一-三
No.9
川沿いに歩いて行く。しばらく下流に歩いて行くと、街が見えてくる。この街は現実には無い街。私が夢でよく行っていた街です。皆さんもよくあるはずです。右手に見えるのが大きなビルです。築年数は古い。私はあのビルから飛び降りたことがありました。この辺りの川は汚くドブのような感じだ。よく飛び込んだなあ。
私は歩きながら、私の自殺ということを考えていた。私は私の死を忘れていたのだろうか? 正直なところ少し覚えていたかもしれない。ただ私が言うのも変だが、私はその様な事をする人間ではない。私は自分を傷つけるのが好きではない。私は自信家なのです。
毎年自殺する人間は日本に三万人以上いるそうです。私は自分が自殺した人間なので、それらの人々に反対するつもりはありません。ただ、今となっては私は自分のした行為がわからないだけです。自殺する人、それはどういう人なのだろう。不安、苦しみ、失敗、病気、別離、悲しみ、逃避、復讐、証明、死。
私は私を殺す事が何故『地獄』という所に行かなければならないのかがわからない。たしかに、私は良い事をした訳ではない。むしろ周りの方々に迷惑をかけ、自分との(また周りの人たちとの)約束を破り、自分勝手に人生を投げた。もちろん、そうだろう。何事も途中で投げてはいけない。最後までやり遂げなくては。
私は自殺した(もしくは自分という人間を殺した)人間の苦しみを考える。それは、たかが、約束(自分、親しい人間、社会)を破ったという事だけで、あちらでも、こちらに来てからも責められ、地獄に落ちなければならない事なのだろうか? 私は大げさだろうか? しかし私は今こちら側、全てが繋がっているのなら、そちら側にいる。
私は私のした事の正当性を訴えたい。そしてできるなら(もう死んだのだから)、心の休まる所に行きたい。
その① 人生は自分で決めるものだ。
人生は贈り物であると言う人間がいる。人生は借りたものであると言う人間がいる。私は私の与えられたものを返さなければならない(それも私が与えられた以上に)と言う人間がいる。人生というものは、果たして私に贈られたものだろうか? 私はそれを望んだのだろうか? 私が何時欲しいと言ったのだろうか?
贈られたものに対しては返すものが必要だ。私は何を返せばいいのだろう。たしかに私には人生を与えられた。だが、それ以外何か私に与えられたものはあるか? 私はただ、この世界に放り出されただけだ。私は見よう見真似で、社会的な人間に成っていく。私は私の望むような人間に成ることは許されない。許されないんですよ。だけど私は役者ではない。顔だって良いわけではないし。
私は私の周りの人間の望むような人間になりたくない。と思った時、私はどうすればいいのであろうか? 私は私自身の望む様な生き方をしたい。私は私の人生を私の生きたい様に生き、そして私が望む時私は死にたい。私は他人ではないからだ。自分の人生に於いては私が(己が)その決定権を持つべきだ。そうではないだろうか? 江原さんは良いことを言う。私は私が望んで生まれてきた。私はきっと前世でやり残した事があるのだ。私が現世でやり残した事は、来世の私がきっとしてくれるに違いない。全ての事は全て私が決める。何故なら死のうが生きようが全て私だからだ。私の人生は私のものだ。誰のものでもない。
その② 死ぬ事は生きる事だ。
私が私であるなら、また、私が自分の人生を望んで生きているなら、私の死もまた私の望むものだろう。私は私の死を望む。それは何故だろうか?
生きようとする欲求がある。私は生きていたい。できるなら永遠に。無気力な人間がいる。自らは何も望まない。できるなら永遠に静かでいたい。どちらがより好ましいだろう。
死のうとする時、私は他にどうしようもない。ただ、私には希望があった。私はもっとできた。私にはもっと力があった。しかし今は、もう何もできない。私の死は私の希望である。私は誰にも助けを借りない。きっと私の望んだものがある。あったはずだ。
私は私の生きている事を証明したい。たとえそれが自殺という、およそ無責任と思われる事柄だとしても。私は生きているという、その事のために自らを殺す。また自らを殺す事ができるのは私という意識であり、私の生への渇望がそうさせるのだ。私は死ぬ事によって私の人生を肯定したい。
その③ 『私』という意識は無い
私が私という人間の人生を望んでいたなら、どうして私という意識があるだろう。私の中にはさっきの紳士の様な意識がある。彼は私であるけれども、私はそれを意識する事ができなかった。そしてその意識の奥には、人間というものの共通の無意識というものがあるのだろう。何処から何処まで私という意識を持てばいいのだろう。全ての人間に共通の意識というものがあるなら、私という意識はただ、肉体にへばりついた欠片ではないだろうか。そしてその欠片にしても、全ての人間の(過去から現在までの)影響を受けて作られた欠片ではないのか。それに他人も私もおそらくあの世があるなら、全て同じ意識の上という事ではないだろうか。いや、そうだ。自分は無いだろう。
その④ 自殺というものは無い
そもそも自分というものが無いのに自殺と言うものがあるのがおかしい! 自分で自分を殺したからだ。そうだろう?
自分というものは無い。他人も無い。あるのは肉体だけだ。私は私の肉体を殺そうと思う。思わされる。私は手を下す。私は手を下される。私は望む。私は望まれている。私は決める。私は決まっていた。
きっと私がこの様な行為をする事も、紳士との約束を破るのも初めから決まっていたと思われる。しかもそれは私が望んだからだ。その私は以前の私が望んだからだ。そしてその私とは言わば集合的無意識の一部であり全てだ。運命とは他人の持ち物だ。だけどその他人は何処を探してもいない。人間なんて何処にもいないからだ。あるのは人間の作った漠然とした意識だけだ。自分が無いのだから自殺も無い。ただ決められたように死んだだけだ。
この様に考えながら街の中を歩いていた。




