中古の処女
正岡子規は病牀六尺において『病床六尺、これが我が世界である』と言った。ならば、採掘の為にこれより送られる、直径二百キロの小惑星は、私の世界という事になるだろう。『小惑星二百キロ、これが私の世界である』
ともあれ、私はこれよりアステロイドベルトに単身赴任させられる。本当はそんな場所に行きたくはないが、世の中には借金や契約という物があって、なかなか自分の思うとおりに生きられない。資産運用をミスして膨れあがった借金は一億新円。これが見えない鎖となって、私の人生を雁字搦めにする。
中世なら、私のような人間は鉱山労働に駆り出されて、煙食になってすぐに死んでしまっただろうが、現代では人道的なことに、小惑星で十年ほど採掘に従事するだけで、晴れて自由の身になれる。
やはり、人類という生き物は、何百年経っても変わらない。
「旦那ぁ、何しているんですか」蜥蜴が私にせっついた。
「五月蠅い、ちょっとモノローグに浸るぐらいいいだろう」
「けどねぇ、旦那をシャトルまで無事に送り届けるまでが、俺の仕事になるわけですから、出発の時間まで四時間と二十三分十一秒。変なポエムを詠むよりは、アステロイドで快適に暮らすための準備をした方が建設的だと思いますぜ?」
「わかっている。だから、こうして買い物に来ているわけだろう」
一億新円の借金を抱えている私だが、幸いな事に財布には二万新円ほど入っている。これが今の私に残された全財産だ。他は全て奪われてしまった。家や土地、家財などは全て赤紙が貼られてしまい、爪に火を点すように地道に横領していた裏金すら、金貸し共は情け容赦なく奪っていった。
『服と手持ちはいいでしょう。我々も鬼ではありません故』
恩に着せるように金貸し達は、そんな事を言った。地球人と違って、レプティリアンは血も涙もない。
「早くしてくださいよ、旦那ぁ。あと四時間二十分ちょうどですよ」
「わかっている。お前には情緒ってのがないのか」
「ないですねぇ。そういうのは卵の殻と一緒に投棄しました」
「……蜥蜴野郎が」
私が小さな声で呟くと、蜥蜴型異星人は面白いジョークでも聞いたかのように笑う。表情筋がない癖に、レプティリアンは意外と、感情表現が豊かだ。
「旦那も仲間にはいりませんか? 脱皮する毎に若返るから、事実上の不老不死ですよ」
「五月蠅い、私は人間でいいんだ!」
こうしてレプティリアンの取り立て人を伴って、私は宇宙よろず屋へと入った。
「いらつしやいまし。ようこそ、宇宙よろづ屋、吾潟堂へ」
出迎えたのは、和服を着た古めかしい自動人形だ。旧式の、とうに生産終了した機種で、イントネーションが古臭い。人形は私に「なにをおさがしでせうか?」とぎこちない笑みを浮かべてくる。
私はそれを無視して、店の中を見回した。店に並んでいるものは、全て古い物ばかりだった。ブリキのフォトンライフル。宮内庁御用達の全身義体。時間凍結されたアホトロール。量子化されたきゅうりの漬け物……
「おい、なんだ。この店は!」
「俺のお気に入りの店なんですよ。いい感じでしょ?」
「いい感じって、骨董品や中古しか置いてないじゃないか!」
「はい、古い物なら、どんなものでもお取り扱ひ致します。それが、吾潟堂でございます。申し遲れました。私、吾潟堂の店主をしてをります、吾潟塔子と申します」
「そんな事は聞いてないんだよ! このポンコツ!」
私は、吾潟とかいう自動人形に罵声を浴びせた。
すると金貸しは、いきなり私の胸ぐらを掴んで、持ち上げた。
「姐さんに失礼な事を言わないで貰えますか、旦那? それにね、ちょっと考え方を変えてみてくださいよ。テメェの手元にある二万新円なんざ、結局は端金なんですよ? 新品しか取り扱ってない店に行ったら、それこそ玩具を一つ買っただけで素寒貧になっちまう。その点、ここなら、物は古いが格安だ。二万新円でも、十分に身の回りの物を揃えられる。しかも質だっていい。なんたって、姐さんの保証付きですからね」
「保證おーけーです」
「ほら、姐さんもこう言っている。ねぇ、旦那。こんなにいい話、なかなかないですよ?」
「はい」
牙を剥いた蜥蜴に凄まれて、少し失禁しながらも私は忠告に従う事にした。
「まいど、ありがたうございます」と無表情に人形は言った。
吾潟堂は古い店だ。
いまどき珍しい木造建築で、いかにも『昭和初期の商店』という店だ。入り口は木の引き戸で、開けるとガラガラという音がする。店の中はかなり暗い。照明は天井からぶら下がった電球一つだけだからだ。下は、土。いわゆる土間だ。そこに商品棚が並んでいるという、化石燃料時代の商店だ。
けれど、店内をよく見てみると、並んでいる商品は、古いが安くて良い物ばかりだった。たとえば、ガラス棚に無造作に置いてある金属探知機など、プロキシマケンタウリ軍がかつて制式採用されていた放出品である。年式は古いがいい物だ。
「……確かに、いい店だ」
「でしょう?」なぜかドヤ顔の蜥蜴。
ただ、今の私が求めているのは、軍用金属探知機などではない。もっと別のものだった。
アステロイドベルトでの採掘で、もっとも重要な事は『いかに孤独に耐えるか』だ。生活については、物資の循環と、月に一度の輸送船で何とかなる。問題となるのはいつも、心の問題だ。
「それでしたら、お勸めは人格制禦インプラントですね。孤獨や恐怖、それに焦躁と云つた感情を自動的に抹消する人格制禦システム『ナカジマ』は一世代前のシステムですけど、まだ現役で通用します。なにより、ナノマシン注入型ですから、手術不要が強みです。これがあれば、何年でも獨りぼつちで過ごせます」
「俺だったら、こっちのドラッグにしますぜ。バーナード星系原産の、ダウナー系のドラッグ詰め合わせ。我々、レプティリアンにとっちゃ、子どもの頃から使っている定番って奴です。地球人が使っても、たぶん、大丈夫じゃないですかね」
自動人形と蜥蜴野郎は好き放題言っている。しかし、私は人体改造やドラッグに頼る事を良しとはしなかった。両親より授かった肉体に一切傷を付けていない事は、私の誇りの一つである。その矜持を失うわけにはいかない。
「もっと他にないのか。こう、あれだ。話し相手になるやつが」
「……話し相手になる商品。それは自動人形である、私を所望と云ふ事でせうか?」
「ちょ、ちょっとそれは駄目ですぜ! 旦那には分からないだろうが、姐さんには吾潟堂を守るって使命があるんですから!」
吾潟塔子は私をじっと見つめ、激昂した取り立て人は、再び私の胸ぐらを掴もうとする。そんな二人?に私は「違う!」と否定してみせる。
「そうじゃない。ただ、あるだろう。その、アレだ。工場で合成される、アレだよアレ」
情緒を介さぬ蜥蜴は首を傾げるだけだったが、人形の方は利に聡い商人だ。すぐに私の意図を察して、ぽんと手を叩く。
「成程、お客樣は姫をお望みですか」
姫とは、かつては王侯貴族と呼ばれる特権階級の娘を意味する言葉だったそうだが、現代では違う。クローニング工場で生産される、合成人間の女を意味する。
歌を能くする歌姫に、美しく舞い踊る舞姫や、色事に長けた泡姫だとか、深海で活動できる人魚姫、眠り続ける眠り姫など、様々な特性を持った姫達が製造されている。
「アステロイドベルトという寂しい場所に行くとしても、美しい女が傍に居れば、きっと頑張れる。そう私は思うんだ」
「そういうもんですかねぇ」と蜥蜴が呟く。
「そういうものだ。情緒のない蜥蜴には分からないだろうがな」
男には、どうしても女という存在が必要なのだ。
これは私の人生を振り返ってみても、正しいと断言できる。
トレイダーとして仕事をしていた頃は、仕事を終えると、いつも愛人の家に駆け込んだ。そうする事によって、仕事で摩耗した心と体を癒やしていた。女は一人で生きているかもしれないが、男は一人で生きていけない。そういう悲しい生き物だ。
しかし、今の私には金が無い。
全財産を失って、一億新円の借金を背負った。金がなくては、当然女を囲えない。沢山いた愛人達は、みんないなくなってしまった。
そうなると、私が選べる選択肢は、合成物の女である『姫』しかいない。
「しかし、合成生物ってやつはそれなりの値段だと思いましたが、たったの二万新円で買えますかね?」
「そ、それは見てみないとわからないだろ」
「いいえ、見なくても分かります。二萬新圓で買へる姫は一體しかありません」
「あ、あるのか!?」
「ありますよ」
自動人形の店主は頷いて、一体の姫を連れてきた。それは十代初めぐらいの、栗色の巻き毛をカチューシャでまとめて、エプロンドレスを着た初々しい姫だった。
「は、初めまして、初姫の頬白です」
頬白と名乗った姫は、緊張しているのかカチコチに固まっていた。私の顔を見ようともせず、下を向きっぱなしのまま、顔を真っ赤にして挨拶をする。
「この子は、初姫と云ふ姫です。名は頬白。見ての通り、初々しい反応を賣りとして製造された、亂暴に言へば処女を賣りにした姫でした。なので、當然、中古になつたら、賣りが何もなくなつてしまひ、價格が暴落してごらんの有樣です」
「て、店長! 私の事を中古とか言うのは止めてください! 風評被害です!」
「失禮。だつたら、使用濟みの方がよかつたですか?」
「せ、せめて、アウトレットとか! 言葉をオブラートに包んでくださいよぅ!」
「けど、貴女は賣れ殘りと云ふわけでなく、使ひ古しなのは間違ひないですよ」
「うわあああんん!」
吾潟塔子の容赦ない説明に、中古の初姫、頬白は泣き出してしまった。そんな彼女に私はそっと手を差し伸べる。
「お、お客様!?」
「決めた。私は君を買い揚げる事にする」
「け、けど、私は、その店長の言ったとおりの姫ですよ。初姫なのに初めてじゃない、そんな姫なんです」
「いいんだよ」私は、そんな彼女に向かって力強く頷いた。
どの道、今の私には頬白以外の選択肢は残されていない。他の姫は予算をオーバーしてしまうし、薬物や人体改造は論外だ。後はプログラム人格でも連れて行くしか、取れる手段は存在しないが、肉体を持たない異性など、何の価値もありはしない。女は柔らかい身体、あってこそだ。
なによりも――
「私は、君に夢中なんだ」頬白の手を握りながら、私は愛の告白した。
今まで、何人もの愛人を囲ったが、こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。こんなに初々しい少女の初めてが、見知らぬ誰かの物となった。そう考えるだけで、胸の奥から、熱い何かがこみ上げてくる。
「たぶん、これは恋だと思う」
「そんな…… こんな私をそんなに思ってくれるなんて、とっても嬉しいです!」
こうして、私は中古の初姫を連れて、アステロイドベルトへと旅立った。直径二百キロの小惑星、これを私達の愛の巣とするために――
無事、打ち上げられたロケットを、蜥蜴型異星人と自動人形が見上げている。白い尾を引きながら飛んでいく旧式ロケットは、夜空に放たれた精子のようだ。
「ねえ、姐さん」
「なんでせうか?」
「あれって真実の愛に目覚めたとかじゃなくて、旦那が寝取られに目覚めただけですよね……」
「ねとられ? なんでせうかそれは」
「……いえ、つまらない事を言いました。なんでもありやせん」
やがて、成層圏を抜けたロケットは青空の中に吸い込まれて、消えてしまう。蜥蜴は溜め息を吐いて帰っていく。和服を着た古めかしい自動人形は、飽きずに空を、いつまでも眺め続けていた。