6 とある賊の最期
山賊の頭領は、唾を吐き捨てた。
「ふざけるな……」
彼がいるのは先刻の集村からやや離れた山の麓だ。
彼の率いる賊の集団は、深紅の頭髪を持つ少女に完膚なきまでに叩き潰された。
彼らの中には、決して大きな怪我を負った者などいない。
だが。否、だからこそ。
賊の頭領として常に人を脅かす側の存在にあった彼の矜持は、それが許せなかった。
ただ圧倒的な力の前に撤退せざるを得なくなった自分達が極めて小さな存在である、と。それを証明するかのようなあの女の振る舞いが、とても許容できるものではなかった。
「あぁぁああああああああ!!」
咆哮と共に、近くに転がっていた石を蹴り飛ばす。
(くそがっ……!)
今も視界に映っている、彼の手下である賊どもが許せない。ちっぽけな少女を相手に、最終的には戦う意思すら無くしたこの連中が許せない。
だが、それ以上に。
頭領というのは――集団を統べる者というのは、自らが先頭に立って道を示し、配下を奮い立たせる者でなくてはならないのではないか。配下が戦意を失っても、それを呼び戻す程の器が無くては務まらないものではないのか。
詰まる所、頭領自身も恐れたのだ。あの少女の底知れない実力に。魔術を自在に操るその姿に、無意識の内に恐怖を抱いてしまっていたのだ。
「畜生っ!」
荒れ狂う自身の姿を見て下っ端の山賊達が困惑の声を上げているのも、今となっては気にもならない。
と、そこで。
周囲に並ぶ野郎どもとは別に、遠くに人影を見付けた。
女だ。恐らくは人間だろう。
そして彼女は、先刻の集村へ向かって歩いているようだった。
――その気付きは、頭領の口元を歪めるには十分なものだった。
女はあの集村の住民だ。
幾度となく集村を襲う中で、彼は何度も住民の顔を目にしている。あの顔には、確かに見覚えがあった。
恐らくは山の方に用事があり、出掛けていたのだろう。今はその帰りといったところか。
「行くぞお前ら」
静かに、それでいて確かな声音で、頭領は呟いた。
あの女を犯し抜いて嬲り殺しにしなければ、この腹の虫はおさまりはしないだろう。
せめて腹いせに、住民の一人を陵辱してやる。
身体の動きを怒りという感情のみに任せ切っていたせいか、気が付いた時には頭領は既にその女のすぐ側まで来ていた。
周囲を確認すれば、しっかりと賊どもが付いて来ている。
数は十数人。相手は一人。
頭領の口元が大きく歪む。
「ひっ!」
山へ行っていた理由が分かった。女は大量の山菜を入れた籠を持ち歩いていた。
その籠を手から取り落とし、女は甲高い悲鳴を上げる。
視線で後方の下っ端へ合図を送ると、すぐに野郎どもが女を取り囲んだ。
「や、やめてくださいっ!」
抗う女の右頬へ、賊の一人が殴りを入れる。
「がっ!」
「ははっ、軽いなぁおい」
転がった女の周囲を、別の賊がすぐさま取り囲む。
「い、いやぁ……」
今し方の打撃の痛みによる恐怖からか、女はあまり抵抗をしなくなった。
「誰か、助けて……」
賊の一人が乱暴な手つきで帯を取り、質素な衣を剥いでいく。
その男の口元には、厭らしい笑みが湛えられていた。
これでいい。頭領は思う。
本来の立場はこうだったはずだ。怯える相手を見下すのが常だった。
此度はたまたま相手が悪かったに過ぎない。再び始めればいいのだ。力に物を言わせた蹂躙を。
着包みを剥いだ下っ端の賊が、乱暴に女を組み伏せる。
その瞬間、山賊の頭領は瞬きをした。無論、それはほんの一瞬に過ぎなかった。
僅か一瞬の後、頭領が目を開くと、女を組み伏せていたはずの賊の首は無かった。
否。胴体から切り離され、宙を舞っているところだった。
その状況を頭で理解し、瞠目する。あまりの驚愕に、思考が僅かに止まった気さえした。
そして、たった数瞬のその間に、他の下っ端の賊が四人程同じ目に遭った。
「は?」
後方に気配を感じ、頭領は勢いよく振り返る。
確かに、いた。
恐らくこの一呼吸程度の間に五人の賊を屠ったであろう人物が。
人間か、或いは妖狐か。所々傷の入った、使い古されて最早元の色が分からない暗い色の衣を身に纏っていた。衣は身体の大きさに合っていないようで、明らかに布が余っているように見える。襟の辺りに縫い付けられた大きな頭巾を深く被っており、目元が確認できない。
それでも、僅かに見える肌を観察すれば相当に幼い事が分かる。身体もある程度鍛えられているように映るが、決して賊の男達とは比べられない。にも拘わらず――、
(こいつが、五人を殺ったのか!? 今の一瞬で!?)
傷だらけの大きな衣を纏った少年は、右手で懐から白い何かを取り出した。
それは七寸足らずの――言うなれば、刀の柄部分のように見えた。
少年が軽く腕を振るうと、一瞬にしてその先端から刀身が形成される。一般的な打刀と同程度の長さを有したそれは、全く以て反りの無い見事な直刀だった。
魔術。少年は人間だ。
それを察した賊達の中には、先程の集村での経験からか、怖気付く者もいたようだ。
だが、それがどうした、と山賊の頭領は胸の内で呟く。
集団を統べる者とは、先頭に立って道を示さねばならない。
腰の打刀を抜き去り、上段に構える。
賊の下っ端も、取る行動は同じだった。
皆それぞれの得物を手に取り、正面の敵を見据える。
何人かの怖気付いていた者も、周囲の動きに鼓舞されてか、しっかりと構えて得物を手に取る。
(――いける)
頭領は今にも笑いたい気持ちを抑えた。
そう。自分が戦う意思を見せ、その姿を示せば、配下は皆必ず付いてくる。
そして。自分達の在り方とは、こうであったはずだ。手段など問わない。卑劣な手を使ってでも、一人に対して集団で挑もうとも。ただ力で相手を捻じ伏せ、蹂躙する。
「囲め!」
頭領の指示に、訓練を受けた訳でもない賊達は、だが的確な動きで少年を取り囲む。
数は頭領を含めて九つ。対するたった一人の少年は一本の直刀を下段に構え、それ程緊張した様子も無い。
「いくぞお前らぁ!!」
頭領の掛け声に応じるように、賊達は雄叫びを上げる。
『おおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
× × ×
事の顛末を見届けていた集村の女は、賊の男達に対して抱いていたものとは別の恐怖を感じていた。
九人の男に全方位を囲まれた少年は、何人かの相手は常に死角に入れつつ立ち回らなければならない状況にあった。その段階で、既に勝ち目は無いと言っていいはずだ。
だが、傷の入った衣を身に纏ったその少年は、圧倒的に強かった。
特別な事は何もしていなかったはずだ。
ただ迫り来る刃をいなし、回避し、的確に一人ずつ始末していっただけだ。
最も恐ろしいのは、少年が死角から来る攻撃にも正確に対処できていた点か。どういった経験を積めば、そんな芸当が可能になるのか。
死角だとか、仮にそういった要因を度外視したとしても、複数人の賊を単身で相手取るなど正気の沙汰ではない。所詮賊と言えど、実際に何度か戦闘を経験しているだけあって、その動きには洗練されたものがあった。そこらの衛士に匹敵する程度の力を持つ者もいただろう。特にあの頭領は、都の武人とも戦えるだけの実力を有しているように映った。そんな手合いを九人同時に、だ。
転がる九つの骸の只中に立った少年は、一瞬だけ女の方を見遣った。
恐怖からか、思わず身を引く女だったが、その心配は杞憂に終わった。
少年が手に持った得物の刀身を消し去り、元の柄だけの状態に戻したからだ。
女は安堵した。やはりこの少年は、自分を救いに来たのだ。
願いは通じたのだと、剥がれた衣で身を包みながら、頭巾で隠された少年の顔を見ながら、涙を流した。
その涙で視界が霞んだ所為だろうか。少年の持っていた七寸足らずの柄の先に、先刻の直刀とは違う斧のような刃があるように見える。
直後、女の首が宙を舞った。
先程、初めの五人の賊を殺めた手段がこれだったのだと、そんな事を解する頭は既に無かった。
十五体目の骸ができ上がり、周囲に誰もいない事を確認すると、少年は片手で頭巾を取り、その顔を外へと晒した。頭巾は衣の襟に縫い付けられており、落下せずそこに留まっている。
やはり幼い顔立ちだった。種族は人間。僅かに焼けた色の肌と暗い茶色の頭髪が、特徴にはなり得るか。
彼は戦闘によって散らばった自身の得物――白刃の鉤爪を回収し、懐へと仕舞っていく。
全てを回収し終えると、彼は小さな正方形の札を取り出した。そこへ励起した魔力を流し込むと、札は魔術という形で少年に働き掛け、塵となって消えていく。
『衣笠、山賊は全員始末した』
念話と呼ばれる、魔力に依って相手の意識に直接話し掛ける術だ。実際に言葉を発している訳ではなく、念じる事で相手に直接言葉を伝えている。これにより遠く離れた相手に意思を伝える事が可能であり、相互で使用すれば遠隔で会話をする事ができる。
術者の中には自身で発動可能な者もいるが、そうでない場合は少年のように術式の組まれた札などを使用する必要がある。
『お疲れ様ー。想定外の事もあったけど、取り敢えずは任務達成だね。神無ちゃんの方は確認できた?』
『いや。だが、恐らく仕留め損なった。まだ生きているはずだ』
『やっぱりそう思う? 参ったね。警戒させてしまったかな?』
『追跡は難しい。次の機会を待つ方が得策だ』
『違い無いね。一度依頼主と話してみるよ。ひとまずは戻っておいで、裂雷』
意識の中での会話を終え、裂雷と呼ばれた少年は辺りに転がる骸を見渡し、ある一体で視線を止めた。
集村で暮らしていたと思われる、女の死体だった。今視認できるのは胴体のみだ。頭部は何処かに転がっているのだろうが、視界の中には確認できない。
山賊を処理している間中、この女は終始戦闘を目撃していた。戦闘中は激しく動いたため、顔を見られた可能性があった。
故に殺した。ただそれだけの話だ。
それ以上散乱した死骸には目もくれず、少年はその只中を歩き、去って行った。




