第三話
街の雑踏に、お互いの「あっ」という声が紛れた。
ファーストフード店を出て、次の遊び場に行こうとした矢先だった。忍ちゃんと道の真ん中で鉢合わせた。学校の外で会うのはこれが初めてだった。
「偶然だね」
「そうですね……」
忍ちゃんは気まずそうに目を伏せた。隣には女子生徒の姿がある。友達らしい。忍ちゃんと雰囲気が似て、垢抜けない印象の子だった。
「錬。誰、この子? 友達?」
俺の右腕を抱きしめていた歩波が、胸をひときわ強く押し当ててきた。制服の上から見てわかる以上の膨らみを、肘に感じる。
「後輩の子だよ。忍ちゃんっていうんだ」
ふぅん、と納得したように歩波は頷いた。明るい栗色に染められたショートヘアの毛先が揺れる。忍ちゃんの方を見ると、人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「初めまして。あたしは加瀬歩波。一応、こいつのカノジョでーす」
「一応ってなんだよ」
歩波との間でいつものように軽口を叩く。砕けた態度の歩波とは正反対に、忍ちゃんの表情はこわばっていた。
「は、初めまして……望月、忍です」
「望月さん、大丈夫? こいつに変なことされたりしてない?」
笑いながら、歩波が訊いた。
「信用ねぇなぁ」
「だって、錬って中学の時からいろんな子にちょっかいかけてたじゃない。それでちょくちょくトラブル起こしてたこと、あたし今でも思い出せるわ。前科者に世間は厳しいのよ」
からかうような口調だった。否定してやりたくもなったが、事実なのでなにも返す言葉がない。実際、今も目の前の後輩とキスする間柄になっているのだ。そのことを、恋人の歩波はもちろん知らない。
忍ちゃんのほうを一瞥する。
「滝沢先輩とは」
眼鏡の奥の目は潤んでいるように見えた。
「なにも、ないです」
「本当?」
疑り深く歩波が訊いたが、それにも忍ちゃんは小さな声で「はい」と答えるだけだった。
「そう。でも、なにか変なことされそうになったら、いつでも言ってね。すぐにこいつ、張り倒してあげるから」
「ありがとうございます」
忍ちゃんは眉を寄せ、口元に笑みを浮かべた。
「錬?」
歩波に密着されている腕を自分の方へ引き寄せていた。
「行こうぜ」
「あー、そうね。それじゃあ、またそのうち、望月さん」
忍ちゃんに手を振る歩波を引っ張って、その場を離れる。去り際、俺も軽く手を持ち上げて見せた。見送る瞳は寂しげな色を帯びていた。
少し歩いたところで振り返ってみる。
忍ちゃんとその友人はすでに歩き出していた。通行人に紛れて、いつもより、彼女の背が小さく見えた。
「どうしたの」
歩波が俺の視線を目で追おうとした。
俺はとっさに、恋人の腰に手をやり、数歩だけ前へ進ませた。
「や、なんでもない」
忍ちゃんの様子に後ろ髪を引かれたのだろうか?
たしかにさっきの忍ちゃんは妙に元気がなかった。理由はある程度わかっているが、それ以外にも、思い当たる節がある。歩波の雰囲気だ。こいつを前にして、忍ちゃんはそうとう緊張していたに違いない。クラスの女子たちを見ていてもわかる。忍ちゃんのような地味な子は、歩波みたいな女子と相性が悪いものなのだ。
歩波は俺とは別の高校に通っている。制服もうちとは違い、ブレザースタイル。染められた髪も、スカートの短さも、忍ちゃんとはかけ離れている。当たり前のことだけど二人は別人なのだ。
「なに考えてンの?」
信号待ちしているときに、恋人が尋ねてきた。
そんなわかりやすい顔をしていたのだろうか?
「お前のことだよ」
プーッと歩波は吹き出した。
「くっさーい。似合わないよ、あんたには」
心底おもしろそうに笑われる。
こいつとは中学時代に知り合った。中学ではただの遊び友達のような存在で、恋人になったのは去年ーー高校二年の夏休みのことだ。中学で仲の良かったメンバーで集まってバーベキューをした。歩波もそれに参加していて、久しぶりに顔を合わせることになった。
中学卒業で別れてからは連絡を取っていなかった。おかげで話題には事欠かなかった。喋っているうちに、お互いに恋人がいないと判った。俺は冗談混じりに言った。
『なら、俺と付き合わねぇか?』
こちらが軽い調子だったなら、歩波もなかなかのものだった。その場で少し考える素振りを見せただけで、すぐ、ウンと頷いたのだ。
『いいわよ。中学の時から、あんた見てると退屈しなかったものね』
始まり方こそそんなものだったが、付き合ってみると俺たちは悪くなかった。波長が合うというやつだろう。一緒にいて気を遣う必要がなかった。言いたいことを言えて、したいことをできる。
忍ちゃんと別れた俺たちはカラオケボックスに入った。歩波といつも遊び場にしているカラオケだ。個室に入って、お互いに好きな曲を歌う。初めて挑戦するナンバーで音をいくら外そうが、楽しければ良かった。
五、六曲を歌ったところで俺は、肩を並べて座っていた歩波になんとなくキスをした。
「なによ、ちょっと、歌が始まっちゃうでしょ」
マイクを持った歩波はそう言いつつも、本気で嫌がってはいなかった。俺が肩を抱いても逃げようとしない。
「しょうがないやつね」
苦笑いが浮かべられた。歩波のほうからも唇を押し当ててくる。
天井の隅につり下げられたスピーカーから、イントロのギターが流れ始める。個室内の大型テレビに、歩波の入れた曲のタイトルがでかでかと映っていた。
歩波はマイクをテーブルに置いた。
「さっきの子とも、こういうことしてるの?」
「忍ちゃん?」
鼻先が触れあうほどの至近距離で、視線が交わる。曲は前奏が終わり、ボーカルのメロディラインが聞こえていた。
「まさか。してないよ」
「あの子のこと、好きなんでしょ?」
「信じてくれよ」
歩波は笑顔を浮かべて、吟味するような目を向けてくる。俺が困るのを見て楽しんでいるのか。俺の恋人ながら、なかなか意地の悪いやつだ。
「こうやって歩波とキスしてるほうが、ずっと楽しいよ」
目の前にある唇を数回ついばんだ。
小首を傾げて、歩波は挑発するように言った。
「あたしとして楽しいのはキスだけ?」
「……言ったな」
俺は再び歩波に口づけする。そのまま肩を押して、ソファの上に横たえさせた。
今どきには珍しく、このカラオケボックスの個室には監視カメラがない。廊下へと続くドアの窓はスモークガラスでできている。多少のことをしても、外から見られることはない。




