1・先生の古い《友人》はシャレにならない人でした
ランプの明かりが、部屋の中をほのかに照らす。
壁一面の本棚。頑丈さだけが取り柄の執務机。華美さはないが上品な作りの応接テーブル。
時刻は、深夜。カエデの私室。
《禁魔区域冤罪事件》と呼ばれた出来事から一カ月が経った現在、モカは今までにない緊張感で気を失いそうになっていた。
汗が滲むのは、うだるような暑さのせいではない。
モカの向かい。テーブルの先に座る男が原因だ。
多忙この上ない営業時間が終わった夜遅く。《その男》はカエデを訪ねて、ふらりとフロルに現れた。
ぱつぱつの平民服で覆われた二メートル近い巨躯、丸太のような腕に浅黒い肌。神話に出てくる獅子のたてがみを思わせる豪快に跳ねた銀髪と同色の口ひげは、ダンディを通り越してもはや化物の一種に思える。
年の頃は四十過ぎであろうか。顔から、身体から漏れだす覇気は見る者を圧倒させるものがあった。
威圧感は当然である。
何故ならモカ達の目の前の男は――
「国王陛下が、こんなクソ市民の元に何のご用でしょうか?」
サン・メディス王国の最高権力者。五十年に渡る戦国時代に終止符を打った男。
《自由王》トロヴァーン一世なのだから。
「……嫌味のつもりか? 今まで私に敬語など使った事などほとんどなかろうに」
モカの隣でふんぞり返るカエデの暴言を気にした素振りも無く、国王がいかつい笑みを浮かべる。
「そいつは失敬。久々過ぎてツラも忘れちまってたんでね。で、どうしたって言うんだ?いくら市街とは言え、王様が来るような場所では無いだろう」
「久々に友人の顔を拝みに来た、では不満か?」
「ああ、不満だね。お前はそんなタマじゃなければ、暇も無い。帰って仕事しろハゲ」
「ま、まだハゲとらんぞ!? 最近ちょっと抜け毛が増えてきたなーとは思うが、ま、まだ大丈夫だ! 多分」
余りの不敬っぷりに、モカは白目を剥いて泡を拭いてしまいそうだった。何か言ってやりたいが、口を開けば彼女自身も失言をしてしまいそうだったので、無言で睨むに留める。
「どうした。モカ。このハゲの顔が怖いのか?」
「……そうか。やはり顔が怖いか」
軽く言い放った言葉に、国王が顔を俯けしょげかえる。
「お前はお前で本気でヘコむなっ。それでも二十八か」
「えっ、二十八?」
どう見ても目の前の男は四十過ぎだ。思わず驚きの声を上げてしまい、すぐさま口をつぐむ。
だが、時すでに遅し。
「あぁ、どうせワシは老けてますよ。ええ、老けてますとも」
とうとう国王は頭を垂れてテーブルに《の》の字を書きだしてしまった。
筋骨隆々の大男が拗ねる物だから気持ち悪い事この上ない。
気まずい沈黙が場を支配する。
「えー、あー。あー、ところで何の用だ? 話くらいは聞いてやらん事も無い」
――先生が気を使った!?
「それだがな、一つ頼みたい仕事があってな」
――光の速さで復活した!?
ツッコミが追いつかない。どうすればいいのか。そもそも、何のためにモカがここにいるのだろうか。
「まず先に言っておこう。喜べカエデ、おそらくお前好みの事件だよ」
王の灰の瞳がぎらりと輝く。
先程までの拗ねた中年の姿は、もうどこにもない。
モカの目の前に存在するのは、獲物を狙う白銀の獅子。
自由王と呼ばれ民衆に敬愛される支配者の姿だった。
「城砦都市から馬で一日。ある村で大規模な《賭博》が行われているのは知っているか?」
「話くらいはな。確か三カ月くらい前からか? 最近はそこで勝った客がウチに泊まりに来る事もある。あぶく銭の客は払いが良いから何とも嬉しい限りだ」
ただし、問題もある。
勝者がいるという事は、敗者もいるのだ。宿泊客が全財産をむしり取られ、叩きだす羽目になったのも一度や二度では無い。。
「だがギャンブルがどうしたって言うんだ? 営業許可を取って税金を収めていれば問題ないだろう」
カエデの言う通り、この国においてギャンブルは違法ではない。
個人同士の賭け事など日常茶飯事。営業許可を取れば、大規模な賭場さえも開ける。ただし、やや高額な賭博税を支払う必要があるが。
「とてもじゃないが、一国の王が非公式で相談する案件には思えないね」
だが、肩をすくめるカエデとは裏腹に国王は神妙な面持ちで首を横に振った。
「稼ぎ過ぎているのだ。現に多くの破産者も出ている。市民にも、貴族にもな」
「別に良いだろ。分を弁えずに破滅する馬鹿など放っておけ。それに、貴族が潰れればお前も仕事がやりやすくなるんじゃないのか?」
「ふんっ。どこかの誰かが法改正直前に下野したせいで、貴族は未だに天上人気取りだ。奴らの破滅はワシの望むところ……だがな」
皮肉気にカエデを睨み、国王が続ける。
「……恐らく、お主が想像する以上の事態になっている」
「ほう。聞かせてみろ」
――あ、これダメなパターンだ。
カエデの吊りあがった唇を横目に捉えた瞬間、モカの脳裏にとてつもなく嫌な予感が走った。
ようやくカエデがホテル業務を手伝うようになったというのに、今の彼の目は興味の色にぎらついている。
付き合いの長いモカには理解できた。
彼の様子が、仕事を放り投げる前兆である事を。
「城砦都市に住んでいれば気づかぬが、実は今、外に浮浪者と野盗が急激に増えつつある」
「……そいつはまた。厄介な」
カエデは眉間にしわを寄せるが、モカには一つ覚えがあった。
ここ数カ月、都市の外から買い入れる食料品が徐々に値上がっているのだ。商人は理由を誤魔化していたが、どうやら口止めされているのだろう。
「盗賊だけならまだいい。最悪、軍を出せば事足りる。だが、まことの問題は――」
「……貴族どもか?」
「左様。ここ数か月で辺境貴族の何人かが追い込まれ、中央の指示を無視して税を上げようとしている」
税金で生きる貴族がギャンブルで散財したと知られれば、間違いなく危険な事態になるだろう。
領地で反乱が起きてもおかしくはない上に、尻拭いは国家の仕事なのだ。
統一から七年経ったとはいえ、今は改革の最中。内乱に注ぐ余力はないはずだ。
「さらに、だ。とうとう奴らは《中央》にまで毒牙を伸ばしてきた。議員や公僕に禁を出してはいるのだが、無駄だったようだ」
首都から一日と言う絶妙な立地。いくら国王が止めた所で、物見遊山で向かう物は存在するだろう。
「ここ一月と少し、代議士や貴族議員も含めかなりの数が《賭博村》に足を踏み入れてな。ある者は莫大な勝ち金を抱かされ、ある者は返済不可能な額の借用書を書かされた」
大金を抱かされた者は味を占め、《賭博村》の胴元の味方をする。
借金を抱かされた者も、借用書を握られている限り相手の忠実な犬となる。
「……馬鹿野郎。あれほど政治家の手綱を放すなと言ったろうが」
「すまん。ワシの不徳だ」
「いや、言い過ぎた。税収に囚われてギャンブルを禁止にしなかった俺にも責任はある」
カエデの言葉と共に、モカの胸へと大きな影が落ちた。
政治に疎いモカにも理解できた。
貴族解体を目指すトロヴァーン王に敵は多い。貴族が六割を占める国会は勿論、平民出身の代議士までもが身動きを奪われているのだ。
もはや、国王の味方はわずかなのだろう。
このままでは、サン・メディスそのものを食い物にされ、支配されかねない。
中央は金に支配され、辺境は反乱のくすぶりを見せている。
――そんな。せっかく平和になったと思ったのに。
先に待つのは、破綻と戦争。
死と飢えの時代が、再びやってくる。
ただただ嫌な予感が、モカの心を覆っていた。




