血に染まる海上
「状況は悪化する一方か...。」
エーリッヒ・アイヒンガー大佐率いる第1MMS突撃機動連隊はインド洋を進んでいた。
先行させた船も撃沈したという報告を受け、思わずエーリッヒは拳を握りしめる。
「緑の化け物め...!」
「まぁまぁ、そう怒ったっていいことありませんよ?ここからが見所なんです、落ち着いてはどうです?」
そうエーリッヒを宥めたのは白衣を着た長身の男。
P.E.S.T技術開発局主任、エドガー・スタインズ。
彼はクーデリカ及び彼女の搭乗機であるノーヴィアントレーネーのオブザーバーとして本作戦に参加することとなった。
「貴様はやけに面白そうだな?スタインズ主任。」
常に含みのある笑みを浮かべるエドガーに対しエーリッヒは少しながら不快感を持っていた。
暗い噂の絶えない技術開発局の主任ということもあり、中には彼を気に入らない幹部もいる。
そんなエーリッヒの気持ちを知らない、あるいは知らないふりをするエドガーは、さも心外そうな表情で答えた。
「面白がってなどいませんよ。緊急事態なのです、私とて真剣ですよ。」
そう言ったものの、エドガーの口許のわずかな微笑は消えないままだった。
「目標地点まであと10分。MMSパイロットは搭乗機にて待機、出撃用意!」
艦内アナウンスが流れ、MMSハンガーは慌ただしくなる。
エーリッヒ・アイヒンガー大佐が率いる第1突撃機動連隊の一翼を担うことになったゼシル達、第88独立機動中隊は他の中隊と共に輸送船にて待機していた。
すでにMMSのパイロットは搭乗機で機体の最終調整を行っている。
「ゼシルはお留守番だな。」
にやりとした表情を浮かべたボマーがからかうようにゼシルに言った。
「まあ、小回りの利く砲台として輸送艦の護衛でもするさ。」
修理の最中でゼシルのプレディカドール弐式は飛行機能を一時的に失っていた。
海上での戦闘となるのは避けられず、故に飛行機能のない機体は作戦にすら参加できない。
ふと、ボマーが神妙な顔つきになった。
「正直、今回の作戦はヤバいと思うんだ。映像で見る限り敵の数も多い。なのに送るのは連隊1つだ。」
策敵機からの映像では確認できるAAPだけでも数百体はいると考えられる。
ましてや前例の少ない海上戦にも関わらず、増援として送るのはMMS連隊のみ。
ゼシルはやや考え、そして1つの結論に辿り着いた。
「あのクーデリカって子の実戦データが欲しい、のかもしれない。」
クーデリカ・マナロフ少尉。
素性も力も未知な、コミュニケーターの少女。
本部はそのコミュニケーターとやらの実力を確かめたいのかもしれない。
と、そのとき整備員からボマーのプレディカドールの出撃準備が完了したとの声が飛んできた。
ボマーは立ち上がり、軍服を直すような動きをしながら無造作に言った。
「ゼシル、くれぐれも船の上で死なないようにな。」
ゼシルの肩をパシッと叩いてボマーは自らの機体に乗り込んだ。
ボマーのプレディカドール弐式の目が光を宿し、駆動音と共に機体が立ち上がった。
一方クーデリカは自らの機体、ノーヴィアントレーネーのコクピットの中で静かに出撃のときを待っていた。
脈拍、脳波も安定。
腹部から射出する攻撃端末『ホーネット』とのリンクも良好、戦闘に問題はない。
コミュニケーターの欠点としては、精神の不調がすぐに戦闘に反映されてしまうことだ。
脳波が乱れればホーネットが命令を受け付けず、攻撃すらできない。
コミュニケーターに求められるのは平然とした精神である。
感情に任せて戦うと、途端にホーネットとのリンクが切れてしまうリスクがある。
試験段階で何人ものコミュニケーターが戦闘の恐怖、緊張に耐えられず脳波を乱し、そしてAAPに殺されたのをクーデリカはたくさん見てきた。
そして彼女自身もあのとき――。
そのとき、コクピットのモニターに母船のブリッジからの通信が届いた。
彼女のオブザーバーであるエドガー・スタインズからである。
「マナロフ少尉、コミュニケーターの力を存分に発揮してください?上層部もうるさくて僕そろそろ嫌になってきちゃってるんで。」
彼の話し方はクーデリカ自身、うっとうしく思っている。
やけに人を見下しているような態度、そして粘着質な性格、技術開発局の人間は皆そうなのだ。
あえてクーデリカは平然と、冷たく答えた。
「私は全力で戦うだけです。言われるまでもないことですので。」
「そうですか。くれぐれも連携には気を付けてくださいね?では、輝かしい戦果を期待していますね。」
笑みを湛えたエドガーはそう言って通信を切った。
普通の人とコミュニケーターは違う。
感覚も戦闘技術も。
ノーマルに合わせてはコミュニケーターとしての実力を抑えなければならない。
時には連携を無視して戦わなければ、守れないものもあるのだ。
だから、自分のやり方で戦う。
コミュニケーターとしての実力をつけ、そして人を助ける、それがクーデリカ自身の存在意義、そして『償い』であった。
「MMS発進用意!第88独立機動中隊、出撃願います!」
それから間もなく、第1MMS 突撃機動連隊は戦場となる海域付近に到着した。
やや離れていても第3突撃機動連隊の船に群がるAAPの大群の規模がわかる。
「敵の規模は大きすぎるわ。迂闊に突っ込むことだけはしないでね。それと、AAPと同化した第3連隊のプレディカドールもいるから味方と誤認しないように。」
「「了解!」」
ノエルからの出撃前の簡単な注意事項の確認を済ませ、第88独立機動中隊は出撃体勢に入った。
「早く、助けに行かないと...。」
クーデリカは一人呟き、深呼吸をして心を引き締めた。
そのときの表情は普段からの哀しい表情ではなく、決意に満ちた闘士のそれに似ていた。
「第88独立機動中隊、発進!」
ノエルの掛け声と共に彼らのプレディカドールが羽を広げ、大海原へ飛び出した。
クーデリカも遅れずノーヴィアントレーネーのセーフティを解除し、彼らの後に続く。
「まずは群れの数を減らすわ!各員無理のない範囲で攻撃開始!」
ノエルのプレディカドールは両手に装備したガンモードに切り替えたガン・シックルを一気に放った。
襲いかかる無数の弾丸に気づいたAAPは散開し、新たな獲物を見つけたとばかりに中隊へと敵意を向けた。
「各機AAPと距離を取りつつ牽制して!少しずつでも削るわよ!」
しかしそのとき、クーデリカのノーヴィアントレーネーがノエルの命令を無視して敵陣へ単機突撃した。
「マナロフ少尉!戻りなさい!」
クーデリカはノエルの言葉に反応することなく船に群がるAAPの集団の中へと突入する。
そしてノーヴィアントレーネーの口部のカバーを展開し、現れた砲口から眩い光を放ちながら光線を発射させた。
高エネルギー圧縮照射砲。
高温の太いレーザーによって敵を溶かすことで攻撃を行う試作段階の兵器である。
疑似無限機関が放出するエネルギーをそのまま圧縮し相手に照射させるため、エネルギーの消費が激しく乱射はできない。
放たれたレーザーは多数のAAPを溶かし、突入した群れの内部から大きな穴を作ることに成功した。
その穴から飛び出たノーヴィアントレーネーは敵の注意を引き付けるためさらに加速して距離を取り、その後を追うように無数のAAPがノーヴィアントレーネーに続いた。
「各機、マナロフ少尉の援護!マナロフ少尉は一旦退いて!」
危険な状況だと判断したノエルはクーデリカを退かせるために作戦を変更した。
ボマーのプレディカドールが両手に装備した大型機関銃で銃弾をばら蒔きながらクーデリカの援護へ向かう。
ノエルに退避の指示を受けながらもクーデリカは退くことをしなかった。
そうさせたのは、コミュニケーターとしての意地か、圧倒的実力を持ったものとしての責任なのか。
クーデリカは追ってくるAAPをバックモニターで確認、ノーヴィアントレーネーを急転させてAAPの群れを正面に捉えた。
列になって追ってくるAAPはほとんど一直線上にいる。
再び口部から高エネルギー圧縮照射砲を発射、AAPの一掃を試みたクーデリカであったが、すぐに散開したAAPを殲滅することは叶わなかった。
だが、これもクーデリカの想定内。
意識を集中させ、AAPの位置を感じとる。
近くにいた20体のAAPに狙いを定め、脳波を発するように深く念じた。
行け...。
それに呼応した20基の攻撃端末『ホーネット』がノーヴィアントレーネーの腹部から次々と射出された。
荒ぶった20基の雀蜂は女王の命令通り、狙った敵に襲いかかる。
AAPの頭部を、腹部を、羽を貫いたホーネットはそのままノーヴィアントレーネーの周囲を飛び回り、攻撃するための突出した針を上下に展開させ、そこから新たに小型の砲口を露にした。
ノーヴィアントレーネーに装備されていた高エネルギー圧縮照射砲の小型版ともいえるものである。
ノーヴィアントレーネーの周囲を飛んでいたホーネットは、それぞれ別の方向にその砲口から高エネルギー圧縮照射砲を発射させ、光輝く凶暴な編み目を作り出した。
この一連の動きですでに数十体のAAPを撃破したクーデリカであったが、そこに僅かな油断が生まれた。
ホーネットの攻撃を回避して接近した中型飛行タイプのAAPがクーデリカへ向かって猛スピードで突撃してきたのだ。
「後ろっ?」
背後からの攻撃を知らせるアラートが鳴り響き、すぐにノーヴィアントレーネーを反転させると既に距離は縮まっていた。
咄嗟に高エネルギー圧縮照射砲を放とうとするも、機体からの残エネルギー量の警告が発せられ、発射することができなかった。
既に2発のエネルギー照射を行い、さらにホーネットに回すエネルギーを多くしてしまったため、ノーヴィアントレーネーの疑似無限機関の活動限界が迫っていたのである。
まともに受け身を取ることもできずに緑の怪鳥の体当たりを喰らい、大きな衝撃を受けながら海面へと落ちていくノーヴィアントレーネー。
「くっ!」
さらに中型AAPは2本の触手を伸ばし、ノーヴィアントレーネーに絡みついた。
コクピット内に同化の危険を知らせる警告音が響き、クーデリカは次の行動を考える。
2基のホーネットを温存しており、その残エネルギーがまだまだ残っているのを確認すると、すぐに射出させ、中型AAPへの攻撃を試みた。
射出された2基のホーネットは中型AAPの腹部を貫き、旋回してもう一撃喰らわせようと突撃した。
が、ホーネットは目標に到達する前に小型のAAPに阻まれ、役割を果たすことができなかった。
腹部を貫かれた中型AAPは悲鳴に近い奇声を発し、3本目の触手をノーヴィアントレーネーに向かって伸ばした。
既に2本の触手に固定されているノーヴィアントレーネーは回避することもできずに3本目の触手にも捕らわれ、身動きが取れなくなっていた。
「マナロフ少尉、退きなさい!」
ノエルのプレディカドールが両手のガン・シックルを展開させてすれ違い様にノーヴィアントレーネーを捕らえていた触手を切り裂いた。
それに続くノエルの妹、シエルのプレディカドールが牽制射撃を行いつつクーデリカの援護へ駆けつけた。
「マナロフ少尉、一旦退いて。いい加減にしてよ。」
ノエルは諭すようにクーデリカへ再度命令した。
しかし...。
「すぐに退いては何も守れない。私は第3連隊の取り残された人を助けるまで退くわけにはいかないの。」
プツっと何かが切れたような感覚を味わった。
「コミュニケーターだかなんだか知らないけどね!いくらあんたが強くたって――」
そのとき、ノエルのコクピットにアラートが鳴り響いた。
「お姉ちゃん危ないっ!」
ノエルの機体に急迫する影。
シエルの声が響き渡り、そしてシエルのプレディカドールがノエルを庇うように割り込んだ。
AAPと同化した第3連隊のプレディカドールがノエルに襲いかかったのだ。
シエル機のコクピット内を赤く染め上げたのは警告ランプだけではない。
コクピット付近にダメージを受け、その破片がシエルの頭部を傷つけた。
「シエルっ!?」
妹の危機を悟ったノエルはすぐさまシエルのプレディカドールとAAPと化したプレディカドールを離そうと試みた。
しかしもう1機のAAPに囚われた第3連隊のプレディカドールがノエルへ襲いかかろうとしていた。
「お、お姉ちゃんもマナロフ少尉も逃げて...。ちゃんと私は脱出するから。早く...!」
弱々しくも絞り出した声で、二人を逃がそうとするシエル。
ノエルからの必死な声が聞こえてきて、今もなおシエルを助けようとしてくれているのがわかった。
シエルのプレディカドールも既に同化されつつあり、さらに小型のAAPも群がってくる。
頭部からの出血も激しくこれ以上の戦闘は不可能であった。
「シエル!早く脱出して!」
ノエルとクーデリカが距離を取ったのを確認すると、すぐにシエルは自爆装置を起動させた。
『EMERGENCY 88-2MMS PredicadorⅡ』の文字がモニターに表示され、そして自爆のカウントダウンが開始された。
シエルは朦朧としてきた意識をなんとか保ち、脱出システムを起動させる。
幸いにも動力系やシステムを司る中枢部にまで同化は進んでおらず、すぐにプレディカドールの背部が展開し脱出ポッドが射出された。
それから間もなくカウントダウンが0に達したシエル・バニミール機が大爆発を起こし、その炎はAAPと化したプレディカドール、中型飛行タイプAAP、そして何体もの小型AAPを巻き込んだ。
「ボマー、一時撤退!」
やや焦っている様子を露にしながら、ノエルはボマーへと連絡を入れた。
ボマーのプレディカドールも所々に損傷が見受けられる。
「ノエル隊長、副隊長は大丈夫なのか!?」
ボマーもまた焦った様子でAAPと対峙しながらシエルの容態を聞いた。
「脱出はしたけど、怪我してるみたい。」
陣形が崩れた第88独立機動中隊はすぐに撤退を開始、母船で待機している他の中隊と入れ替わるように帰投した。
一方その頃、ゼシルは母船のハンガーで機体の修理を行っていた。
もちろん、敵に警戒しつつAAPがいつ攻めてきてもいいように大掛かりな作業はしていないが。
「あとは羽さえ修復できれば俺も前線に出れるな。」
コクピットに入りシステム面での調整を行おうとしたそのとき、機体のレーダーに何かが映った。
こちらに向かってくるのは味方機のようである。
識別番号88-2のプレディカドール弐式の脱出ポッド。
「シエル中尉の機体...?」
いったいどうしたことだろうかとゼシルはシエルへ通信を入れた。
しかし内部モニターが破損しているのか、シエル側の映像は途切れ途切れになっており様子が見えない。
ただ、苦しげな息遣いが聞こえてきたのみであった。
「シエル中尉、大丈夫ですか!?」
しかし、返事はない。
さらにレーダーには数体の小型AAPがシエル機を追っているようである。
「まずいな...。整備員退いて!プレディカドール出すよ!」
ゼシルは外部音声に切り替えて外で作業している整備員へ出撃の旨を伝えた。
「まだ羽が直ってないんです、飛べませんよ!そもそも出撃命令は出てません!」
「そんなのいいから!海に出るわけじゃない、武器が使えればそれでいい!」
それを聞いた整備員はすぐに周りでの作業を止め、機体の誘導と武器の準備に取りかかった。
ガン・シックルが装備され、ゼシルのプレディカドールは航空機用の滑走路へ機体を移動させた。
ここからシエルを追う鳥型AAPを狙い撃つ算段である。
コクピット内に備え付けられている狙撃用の補助スコープを覗き込み、向かってくるAAPを捉えた。
わずかにでもズレるとシエルを撃ち落としかねない、精密さが求められるものだった。
しかしトップクラスで精密射撃の成績を修めたゼシルには十分可能なことである。
1発、2発、3発、全ての弾丸が鳥型AAPを頭部を撃ち落とした。
やがてシエルが乗っているのであろう脱出ポッドが母船へ着陸し、その周りに整備班が集まる。
「シエル中尉!」
ゼシルもプレディカドールから降りすぐに駆けつけた。
何やら騒ぎになっているようである。
「医療班を呼べ!」
整備員に運び出されたシエルは頭から血を流してぐったりとしていた。
「シエル・バニミール中尉は命に別状はありませんがしばらくは戦線への復帰は難しいでしょう。」
シエルは自動帰還システムで無事に脱出ポッドで母船へと戻っていた。
すぐに医務室に運び込まれ治療を施された。
第88独立機動中隊も補給のために一時撤退し、姉であるノエルは即座に医務室へと駆け込んだ。
船医からの報告を受けたノエルはその後、ハンガーにいるクーデリカの元へと向かった。
怒りを込めた視線をクーデリカへと送るノエル。
それをただ見返すクーデリカ。
二人の間の空気がやけに冷え込んでいくのをゼシルは感じていた。