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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
一章 愛縁奇縁
3/47

すべての始まり

 生暖かい風がザァッと吹いた。


 暑い季節は過ぎ去り、涼しく過ごしやすい時季に移り変わったと言うのに稜迦(りょうかの首筋からはずっと汗が流れている。

 日は既に傾いていて、もう間もなく夜の暗闇が訪れる筈だが、先程からやけに周りが明るく見えると稜迦は思った。


「あう、あーあー」

 稜迦の腕に抱きかかえられた小さな姪が、何かを見つけたように声を出し、その指を自分たちの後ろに指す。

 急いでいた足を止め、稜迦は振り返る。

 その視線の先に見えた光景は、山を隔てた遠くの空が違う方角に沈んでゆく夕陽の如く、赤く染まっているものだった。

 それを見た瞬間、稜迦の心臓は大きく跳ねる。

「あ、あぁ……そんな、都が……ね、姉さん……に、義兄さんは……」

 今にも涙が溢れそうな目で稜迦は隣の姉を見た。

 稜迦の姉の夫は戦に出て、まだ帰って来ない。なのに、自分たちの国の都が今、炎によって焼かれている。

 あの空の赤は、きっと自分たちの国がこの戦に負けた証なのだ。


 稜迦は最悪の結果を頭に浮かべる。しかし、強い意思を持った瞳をして姉の楊翠(ようすいは言う。

「いいえ、あの人はそんな簡単にくたばるような人じゃない。……さあ、稜迦急がないと! 母さんがこの先で待っているはずよ」

 ハッとなって、稜迦は走り出した姉の背中を見た。

 本当は姉が一番不安な筈なのに、自分が励まされてしまうなんて。

 昔から芯が強い姉と比べて、すぐに弱気になる自分を恥じながら、稜迦は姉の後を追いかけた。

 

 ーーあと少しで戦から逃れた人たちが隠れ集まる場所があるばずだ。


 戦禍が自分たちの暮らしている集落にまで及ぶと分かり、稜迦は母と共に少し離れたところに住む姉夫婦の家へと飛ぶように駆けた。

 姉は小さな子と、お腹の中に新しい命を抱えているのだ。


 しかし、逃げている最中、都から自分たちと同じように戦から逃げて来たのであろう人々の波で、母とは離ればなれになってしまう。

 稜迦は母の無事を心から祈りながら、先を行く姉に声をかけた。

「姉さん! そんなに急いでは駄目よ! お腹に障るわ!」

 稜迦は姪を抱き直しながら、姉の方を見た。そして瞠目する。

 姉は心配ないと言う顔でこちらを振り返っていたが、稜迦が見ていたのは田畑が広がる道の先で、こちらに向かって来る多くの影だった。


 昔から稜迦は目が良かった。自分で誇れる数少ない長所だった。

 その目が見ているもので、自分の身体がガタガタと震えだす。

 おびただしい影の動きは速い。あれは、馬に乗っているのでは? あれは……あれは、兵ではないか?


 稜迦の様子がおかしい事に気づいた楊翠は後ろを振り返った。

 それを見たと同時に、震える稜迦の腕から娘を取り、稜迦の肩を抱いて急いで茂みへと身を隠す。

 味方の兵か敵の兵か分からなかった。

「ね、姉さん……」

「静かに……!」

 遠くにあったと思っていた影が瞬く間に近付いて来た。耳にも馬の蹄の音がどんどんと大きく聞こえてくる。

 稜迦の心臓は早鐘の様に鳴って、自分の鼓動の音と馬の蹄の音が耳にうるさかった。

 馬に乗った兵たちが、茂みの前の道を凄い速さで駆けていく。

 味方の兵ではない。

 稜迦も楊翠もそう感じた。異様だった。

 普段見るような兵の甲冑を着込んでいる者たちの中に、見たこともないような格好の男たちが混じっている。

 独特の鎧のような物を身につけた者や、何かの骨のような仮面をかぶっている者もいた。 

 稜迦は恐怖で頭がいっぱいになりながら、鉄と土の臭いを撒き散らし駆けていくその兵たちを、まるで噂でしか聞いたことがない蛮族のようだと思った。


 早く過ぎ去ってくれと稜迦はうずくまって祈っていたが、次の瞬間、姪の佳毘(かびが大声で泣き出してしまう。

「うあああぁん!」

 稜迦も楊翠もぎょっとして、手で佳毘の口を塞いだが、いくつかの兵がそこで馬を止めた。

 これだけの蹄の騒音があるのに、どうして小さな子供の声に気付く事ができるのか、稜迦はそう思いながら愕然と茂みから兵たちを見つめた。

 やがて、全ての兵が過ぎ去って馬の蹄の音が遠退き、その場には稜迦たちと茂みを挟んだ道に数人の兵たちが残る。

 佳毘の口にはまだ楊翠の手が残っていたが、泣き声は微かに手の隙間を通り抜けその男たちに届いているようだった。

 稜迦の耳に、兵の嘲笑うような声が聞こえた。

 なぜ、この人たちは笑うのか。

 自分たちはどうなるのか、恐怖でまとまらない頭でそう思った。


 やがて、一人の兵が近付いてくる。何かを言っているようだがうまく聞き取れない。

 茂みの隙間から見える姿は先程の蛮族のようなものではなく、自分たちがよく知っている兵の甲冑のようだった。いや、近付いてきた男が着ている甲冑は、少なくとも稜迦が知るものよりもさらに豪華な気がする。


 逃げなくてはと稜迦は思う。だが、体が動かない。

 ガチガチと小さく歯が鳴る。目だけを楊翠に向けると、姉もこちらを見ていた。

 稜迦は、楊翠が声を出さずに口だけで逃げろと自分に言っているのが分かった。だが、稜迦は震えながら頭を小さく横に振る。

 馬鹿と言われても、二人を見捨てて自分だけ逃げる事だけはできなかった。

 それを見て楊翠は眉間にシワを寄せて、大粒の涙を流し始めた。

 稜迦は姉が泣いている姿を、すごく久しぶりに見た気がする。夫が戦に赴く時でさえ涙を見せなかった人なのに。

 堪らなくなって稜迦も両手を口にあて、声が漏れないように泣き出した。

 

 男たちが笑いながら大声で何かを言っている。数人が馬から降りこちらへ近付いて来た。

 ここから引きずり出されるんだろうと思い、稜迦は急いで姉と手を握りあう。

 最期の時まで絶対にこの手は離さないと稜迦は自分に誓った。


 そのとき。


 全ての兵が去って行った方角から、幾つかの馬の蹄の戻って来る音が稜迦の耳に聞こえた。

 近付いて来た数人の兵はそれに気付くと、急いで馬上へと戻って行く。

 そして、その場に現れたのは稜迦が蛮族のようだと思った格好をした兵たちであった。

 稜迦は茂みと溢れる涙でよく見えないその光景を、後になってもよく覚えていた。

 戻って来た兵たちの中から一人が進み出てきたが、その者が上の立場だろうか。

 その男は見たこともない奇妙な甲冑を身に付けており、その身体は恐ろしく鍛えられているのだと、遠くから見ている稜迦でも分かった。

 何か言い争いをしているようにも見えるが、先程と同じで、声が稜迦にはよく聞こえない。

 にらみあっていた両者だったが、しばらくして稜迦たちを捕らえようとした兵たちが先に走りだし、その後から蛮族のような格好の者たちもその場から去って行った。


 馬の蹄の音も、何も聞こえなくなってようやく稜迦は身体が動くようになる。


「稜迦……だい……大丈夫?」

 楊翠が泣きじゃくる佳毘を抱きかかえながら、自身も泣きはらした顔で稜迦を見てきた。

「だ、だい……大丈夫……姉さん、は?」

 稜迦は無意識の中ずっと流し続けていた涙を拭いながら、震える足でどうにか姉を支え立つ。 

「大丈夫よ。この先の……母さんが心配だわ……稜迦、歩ける? 気を付けながら行きましょう」

「う、うん……」

 震える手同士を繋いで、稜迦たちは歩き出した。


 ふいに強い風が後ろから吹いたので、ビクッと肩を震わして、稜迦は振り返った。


 遥か先に夜の黒と混ざりあう赤い空が見える。

 先程の兵たちはあの赤い空の下へ、自分たちの国の都を壊しにと行ったのだと、稜迦はそう思った。

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