三-二
No.29
忘れられた墓がある。もう誰も覚えていないような、古ぼけた、崩れかけた墓だ。墓は掘り起こされる事を望まない。また生まれ変わる事が出来るだろうと考えている。
人間の墓がある。人間は自らの死を訊ねている。何故殺されたのか? また何故殺されなくてはならないのか? そして何故殺すのか?
人間の死体は答えを捜している。永遠の眠りの中に、生き続ける意識の中に、誰も知る事の出来ない人間の心に。
人間の死体は人間を求めている。助かる事の無い人間を、救われる事の無い人間を、生きる事の出来ない人間を。
人間の墓から一匹の蛇が生まれ出てくる。
動物の墓がある。動物の死体は動く事の出来る四肢が無いのを嘆く。走り、跳び、泳ぐ事が出来ない事を嘆く。
動物の死体は食べる事の出来る口が無いのを悲しむ。肉を、木の実や草を味わう事の出来る口が無いのを悲しむ。
動物の死体は生殖する事の出来る器官が無いのを惜しむ。身体を、神経や精神を伝える事の出来る器官が無いのを惜しむ。
動物の墓から一匹の蛇が生まれ出てくる。
植物の墓がある。植物の死体は美しい姿を望んでいる。飾るための色を、整った形を、均整の取れた力を。
植物の死体は幸福が喚起される事を望んでいる。観賞される事によって、贈る事によって、創造する事によって。
植物の死体はあるべきものを増やす事を望んでいる。多くの喜びを、いくつもの苦しみを、二度と来ない得難いものを。
植物の墓から一匹の蛇が生まれ出てくる。
思想の死骸がある。それは壊れて誰も使わなくなった井戸だ。今や塞がれ、汲み上げる事も、飲む事も出来ない。
哲学の死骸がある。それは屋根が無く誰も住まなくなった家だ。今やひび割れ、休む事も、暮らす事も出来ない。
信仰の死骸がある。それは汚れて使う事の出来ない言葉だ。今や何処かに埋められ、捜す事も、話す事も出来ない。
終わった概念から一匹の蛇が生まれ出て来る。
視覚の死骸がある。それは上から色を塗られ破かれた絵だ。誰も振り返らず、互いの色は区別できず、何が描かれていたのか解かる事はない。
聴覚の死骸がある。それは力任せに寸断された楽器だ。誰も気にせず、弾く事が出来ず、どんな音も鳴る事は無い。
触覚の死骸がある。それは傷が付き壊れた鏡だ。誰も触れず、何も映す事が出来ず、何の像も反射する事は無い。
途切れた感覚から一匹の蛇が生まれ出て来る。
希望の死骸がある。それは色褪せ血が滲んだ旗だ。掲げる人間は誰一人としてなく、もはや捨てようとすらしないだろう。
期待の死骸がある。それは倒れて埃が積もった剥製だ。飾る人間は誰一人としてなく、もはや売ろうとすらしないだろう。
予言の死骸がある。それは折られて湿気った松明だ。火を付ける人間は誰一人としてなく、もはや明かりすら要らないだろう。
狂った観念から一匹の蛇が生まれ出てくる。
未来の死がある。その姿は絶対的なものを隠す雲だ。何も見せず、それを知ろうとする者に怒り雷を落とす。その終わりには全てを仕舞う。
過去の死がある。その姿は絶対的なものを悼む霧だ。何も報せず、それを知ろうとする者を悲しみ雨を降らせる。その終わりには全てを現す。
現在の死がある。その姿は絶対的なものを排除する風だ。何も残さず、それを知ろうとする者を中心に嵐を起こす。その終わりに全てが変わるはずが無い。
古くから在る大気から一匹の蛇が生まれ出てくる。
それぞれの蛇はそれぞれの色を持ち、その七匹の蛇は、集まり、一つの七色の蛇になる。




