14 半鬼の始動
スズナが振り返った先にいたのは、やや上背のある女だった。その容貌からして人間か、或いは妖狐か。
使用人のような簡素な衣に身を包んでいながら、彼女は全く質素な雰囲気を感じさせない。高い位置で束ねた黒の長髪が印象的な、かなりの麗人である。
「え、えっと……」
「七葉です。宜しくお願い致します」
物腰丁寧に挨拶した七葉に、神無が説明を加える。
「彼女は工房員という訳ではないわ。この工房に於ける雑務は全て彼女が担ってくれているの」
「一人で……ですか?」
先刻外から見た工房の全貌が見間違いでないのなら、たとえ使用人が二十人いても手が回らない広さである。それを一人でこなすなど、正気の沙汰とは思えない。
「彼女がその方面に長けているというだけの話よ」
神無にそう言われ、スズナも感付いた。
彼女は人間であり、術者なのだ。今し方の神無の説明で七葉が工房員でないと知り、てっきり魔術は扱えない、もしくは人間ですらないとまで考えていたスズナだったが、彼女は研究の要員でないというだけであり、屋敷での雑務を一人で担うに足る能力を持った術者なのだろう。
神無の説明を受け、改めてスズナが七葉を見遣ると、彼女は満面の笑みを浮かべて僅かに首を傾げた。
「詳しい話は明日にでもするわ。持ち場へ戻りなさい、七葉」
はーい、と返事をすると、一度だけスズナに向けて微笑み、七葉は近くの部屋に入っていった。
「行くわよ」
「はい……」
再び歩き始める神無。
少年には気掛かりな事があった。すぐ側の部屋に戻っていった事から、七葉はその部屋から出てきたのだろう。だが、少年が背後の気配に気が付く直前に襖の開く音などはしなかった。無論、入り口から入ってきたのだから、全ての部屋の戸が閉まっていたのは確認している。
工房員ではなくとも、彼女が相当な繰り手である事は間違い無いだろう。
暫く歩いた先で、神無は立ち止まる。
「ここが私の執務室よ。私に用がある時はここへ来るといいわ。……と言っても、いない場合の方が多いかもしれないわね」
何となくだが、この階層がどういう意図で設けられたものか分かった気がした。
魔術工房であるならば当然だが、どこかに大規模な魔力機器が置かれており、研究もそこで行われているはずだ。
だが魔術に関する研究を始めから終わりまで一貫して行う『魔術工房』という機関の性質上、工房員の居住空間や事務的な作業を行う場所が必要となってくるのは自明な事だ。
恐らくこの階層には、そういった目的があるのだろう。先程から似通った造りが続いているのも、複数の部屋を用意しているからだと思われる。
「断っておくのだけれど、寝室は別にあるわよ」
「はぁ……」
意図の読めない補足を受け、スズナは間の抜けた声を出す。
再び歩き始め、何度か廊を曲がり、到頭二人はその階層の最奥の部屋の前まで来た。
「この部屋を貴方に貸し与えるわ。夜具など最低限の物は揃えてあるから、不便は無いはずよ。必要な物があれば教えて頂戴」
中へ入ると、文机や櫃など、確かにある程度の品は揃っていた。
「夕刻ね。今日はもう遅いし、貴方には明日から本格的に動いて貰うとするわ」
廊下に設けられている丸窓から外を見ると、確かに日は傾いていた。森の中から工房へと辿り着くのに、体感よりも時間を使っていたらしい。
その日は神無の言った通り、特に何もする事は無かった。
ある程度時間が経つと神無が部屋まで来て、夕餉のために同じ階にある食堂へ向かった。
他の者は誰もいなかったが、普段からそのような感じであり、食事を共にする事はあまり無いらしい。
炊事場の設備は流石は魔術工房といった程で、スズナの右眼は終始反応を繰り返していた。火や水などは勿論、火を使わずとも食材に熱処理が可能な設備もあり、それらは全て魔術に依るものだった。
夕餉を終えてスズナが自室に戻る頃には、日が完全に沈み、夜の帳が下りていた。
部屋の明かりは敢えて点けずに、スズナは部屋に設けられた露台で夜風に当たっていた。下を見れば、今いる場所がどれだけ高い位置にあるかがよく分かる。その高さも手伝ってか、今宵の風はやけに冷たく感じられた。
スズナは考える。
自分がこれからこの場所で何をしていくのか。詳しい事は一切分からない。
ただ。
自分が神無の要求を承諾し、工房員になる事を選んだ理由。それは二人の恩人のためだ。
記憶の無い半鬼を純粋な善意で受け入れてくれた彼らを最悪な形での死に追いやったのは、間違い無く神無の言っていた來遠に存在する別の魔術工房の術者だろう。スズナが八狩で交戦した件の黒頭巾も、その工房の術者である可能性が極めて高い。
仇討ちなどでは断じてない。
勿論、加賀美に律花を殺させ、その結果として加賀美をも死に追いやった事に対して、恨みを抱いていないと言えば虚言になるだろう。
だが、何よりも。
殺される理由など微塵も持たない者達が、術者が自分達の工房を守るために始めた競り合いの所為で意味も無く殺される事など、あっていい道理が無い。そんな連中がいるのなら、今すぐにでもやめさせなければならない。
自分がこの先何に直面していくのかは想像もつかないが、自分がここにいる理由だけは、絶対に忘れてはならない。
咎の無い民を巻き込むような魔術工房の競り合いを止める。それが当面の目標だ。
そういう意味では、似たような考えを持つ神無に出会えた事だけが八狩で起きた幸運と呼べるかもしれない。――二人の恩人と出会えた事は紛う事無き幸運だが、あのような事件が起きた後では、とてもじゃないがそんな言い回しはできない。
今になって思えば、八狩では神無に対してあまりにも失礼な態度を取っていたのでは、とスズナは考える。
八狩のために一人動いていた彼女を、あろう事か事件の首謀者とまで思い込んでいた。
「はぁ……」
自分でも驚く程、スズナは深い溜め息を吐いた。
そして、薄く笑った。八狩で何も為せなかった自身の不甲斐無さが、滑稽にすら思えたのだ。
そこで、襖の開く音がした。
露台に出ていたスズナだったが、それが自身の部屋から発せられた音だという事はすぐに分かった。
(誰だろう……)
「ふぅ……ん? あれ、誰かいるのか?」
明らかに、神無の声ではなかった。
足音が近付いてくる。
(あれ!? 話伝わってないの!?)
一気に冷や汗を掻くスズナ。部屋の明かりを消していたのが災いしたか。
部屋と露台を繋ぐ戸が開かれた。
「……え、鬼? ……あぁ、そうか。神無の言ってた奴か。もしかして、ここってお前の部屋になったの?」
現れたのは、日中に出会った七葉という人間の女よりもやや背が低く、それでいて少しばかり肉付きの良い女だった。
工房員だろうか、とスズナは観察する。
纏っているのは動き易そうな生地の薄い白の衣で、恐らくは寝巻きだろう。かなり着崩れしてしまっている。月明かりを跳ね返す黄金色の長髪が特徴的で、顔付きは口調に似合わず幼く、声もまた口調に反して高めだった。
「えと……はい、一応……」
「何だよ、奥の部屋だからよく使ってたのに……まぁいいけど」
呟くように言う彼女。何に『使ってた』のかが不明だったが、『奥の部屋だから』というその理由も鑑みて、何となくそれを聞くべきではない気がする。
正直、食堂から真っ直ぐ部屋に戻って来た自分を褒めてやりたい。部屋に戻るのが遅れていた場合、彼女が既にこの部屋を『使ってた』かもしれない。
「それで、名前は?」
「……はい?」
「名前! 明日からここの工房員だろ? 自分の名前も分からないのか?」
暫く名を持たなかった所為もあり、少年は数瞬の間硬直していた。
彼女の声に我を取り戻し、思い出す。
今の自分には、名があるのだ。
「――八狩スズナです」
灰色の半鬼は、そう名乗った。
初めまして、冬雛です。『ふゆひな』と読みます。
今回で一章は終了です。ようやくタイトルも回収でき、これからというところですね。
言うなればここまでが序章かもしれません。少し長かったですかね。すみません。
一番初めの投稿から二度目の投稿の間に開きがあるのには理由がありまして。
実は序章が終わって一章の序盤辺りまで書いていたのですが、序章の内容に少し変更点が生まれた所為で全て書き直しとなり、そのために間隔が空いてしまっています。
物語の大筋に変更はありません。
初めての後書きという事なので、この作品の主人公について少しだけ話したいと思います。
序章での彼については、ここでは触れないでおきましょう。
まず、一章の開始時点で彼は記憶を失っています。自分が何処から来たのかすら分からないのに、それを冷静に思考する能力は備わっているというのは、何だか想像が付かないですね。
彼の右眼の能力は、この世界に於ける超自然の力(魔力や霊子など)が齎す変化を先んじて感知し、その視界に映し出すものです。
こと戦闘に於いて言うなら、魔力などに依る攻撃は『攻撃の内容、速度、方向、タイミング』それら全てが分かった上でも避けられないような攻撃でない限りは、大体避けられると言えます。
ただ、彼自身が魔術への対抗手段を持っている訳ではない上に、彼の能力は高くない(私の中では、霊子に依る補助を受けてようやく素の鬼と同程度、くらいの認識)ので、戦闘能力で言えばやはり微妙なのでしょうね。
ただ、彼の能力が役に立つのは戦闘面に限った話ではないので、二章以降ではその辺を書いていけたらと思っております。
彼の人格面についても、この時点ではまだまだ描写不足が否めないので、より伝えていけるよう書いていきます。
まだ始まったばかりで不可思議な部分も多々あると思いますが、その辺が明かされるも楽しみにして読んで頂けたら幸いです。
それでは、今回はこの辺で筆を置かせて頂きます。
また次の後書きで。




