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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
一章 愛縁奇縁
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拐かされた日

 日射しは暖かいが、時折吹く風が肌寒いのはだんだんと凍てつく季節が近付いている証だった。


 戦の爪痕が生々しく残る崩れた壁のそばには、家屋を失った人々や、他の街や村から逃れて来た難民が、簡易の小屋や天幕を造って、ひしめき合っていた。

 そんな人々の合間を、両手に抱えた保存食や衣服を落とさないように稜迦は慎重に歩いて行く。


「稜迦! あんた凄い荷物ね」

 突然声をかけられて稜迦が後ろを振り返ると、同じ集落に住んでいた幼馴染みの少女が、洗濯物の沢山入った大きな桶を持って、こちらへと歩いて来る姿が目に入った。

夏師(かし! そうなの、家は焼け落ちてもう駄目だったけれど、裏庭に隠しておいた食糧が無事だったの。会えて良かった、お裾分けに行こうと思ってたから。無くて困っているものはない?」

 稜迦は夏師の姿を目に入れると、はしゃぐように声を出した。


 自分たちが暮らしていた集落から此処、都までは近い距離とは言えど、馬も荷車もない状況で荷物を運ぶのはかなりの重労働だった。けれど稜迦は無事だった家財が多く残っていた事が嬉しくて、ここまでの道程は大変であったが、心は弾んでいた。

 これでしばらくの間だけでも、母と姉たちが飢えることはないと思えたから。


 綻ぶ笑顔の稜迦を見ながら、夏師と呼ばれた少女は大きなため息を吐く。

「はぁ……まったく、あんたは……気を付けなさいよ。戦が終わったからって物資が足りてない人は沢山いるんだし、都のすぐ近くだからといって賊だっているし、ましてやあんたは女なんだから! 年頃の! 出歩くんだったら警戒心を持ちなさいよ、危なかっしくてヒヤヒヤするわ」

 矢継ぎ早に言葉を投げてくる親友にたじろぎながらも、稜迦は荷物から保存していた食料を取り出しながら言った。

「し……しょうがないの……姉さんはもうすぐ赤ちゃんが産まれるし、母さんの足の具合だってまだ悪いから……」


 あの恐ろしい夜の後、無事に母と再会できた稜迦たちであったが、母の乾曜(かんようは逃げている最中に足に怪我を負ってしまい、動けなくなったと言う。その母を助け、共に逃げてくれたのが夏師の一家だった。


 夏師は鼻をフンッとならし、稜迦の手を止める。

「じゃあ、いい? 次からうちの兄弟を何人か連れて行きなさいな。それも、おばさんや楊翠姉さんが大変な時なんだからしまっておきなさい」

 稜迦は優しい友の言葉に笑みを浮かべながら、食料を仕舞うことはしなかった。

「ふふ……じゃあ、次からは弟さんたちを借りるわ。だからこれは受け取って。夏師の家は兄弟が多いのだし、こんな時だからこそ助け合いじゃない?」

 夏師は間を置いてやれやれと言った顔をし、稜迦の手から食料を受け取った。

「はぁ……こんな時だけど、稜迦も早く嫁ぎ先を見つけて男手を確保して欲しいわ。せっかくの器量良しなのに勿体ない……わたしの弟たちの中にもあんたに熱を上げてる子だっているのよ?」

 いきなり夏師にそんなことを言われて、稜迦はあたふたと顔を赤らめる。

「そ、そんな器量良しだなんて……そんなこと無い、夏師の方がよほど素敵よ」

 実際に稜迦はそう思っている。夏師は適度に日に焼けた健康的な肌色をしており、利発な眉と大きな瞳、なにより男性から見て魅力的な女性の身体つきだった。

 そんな親友は今年の花が咲き乱れる季節に、同じ集落に住む農夫の青年と夫婦になった。


 この国で咲く璃蝶桂(りちょうけいという花がある。木の枝に咲き誇るその花は、その昔、天界より降りてきた神仙の男が地上の女性に恋慕して、その女性を想いこの花を創ったのだと言う。その言い伝えによりこの国では、花の美しさも相まって男女の間で特別な意味を持つ花だった。


 璃蝶桂の花冠を着け、その花より輝いていた親友の花嫁姿を思い出しながら、稜迦は自分の事を思う。

 野菜を育てるのが得意な稜迦は、夏師と同じ様に毎日畑に出て、太陽の日射しを浴びていたのに昔からあまり日に焼けるようなことはなかった。宮廷に住まう身分ある女性でもない限り、自分の白い肌はどこか病弱な印象がある。

 顔だってそうだ。

 夏師や実の姉の楊翠とは違い、先が下がっている眉は気弱な感じがするし、瞳だって小さくはないが、慣れてない相手に対してだといつも伏せてしまう。

 夏師や姉が持っている活発で健康的な女性像に稜迦はいつも憧れていた。


「昔からその謙虚さは無くならないわね。稜迦みたいに慎ましい女が好みの男は沢山いると思うのよね、わたし。ほら、ちょっと前にだってーー」

「か、夏師! わたしそろそろ行かなくちゃ! ご、ごめんね、また今度ね!」

 稜迦は、顔を赤らめながらパタパタと逃げるようにその場を去って行った。恋やらに疎い稜迦はこの手の話があまり得意ではない。

 夏師はそんな親友を見送りながら、また、やれやれとため息を吐いた。



 確かに、このような余裕のない状況であったが、稜迦は歩きながらぼんやりと自分の結婚はどうなるんだろうかと考える。

 自分の姉の楊翠や夏師のように、好いた相手と結ばれるのが理想であったし憧れもあったが、稜迦には残念ながら想いを寄せる相手などいない。

 父と言う存在がいたのならば、何かしら結婚相手の世話をしてくれるのであろうが、稜迦に父はいなかった。

 物心ついた頃から自分の家族は母と姉だけであったし、母から父の話を聞いた事も無かった。

 自分から母に父の事を聞こうと思った時もあったが、結局は聞かないままだ。

 優しく厳しい母を信頼していたし、いつか必要な時がきたら母から言ってくれるだろうと思っていた。 


 父と言う存在に思いを巡らすと、姪の佳毘の顔が浮かぶ。

 自分の義兄は戦が終わった後になっても、いまだに帰って来ない。義兄だけではない。自分たちの息子や夫の帰りを祈りながら待っている者は大勢いた。

 戦が終息した頃には、帰って来た部隊などから他の兵たちがどうなったのか、さまざまな情報が飛び回っていたが、今聞こえて来る事といえば、帰って来ない者たちは敵国で捕虜になり労役を課せられているとかなどの根拠の無い噂だけである。

 自分たちの国が敗けた。そのことだけが下で暮らしている人々の判っている情報で、それによって自分たちの暮らしがどう変化していくのか、混乱の生活の中で詳しく知る者は皆無だった。

  

 髭を蓄えた優しい顔の義兄を思い、稜迦は鼻の奥がツンとした。あんなに子供が産まれて来るのを楽しみにしていたのに。何故、戦などがあったのか。

 佳毘は時々、父親を恋しがり泣く事がある。それを見ると稜迦はどうしようもなく辛くなるのだ。


 こんな状況で家もなくし、生活だってこれからどうなるか分からない。自分がしっかりしなくてはと稜迦は思う。自分が家族を支えねばと。


 そう決意しながら稜迦が足を早めていると段々と人の喧騒のような声が聞こえてきた。

 稜迦たちが暮らしているテントの周辺から聞こえてくるようで、稜迦は母たちに何かあったのではないかと思い急いで走り出す。すると、前方に人垣が出来ており、稜迦は人々の隙間から人垣の中心であろう場所を覗き見た。

 稜迦は瞬間息を飲んだ。信じられないことに甲冑を着込んだ兵たちが姉の楊翠の周りを囲んでいるのが見える。その後ろでは、母の乾曜が一人の兵に腕を捕まえられていた。

 稜迦は咄嗟に叫ぶ。

「母さん! 姉さん!」

 自分でも驚く程の大きな声を出し、何事かと遠巻きで見ていた人垣の間を稜迦が無理矢理進もうとしたとき、母の乾曜の叫ぶ声が聞こえた。  

「稜迦! こっちに来ては駄目よ! 逃げなさい! 早く!!」

 その言葉に一瞬足を止めた稜迦だったが、母や姉がこんな状態で一人逃げようとは思わなかった。

 稜迦の周りにいた人々は巻き込まれないようにか、稜迦からサッと距離を取り出す。前方を遮る者が居なくなり、稜迦は青ざめた顔の姉と、そして兵たちと目が合った。

 その瞬間、数人の兵が稜迦に向かって足早に歩き出す。

 何が起こっているのかまったく分からない稜迦は、その場から動けず、瞬く間に両腕を兵に拘束されてしまう。手に持っていた荷物がドサドサと地面に落ちた。

「やめて! その子を離しなさい! ふざけないで! 好き勝手によくも! 行かせない! 行かせないわよ!」

 楊翠が文字通り兵に飛び掛かりながら叫んだものだから、稜迦の心臓も飛び上がった。

「姉さん!! 姉さん駄目よ! 赤ちゃんがお腹にいるのよ!」

 叫びながら楊翠を止めようとしたが、兵士に肩を掴まれ身動きがとれなくなった。周りの人々も、異常な事態に遠く離れて見つめるだけである。

「おい、どうやら間違いないようだ、連れて行け」

「そちらは如何します?」

「こう腹が大きくては使えまい。一人でいいはずだから充分だ」

 兵士同士の会話が終わると、稜迦は無理矢理どこかに連れて行かれそうになる。

 恐怖を感じた稜迦は、無意識に足を踏ん張った。だが屈強な兵の力にかなうはずもなく、そのせいで少し引き摺られるように歩かされてしまう。

「嫌! 姉さん!」

「駄目! お願い! 連れて行かないで!」

 殆ど悲鳴に近い声をあげながら、楊翠は兵に抑えられていた。その後ろで佳毘の泣き叫ぶ声が聞こえる。

「待って! お願い、やめてちょうだい!」

 母の声が聞こえた方を振り向けば、乾曜も兵に抑えられ地面にうずくまっていた。

「待って! 二人に乱暴しないでください! お願い……っ離して!」

 稜迦も叫んだが、兵たちは構わず稜迦を引っ張り、停めていた馬車に放り込んだ。

 稜迦はすぐに身を起こして戸を開けようとしたが、外から鍵をかけられたのか、びくともしない。

 すぐに馬車は走り出し、稜迦は母や姉がどうなったのか分からないまましばらくの間、馬車に揺られることとなった。



 ◇



 ーーあれからどれ程の時間が経ったのか、ようやく馬車が止まったかと思えば、稜迦は自分が見たこともない豪邸の中に連れて来られていた。ここは戦の火が及ばなかったのだろうかと稜迦は目を見張りながら思う。

 馬車の扉が開き、稜迦が怯えて馬車から出れずにいたら、そんな稜迦に焦れたのか一人の兵が無理矢理馬車から稜迦を引っ張り出した。

「此方へ」

 他の兵より少し年嵩であろう男が稜迦を先導する。稜迦は足が震えて歩き出せなかったが、後ろから別の兵に軽く押され、進むしか無かった。

「もし……あ、あの……ここは? ここは何処なんですか? な、なぜ……わたしは連れて来られたのでしょう……?」

 精一杯の勇気を出して、稜迦は先頭を行く男に問いかけた。だが、稜迦の問いに返って来る言葉は無い。途方に暮れた稜迦は、歩きながら周りを観察した。

 歩いている回廊に面している庭は手入れが行き届いていて鮮やかであったし、邸自体がとても大きく広く感じた。稜迦は今までの記憶を頼っても、このような所を訪れた事など一回も無い。


 余程の身分ある人が住んでいるのであろう。そういえばと稜迦は自分が乗せられていた馬車を思い出した。恐怖と混乱で落ち着いては見れなかったが、普段市民が使うような質素な馬車などではなく、豪華であったように思う。それこそ貴族が乗るような……。


「お連れ致しました」

 前を歩いていた男の声で、稜迦はハッと我にかえる。見ると目の前には、見事な鳳凰が描かれている扉があった。

 入れ、と低い男の声がし、稜迦は開かれた扉の奥へと進まされた。


 趣のある部屋だった。調度品も派手さは無いものの趣味の良い物を置いている。

 その部屋の一番奥、重厚な几と椅子があり、そこに座っている男の顔を見た瞬間、稜迦の足が止まった。


 上等な絹の服を身に付けたその男は、歳は五十前後程であろうか、整えられた顎髭をゆっくりと撫でながらこちらを見るその目が、稜迦にとても似ていたのだ。


「……ご苦労、下がれ」

 男がそう声をかけると、兵は一礼し部屋を出て、その場には男と稜迦の二人だけとなる。

 稜迦は、先程から心の内で蠢いている予感のせいもあって、身体が動かなかった。

「ふぅむ……成る程。目は儂に、口許はアチラに似たか」

 自分の心臓が煩い。やはり……やはり、そうなのか……?

 稜迦はそう思いながら、言葉を紡ぐことができずにいた。

「さて、話しが長くなりそうだ……。そこに座りなさい」

 そう言いながら男は立ち上がった。


「この国、黎のために、お前が必要なのだ」


 


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