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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
二章 一陽来復
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国境

 森陰を抜けると、山々に連なるようにしてそびえ立っている大きな門が見えた。

 太い木々を組んで作られているその門は、まるでその場が大きな要塞のように思えて、稜迦の身体は威圧で縮こまってしまう。

 そんな稜迦の横で明るい大声がした。


「おお! 見えてきた! はあーしっかし、なぁーにも無ぇ所に関を置いたもんだなぁ! いや違ぇか、開拓してるんだっけか? まぁ、いいかぁ! 奥方さまよ、着いたぜ! さぁー義兄を見つけねぇとな!」

 トウシナが乗っている馬から身を乗り出して稜迦に笑いかけてくる。稜迦はその声に励まされて、こくりと頷き返した。

 そしてもう一度、見えてきた門を目に映す。

 キィンと冷えた空気と、日を隠している厚くて暗い雲のせいなのか、やはりそれは恐ろしく見えた。



 堅牢な門を通り抜け中に入ると、そこは予想していたよりも活気づいており、様々な人で溢れていた。

 兵卒は勿論のこと、働き手の男たちや身なりの良い人、女たちの姿も見える。

 稜迦はきょろきょろと頭を動かして辺りを見渡す。

 無意識に義兄を捜していた。

 そうしていると、カガイが馬を停めて地面に降り立ち、無言で稜迦に腕を伸ばしてくる。稜迦はその大きな腕をそろそろと取ってカガイに支えられながら馬から降りた。

「ありがとうございます……」

 稜迦は地面に足を着けて、俯きながらお礼を言う。あの日からカガイとギクシャクしているように思えた。


 普段からカガイとの会話が多い訳ではないので、いつもと変わらないようにも見えるが、距離があるように感じる。

 カガイは今も、稜迦に対して気を悪くしているままなのだろうか。

 あの日の想いをもう一度、きちんとカガイに伝えたいと思っているのだが、またすれ違う事が怖くて口に出せずにいる。


 カガイとは、気持ちを通じあわせる事が難しかった。

 出会って、最初から躓いてしまって、しばらくは共に過ごせず、ようやく最近になってあの邸で二人暮らすようになって、それでもなかなかカガイが何を思っているのか汲み取る事ができない。

 まだ二人で過ごし始めて日が浅いのだから、分からない事の方が多いとは思うのだが、けれどやはり、すれ違ってしまうと心が沈む。それをそのままにしかできない自分も歯痒かった。

 カガイと出会ってからこんなことばかり考えてるように思う。


 稜迦を支えてたカガイの腕がすぐに離された。稜迦はその腕を悲し気に見つめる。

「……親父殿のところまで行ってくる……トウシナ、お前もしばらくこいつと待て……」

 カガイはそう言い残してどこかへと歩いて行く。

 その背を見送る稜迦の後ろで、トウシナは馬を繋ぎながらにこやかに「おうよ!」と返事をした。

 この旅路でトウシナは救いだった。絶えず色んな話を喋ってくれるので、その場が明るくなるのだ。

 稜迦とカガイの二人だけの旅路であったならば、もっといたたまれない雰囲気になっていたかもしれないと稜迦は思う。


 トウシナは骨をボキボキと鳴らしながら身体を伸ばして、ニコニコと笑いながら稜迦に話しかけてくる。

「奥方さまよ、疲れたなー! 身体は大丈夫かい?」

 稜迦は笑いながらトウシナに「大丈夫です」と返事をする。笑えているつもりだった。

 トウシナは稜迦の表情を見て、心配そうな顔をした。

「おいおい、奥方さまよ、疲れてるんじゃないか? 随分弱々しい顔してっけどよ、大丈夫じゃねぇだろ? 義兄のこと心配してんのかい? 大丈夫だってぇ! 今、兄ぃが親父殿のとこに行ったからよぉ、直に調べられるぜ! そんな顔すんなって! あっ、腹空いてんのかい? ちょっと待ってな! 何か見つけて来るからよぉ! 腹いっぱいになったら元気になれっからさ!」

 トウシナは「ちょっとここで待ってな」と言い残して、慌ただしく走って行く。

 稜迦は別段、空腹を感じてはいなかったのだが、トウシナに気を遣わしてしまった事が申し訳なかった。自分の顔を擦ってみる。そんなに情けない顔をしていたのだろうか。


 稜迦は、はぁ……と思わずため息を吐いてしまった。

 お腹が満たされると、この気分も晴れるのだろうか。


 そう言えば、そのような言葉をどこかで聞いた気がした。記憶を思い返すと、それは朱国に来て間もない頃、カガイと初めて顔を合わした日、宗偉が言ってくれた言葉だった。

 あの時はカガイと出会い、カガイを恐ろしいと感じてしまって、不安と恐怖で身も心も縮こまっていたなと思い出す。そんな稜迦を慰めるようにかけてくれた言葉だった。

 その時もその優しさをありがたいと思い、心に沁みたのだ。


 あの日が随分と昔の出来事のように感じる。まだカガイのもとに嫁いでから、そう思うほどの月日は経っていない筈なのに。


 稜迦はその場で佇みながら、ふと山々の峰を視界に入れた。

 ここが朱国と黎国の国境(くにざかいならば、この山を越えた先に故郷の地が広がっているはずだ。

 皆、この凍えるような寒さの中、無事に暮らしているだろうか。

 稜迦はしばらくの間、目の前にそびえる山々を見続けた。


 そうしていると、誰かが自分の横をゆっくりと通り過ぎて行く。

 視線を上げていた稜迦は、自分の傍を通って行った人影に慌てて視線を戻す。その人影に見覚えがあった。

 その人物の後ろ姿が忘れられなかったのだ。

 あの日、カガイと初めて出会った日に儒郭の街で見た、弱々しく稜迦の目の前で倒れた女だった。

 稜迦はつい、目を見開いてその女の後ろ姿を視線で追いかける。

 もしかしたら自分と同じ境遇の人かもしれなかった。何故あの人もここにいるのか? もしかしたら自分と同じ理由なのだろうか?


 直ぐ様、駆け出してその背に声をかけたい衝動に襲われたが、この場から離れてはいけないだろうと思い、稜迦は足を踏み出せなかった。

 すると、ふらふらと覚束無い足取りで歩いていた女は、前から歩いて来ていた体躯の良い男とぶつかってしまい、勢いよく倒れてしまう。

 それを見ていた稜迦は思わずその場から離れ、女へと走っていた。


「あ……大丈夫ですか? しっかり……」

 あの日と同じように踞って起き上がらない女へと、稜迦はおずおずと声をかけて、手を差し伸べようとする。

 女をしかめっ面で見下ろしていた体躯の良い男は稜迦が女へと声をかけるのを見ると、「気を付けろ」と言い残してさっさとその場から去って行ってしまった。


 女は鈍い動きで地面についていた手を離し、両手を広げて見る。その手のひらは倒れた時に擦ってしまったのか、血が滲んでいた。

 稜迦もそれを目に入れると、急いで懐から布を取り出して、痛くしないように女の手のひらに当てる。

「……水できれいに洗った方がいいのですが……大丈夫ですか……?」

 女は目を伏せたままで、返事をすることも無く、稜迦が手のひらを手当てする様子を黙ったまま見ていた。

 稜迦は女の顔を見る。年の頃は稜迦より若そうに見えた。布を当てている女の手は、擦っている傷とは別に、あかぎれが至るところにあって、痛々しい。

 女の反応が無いので、段々と稜迦が不安になって来た頃、女が掠れた小さな声で「……ありがとうございます」と言ったのが聞こえた。

 その反応に稜迦はほんの少しだけ安堵できて、女に続けて言葉をかける事ができた。

「あの……随分と弱っておいでですが、お身体は大丈夫ですか?」

 稜迦の言葉に女は無反応だった。それでも、稜迦は続ける。

「あ……貴女とは以前、儒郭の街でお会いした事があるのです……その……その時もこのように、倒れていましたから、気になっておりまして……」

 女はチラリと稜迦を見る。

 女の様子の限りでは、どうやらこちらを覚えてはいないようだが、稜迦はごくりと唾を飲み込んで言葉を出した。

「あ、あの……貴女はもしや、鴛鴦之契で黎国から朱国へと嫁いで来られたのでしょうか……?」

 稜迦の言葉を聞いた途端、初めて女が顔を上げ稜迦の顔を真正面から見た。稜迦は確信する。

「……わ、わたしも、あの……鴛鴦之契によって黎国から嫁いで来た女です……」

 稜迦が躊躇いながら言った言葉で、女の両目に光が僅かに宿り、稜迦へと身を乗り出してきた。

「あぁ……あぁ! そうなのですね……! 貴女も、貴女も……! 私と同じ境遇の方が居たなんて……!」

 女は嬉しさからなのか、稜迦の手を握りしめる。稜迦はそこでほんの少しの違和感を感じた。

「あ、あの……」

 稜迦は戸惑ったが、女はそれに気付く事なく目に涙を溜めながら言葉を続ける。

「あぁ……! 何故こんなに辛い事ばかり……! あの方は恐ろしい……! 私に、私に……このような、このような、みすぼらしい真似を……! う、うぅ……」

 

 辿々しく言葉を出していた女は、ボロボロと涙を流し始めてしまった。

 稜迦は驚きながら、女が握りしめていない方の手で、その震えている背を優しくさする。

 女が稜迦と同じ、鴛鴦之契で嫁いで来た事は間違いではなかった。ただ、女の様子はただ事では無い。何があったのだろう。相当辛い事があったのだろうか。女が泣き止む様子は無かった。


 稜迦がしばらく女の背をさすっていると、ジャリッと土を踏む音が背後から聞こえて来て、稜迦はふと振り返る。


 振り返った稜迦の目に映ったのは、黒い甲冑を着込んだ一人の男だった。

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