7
マハルディーンは兄に似た顔立ちをしているのだが、醸し出す雰囲気が穏やかで、常に笑みを浮かべている。髪を肩から長く垂らし、服装もフリルを襟や袖に使っていて、いわゆる王子らしい佇まいだ。
婚約者のベアリクスはほんわりとした可愛らしさのある令嬢だが、歳はジルフィーネと同じという。胸と腰にリボンやフリルをあしらったワンピースは、彼女らしさを引き立てている。
美男美女。それこそ絵本で見るような組み合わせに、ジルフィーネはつい声を失って見惚れてしまった。
そんな二人が、自分のためにだけ、ダンスを踊ってくれているのだから、感動せずにはいられない。
ダンスが終わった瞬間、思わず拍手してしまったジルフィーネだった。
「ジルフィーネどの。はしゃいでおられる場合ではないですよ?」
マハルディーンに苦笑交じりに言われて、ジルフィーネははたと自分の立場を思い出すのだった。
数日後にはディークリウドを相手に踊らなければならないのだ。
ディークリウドと、と思うと恥ずかしさが先に立って、心がそわそわする。
未だに信じられないのだ。
あの男らしく人望も厚いディークリウドが自分の伴侶になるということだ。
ペイルゼンで初めて会った時の甲冑姿も様になっていた。
父の執務室で、新しい領主が来るまでの間、領主の代行をしていた姿も素敵だった。
下町でのディークリウドは一転して、貴族らしくなく、砕けていた姿も。
馬車の中で自分にだけ見せる姿も。
皇帝という立場で貴族たちの前に立つ姿もまた違うのだろうなと想像するだけで身悶えてしまう。
そんな相手と。
「踊れる自信がありません」
「踊った経験があるのなら大丈夫ですよ」
「全然違いますわ。呼ばれた者の一人でしたし、誰も注目なんてしませんし」
ジルフィーネにしては珍しく歯切れが悪くなる。
「まずは基本のパターンを覚えて、慣れていけば、自信もつくと言うものですよ」
「そ……そうですわね」
問題はステップではないのだが、ジルフィーネは口には出来ず、教師の元へ向かった。
場所は舞踏会が開かれるホールだ。
自分が初めて城の舞踏会で踊った時に、周りに圧倒された経験があって、本番で緊張しないようにとベアリクスが気遣ってくれたのだ。
「ベアリクスさま。よろしくお願いしますね」
改めて教師となるベアリクスに、ジルフィーネは淑女の礼をする。
「婚約披露式の後の舞踏会は、帝都にいて参加出来る方々に限られておりますから、結婚式の練習と思えばいいと思いますわ」
「兄上も結婚式の方に本腰を入れているようだから、気軽く考えればいい……とは言っても無理ですね」
もう固くなっているジルフィーネを見て、マハルディーンが哀れむような目を向けた。
「そうですわ。異国の舞踏会に初めて参加するのが、婚約式ですもの」
ベアリクスも同情し、頑張りましょうねと励ます。
ベアリクスが前に立って基本のステップを一つ一つ踏むのに合わせて、ジルフィーネも足を動かす。
高いヒールは何年振りかのジルフィーネは、ステップに気を取られるたび、バランスを崩すので、とうとうマハルディーンに捕まるようにして練習することになった。
「慣れるように、この靴で過ごすことにしますわ」
「そうですね。ステップを覚えるより、バランスを崩さないように慣れることを重点にしましょうか」
「それなら、マハルさまがディークリウドさま代わりに手を取って差し上げたらどうでしょう。私が横に動きますわ」
「それがいいかな」
「マハルさまとディークリウドさまが似たような背格好で良かったですわ」
「お願いします」
ジルフィーネが恐縮して、マハルディーンの左手に手を添えると、右手はベアリクスが肘の角度を調整しながら男の右肩に置いた。
それから左右の肩の位置を直し、背筋に手を置いて、胸を晴らせ、顎の高さまで教えた。
マハルディーンが最後に腰に手を回した。
「そんな不安そうな顔をしないで。笑顔笑顔」
「無理ですわ」
「ここにも私とダンスをするのに微笑んでくれないご令嬢がいたとは」
「当然ですわ。ディークリウドさまが是非と望まれた方ですのよ。それにジルフィーネさまを口説いたと知られたら、どのようなことになるか、知りませんわよ」
ベアリクスが目を吊り上げて大真面目に怒りをぶつけている姿を、ジルフィーネは呆気にとられて見詰めた。
「ほら。ジルフィーネどのが驚いているだろう」
ごめんあそばせと、ベアリクスは口に手を当ててごまかすように笑いながらも、ちらりとマハルディーンを睨みつけるのは忘れない。
「羨ましく思ったのです」
ついジルフィーネはつい本音を零して、真っ赤になる。
「それは光栄です」
マハルディーンは嬉しそうに笑み、ベアリクスは複雑な笑みを浮かべるのをジルフィーネは見逃さなかった。
マハルディーンが一歩も進まない練習をしようと切り出して、ジルフィーネは頷いて、ベアリクスも意識を切り替えて、足を踏み出す方向を口と手で指示を出す。
「動きの練習ですから姿勢だけ集中してください」
「はい」
姿勢はともかくバランスを崩さないよう心掛けるジルフィーネだったが、足が楽に動くことに驚いた。それがマハルディーンが上手にリードしてくれるせいだと気付いて、肩の力も抜けて楽になった。
ベアリクスの指示もリズミカルになる。
調子に乗ったら痛い目に遭うを、ジルフィーネは身をもって証明することになる。
「わっ」
「おっと」
後ろに下がる際、踵が突っ掛かって倒さそうになる体を、マハルディーンに支えられ難を逃れられたが。
「少し休みましょうか」
「ごめんなさい」
ジルフィーネは体勢を直して貰って、しゅんと頭を下げる。
「足の方は大丈夫ですか」
「はい。大丈夫です」
「痛めたら元も子もないですから、ゆっくりやって行きましょう」
ホールの一角に用意されたテーブルセットに三人で着く。
「お疲れさまでした」
侍女のセシルが三人に紅茶を淹れる。
「セシル。貴女も右手の形覚えていてくれる。姿勢だけでも練習したいから」
「承知しました」
セシルは力強く頷く。
少しの休憩を取ってから、もう一度ステップだけを練習して、ジルフィーネは汗を掻いたため、部屋に戻って湯浴みをした。セシルにまた化粧と髪を整えて貰い、食堂となっている部屋に向かう。
昼食はマハルディーンとベアリクスも一緒に四人で摂ることになったのだ。
二人は先に席に着いていた。
「なんとか形になるでしょうか」
「飲み込みは早いようですから、大丈夫ですよ。ただ、油断なさらなければね」
「それは言わないでください」
マハルディーンの意地悪な物言いに、ジルフィーネは頬を両手に包んで小さくなる。
「聞いていた印象と大分違いますね」
「どんな印象でしょう」
「父上に面と向かって自分の考えを言われたと聞いたので、意思の強い方だと」
「必死だったのですわ」
ジルフィーネは数日前の出来事を思い出すたびに、カルヴァンとマリルーエの、皇帝と妃という立場と個人としての想いに考えが向かってしまう。お互いに歩み寄れる機会はなかったのか。心を割って話していたら、随分と流れが変わっていたと思うのだ。
それでもカルヴァンの抱えていた心の闇はいつから育まれてしまったのか。
ジルフィーネにはもちろん知る術はないが、メルヴィスもディークリウドも気持ちの整理がつかないまま、死ぬまで抱えて行くのだろうと思うと切なくて仕方がない。
「それだけではなくて、ペイルゼンの領民を一人で守ろうとしたでしょう」
「それも必死だったからです」
そこへ侍従が食器やカトラリーのセッティングを始めたので、三人は無言でそれを見守ることになり、可哀想かな侍従の顔は緊張に強張っていった。
「仕事の邪魔をしてすまなかったね」
マハルディーンが労うと、侍従は狼狽えながらそそくさと退室した。
「そういえば、昨日は二人で街に出掛けたとか」
「アリューシャさまに服を見立てて頂いたり、いま人気のお店で食事もご一緒して、楽しかったですわ」
「道理で睨まれると思った」
マハルディーンは小さくぼやいた。
「当たり前ですわ。よく無事でいられたわね」
ベアリクスが辛辣なことさらりと言う。
「まさか、アリュが邪魔するとは思わないだろう」
「アルビオーネさまもですわ」
「うわ」
マハルディーンは顔をこれ以上ないほどにしかめた。
「でも、これは内緒に。アリューシャさまとお買い物とお食事をしたとお知りになったら悲しまれますから。早々に馬車から下ろされてしまわれたので」
「アルは大人しく引き下がったのかい」
ジルフィーネが頷くと、マハルディーンもアリューシャと同じ感想を抱いたようだった。
「お二人で街を歩く機会はなかったのですか」
「あれもそこまで馬鹿じゃない」
ジルフィーネが恥ずかしさに狼狽えているところに救世主が現れた。
「待たせたか」
ディークリウドが部屋の空気に気付いて首を捻る。
「どうかしたか」
「なんでもありませんわ」
ジルフィーネは笑んで誤魔化す。
ディークリウドは席に着いて、じとりと正面に座る弟を見詰めたがなにも言わず、隣のベアリクスに目を向けた。
「急に頼んで悪かったな」
「いいえ。私でよろしかったのでしょうか」
「知らない人間ばかりではないが、話し相手は少ないからな。街を歩くのも女同士が気軽でいいだろう」
「もう振られたんですの?」
その問いを、ディークリウドはどうだろうと、ジルフィーネ目で受け流した。
「そ……それはそうでございましょう?」
ジルフィーネはベアリクスに同意を求める形で上手いこと逃げた。
「これはやられましたね」
マハルディーンが笑うと、ディークリウドも笑いながら頷いた。
「遠慮せず、ベアリクスも話し相手に呼んでやってください」
「私で良ければいつでも参りますわ」
「ありがとうございます」
ジルフィーネはベアリクスの申し出に感激しつつ、ディークリウドの心遣いにも感謝する。
料理が運ばれて来た。
「マハルさまが婚約式に出られると聞いて安心しました。どなたにエスコートを頼もうか焦っていましたの」
「今後の勉強にと思って、すっかり失念していた。すまなかったな」
「私に謝るべきところでは?」
「いや。またぞろ執務室に押し掛けられては」
ディークリウドはふと視線を横へやる。
「まあ。そんなことでは押し掛けたりはしませんわ」
「そんなことっていうのはないだろう」
「ベアリクスにあってはおまえも形無しだな。それに自分も含まれるのは大概なものだが」
「ディークさまが殿下でいらしたからですわ」
「私たちの後に結婚式を挙げろ。翌週というのがいいのだがな」
「ええ」
「不服か」
兄と婚約者に胡乱げな目を向けられ、マハルディーンは冷や汗を流した。
「嫌だなどと一言も言ってないだろう。何故、そんなに早くと驚いただけですよ」
「貴族が集まっているからだ。単純にな。時期を変えたら、二度手間になるだろう。大きな出費になる。いまは余計な金を使いたくはない」
「いつ式を挙げられるのか不安ではあったので」
「おまえたちも準備に取り掛からなくてはならないな」
「楽しみですわ」
「おめでとうございます」
花嫁同士という連帯感からか、ジルフィーネの笑顔からよそよそしさが消えていた。