表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

第四話

 途中で、わざと唇を離した。

「どうしてあの時、俺とキスしてるってこと、歩波にバラさなかったんだ?」

 忍ちゃんの目が見開かれた。

 顔を近づけたまま、眼鏡のレンズの向こうにある、その黒目を覗き込む。忍ちゃんが体をよじろうとしたのが、肩を掴んでいる俺の手を通して伝わってきた。体を俺の方へ向かせたまま固定する。放課後の視聴覚室には、俺たち二人しかいない。逃げ場なんて最初からどこにもない。

 心まで見られるとでも思ったのか、忍ちゃんは顔ごと視線を逸らした。

「この間は、わたしの友達がいましたから」

「それだけ?」

「それだけです。わたし一人だったら、迷うことなく、先輩のカノジョさんに本当のことを言ってました。先輩は命拾いしたんです」

 相変わらず、忍ちゃんの手は胸の前でぎゅっと握られたまま。唇の上と下が強く合わさり、歪な線を描いていた。

 虚勢を張る忍ちゃんの横顔を見ていると、胸が満たされていく。

 忍ちゃんが俺に多少なりとも好意を抱いていることぐらい、何回目かの上書きをしたときに気づいていた。嫌いな男の唇のために、わざわざ何度も出向く女はいないだろう。

 この子の気持ちに気づいたところで、特にどうしようとも思わない。俺には歩波という恋人がいる。今は歩波といることの方がどんな遊びよりも楽しい。それになによりも、俺は忍ちゃんに恋愛感情を微塵も持っていない。忍ちゃんとはキスするだけの関係で充分だ。それ以上はむしろ余分になる。

 キスさえできればいい。

 二人だけの秘密の、この上書き行為だけは唯一、歩波とのどんな行為でも得られない刺激をもたらしてくれる。性的快感よりも持続し、中毒性の高い、気持ちの昂ぶりだ。

 唇を離したとき、忍ちゃんはいつも満たされない顔をする。世界に一人だけ取り残されたような表情を浮かべる。それを見るとどうしようもなく胸が高鳴るのだ。

 俺に恋人がいるという事実が、忍ちゃんにそんな顔をさせている。口づけだけではない。普通に会話をしていても、俺が歩波の名前を出したら、途端に不機嫌になる。そういう反応にこそ、忍ちゃんからの好意を強く感じることができた。

「こっちを向いて」

 まだ上書きの途中だ。

 忍ちゃんは渋りながらも、固く結んだ唇をこちらに向けてくれた。歩波のものと比べるといくらか小振りで、色も薄い。グロスなんて知らなさそうな、まるで忍ちゃんそのもののような、子どもっぽい口唇。でも、ちゃんと柔らかい。

 忍ちゃんは今日も自分からは動こうとしない。

 いつものように口づけをしていたが、ふいに、俺の中でいたずら心が芽生えた。

 今日はいつもと違うことをしてみよう!

 ぴったり合わされた忍ちゃんの唇を、俺は舌先でノックした。特に忍ちゃんは嫌がらなかった。これはいけそうだと踏んで、次に、彼女の唇の隙間に舌の先端を滑り込ませようとする。

 勢いよく体を突き飛ばされた。

 仰け反り、数歩だけ後退した。

 椅子に座っていた忍ちゃんは、俺の胸を突いた手で口もとを隠していた。

「なっ、なんですか、今の!?」

「ディープキス」

 でぃっ、と短い破裂音がした。

「したことないのか?」

「当たり前です!」

 恋人だった男子とは、ずいぶん清いお付き合いをしていたらしい。

「そんなに特別なことじゃないと思うぞ」

「先輩は軽い人だからそう言えるんです」

 恥じらうように顔がそむけられた。

「舌を入れるなんて、そんな、粘膜同士のやりとりなんて、せ――セックスと同じじゃないですか!」

 したこともないのに、どうしてそう断言できるのだろう?

 忍ちゃんのこういう頭の固いところには、ときどき感心すると同時に、呆れてしまう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ