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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
二章 一陽来復
16/47

要らない

 目的の地まで、あと僅かと言う場所で稜迦たちは野営の準備をしていた。


 稜迦はふぅと息を吐いて、自分の用意した焚き火を満足気に見る。最初の頃に比べて用意も随分と早くなったと思う。

 カガイの言った通り旅路では野宿が多かった。

 真冬の野宿など辛いものと思っていたが、カガイとトウシナのお陰で辛いと思わずに過ごせていた。

 二人はやはり慣れているのか、野営の準備も万全で手際が良いのだ。枯れ葉を引き詰めて寝床を作り、その上に厚みのある布で簡易のテントのような物を作る。

 それを凄い速さで作り上げるものだから、稜迦は手伝う隙もなく、ただ横でおろおろと傍観しているだけだった。しかも、その中で眠るのは稜迦のみである。

 カガイとトウシナはと言うと、外で寝ずの番を順番にしているのだ。

 一度耐えきれなくなって、焚き火を囲んでいる二人に寝ずの番を代わりたいと申し出た事があったのだが、トウシナからは大きな笑い声を返され、カガイからは無言の答えを返された。

 ただえさえ稜迦の身体を気遣ってか、馬の速度も遅かったし移動の中で休憩も多いのだ。


 申し訳ないどころではなかった。


 できない事が多いのだから、できる事を一生懸命やる。まず食事の用意は稜迦がやった。大きな鍋に簡単な雑炊を作るだけだったが、トウシナは美味い美味いと食べてくれて、カガイは無言で沢山食べてくれた。

 焚き火の薪拾いもせっせとやって、火のつけ方も教えて貰った。

 稜迦の為の旅路なのだから、せめて自分のできる事で二人の負担を減らさなくてはならないのだ。

 だから、今も声を出す。


「水を汲みに行ってきますね」

 大きな鍋をヨイショと持って、稜迦はトウシナに声をかける。カガイは予備の薪を拾いに行っていた。

「おう? いやいや、いいよぉ! 重てぇから俺が行くって!」

 トウシナは簡易のテントを作りながら答える。


 ここ数日で稜迦はトウシナの風貌にも随分と慣れていた。

 トウシナの大きな声にも身体を驚かす事は少なくなっている。その巨体のおかげで威圧を感じてしまうのであって、もともと愛嬌のある男なのだ。

 どちらかと言うと無口過ぎるカガイの方がまだ慣れない。


 稜迦は笑いながら答える。

「いいえ、大丈夫です。川はすぐそこですし、すぐ戻りますので」

 そう言って稜迦は川の方へと歩いて行く。後ろでトウシナが「気を付けて行けよぉ!」と叫んでいるので、振り返って頷いた。トウシナがまるで子供を心配する親のように思えて稜迦はふふっと笑う。


 親と言う言葉がふと頭をよぎる。

 もうすぐで、目的の地に着くのだ。

 稜迦の心は弾むと同時に、沈む事もあった。もし、義兄を見つけるができず、何の手掛かりも無かったとしたらどうすればいいのだろう。その時はいよいよ諦めなければならないのか……。いや、きっとそれはできない。諦めてしまったら、もうそこで終わってしまうのだ。それだけは、駄目だった。


 稜迦はふるふると頭を小さく振る。

 こんな事を考えるのは、まだ早い気がする。希望があるのだ。だからカガイが稜迦を連れて行ってくれるのだ。

 稜迦は大きく息を吸って、心の中の不安を拭う。

 そうして川へと歩みを早めたところで、稜迦の腕が何かによってグイッと引っ張られた。

 稜迦は「え?」と思うのと同時に草むらへと引きずり込まれてしまう。稜迦は一瞬の内に混乱する。稜迦を引っ張った何かは見知らぬ男だった。

 布を頭に巻いているその男は、しぃと音をたてて、自分の口に指を立てる。

「大丈夫……。さあ、こっちへ」

 男はそう言って稜迦の手を引っ張り、草むらの奥へと歩いて行く。稜迦は恐怖した。

「あ……あ……、い、いや……!」

 稜迦は男の手を振り払おうとするが、その手が離れる事はない。それどころか、より強い力で稜迦の腕を握った。

「……いや……! いや! ……はな、離し……!」

 稜迦はガタガタと震える身体で必死に抵抗する。すると、男は焦ったような困ったような顔をした。

「落ち着いて……! 大丈夫、大きな声を出さずに……!」

 男がそう言って、再度稜迦を引っ張ろうとしたとき、いきなり男の身体が稜迦から離れ、草むらの奥へと吹っ飛んだ。

 男の身体を受けて、木の枝が折れるバキバキと言う音が響く。

 稜迦は驚愕してそれを見ていると、ぶわっと自分の身体が宙に浮いた。

「やっ……!」

 稜迦が小さな悲鳴を上げている内に、何か大きい物の前にストンと降ろされる。

 飛んで行った男と稜迦の間に立ち塞がるそれを稜迦は慌てて見た。


 見えたのは、カガイの背中だった。


「……カガイ様……」

 稜迦は安堵の声をあげる。その声にカガイは振り向かなかったが、カガイの身体の向こう側で苦しそうな呻き声が聞こえてきた。

「……くそ! 気付かれたか!」

 そして焦りを含んだ男の叫び声が聞こえてくる。

 稜迦は恐る恐る身体をずらし、カガイの身体越しに男を盗み見た。

 男は口の中を切ったのか、ぺっと血を吐き出してきつくカガイを睨みつけている。

 その男と一瞬目が合ったので、稜迦は恐ろしさで身体を怯ませると、それを見ていた男はまたキッとカガイを睨み、唸るような声をあげた。

「手負いのくせにやるようだな……賊どもめ、その女性をどうするつもりだ……!」

 男の声に対してカガイも稜迦も無言で返す。

 立場が食い違っているように思える。賊と言うのは男の方ではないだろうかと稜迦は混乱しながら思い、カガイを見上げた。

 するとシャッと刃物を抜く音が聞こえて来て、稜迦は慌てて男を見る。男は短剣を逆手に掴み、腰を低くして構えていた。

「……その女性を見捨てるような性分ではないのでね……てめぇ一人だけなら俺にもどうにかできるだろうよ……!」

 稜迦は焦りに焦った。どのような経緯でそう思ったのかは判らないが、どうやら男がカガイを賊か何かと勘違いしているのだろうと気付く。

 稜迦は慌てながらカガイを見上げるが、本人は黙ったまま動かない。

 このままでは無駄な戦闘が起こってしまう。カガイは身を守る物を何一つ持ってはいない。怪我だってまだ完治していないのだ。

 カガイの身が危ないと思い、稜迦は勇気を振り絞って男に声をあげようとするが、一瞬遅かった。

 男は地面を蹴ってカガイへと向かって来ていたのだ。稜迦は咄嗟に声をあげる。

「待っーー……!」

「うおおおおおおおおおぉぉぉぉい!」

 稜迦の声を掻き消すように野太い叫びが木霊して、物凄い勢いでトウシナが男に掴みかかる光景が見えた。稜迦は仰天する。

「ちぃ! もう一人にも気付かれたか!」

 男は驚くほどの俊敏さでトウシナの巨体を紙一重にかわし、素早く距離をとる。トウシナは構うことなくもう一度男へと突進した。トウシナの気迫で空気がビリビリと震えているようだ。

 稜迦はカガイに叫ぶ。

「カ、カガイ様……!とめ、止めないと……!」

 稜迦が思わずカガイの背中にすがると、カガイはゆっくりと稜迦を振り返った。カガイの目が稜迦を見下ろす。稜迦はガクガクと震えながらカガイと目の前の戦闘を忙しなく見ていた。そんな稜迦を見つめながらカガイの低い声が言う。

「……一人で、動くな……」

 カガイとの会話も噛み合っていないと稜迦は焦りながら思うが、カガイの手を煩わしてしまったのは事実なので、悄気(しょげて肩を落としながら「申し訳ございません……」と素直に謝る。

 その横でトウシナの雄叫びと男の叫び声が木霊していた。



 ◇



「あぁん、なんだぁ! 來郷(らいごうの者かよ! 早く言えよなぁ! 賊かと思ったぜ!」

 焚き火の前でトウシナがガハハと大きく笑う。笑われた人物は目の周りに痣を作り、ばつの悪い顔をしていた。

 あの後トウシナの右拳を避ける事ができず、見事に顔面にそれを受けた男は大きく吹っ飛ばされ、そして気絶してしまった。

 男が意識を取り戻したのは、とっぷりと日が暮れた頃である。

「いや、まさか……噂に聞く怙狼軍(ころうぐんの将軍だとは……大変失礼をしました……怪しい風貌に見えたので女を浚っている賊かと勘違いして、あ、いや、痛てて……」

 男は恐縮した様子だったが、口が滑って要らない事も口走ってしまう。

 互いの誤解が解けて、素性も解り合った両者だが、稜迦は來郷と言う言葉も怙狼軍と言う言葉も知らなかったため内心、首を傾げた。

 怙狼軍と言うのは、おそらくカガイが率いている隊の名前だろうと予測はできたが、來郷とは一体何の事であろうか?


「あの……どうぞ、お使いください……」

 稜迦は冷たい水で絞った布をおずおずと男に差し出した。男はまた恐縮した様子で礼を言い、その布を受け取って目に当てる。すると染みたようで、顔を僅かにしかめていた。

 稜迦はカガイの隣に戻って、腰を落としながら男の様子を心配そうに見ていると、その男と目が合った。

 稜迦がびくりと肩を震わすと、男はバッと頭を大きく下げてくる。

「本当にすまない。悪気があった訳ではなく……どうも俺は考え無しにすぐ行動してしまう癖があるようで……平にご容赦頂きたい!」

「あ、あの、そんな……お、お気になさらず……」

 稜迦は慌てて男とカガイを交互に見ながら返事をする。

 気にするなとは言ったが実のところ、カガイに何も無かったから良かったが、あのままトウシナが来なかったらと思うと、決して言葉には出せそうにないが男を非難したい気持ちもあった。

 だが、男の勇敢な親切心も人として大事なものであると思う気持ちもあるのだ。


「……來郷の斥候か……?」

 ずっと黙っていたカガイが、焚き火に薪をくべながら声を出した。男はハッとする。

「ああ、そうだ! 隊に戻らなくちゃならねぇ! 随分と時間をくっちまった!」

 男は慌てながら立ち上がりカガイに礼をとる。

「俺は蜘蛛(くもと言う。今回は本当に済まなかった、また相まみえる機会を願っている。では、これにて!」

 男はそう言って驚くほどの速さでその場から走り去って行った。……と思っていたらまた驚くほどの速さで戻って来る。

「これを、済まない、返し忘れていた! 礼を言う」

 男は手当てに使っていた布をそっと稜迦に手渡した。

「あと、言い忘れていたがこの辺りで黎国の残党が動いているようだ。将軍たちがどこまで行くのかは知らないが、道すがらお気を付けて。それでは」

 男は今度こそ、その場から走り去って行った。


「おいおい、落ち着きの無ぇ野郎だなぁ。來郷にもあんな奴がいるんだな! 兄ぃよ、知ってたか?」

「……知らん」

 カガイとトウシナは男が走り去って行った方角を見ながら雑談を交わしていたが、その声がまるで耳に入って来ないほど、稜迦の頭の中で先程の男の言葉が木霊していた。


 黎国の残党と言っていた。残党とは兵卒の事を言っているのだろうか? だとしたら、戦が終わった今でも戦い続けている者がいると言うのか。一体それは何のために……?


「ーーおい……」

 ぐるぐると考えていた稜迦は隣から発せられた低い声で我に返る。

 すぐ隣を見るとカガイと目が合った。その目がいつもより鋭いような気がして、稜迦の身はすくんでしまう。

「……は、はい……」

 そのせいなのか、返した声も弱々しくなってしまった。

「……決して一人で行動するな……。分かったな……?」

 カガイが確かめるように言葉をかけて来たので、珍しいと思いながら、稜迦は「はい」と返事をしてからこくりと頷く。

 カガイが稜迦を心配して言葉をくれたのだと思って、つい稜迦も珍しくカガイに言ってしまう。

「あ、あの、カガイ様……どうか、要らない争い事は避けて頂けると……あの方にだって、誤解していると分かった時に声をかけていれば……あの……あ……」

 稜迦の言葉を黙って聞いていたカガイだが、僅かに眉をひそめたのが見えて、稜迦は慌てて口を塞ぐ。

 要らない事を言ってしまったのだろうか? けれどあの時、男に事情を話していたら刃を向けられる事も無かったのではないだろうか?

 男が短剣を抜いた時、稜迦は肝を本当に冷やしたのだ。

 カガイが稜迦を庇っているせいで怪我を負ってしまうと思った。

「……あ……カガイ様は……あの時、武器を持っておりませんでしたし……何かあったら……」

「……お前に心配されるほど、情けなくはない……」

 違う。そんなことを言っている訳ではないのだ。

 稜迦はそこで止まらなかった。

「……ちが……違います……。カガイ、さまが……怪我を……」

 言葉を止める事はなかったのに、稜迦は伝わらない思いがまどろこしくて、そして自分のハキハキと物事を言えない性格が嫌になって、言葉の途中で泣きたくなってしまう。なんとも、情けなかった。

「……お前を庇いながらでも、怪我は負わん……要らん心配だ……」

 稜迦はカガイのその言葉で、俯いて口を閉ざしてしまう。泣くのを必死に堪えた。

「…………あの手の輩が、俺の言葉を聞く事は少ない……。直接黙らす方が……手っ取り早い……」

 カガイはそう言うが、あのような事態になったのは、稜迦のせいでもあったのだ。カガイだけではなく、早々と稜迦も声を出していれば男の誤解も解けていただろう。

 自分も悪いのだ。

 だから、カガイ一人を責めるような口振りになってしまった事に気付いて、恥じ入り、ひどく後悔する。

「……も、申し……わけ……ありま、……わたしが……わたしの、せいで……」

 俯いて、消え入りそうな声でそれだけしか口に出せなかった。これではまるで稜迦が詰められているように見えるではないか。カガイはきっと気を悪くしている。こんな会話をするつもりは無かったのに。

 ただ、カガイに怪我を負う危険を避けて欲しかっただけなのだ。たったそれだけを、上手く伝える事ができない。

 カガイの唸る声が聞こえてくる。


「おいおい! もしかして喧嘩かぁ? なんでだよ? 奥方さまよぉ、すまねぇなぁ! 俺が悪かったんだってぇ! 奥方さま一人で行かせてよぉ! 俺も付いて行けば良かったんだよなぁ! 本当すまねぇ! 怖かったよなぁ!」

 稜迦とカガイを心配そうにきょろきょろと見ていたトウシナが、大きな声を出してくる。

 稜迦を気遣うトウシナの言葉に、申し訳ない思いを抱えながら小さく頭を振って「いいえ……いいえ……」と、そんな返事しかできない。

 

 あの時、稜迦を助けてくれたカガイにお礼も言えていなかった。

 

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