池を照らすために置かれた魔力灯篭が、淡く白々しい光を水面に反射させていた。
涼奈が何となくそちらを眺めていると、ふと悠志郎が口を開いた。
「差し障りがあれば答えなくてよいのですが――貴方の眼には何か力が宿っているのですか?」
涼奈は瞠目した。確かに、裏通りでの戦いの際に助けに入った事を考えると、悠志郎は涼奈の戦いを目撃しているのだろう。しかしそれを見ただけで、まさか眼に特異な能力が宿っているとは分からないはずだ。だとすると――。
「もしかして、僕以外にもこういう力のある方がいるんですか?」
「そうですね。極めて珍しいですが」
成る程。そういう事ならば、悠志郎は涼奈の戦い方からそれを見破ったのかもしれない。彼は戦闘の経験も豊富だ。涼奈の立ち回りが先を予期していなければできない動きだと分かったのだろう。
「できれば、どのようにしてその力を得たのか教えて頂けませんか?」
涼奈は、暫しの間黙っていた。それを話すという事は、四年前に涼奈を――より詳しく言うなら涼奈の両親を襲った事件について説明する必要がある。その時の記憶は、今でも涼奈の脳に鮮烈に残っている。むしろ、忘れる事などできはしないだろう。
正直それは、今日出会ったばかりの人間に話し聞かせるような内容では断じてない。
しかし涼奈は何故か、この青年になら話してもいいと思えた。
或いはそれは、雲の切れ間から漏れる月明かりに照らされた彼の横顔に、言い表しようの無い既視感があったからか。無論、彼と会ったのは今日が初めてのはずなのだが。
「もう四年前の事です。今の僕はこんな場所にいますけど、王宮で正式に雇われている訳ではないんです。僕はここから北方にある風連という村の出で、今は村長の屋敷に住んでいます。――四年前は、まだ両親と共に家で暮らしていました」
語り始めると、言葉は淀み無く出てきた。次々と言葉が続く事に、涼奈自身が驚いていた程だ。
よく覚えています。あの日は、今よりもう少し日の長い盛夏の頃でした。
小さな村だったので、年の近い遊び仲間なんて殆どいなくて。村にいた一つ年下の農家の娘が唯一と言っていい友人で、小さい時からよく一緒に遊んでいました。
あの日、僕とその友人は二人して夜中に家を抜け出していました。ある日急に友人が日の出を見たいと言い出して、興味のあった僕は断り切れずに、善くない事と分かっていながら共に行く事にしたんです。
約束通りの場所で落ち合って、僕達は村から出ました。村から少し離れた所に見晴らしの良い丘があったんです。そこを目指して、暗い森の中を二人でずっと歩きました。
結果から言うと、僕達は予定通り日が昇る少し前に丘に辿り着いて、日の出を見る事ができました。空には雲も無く、清々しい程の快晴でした。
目的を達成した僕達は村への帰路を急ぎました。それこそ、来た時よりも。村の人達が起きてくる前に家へと戻り、抜け出した事を隠す算段だったので。彼女が立てたその作戦に本人は自信を持っているようでしたけど、僕にはそう上手くいくとは思えませんでした。
案に違わず、村へ戻ると彼女の父親が凄まじい剣幕で待ち構えていました。友人が叱られる様を笑って見てやる事はできませんでした。同時に僕も叱られたので。
でも彼女の父親は、僕をすぐに解放してくれました。すぐさま家に戻れ、と。家に戻れば僕が再度叱られる事は火を見るより明らかだったので、僕を憐れんでそう言ってくれたんだと思います。
勿論、気持ちが軽くなったりはしませんでした。要するに、『自分の家に戻って叱られろ』というだけの話なので。
沈鬱な気分になりながらも、また昼には友人と会って愚痴を零し合おうなんて考えていました。大人達の考え方は固過ぎる、と。
――家の戸を開けても、僕を叱ってくれる者はそこにはいませんでした。
代わりにあったのは、無造作に引き裂かれた人体が二つ。
事切れているかどうかなんて、論じるだけ馬鹿らしい程の有様でした。裂く、というより千切られたと言った方が正しいかもしれません。腹部からは臓物が零れ、床には夥しい量の流血が広がっていました。無論、顔なんて確認できる状態ではありませんでしたが、僕にはそれらが父と母だとすぐに分かりました。
状況への理解が追い付かず、僕は半ば恐慌を来していました。
そんな中、二つの骸とは別に、一体の人影がある事に僕は気が付きました。奥の壁に、そいつは凭れるようにして座り込んでいました。
明らかに、賊などではなかったと思います。見る限り全身に傷が刻まれていて、中には致命傷と呼べるようなものまでありました。何故生きていられるのか不思議に思う程、満身創痍の男でした。
父と母を殺めたのがその男であることは明らかでした。ただそれと同時に、男に傷を負わせたのが父と母のどちらでもない事も確実でした。その男の傷は、殺されそうになった者が抵抗として負わせたにしては、あまりにも重傷に過ぎました。
その男を見た瞬間、混乱の只中にあった僕の頭の中に明確な憎悪が生まれたんです。
その時です。僅か一瞬、僕の視線を男の眼が捉えました。
気が付くと男は目の前に倒れていました。絶命した状態で。
何故かその間の記憶が無いんです。でも恐らく、僕が殺したんだと思います。あの場でそれが可能だったのは、僕だけなので。
三つの死体に囲まれて、異様な鉄臭さに包まれて。傍から見ると一家を襲って住まう者を皆殺しにしたような状態の僕は、ふと右の視界に違和感を覚えました。
足下に転がっていた魔力行灯が、普段と違う光り方をしていたんです。ただの光ではなく、対流する渦のように見えました。
その時は気が付いていませんでしたが、あれは可視となった魔力の流れだったようです。
そうして僕は、村長の屋敷に引き取られました。
屋敷で僕の面倒を見てくれた恩人に、ある日その時の事を伝えてみたんです。すると彼は自身の魔術を発動し、僕に――僕の右眼にそれを見せました。
それが切っ掛けとなり、僕はあの男を殺した日から自分の右眼に宿った力を知る事ができたんです。
「僕の右眼は、魔力や霊子のような超自然の力がこの世界に干渉する際、それが齎すものを事細かに、且つ前もって映し出すものだったんです」
半鬼の少年の物語が終わった。
悠志郎は問いを投げかける事もせず、ただ静かに話を聞いていた。
「そうでしたか」
悠志郎はやや物憂げな表情をしていたが、涼奈が思っていたような反応ではなかった。
彼は今回の調査において、用心棒として国から派遣されている。まず間違い無く彼は武人だ。涼奈には想像も及ばない程ひとの死を目にしてきたのかもしれない。そう考えると、反応が薄いのも道理だと思えた。
静寂。聞こえるのは緩やかに流れる風の音と、それに揺られる草木の擦れる音。遠いも近いも分からない、何処からともなく聞こえる虫の鳴き声。時折響く水音は、池の魚が跳ねた音か。
純黒の人間と灰色の半鬼の間を照らす魔力灯篭の明かりは白く、だがそれでいて温かみのある灯火のような色も含んでいた。
光源は、それだけではなかった。
涼奈が気が付いた時には既に、それは二人の周囲に無数に広がっていた。
――蛍。
そういえば今のような初夏の時期に、風連では決まって蛍が飛んでいた。
もう今年もそんな時期なのかと、やや年寄りじみた感慨を抱き、涼奈は苦笑する。
今年は村の外で夏を迎えてしまった。
今の自分は、一年前の自分から変われているだろうか。何か成長できただろうか。
今隣にいる青年は、然程年は離れていないはずだ。それでも国に仕え、こうして外つ国へと赴き任を遂行している。
自分が今の彼と同じ年になった時、果たして彼のように立派な務めを果たせているだろうか、と涼奈は思う。国に仕えるべきだと思っている訳ではない。第一、人間でない上に特別優れた能力を持っている訳でもない自分が、そんな地位に立てるとは思えない。ひとにはそれぞれのやり方がある。
しかし、涼奈にはそれが見えていない。自分が何を為すべきなのか、何処を目指すべきなのか。或いは改はそんな涼奈の不安を察し、今回のような機会を設けたのかもしれない。だとしたら、彼に報いるためにも見つけなければならない。己が目指すべき場所を。
涼奈はふと今朝の事を思い出した。丁度四年前の事件の日から見るようになった、件の悪夢を見た事を。碧水に来てからというもの、一度も見ていなかったというのに。
不快な夢の内容を思い返してしまった涼奈は、それを紛らわすように、ただ何となく悠志郎へと問うた。
「水月さんは、自国ではどんな務めをされているんですか?」
「私は軍事関係の任に当たっています。少し特殊な立場にあるのですが、一応は武官という事になりますね」
(武官、か……)
涼奈にとって軍事などという言葉は、どこか遠く、自分とはまるで関係の無い場所にあるものだと思っていた。否、実際はそうなのかもしれない。ただ、然して年も変わらないこの青年は、恐らく今の涼奈と同じくらい、もしかするとより幼い頃からそういった世界に身を投じてきたのだろう。
涼奈は思う。この青年と自分は種族だとかそんな垣根を度外視した上でも、きっと根底の部分から異なる存在なのだ、と。
故に、彼とは考え方も全く違うのだろう。だから涼奈はこう聞いてみたくなった。
「水月さんは、どうして武官になったんですか?」
「私は――」
空を見上げてみると、今宵は満月だった。一切欠けた部分の無い、綺麗に過ぎる天満月。丁度今は雲が切れて、その美しい姿を惜しげも無く晒していた。
そんな燦然と輝く月の下、純黒の青年はその言葉を口にした。
「――琉月の地に、救いを齎すためです」