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三-五

No.32

 ここはビルの一室だ。きっと全ては夢だったのだろう。ただ、夢を見ていただけに過ぎない。この夢もまた覚める時が来るだろう。私はまだ私の世界にいるのだ。ここは私の居るべき所で、私の家だ。

 この部屋は私の部屋だ。このベッドは私のベッドだ。この本棚は私の本棚だ。この机は、この椅子は、この感じは、ここに倒れている人は、私の物だ。

 思い出がある部屋だ。私はここで考え、また苦しみ、何かを得て、何かを失った。私の入り口であり私の出口だ。私の正面であり私の裏面でもある。

 昔、一つの話を書いた事がある。狭い部屋に二人の人がいる。お互いに、自己の世界を語り合う。平行したまま……、そのままどうなるのだっけか。

 誰にでも背中がある。誰でも後ろに何かがある事は恐ろしいことだ。今、私の背中には誰かが立っている。私は振り返る。ほら、やはり人が立っていた。

 「こんにちは、こんばんはかな?」

 と、紳士的な人が言った。私は彼を知っている。以前会ったことがある。

 「また会えるとは思いませんでしたね」

 紳士は私に笑いかけた。私は、

 「僕はまた会うだろうと思っていました。僕は地獄に行かずに済みましたよ。ただ、何処に行くのか、分からないままですけど」と応じた。

 「そうですか。それではあなたが私を呼ばれたという事ですね。実は私はこれから殺されなくてはいけないのですよ」

 と紳士は言った。

 「なるほど、あなたの仕事とは逆の事ですね。逆の立場とはどういうものですか?」

 「特に、何とも思わないですね。私は自分の仕事が出来なかったので、しかたがないと言うところでしょう」

 私はこの部屋で倒れている四人の人物を指し、

 「これは、あなたの仕事ですか?」と訊ねてみた。

 「そうでしょうね。おそらく。そして私はこの人たちに、裁判にかけられる。あなたは、私を殺すでしょう。私はあなたを助けてきた。それが、犯罪的な行為だとしても、それでも、あなたは助かった。違いますか?」

 「何だか恩着せがましい言い方をしますね。あなたのした事は犯罪ですよ。裁かれ、殺されるのは当然の事です」

 紳士は眉を上げ、

 「私はあなたに殺されるのです。そこら辺はきちんと理解して頂きたい。あなたが約束を守っていれば、私は、此処まで出向く必要も、私が犯罪者になる必要もなかった。あなたはただ臆病なだけです。何だか変な正義感がおありのようですね」

 「僕は別にあなたを殺すつもりは無いですよ。あなたは(犯罪者にしろ)良い人だと思います。僕はあなたを弁護するつもりでいますよ」

 「それはありがとう。きっとあなたにも、あなたに相応しい報酬があるといいですね。あなたは対価を求めている感じがするので。あなたに相当の報酬が与えられれば、私も殺される甲斐があるというものです」

 私はなんだか嫌な気分になり、

 「ぼくは、あなたに死んで欲しいですよ。あなたは僕を殺すつもりだったのでしょう。僕は自分を守る権利がある。僕だって殺されたくはない。僕はあなたを弁護せずに、あなたの犯した犯罪を事細かに挙げていくかもしれない」と言った。

 紳士は落ち着いた様子で、

 「あなたは、何者でもない。何者にもなれないのです。あなたは不幸な人で、誰もあなたに共感する人は現れないし、あなたは、慈悲の心が無い人です。あなたは無くなるだけです。私の仕事は殺す事です。他に何も無い。あなたの仕事は何ですか?」と語った。

 倒れていた四人の人物が立ち上がった。この部屋で、紳士を殺す劇が始まった。



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