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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
一章 愛縁奇縁
7/47

カガイ

 稜迦は近付いてくる男から視線を外せなかった。


 後ろへと倒れてしまい地面に手をついたままその男を見上げるかたちになって、そのままぴくりとも動けない。

 入り口へと近付いてきた男に日の光が当たるとその姿が鮮明に見えて、稜迦は目を見開いた。

 何も身に纏っていない浅黒い肌の男の上半身は、まるで鋼のような筋肉で盛りあがっている。その身体のうえにはおびただしいほどの大小の傷痕が散らばっていた。

 稜迦を見る男の顔は伸びた前髪のせいで鼻より上が見えない。


 悲鳴さえあげることができない稜迦を、僅かなあいだ見ていた男がヌッと手をあげた。

 稜迦が小さく声を上げ身を強張らすと、男の腕は一瞬止まるが、そのまま稜迦へと手を伸ばしてくる。

 稜迦は耐えきれなくなり、きつく目を閉じ顔を逸らした。きっと自分は殺されてしまう、そう思いながら身を強張していたが男の手が自分に触れる気配がない。


 訝しんだ稜迦がおそるおそる目を開け男の方を見ると、男は伸ばした腕を下げて表情の見えない顔で稜迦をただ見ているだけだった。

 訳が分からない稜迦も怯きった顔で男を見たが、次の瞬間大きな声が割り込んでくる。

「ああっ! 兄ぃ! どうしたんだ!?」

 ハッと息を飲んで稜迦が声の聞こえた方を見ると、中庭の方から目の前の男よりさらに縦にも横にも大きい大男が、こちらへと走って来ていた。

 稜迦は今度こそ悲鳴をあげる。


「わっ! わっ! なんだ? どうした!?」

 悲鳴を聞いた大男がその身体に似合わず小さくその場でおろおろしていると、その後ろからまた別の男が叫びながら走って来た。

「おい! やっぱり不味い事になっているじゃないか! トウシナ! お前は下がってろ、奥方が怯えている!」

 瞬く間に稜迦と男の間に走り込んできた男は、物凄い勢いで傷痕だらけの男の方へと掴みかかった。

「カガイ! このっ阿呆が! 今までどこに居た!? あれほど親父殿と俺がどこにも行くなと言っただろうが!」


 何が起こっているのか分からず、走り込んできた男の怒鳴り声に稜迦が怯えていると、ガチャガチャと着ている甲冑を鳴らしながら、別の若い男が息を乱しながら走って来た。

「あぁ……! やはり間に合いませんでしたか!」

 そう言った若い男に稜迦は見覚えがあった。最初この邸に来た日に青丹と共にいたあの若い男だった。

 その若い男は稜迦を見ると小さく息を飲み、慌てて目線を逸らして自分の身に着けていた外套を稜迦へと差し出した。

「あの、どうかこれを。そのような格好では……」

 稜迦は自分の格好を思い出す。薄い寝間着のままであった。

 顔を真っ赤にして急いで外套を受け取り身に纏う。

「あ、ありがとうございます……あの……あの……」

 稜迦はきょろきょろと突然現れた男たちを見回す。大男は中庭でぽつんと立っていて、目の前では二人の男が揉み合っていた。


 若い男がゆっくりと稜迦に近付いて来て、身を起こさせようと手を伸ばしてくる。

「このような事態になってしまい、誠に申し訳ありません……あの方がこの邸の主、カガイ将軍になります」

 カガイ。確か先ほど傷痕だらけの男がそう呼ばれたような気がした。

 差し出された手をおずおずと取って、稜迦が立ち上がろうとすると上手く足に力が入らず再度ぺたんと地面に尻を付けてしまう。

「だ、大丈夫ですか!?」

 若い男が慌てた声を出すと、揉み合っていた二人の男もハッして稜迦を見た。

 急に自分を見る視線が増えたことに狼狽し、耳まで顔を赤くして稜迦は俯く。

「……申し訳ありません……腰が抜けたようです……」 



 ◇



 邸の中に、囲炉裏がある大きな部屋がある。

 今はそこに四人の男と、寝間着から着替えた稜迦が囲炉裏を囲んで座っていた。


「誠に申し訳ない……!」

 稜迦の対面に座っている覚秦と名乗った男が深々と頭を下げた。

 稜迦は覚秦が何故自分に向かって謝っているのか分からず、あの……と弱々しく呟いて、もともと下がっている眉をさらに下がらせる。

「この男……カガイが夜明け前に儒郭に戻ってまいりまして、それをそこの者、名を宗偉(そういと申しますが……宗偉が俺の元にその事を伝えに来たときには、カガイは我々を待たずに早々に邸へと帰っておりました……。そのゆえに奥方殿には連絡が遅れてしまい、あのような惨事に……重ね重ね申し訳ない事を致しました……」

 そういう理由だったのかと稜迦は思い、覚秦にどうかお気になさらないでくださいと声を出した。


 確かに身も心も縮み上がったが、この邸はカガイと言う男のものだし、人なのだから行き違いもあるだろうと稜迦は思う。それよりも気になる事は他にあった。


 稜迦はちらりと斜め横に胡座をかいて座っている男を見る。

 ひとまず落ち着いた現状でその姿を見ても、恐ろしいという印象は変わらなかった。

 歳は二十半ばから三十手前くらいだろうか、相変わらず上に何も着ていない身体は傷痕だらけで、頭は肩より少し長い髪の毛がぼさぼさと伸びていた。

 太い血管が浮き出ている腕などは稜迦と比べて二倍、三倍はあろうかと言うぐらい大きい。

 まるで大きな獣のようだと稜迦は思う。

 稜迦の視線に気付いたのか、男の顔が稜迦の方へ向いたので稜迦は慌てて男から目を離した。

 この人が自分の夫になるのだ。


 稜迦の身体が小さく震え出したとき、明るい大声が部屋の中に響いた。

「いやぁ兄ぃ! すごいなぁ、良かったなぁ! 凄く綺麗な女の人だぁ! こんな女の人が兄ぃの嫁になるなんて俺は嬉しいなぁ!」

 稜迦が今まで見たことがないぐらいの大きな身体つきをした大男が出す声は、やはり大きい。

 その声に稜迦は思わず身体を揺らして驚いてしまった。

「トウシナ、声の大きさを落とせ。奥方殿が驚いているぞ」

「だけどよぉ、覚秦! 俺は嬉しくてよぉ! だから俺、一生懸命兄ぃを探したんだぜ? ごめんなぁ奥方さまよぉ、もっと早く見つけられたら良かったんだけどなぁ」

 稜迦はなんと返せばいいか分からず、いえ……とぎこちなく答える事しかできなかった。

「トウシナ、お前が謝ることはないだろう。カガイお前が謝らんか! この阿呆めが!」

 覚秦がそう怒鳴り、カガイは稜迦をゆっくりと見る。


 稜迦は自分の心臓が大きな音を立てて鳴っているのが分かった。カガイがこちらを見ているのは分かるのだが恐ろしくて目が合わせられない。

 稜迦が一人焦っていると、その男が声を出した。ひどく低い声だった。

「……忘れていた……すまん……」

 稜迦の身体は瞬時に固まる。

 同時に、覚秦がカガイの頭を思いっきり殴りつけた。

「おい! お前という奴はなんて事を奥方殿に言うんだ! 恥を知れ!」

 覚秦が怒鳴っている声もどこか遠くに感じる。

 稜迦はこの気持ちをどこに向けていいのか分からなかった。何て滑稽な婚姻なんだろう。互いに望んでいないのだ。嫁いで来る事を忘れられた花嫁など今までいたのだろうか。


「ーーは?」

 稜迦はその声でハッと我にかえった。

 顔を上げるとカガイが此方を見ている。どうやら稜迦に何かを問うたようで、なんと言ったのか聞いていなかった稜迦は酷く焦った。

「も、申し訳ありません……! き、聞いておりませんでした……」

 情けない、震えた声が稜迦の口から出た。それを見ていた覚秦や宗偉は心配そうな顔を稜迦に向けたが、稜迦がそれに気づく余裕などなかった。

「……名は?」

 カガイから出た言葉はたった二文字だけであったが、返事が口から上手く出て来ないせいで稜迦は変に言葉を詰まらせる。

「りょう……稜迦、と申し、申します……」

「……カガイ、だ」

 互いにもう言葉は出さなかった。いけないと思いつつも稜迦は顔を伏せてしまう。


 しばらく無言の時間が流れたが、痺れを切らしたように覚秦が稜迦に問うた。

「して奥方殿、使用人たちはどこに? 人の気配がないが、皆どこかに出ているので?」

 稜迦はまたもや焦った。

「あ、あの……皆、黎へと帰りました……」

 稜迦の言葉に覚秦は目を丸くした。

「帰った? ……あなたを置いて帰ったと?」

「は、はい。……わ、わたしを朱国まで送り届ける事が役目であったようなので……か、帰りました……」

 覚秦は一瞬のあいだ絶句していたが、すぐに口早に喋りだす。

「お、お待ちを……今日までどのように暮らしていたのです? 身の回りの世話は? 食事は? この男の邸に使用人はいなかった筈……まさか今まで一人で居たのですか!?」

 稜迦はまるで叱られているような気持ちになり、身を縮ませた。

「は、はい……。自分の身の世話は自分でできますし……食料も……多少、黎国からの供の方々が材料を置いて行って下さったので、自分で……あの……どうかお気遣いなく……」


 稜迦はしどろもどろに覚秦に答えた。覚秦が言わんとしている意味は判る。稜迦を良家の子女と思っているのだろう。そんな者がカガイの帰りを待っていた今日まで、一人で暮らしていたのが不可解だと思われても仕方がない。だが、自分の出自を正直に言ってしまってもいいものかと稜迦は悩んでいた。侮られたと思われてしまいそうで恐ろしかった。

 故郷に帰りたいと思いながらも、そのせいで稜迦が出戻ることになったら母や姉たちの命が危ないのだ。


 宗偉は唖然としていたし、覚秦にいたっては口を開いたまま微動だに動かない。トウシナと呼ばれた男は話がよく分かっていないようでキョロキョロと互いの顔を見ていた。

 稜迦が言葉に詰まっていると、低い声が横から発せられた。

「……俺はどんな女でも構わん……親父殿が言われたから受けただけだ……この邸も好きに使え」

 その声を聞いて稜迦はカガイを見る。

 カガイは稜迦を見ていなかったが、顎を手のひらで擦りながら言葉を続けた。

「金も……俺は使わんからそれなりにはある……女のことは解らんからそれで自分でどうにかできるのなら、それでいい……好きに使え」

 淡々とゆっくりとした口調で喋るカガイを見ながら、稜迦も弱々しく口を開いた。

「あの……ふつつか者ですが、どうか宜しくお願いします……」

 稜迦はカガイの方へ頭を下げる。カガイはそれを見ただけで何も答えはしなかった。


 そんな二人を見ていた覚秦は大きな息を吐くと、カガイへと切り出した。

「……ひとまず、カガイお前は一度親父殿のところに顔を出せ。だいぶ予定が狂ったが二人の式のこともあるだろう。トウシナお前もだ、ご苦労だったな」

 覚秦がそう言いながら立ち上がる。他の者たちもそれに続いたので稜迦も慌てて立ち上がった。

 カガイを見ると何処かへと去って行くところだった。


「あの……お構いもせず申し訳ございません」

 稜迦が覚秦にそう言うと、覚秦は少し動揺したように見えたがすぐに稜迦へ言葉を返した。

「いえ、そのようにお気を使いませぬよう……色々と失礼を致しました。奥方殿には大変な苦労をさせたようで申し訳ない……奴は夜には戻らせますゆえ」

 覚秦の最後の言葉に動揺した稜迦だったか、どうにか表に出すことなく、はいと答えることができた。


 あと、どうしても訊きたい事があったので稜迦は意を決して覚秦に問いかける。

「あの……! お訊きしたいことが御座いまして、古着は都のどの辺りで買えるでしょうか? あと、できましたら市場の場所も……教えて、頂きたく……」

 勢いよく言葉を出せた稜迦だったが、稜迦を見る覚秦の目がどんどんと開かれていったので、そのせいで言葉がどんどんと尻すぼみになっていった。

「あの……このような絹の服しか無いので、その……動き回れるような服が欲しいのです……あ、も、申し訳ございません……お、お忘れください……」

 覚秦の顔を見ていられなかったので、稜迦は視線を下げた。


 黎国から嫁ぐ際、黄桓が稜迦に持たせた衣服は絹ばかりであった。だが、実際は邸の掃除などをするのは稜迦本人であったし、そのような服を着て汚してしまってはいけないと思い満足に動けなかったのだ。

 あと、いつ青丹からの使いの者が訪れるか分からなかったので稜迦は未だに邸から外に出ていない。

 もともと稜迦は少食だったので食糧が勢いよく無くなる事はなかったのだが、そろそろ心ともないと思っていたし、夫となる人が帰ってきたのだからきちんと必要な物を買っておかねばと思い、市場の場所も訊いてみたのだが印象が悪い事を言ってしまったのだろう、稜迦は悔いた。


 稜迦が俯いていると、覚秦がひとつ咳払いをする。

「奥方殿が手を煩わせる事もありますまい……宗偉、必要な物を用意して差し上げろ」

 覚秦が後ろに控えていた宗偉に声をかけたが、稜迦は慌ててそれを固辞した。

「い、いいえ……! そ、そのような……その、これからの事もありますし……じ、自分で知っておきたかっただけなのです……大丈夫です……申し訳、ございません」

 先ほどから自分は謝ってばかりだと稜迦は気を落とした。うまく立ち回れない自分が嫌になる。

「では……宗偉、奥方殿に都を案内して差し上げろ。これで如何であろうか?」

 それもそれで気後れしたので、稜迦が断わろうとする前に覚秦が続けて言った。

「このような若い男と二人など、さぞや不安でございましょうが、宗偉は儒郭一誠実な男です。真面目と言う名の塊です。信用足る男です。ご安心めされよ。奥方一人では荷を運ぶのも大変でございましょう、どうぞお使いください」

 畳み掛けるように言われてしまって、稜迦は「……はい」と答えることしかできなかった。


 そんなやり取りをしていたら、着替えてきたのだろう、カガイが獣の革や毛皮などを使って出来ている服を上に着て稜迦の方へ近づいて来た。


 稜迦は無意識の内に後ずさった。

 カガイのその格好は街の人々が着ているようなものではなく、まったく馴染みのないものだった。あの夜に見た蛮族の甲冑と雰囲気がよく似ている。

 誰の目から見ても怯えているであろう稜迦の前に立ち、カガイは小さな袋を差し出した。

「残りはまた取ってくる……」

 カガイと袋を交互に見ながら稜迦は震える両手でそれを受け取る。ジャラと鳴ったそれは重みがあり、お金だとすぐに分かった。

「あ、あ、あの……」

 稜迦が何か言う前にカガイは外へと足を向けた。

「おい! カガイ! ……奥方殿、申し訳ない。では我々も失礼する」

 覚秦はそう言うと稜迦に一礼して大股でカガイの後を追う。

「それじゃあな、奥方さま。また来るよぉ」

 トウシナがにこにこ笑って稜迦に顔を向ける。見上げる程の長身で威圧感があったが意外にその笑った顔が優しそうに見えたので、稜迦は強張っていた身体から少しだけ力を抜くことができて、頭を下げて礼をした。

 どしどしと足音をたてながらトウシナも外へと出ていく。

 

 ーーこうして、稜迦は小さな息を吐いて夫との初対面を終わらせたのだった。 

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