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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
一章 愛縁奇縁
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陰鬱な心

 その日は急に冷え込んで、冬もいよいよ本番と言えるような気温だった。

 口から吐く白い息を見ながら、覚秦は訓練場へと足を運ぶ。

 ここ数日、任務のため部隊を率いて儒郭を離れていた覚秦だったが、戻って来たとたん、ある人物に捕まえられて頼み事を言い渡されていた。


 訓練場の近くまでやって来ると、何やら人だかりが出来ていて、その中心に大きな影があった。

「カガイ!」

 その頼み事を伝える人物、カガイを見つけた覚秦は大声で呼びかける。

 一瞬だけ覚秦を見たカガイだったが、すぐに目線を元に戻す。そのカガイに向かって太い鉄の棍棒が勢いよく振り落とされた。

 棍棒を避ける事なく、カガイは自身の手に持っていた鉄の棍棒でそれを真正面から受ける。鈍い音が木霊した。そのまま力に任せてカガイは受けた棍棒を叩き落とし、上半身を捻って棍棒を相手のわき腹へと思いきり叩き込んだ。

 カガイと対峙していた男はその瞬間、声も出せずに地面へと崩れ落ちる。そのまま動けないようで、うずくまりながら呻き声を出す。

 その場の張りつめていた空気が解けて、周りを囲んでいた兵卒の男たちから歓声が上がった。


「何の騒ぎだ?」

 覚秦はすぐそばに居たトウシナに声をかける。だが、大体予想は付いていた。

「おう! 覚秦よぉ、いつもの郷怛(ごうたんの部隊のやつらさぁ! 敵いもしねぇのにしつこく兄ぃに絡んで来やがってよぉ! だが、見ろよ! みーんな兄ぃにやられちまったよ!」

 そう言ってトウシナが指差した方を覚秦はちらりと見る。なるほど、先程打ち負かした相手の他に四、五人が地面に伸びている。

 残っていた数人も戦意はもはや無いようだが、倒れた仲間を助け起こしながら、敵意に満ちた目でガカイを睨んでいた。


 興味を無くしたように、カガイはその者たちに背を向けて覚秦の方へと歩き出す。

「くそ! いい気になるなよ! 成り上がりの猿共めが!」

 その後ろから汚い罵りの言葉を浴びせられたが、カガイが気にした様子は無かった。

 その光景を見ていた覚秦は、小さくため息を出す。

「お前ら! 各自持ち場に戻れ! 貴様らもだ! とっとと医者に見せて来い!」

 覚秦は周りの男たちに叫んでその場を解散させた。

 熱が冷めない男たちは口々に先程の打ち合いを興奮しながら話している。中には賭けをしていた者もいたようだ。

 悔しそうな顔を此方に向けていた男たちが、仲間を抱えながら去って行ったのが最後で、その場にはカガイと覚秦、トウシナだけが残った。   

「毎度、毎度ご苦労な事だな。カガイよ、あんな奴ら放っておけばいいだろう。お前が律儀に相手をするから、奴らも喜んでやって来ているのが分からんか?」

 覚秦の皮肉が聞こえていないかのように、カガイはポイッと棍棒をトウシナへと投げた。

「……なんの用だ?」

 トウシナが差し出した竹筒に入っている水を受け取って、がぶがぶ飲みながらカガイは答える。

 覚秦は大きなため息を吐いた。

「はぁ……まったく……。宝鈴(ほうりんから伝言、と言うか頼まれ事でな。近々、お前の奥方に会いに行きたいから良い日取りを教えて欲しいそうだ。俺もそれに合わせてもう一度挨拶に行こうと思う。今度はお前の兄弟としてだ」

 カガイは腕で口許の水をグイッと拭う。

「それに、訊いたぞ。式を挙げんつもりだと……奥方と話し合った末に決めた事なら俺も口煩く言うつもりもないが……、祝いぐらいはさせてもらうからな」

 そう言って覚秦はドンとカガイの胸あたりに拳の裏を当てた。

「アッハッハッハッ! 覚秦よぉ! お前が一番反対していたのになぁ! 結局は覚秦も兄ぃに嫁が来て嬉しんだよなぁ!」

 トウシナが大声で笑ったので、覚秦はその脛を思いっきり蹴った。


「……それで、どうなんだ? 少しは仲良くなれたのか?」

 覚秦の言葉にカガイは押し黙って答えない。もともとカガイは言葉を多く出さない男なので、覚秦は気にしなかった。

「まぁ……もとは敵国同士だったんだ、あちらも慣れん土地に嫁いで気が張ってるだろうよ。少しずつ互いに慣れていけばいいさ」

「そうだぜ、兄ぃ! わざわざ自分から賊退治に出ちまってよぉ! 新婚だってのに、ずーと家に帰ってねぇんだぜ? 俺ぁ心配でよぉ!」

「……なに!?」

 トウシナの言葉を聞いていた覚秦は、一拍置いてカガイへと詰め寄った。

「いやいや、大丈夫だって! 覚秦よぉ! 賊はあらかた討伐しちまったし、軍師殿が代わりに隊から人を遣って今朝がた兄ぃを連れ戻したから、もう兄ぃは家に帰れるぜ? 兄ぃは無茶するから軍師殿がカンカンでよぉ! 少人数で討伐するような規模の賊じゃねぇってよ! いやぁ、でも兄ぃはすげぇよなぁ、そんな相手に全然怯まねぇんだぜ? 実は俺も一緒に付いて行ったんだけどよぉ、覚秦にも見せてやりたかったなぁ!」


 興奮しながら喋り続けるトウシナを横目で見ながら、カガイは鼻から息を吸って、そしてそれを大きく鼻から吐き出す。

 修羅の顔をした覚秦が目の前にいた。



 ◇



 強く冷たい風が吹いて稜迦は身震いをする。

 寒さの厳しい黎国に比べたら、朱国はまだ耐えられるほどであったが、それでも何枚か着込まないとすぐに凍えてしまう。

 中庭で洗濯をしながらぼんやりと残りの木炭の事を考える。宗偉に都を案内してもらった時に買っておいたが、もう残り僅かになっていた。

 カガイと初めて顔を合わせた日に渡されたお金は、まだたくさん残っている。なにせ袋に入っていたお金の量は稜迦が今まで使ったこともない程の大金だったのだ。

 また市場で買っておかないと、と思っているのだが稜迦はその気力が湧かない。

 あの夜からカガイが邸に帰って来ないのが原因だった。

 何て事をしてしまったのだろうと、稜迦はあの夜を思い出す。

 子供のように泣きじゃくってしまった。カガイが部屋を出て行った後も、追いかけることもせずに寝台で縮こまっていた。朝になるまでそのまま動けずにいて、ようやく寝室から出たものの、カガイの姿はどこにもなかった。

 それから幾日も経っているが、一日とてカガイが邸に戻って来た日は無い。

 あまりの無礼を働いてしまったので、カガイは怒っているのだろうか。詫びたいと思うのだが、当のカガイがいない。

 一度、意を決して王城までカガイを訪ねようと試みたが、やはり寸前のところで心が折れた。


 毎度思うことだが、稜迦は自分の弱さが嫌いだった。それを不甲斐なく思っていても強くなれない自分が嫌だった。

 まだ互いを知りもしないのに、カガイの姿かたちが恐ろしくて、勝手に怯えたのは自分なのだ。街で見たあの若い女を自分と重ねてしまったのも、稜迦自身なのだ。

 そう頭では理解していて、カガイに謝らなければならないのに、行動に移せない。きっとまたカガイを目の前にしたら震えて何も言い出せない自分がいるんだろう。

 稜迦は情けなくなって、大きな桶の中に入っている布が滲んでぼやけるのをただ黙って見つめた。

「……クシュンッ」

 稜迦は小さなくしゃみをして、再び身震いをする。

 すっかり身体が冷えている。稜迦は目許を擦って、急いで洗濯物を片付けた。



 夜になると風が強く吹くようになる。

 そういえば小さい頃は夜に吹く強い風の音に怖がっていたな、と稜迦は昔を思い出す。が、その怖がりは今も続いていた。

 唸るような風の音が嫌で、稜迦はわざと箸で鍋を叩いて音を出した。しかし、その程度では紛れもしない。

 稜迦は小さくため息を出して、椀によそっていた汁を啜る。


 今日もカガイは帰って来ない。

 夜遅くまでカガイを待って、もう今夜は帰って来ないだろうと判断してから、稜迦は自分の食事をとるようにしていた。

 ちらりと鍋を見る。あの夜、カガイは本当に沢山食べたので、夕餉は多めに作っているのだが、ここ数日はそれがすべて無駄になっていた。今日もそうなるのだろう。

 稜迦はハァと息を吐いて鍋に蓋をする。

「……クシュンッ! クシュンッ!」

 稜迦はブルッと震えて両腕をさする。夜になってさらに気温が下がっていた。

 火の始末をして、今日はもう休もうと稜迦は考える。そして、明日こそカガイを訪ねるのだ。

 たとえ、カガイがもう稜迦に愛想をつかしていたとしても、きちんと謝らなければならない。

 勇気を出さないといけないのだ。

 そう思って、残っていた椀の汁をグイッと飲んだ。



 ーー身体が重い……。

 ゲホゲホと稜迦は自分の咳で目を覚ました。

 周りはまだぼんやりと暗い。夜明け前のようだった。

「ゲホッゲホッゲホッ! ……ゴホッ!」

 稜迦は激しく咳き込んで、身体が小さく震え出す。

 あれから急に身体が気だるくなったので、早々に寝床にもぐり込んだ稜迦だったが、目を覚ましてみると自分の身体が異常に熱いと感じた。

 ガタガタと震える身体を丸めて、荒い息を出す。

 ーー寒い……。

 被せていた布団を抱え込んでも身体の寒さは和らがない。ゼイゼイと息をして、身体を起こそうとしたが力が入らなかった。

 喉が渇いていた。水が欲しい。

 しばらく震えていたが、ようやくふらふらと立ち上がって、台所へと歩く。立った瞬間ひどい目眩がしたが、壁に凭れるようにして歩き続けた。

 台所には水瓶があって、そう遠くないはずのになかなか辿り着けない。

 やっとの事で囲炉裏の部屋まで来れたが、そこで力尽きて倒れてしまう。

 ハァハァと自分の苦しい息遣いを耳にしながら、稜迦はボロボロと泣き出した。

 今まで感じたことがないぐらい身体がおかしい。風邪のようだが普通の風邪だろうか? このまま一人でどうしたらいいのだろう……。

 そのまま目を閉じて、母たちを想った。

 元気でいるだろうか。母の足は治ったのだろうか、姉の出産はどうなったのだろう。佳毘は笑っているだろうか。義兄の事を調べないといけない。あぁ、夏師たちにも会いたい、無事に暮らしているだろうか。きっと今の自分を知ったら心配するだろう。会いたい、会いたい……帰りたい……。

 そのまま稜迦は意識を手離した。



 ーードシドシと音がする。

 稜迦はその音で薄く目を開けた。目の前に大きな影が見える。温かく大きな何かが稜迦の額を覆った。その影は稜迦を包み込んで、持ち上げる。そのまま何処かへ連れて行かれるようだった。

 熱で朦朧としていた稜迦は、その影がカガイだと何故かすぐに分かった。そして弱々しく声を出す。

「ーー……なさい……」

 謝ったつもりだったが、声が掠れてしまい聞こえたかどうか分からない。

 稜迦は起きていられなくなって、また目を閉じた。

 

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