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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
一章 愛縁奇縁
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不安と怖れ

 儒郭の王城、その名は弦明宮(げんめいきゅう)。峻険な山々を背に建てられているその城の一郭に軍部は置かれている。

 それのまた一郭、とある政務室の中から男の怒鳴り散らす声が響いていた。


「カガイ! お前と言う奴はまったく! 信じられんぞ! 少しは悪びれたらどうだ!? どれだけの迷惑を……いや、そもそも奥方殿に対してあの態度はなんだ!? 少しは誠意を見せたらどうだ! きっとお前の印象は地に落ちているぞ!」

 カガイは横目で覚秦を見る。昔からこの男はなにかと煩い。

 そんな覚秦に対して、カガイは低い唸り声のような返事をするものだから余計に覚秦は腹が立つ。

 目を吊り上げた覚秦がまた何かを言おうと口を開けた丁度その時、扉が開いて青丹が入って来た。

「覚秦、怒鳴り声が廊下の先まで聞こえていたぞ。ああ、カガイ帰ったか。この馬鹿者めが」

 青丹に向かって二人は礼をとる。青丹は部屋の奥にある椅子に腰かけると、やれやれといった含み笑いをカガイに向けた。


「トウシナに聞いたぞ。カガイよ、とんだ初対面になったな。お前のような風貌の男がいきなり現れたらどんな女人でも腰を抜かす」

 クックックッと低い笑い声をたてて、青丹は髭を撫でる。

 カガイは何も答えなかったが、代わりに覚秦が口を開いた。

「本当に、奥方殿に同情しますよ……こんな男の妻なんて……」

「ああ、覚秦も会ったのか。どうだった? 中々の美人ではなかったか?」

「ええ、想像していた姿とは全然違いましたね。清楚そうな女性でした。こちらが不安になるほど怯えていましたけどね……」

 そう言って覚秦はぎろりと隣のカガイを睨んだ。

「まぁ、これに懲りてカガイも自分の奔放さを見直す事だな。奥方に気に入られるように尽くしてやれよ」

 話が一段落したところで、覚秦が「親父殿」と声を出す。


「なんだ?」

「いや、俺が口を出すような事ではないのでしょうが……あの奥方は、何と言うか……少し……」

 珍しく歯切れの悪い覚秦を見て青丹は、ああ、となんでもない事のように言い出した。

「理由があって市井で暮らしていたようだ。恐らくは庶子であろう」

 覚秦は息を詰まらせたが、隣で同じように聞いていたカガイはなんの反応も示さなかった。

「黎国の尚書台に籍を置く文官のご息女らしいが、当初予定にあった娘に誓いを立てた相手がおったらしく、あちらで一悶着あったらしい。故にその代わりだろう」

「な、お、親父殿……それを知って……?」

「知ったのはつい先日だ。ちょうど奥方が此方に着いた頃か? 官吏から聞いた」

 覚秦は眉をしかめた。

「それは……何と言うか、ふざけた話だ……そんな道理が通じるので? そもそも本当にその文官と血が繋がっている娘なのか……。それで官吏は何と?」

「来たものはしょうがない、此方としては当初の予定通りだ。あちらが実子と言っているのだからそうなのだろう。王族に嫁ぐのならばまだしも一軍の将との婚姻だ……その娘が最後で鴛鴦乃契は完遂した」


 覚秦は納得のいかない顔をして、眉間にしわを寄せたままカガイを指差す。

「俺の思い過ごしならいいんですけどね……まさかとは思いますが、相手がこいつだったから正室の娘を惜しんだ、とかじゃあないですかね? 身分で人を見る輩なら考えそうな事ですよ、もしそうなら……なんとも腹の立つ話じゃないですか、一発殴りたい気持ちになりますよ。朝廷に仕える官吏でありながら、浅はかな……!」

「覚秦……そう決めつけるな。どうあれ事実は変わらんよ、あの娘がカガイの妻だ」

 今まで一言も発していないカガイを青丹は真っ直ぐに見つめる。

「理由はどうあれ、あの娘はお前のところに来た。巡り合わせとは不思議なものでな。大事にしてやれよ」

 青丹の言葉にカガイは小さく頭を下げた。



 ◇



 稜迦は都の人の多さに目を回す。

 カガイの邸は街の外れに位置しており、人通りも少なく喧騒とは無縁の場所だったので、久しぶりに人混みの中に入り稜迦はすでに疲れ始めていた。


 何より朱国の都、儒郭は黎国のそれよりはるかに広く大きかった。さまざまな店や物が溢れており、旅商人の姿も少なくない。

 建物だって違う。

 黎国の都だって決して侘しい街並みではなかったが、儒郭の街にずらりと建てられている家や店は上に高く、塗装も鮮やかで、中には異文化を思わせる建物も見受けられた。


 圧倒されながら儒郭の街並みを見ていた稜迦に声がかかる。

「お待たせしました。どうぞ」 

 そう言って宗偉が持って来たのは、椀の中にたっぷりとよそわれてる鶏飯に、葱が入っている味噌汁だった。

 まだ朝食を食べていないにも関わらず、緊張のせいか空腹を感じていない稜迦だったが、鶏飯のいい匂いで食欲が出てきたように思えた。

「すみません、自分が朝飯を食べていなかったもので、夫人まで付き合わせてしまって」

 宗偉が稜迦と自分の前に椀を並べながら言う。稜迦の案内役の宗偉はまず最初に、稜迦を食堂が立ち並ぶ通りへと連れて来ていた。


 稜迦は焦りながら首を振る。

「い、いいえ……! そんな……わたしも食べていなかったので有難いです……」

 稜迦がおずおずと言った言葉に、宗偉はもともと細い目をさらに細くしてにっこりと笑う。

「良かった! ここの鶏飯は自分が知っている中で一番旨いんです。どうぞ食べてみてください」

 宗偉はそう言って箸を持ち、口を大きく開いて鶏飯をばくばくと食べ始めた。

 それを見て、稜迦も躊躇いながら箸を持ち鶏飯をぱくりと一口食べる。

「美味しい……」

 出汁で炊いたほくほくとしたご飯と表面をカリッと焼いてある鶏肉は食欲をそそった。

 夢中になってぱくぱく食べていると、ふと宗偉と目が合った。宗偉は先程と同じように笑った顔を稜迦へと向ける。

「旨いものを食べて、腹がいっぱいになったら人は元気になれますから。どうぞゆっくり召し上がってください」

 稜迦はその言葉に思わず泣きそうになり、「はい……」と答えた後、申し訳ないと思いつつも食べ続けることで涙を誤魔化した。そんな稜迦に眉をひそめる事なく、宗偉もばくばくと飯を食べた。



「ここは東市で、衣服や家財などはこの通りで買い求めることができます。夫人は古着をお求めでしたからもう少し先ですね」

 鶏飯を食べ終わって一息ついた後、宗偉の横を歩きながら稜迦は広い大通りの説明を聞いていた。

「あの、本当にすみません……ずっとお付きあいして頂いて……こんなにも大きい街だとは思ってもいませんでした」

 馬の手綱を引きながら宗偉は笑う。


 宗偉たちはカガイの邸まで馬でやって来ていたようで、覚秦たちが去ってから、いざ稜迦たちも街へと出掛けようとしたさい、宗偉はまず最初に稜迦を馬に乗せようとしたのだが稜迦は今まで馬に乗ったことが無く、怖くて頑なに断ってしまっていた。

 稜迦だけを歩かせる訳にはいかないと、宗偉も馬には乗らず、二人で歩いて街へとやって来ていた。

 稜迦は宗偉に迷惑をかけてしまっていることを、心底申し訳なく思う。


「どうぞ気になさらないでしださい。これでも武人の端くれですから、体力には自信があるんです。もともと夫人を馬に乗せた後、自分は歩く予定でしたから。それよりも夫人はお疲れではないですか? 儒郭は様々な人で溢れていますから目が回ってしまいますね」

 にこにこと話してくれる宗偉が有り難くて、稜迦は最初の頃と比べ随分と身体が柔らかくなっていた。

「はい、そうですね……こんなにも人や物に溢れている街は初めてなのでどこを見ていいやら……朱国はとても栄えてるのですね」

 稜迦は宗偉に釣られて笑って答える。その稜迦の笑った顔を見て、宗偉は笑みをよくいっそう深くし、そして申し訳なさそうな顔をした。

「すみません……随分と緊張していらしたようで……夫人は武官が苦手でいらっしゃる?」

 とっさに言われて稜迦は顔を強張らせた。

「ああ! 申し訳ございません……出過ぎたことを言ってしまいました……」

 宗偉は慌てた様子で目線をキョロキョロとさせた後、シュンと項垂れる。

 その様子が可笑しかったので、稜迦は思わず小さく噴き出してしまった。

「あ……申し訳ございません……あの、実を言うと……少し怖かったりするのですが、もともとわたしが臆病なので……気を悪くさせてしまい、申し訳ありません……」

 過去の経験で少しどころか大いに怖かったりするのだか、隣の若者は不思議と少しも恐ろしく感じない。


「そうでしたか……すみません、自分が言うのも何ですが……先の戦のせいで何か恐ろしい出来事があったのかと……自分は思慮が足らないところがあるようで、申し訳ありません」

 互いに謝ってばかりで、稜迦は少し可笑しかった。

「そんなことは……お気を使って頂きありがとうございます。お陰で随分と元気になれたようです」

 稜迦のその言葉に宗偉はほっとした顔を浮かべる。

「それこそ自分が言うのも何ですが……あの、カガイ将軍は見た目こそあのような感じですが、決して粗暴な方ではないのです、いえ、説得力はないとは思いますが……」

 これについては稜迦は何と答えていいか分からなかった。

「あの方は……他の方々とは少々違った格好をしているのですね……」

 やっとの事で思い付いた言葉がこれであった。だがずっと気になっていた事でもあったのだ。

「ああ、はい。カガイ将軍はもともと山岳民族の出身でして、故郷の衣装があのような出で立ちなのです。他にもその部族の出身者がいて、トウシナ殿もその一人ですね」


 稜迦はそういえばと今朝見た大男を思い出す。格好こそ見慣れた服装をしていたが顔付きが多少自分が見知ってるものより違っていたように思う。それにカガイを兄と呼んでいた。

 あの二人は兄弟なのかと宗偉に尋ねると、宗偉はいいえと首を横に振った。

「若い頃から共に戦ってきたようですが、血は繋がっておりません。トウシナ殿はカガイ将軍の部隊に籍を置いていまして、カガイ将軍の右腕のような方ですね」

「そうですか……」


 稜迦は宗偉の説明を聞きながら、出会う前に思い描いていた相手とはまったく違っていたことを知る。

 武官だった事も、異民族だった事も、稜迦は予想していなかった。あのような大きな身体を持った男を間近で見たのも初めてだと思う。あの腕に捕まえられたら稜迦の腕などポキリと折れてしまうのではないかと、つい物騒な考えをしてしまった。

 稜迦は慌ててその考えを振り払う。


「あ、見えてきました。あの辺りです」

 稜迦が前を見ると布地や衣服を並べている商店がずらりと軒を連ねている。

「あそこの赤い暖簾のお店が良さそうですね……」

 稜迦はそう言って指をさしたが、宗偉にはよく見えていないのか眉にシワを寄せて稜迦がさした方向を見ていた。

「驚きました。夫人はたいへん目が良いのですね!」

 宗偉の言葉に稜迦はほんの少し照れたように笑った。



 その後も宗偉は嫌な顔ひとつせず稜迦の買い物に付き合ってくれた。

「米や小麦粉は重いですから、店の者に頼むと後ほど邸まで届けてくれますよ。次からはどうぞ、そのようになさってください」

 馬の背に食欲や衣服、必要なものをくくりつけながら覚秦は稜迦に教えてくれる。

「何から何まで、本当にありがとうございます」

「いいえ、そのような。お気になさらないでください」

 宗偉は笑って答えてくれたから、稜迦も笑顔になれた。思えば、笑えたのは久しぶりだった。


「儒郭は広いですから、一日で見て回る事はできませんが一通り夫人が必要だと思う場所は案内できたと思います。……あ、あとあちらに見える大きな柱がある通りが水神通りと言いまして、あの通りを北に真っ直ぐ進むと王城があります。カガイ将軍は遠征などがない場合は城の軍部に勤めていますので、何かありましたらそちらを訪ねてください」

 稜迦は「はい」と返事をしたが、黎国にいた頃から王城と言う場所に近づいた事も無かったし、自分がガカイを訪ねて行くことができるのか怪しかった。

 

 そろそろ邸に戻ろうと二人が歩きかけたとき、いきなり一人の若い女が目の前で倒れ込むのが見えた。

 倒れた拍子にその女が持っていた籠から野菜が転がったが、女はそれを拾おうとはせず、うずくまって動かない。

 それを見ていた稜迦は慌てて女へと駆け寄り声をかけた。


「あの……! 大丈夫ですか? しっかり」

 倒れている女の顔は虚ろな目をしており、稜迦を見ると口を僅かに動かして音になっていない声を出したようだった。

 何と言っているか分からない稜迦はおろおろと女に手を貸そうとする。だが、後ろから宗偉が近付いて来て、女がその姿を見た途端、いきなり稜迦の手を振り払った。

 稜迦は息を飲んで驚いたが、青ざめた女の顔は宗偉の格好と顔を見比べた後、ほっとしたように息を吐く。

「あの……」

 稜迦はまたも手を貸そうとしたのだが、その手が取られることはなかった。

 若い女は宗偉がいつの間にか拾って戻していた野菜の籠を持つと、小さく頭を下げてふらふらと立ち上がり、そのまま歩いてその場を去って行く。

 茫然としながらその後ろ姿を見ていた稜迦に、横から声がかかる。

「あの娘さん黎国から嫁いで来たんだってさ。良いとこのお嬢さんだったらしいけど、今じゃ旦那さんに召し使いみたいに扱われてるみたいだよ、可哀想にねぇ……」

 そう言いながら、恰幅のいい野菜売りの女は痛ましい目で若い女が去って行った方を見ていた。

「その旦那さんはどなたかご存知ないでしょうか?」

 宗偉は女亭主に訊いたが、どこの誰かまでは知らないと首を振られる。

 宗偉は先程の若い女があきらかに自分の格好、甲冑に怯えていたのだと思った。


 しばらくの間、顔をしかめて考え込んでいた宗偉だったが、ふと横を見ると稜迦が女の後ろ姿を見ていた格好のまま、ぴくりとも動いていない事に気が付いた。

「夫人……あの、大丈夫ですか?」

 稜迦は宗偉のその声に、はじかれたようにして振り返る。

「は、はい……だ、大丈夫です……」

 そう言った稜迦の顔色はあきらかに青ざめていた。 

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