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昼過ぎになって、エルガリー迎えに来た。
ダンスの練習をしていたホールとは別のホールに通された。
そこには四十代から五十代の店主らしい男が三人と、二、三十代のそれぞれの店員らしい男女が二十人ほど顔を揃えていた。
展示場のように何種類もの反物が区分けされて積み上げられ、三つあるテーブルの上にはどれにも化粧箱も積み上げられ、ジルフィーネはたじろいだ。
「こちらがご婚約者のジルフィーネさまです」
「この度はご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
一斉に男性はお辞儀をし、女性は裾を腰を折って挨拶され、ジルフィーネはにこやかな笑みを作って応じる。
「まずは婚約式のドレスでございますが、お好きな色はございますか」
ファウロッドと名乗った年長の男が、自分の反物の山の前へジルフィーネを招いた。
「濃い色がどちらかというと好きなのですが」
ジルフィーネは左右に意見を求める。
婚約式と結婚式、戴冠式用の衣装を決めると聞いて、ベアリクスとだけでなく、アリューシャとアルビオーネ姉妹も付き合いたいと申し出てくれたので、どう決めればいいのか分らなかったジルフィーネは、喜んで協力を仰いだのだった。
「髪の色や瞳の色から考えると青とか紫とか、かしら」
ベアリクスがジルフィーネの斜め前に立って、頭の先から足の先まで無遠慮に見つめながら提案する。
アリューシャもアルビオーネも同じように観察して、反物から選び取った色をジルフィーネの首に当ててみる。
三人は呻きながら、色を選んで行く。
もちろん、他の店主のところからも漁るし、ジルフィーネも気に入った色味を見付けたら、自分でも取って、当てて確認して貰う。
まるで血の繋がった四姉妹のように、ああでもないこうでもないと、好き勝手を言いながら楽しく反物を選んでいる。
「婚約式だけでなく、その後の舞踏会、結婚式の後の舞踏会のドレスも必要ですから」
「婚約式用に二枚目、舞踏会用に六着は作るつもりです」
エルガリーの言葉に年長の店主が捕捉した。
「え、そんなにですか」
「後々必要になるから、それぐらいは作っておかないと」
「私の時のことも考えておいてくださいね」
「そうでしたわね」
自分たちの結婚式が終わりではなかった。一週間後にはベアリクスの結婚式があることを思い出したジルフィーネは、確かに他にも急に出席することになったりという事態も考えるのは必要だと悟った。あってもいいが、なくては困る立場になるのだ。
色は青や緑のトーンの違うもの、紫でも赤味がかったものや、ピンクでも大人びた色合いのものなどを選んだ。
「私たちが見てこの青が婚約式に向いているかと。こちらの緑は婚約式の時の舞踏会に、こちらのピンクは結婚式の時の舞踏会に良いのではないかと思いますが、いかがでしょう」
ジルフィーネはベアリクスやアリューシャ、アルビオーネに意見を求めると、三人は共に頷いたので、次にデザインについての打ち合わせに移った。
丸いテーブルだが、三人の店主とジルフィーネたち四人娘が対するような形で座った。
「私の方からは結婚式のドレスの参考になればとデザイン画をお持ちしました」
ファウロッドがテーブルに絵を並べて行く。
「これは先先代のお妃さまと、お二方のお嬢さまの結婚式の際のドレスのデザイン画です。それとあくまで参考にと、先代の時のものもお持ちしました」
複雑な顔で最後の一枚をおずおずとテーブルに出した。
「ファウロッドは代々、婚儀以外のドレスのデザインもお願いしているのですが、陛下より、様々なデザインから選ばせてやって欲しいというご意見もあり、評判の良いカトラール、ヴルーゼにもお越し頂きました」
エレガリーがジルフィーネに耳打ちするように説明した。
「お気になさらずに。ありがたく見させて頂きますわ」
「婚儀の衣装ではないのですが、いままで手掛けて来たドレスのデザインをお持ちしてみました」
「参考にこちらもご覧ください」
カトラールとヴルーゼがそれぞれにデザイン画を披露する。
「いまこちらで流行っているのはどういう形なのでしょう」
「胸元やスカートの部分にレースやフリルや飾りをあしらわれております」
カトラールがデザイン画を使って、どんなものかと答える。
「ジルフィーネさまはジルフィーネさまらしく、お好きな形を選ばれたらいいと思いますわ」
アリューシャが言う。
「あちらの国ではどのようなスタイルが流行っていたのですか?」
ベアリクスが興味を覚えて訊くが、ジルフィーネは申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんなさい。最近はあまり王都の舞踏会にも参加していなくて、結婚式にもあまり参加したことがないのです」
「あちらでは襟は首元まであって、袖も手首まであるのでしょう」
「普段着は胸元でリボンを付けて、その下がスカートといったスタイルが基本で、胸下から太いリボンをベルトのように結んだり、リボンを巻きつけたりと色々工夫してましたわ。舞踏会のドレスは逆に、こちらのように襟も大きく開かせて、袖は長かったり、短かったりでしたわ」
「舞踏会のドレスもスカートの部分は胸下からでしたの?」
「二十代ぐらいの女性はスカートをふわふわさせたいので腰に、いろいろな形のベルトを巻いていましたわ。もちろん動かないように留めてはあります。少し年上になって落ち着いてくると、こちらのようなしっかり腰のラインを作ったドレスになりますが、決まりがあるわけではありませんので、デザインを変えない方もいらっしゃいますし、若くてもこのようなデザイン好んで着ていらっしゃる方もいますわ」
「そういうことでしたら、婚約式のドレスにはあちらの国のスタイルではいかがですか」
年齢の若いヴルーゼが提案する。
「ですが、こちらの国に嫁いで来たのですから、こちらの国のスタイルの方がいいのでは」
「そんなことはなくてよ」この国の王妹が言う。
「新しいデザインにしてしまえばいいのだから」
「斬新でいいのではないかしら」
ベアリクスも賛同する。
頭の柔らかいブルーゼが持参した紙にスラスラとペンを走らせた。
「清楚な感じで素敵だわ」
「それでしたら、肘から手先に掛けて、袖口を広く出来ませんか?」
「袖口広くというのは」
さすがにヴルーゼも想像が付かなかったらしい。
今描いたデザイン画ペンを渡され、ジルフィーネはその上から袖の形を描き加える。
「袖口にはフリルやレースを覗かせるのです。そういうデザインの時には襟を立てて、レースを重ねたりしていますわ」
「この形、素敵だわ」
「胸下から腰に掛けてリボンを巻きつけるというのは」
ジルフィーネはさらにデザイン画に線を加える。
「でも、場違いな感じになってしまうわね。最初の形がいいですわ。ごめんなさい」
自分の歳には似合わないと感じて、ジルフィーネはヴルーゼにデザイン画を返す。
「腰は絞らない、自然なラインがいいですか?」
カトラールが尋ねる。
「ジルフィーネさまはスタイルがよろしいから、コルセットで締めなくても良さそうですわね」
「そんなことはありませんわ。陛下にも言われましたが、向こうにいた時より痩せたようです。ですから、そのうちに戻りますわ」
ジルフィーネは恥ずかしそうに打ち明ける。
「舞踏会では腰を締め過ぎない程度のラインにしましょう。スカートはある程度膨らみを持たせた形でよろしいでしょうか」
「そうですね」
ジルフィーネはこれから姉妹になる者たちの同意を得て頷く。
「結婚式のドレスですが、このような形はいかがですか」
今まで黙っていたファウロッドが一枚の紙を差し出した。
基本のスタイルは肩から胸元まで覆わない形のビスチェの胸下で切り替えて、正面にはドレープが掛かり、後ろはゴージャスにフルルが重ねられたデザインで、腰から上にはレースで首元から覆い、手首までの袖のも付いている。
「戴冠式にはマントを羽織られると思いますので」
ドレスの上に重ねるレースは省き、二の腕までの同じ生地の手袋を嵌め、後ろのフリルを無くし、代わりに裾の部分にレースをあしらってある。
こちらは修正なく、ファウロッドの提案をそのままお願いする。
ファウロッドのデザインを見て、カトラールとヴルーゼが婚約式のドレスと舞踏会用のドレスのデザイン画を数種類提案し、それに合わせて色合いも決めた。
ヴェールについては、ジルフィーネが即断で刺繍で縁取りされたものを選んだ。
デザインを打ち合わせていたテーブルを離れ、一同は宝石商の待つテーブルへと移った。
首飾りや耳飾りなどをデザイン画を見つつ、ジルフィーネに実際に当てて、選んで行く。
「おまえたちも来ていたのか」
ホールに顔を出したディークリウドの第一声がそれだった。
「ま、失礼しちゃうわね」
「陛下。少しお時間を頂いても構いませんか」
頷くディークリウドの元に、急いで駆け寄ろうとして、ジルフィーネは盛大にすっ転んだ。床に派手に倒れたジルフィーネはそこに穴を掘って埋まりたいほどに打ちひしがれた。
「大丈夫か」
どうして、この人の前でばかり。
つい恨みがましい顔を上げると、片膝を折って覗き込んだディークリウドが唐突に吹き出す。
口に手を拳を当てて収めようとしたらしいが、壺に入ったらしく、なかなか止まらず、涙を浮かべている。ペイルゼンの失態を思い出しているだろうと思えば、恥ずかしさを通り越して、情けなくなる。それも今の今まで足元には注意を払っていただけに余計だ。
「そんなに笑わなくても」
ムッとした勢いでジルフィーネはようやく上体を起こす。
「いや、すまん」
ディークリウドは笑いを飲み込んで、改めてジルフィーネの様子を窺う。
「怪我は?」
「大丈夫ですわ」
ディークリウドは手を差し伸べて、そっと立たせる。
「話というのは?」
「後でお話ししますわ」
「急ぎでないならいいが。思うように決められたか?」
「はい」
振り返って言葉を続けようとしたジルフィーネは、全員の顔がこちらに向いていて、一様にほのぼのと、あるいはうっとりとした表情を浮べていることに、全身から火を吹いたように真っ赤になる。
恥ずかし過ぎる。
「ジルフィーネどののドレスが決まったなら、私はそれに合うように考えてくれればいい」
「承知致しました」
商人たちが恭しく腰を折る。
「兄上はそれを言いにわざわざ?」
アリューシャの得意げな視線を、ディークリウドは肩を竦めて交わし、エルガリーに目を向ける。
「いや。用件があったのだろう」
「お二人の並ばれたお姿を確認したいという要望がありましたので、お越し頂きました」
エルガリーが答える。
「背の高さですか?」
ジルフィーネはディークリウドを見る。いまの靴に高さでも、頭一つ分は違う。
「このぐらいの差でも大丈夫だろう」
ディークリウドはこれ以上背の違いに文句を言うなと目で言う。
「問題はございません」
長年御用達を務めるだけあって、ファウロッドは平然としていた。
「では、少しの間借りる」
ディークリウドはジルフィーネを浚うように、廊下に連れ出した。
「なにか問題でも?」
「費用のお話を聞いていなかったものですから」
「ランシードの方で調整するだろう……」
と話しておいて、ディークリウドは眉をひそめる。
「向こうはいままで通りのつもりでいると困るな。ランシードの方から上限を決めさせておくということでいいだろうか」
「はい。ありがとうございます」
「気になったことは話してくれればいい。こちらも気が付いていないことがあるかもしれないからな」
「あ……の、靴のこと、気が付いていました?」
「あ、ああ。笑ってすまなかった」
「笑ってくださらなかったら、動けませんでしたから。でも、笑い過ぎですわ」
「どうすれば許して貰えるだろう」
「え」
答えを待つ姿勢のディークリウドに、ジルフィーネはあたふたする。
「そ、そんな、必要ありませんわ」
「私から一ついいだろうか」
「はい」
ディークリウドが耳元に顔を寄せるので、ジルフィーネは身をすぼめる。囁くように宣言された言葉に、頭の中が真っ白になる。
その後、どうやってホールに戻ったのか、なにを選んだのか、記憶に残らないほど、狼狽えていたのだった。