7・《深淵の智将》と《彼女》の対峙
翌日、再びカエデは警察署を訪れた。なんと、弁護人としてだ。
正式な書類を持って「フランシスカを保釈しろ」と乗り込んで来たのだ。
昨日と同じ取調室でぶっきらぼうにカエデが告げる。
「結論から言おう。この女は無実だ。残念なことにな」
カエデの言葉に、当の容疑者が目を剥く。余程驚いたのだろう。
現在、部屋にいるのは五人。
カエデと容疑者。そして机を対面にして、検事や見張りの警官など三人の役人が座っている。
「無実? ふざけないでくれたまえ。彼女のは本日中にも起訴され、週明けには裁判にかけられるんだ。保釈など出来る訳が無いだろう。裁判官だって決まっている」
「……裁判官?」
担当検事のリキドが放った言葉にカエデが眉を潜める。
「はい、私が。事件の事を知る為にも、本日は同席させてもらっています」
「起訴前に裁判官まで決まっているとは、そいつはやけに準備がよろしい事で」
「事件が事件ですから。ご安心ください。この場において私が発言する事はありません。私はただ裁判において公正な裁きを下す為の、ただの見学ですわ」
二等法務官のバッジを付けた《彼女》が静かに告げる。挑発に乗るつもりはなかった。
「それで、無実と言うのならそれなりの根拠はあるんだろうな」
「当然だ。お前らがフランを逮捕した根拠はこうだろう? 《被害者と口論していたと言う動機があるから》だ」
検事の言葉に対し、口角上げて言葉を紡ぐカエデ。
「だが、残念だ」
外套を翻し、両の手を天に掲げて立ち上がる。
自信満々な素振り。芝居がかった大仰な口調。この場にいる司法関係者すべてを嘲笑うかのように、彼は《真実》を告げた。
「《フロルの客室で死んでいた男は、カルロスではない》」
検事と警官。そして容疑者自身も息を飲む。どうやら彼女はカエデから何も聞かされていないらしい。
「だってそうだろう? あんな状態で死んでいれば、被害者がカルロスかどうかだなんて分かる訳が無いんだからな」
彼はこう言いたいのだ。
《死体が焼けているのは、別人である事を隠す為》だと。
「ふざけるなっ! 証拠も無しにそんな理屈が通――」
「証拠ならあるぜッ。少々マイナーだが、確実なモンがな!」
リキドの怒声を遮り、カエデが外套へと腕を突っ込む。
「この国において、医療と言えば魔術によるものだ。腹を剣で突かれようと癒す事が出来る。腕を切り落とされようと、切り落とされた部分さえ残っていれば繋げる事が出来る。何とも便利だよ。魔術ってのは」
「僕はそんな事を聞いているんじゃない! 証拠を出せと言ってるんだ!」
「いいから人の話は最後まで聞けよ。とにかくだ。魔術が便利であるがゆえ、野蛮な行為として常に下に見られている医療行為があることを知っているか? 生身の体に刃物を突っ込み、糸で繋ぐ。俺が提示するのは、その虐げられた科学……外科医療からのモンだ!」
一気にまくしたてると同時に、彼の懐から数枚の書類が取り出され、机の上に叩きつけられた。
「この調書によると、被害者が殺されたのは夕食後の午後八時から、午前七時の間。つまり、《奴の腹の中には、ウチで喰らった夕食が残っているはず》なんだよ。だがなァ」
白く細い腕が一枚の書類を掴み、リキドへと突きつけられる。
「昨日、火葬される直前の被害者のハラを裂かせてもらった。だがな、不思議な事に《焼死体の腹の中には、食物の痕跡が無かった》んだよ。どう言う意味だと思う?」
「し、調べたのは死後一日経ってからだろう! とっくに消化されてるに決まっ――」
「残念だなァ! こちとら城砦都市内の外科医のお墨付きだ。何人もの人間を切って繋いでバラしてきた男だ。なんなら証人として呼んでやっても良い」
カエデの勢いに、そして筋道立った説明にリキドは陸揚げされた魚のように口をぱくぱくさせるだけだ。相手の戸惑いを見破ったのか、畳みかけるようにカエデが言葉を続ける。
「更に、だ。死体を調べた結果、もう一つ分かった事がある」
「もう一つ、でありますか?」
何も言えないリキドの代わりに、立ち合いの警官が相槌を打つ。
「……骨だ。奴さんの骨はスカスカだったんだよ。長らくまともな食事にありついていない、ボロボロの体だった訳だ。国外に商談を持ちかけに来るほど余裕のある男とは思えないほどにな」
「かっ、カルロス氏は事件前、一週間の座り込みをしていたはずだ! 栄養不足でも仕方ないのではないかね? えぇっ!」
「ハンッ、人間が飲まず食わずで一週間も持つかよ。夕食ならがっつりウチのホテルで食ってたらしいぜ」
震える声で突破口を見出そうとするリキドだったが、カエデの方が何枚も上手だった。この検事ではこれ以上の反論は不可能だろう。昨日の時点で既に勝敗は決していたのだ。
「ち、ちょっと待ちなさいよ。確かに、同じ体格の男を焼いてしまえば身元を隠せるかもしれない。けど、だったら本当の被害者は誰だって言うの!?」
今まで黙っていた容疑者本人までが金髪を振り乱し声を荒げ、問いただす。
恐らく、彼女は想像もつかなかったのだろう。自分自身が殺したとされる被害者が全くの別人であった可能性など。
「分からないか、フラン? 城砦都市内において、殺人が起きようが人が消えようが誰も気にとめない場所ってのがあるだろう?」
そう。彼の言っている事は正解だ。
どの国にも、どの都市にも存在する闇の部分。
貧困と暴力と飢えが支配する、暗部。
「まさか。貧民街……?」
「正解だ。被害者の胃の中には道端の石ころが詰まっていた。多分……飢えに耐えきれずに食うしか無かったんだろうよ」
カエデが一瞬だけ沈痛な面持ちで項垂れる。そして、気を取り直したかのように顔を上げた後に再び言葉を続けた。
「本当の被害者は外国の商人カルロスでは無く、スラムの名もなき浮浪者だ。俺の記憶が確かならば、スラムは禁魔区域から外れているはずだしな」
「スラムの浮浪者……まさかっ!」
どうやら合点が行ったのだろう。立ち合いの警官さえも目を見開いている。
理解できていないのは、呆然自失としているリキド検事だけだ。
焦点の定まらないリキドへ顔を近づけ、ゆっくりとカエデが告げる。
「教えてやるよ。《事件現場は、ホテル・フロルではない》って事だ!」
リキドを指差し、不敵な笑みのままカエデが言葉を繋いでいく。
「本当の犯行時刻は、深夜。スラムを始めとする禁魔区域の外で焼き殺すか、スラムの餓死体を改めて焼いたんだ。そしてホテルに運び、鍵をかけて立ち去る。そうすれば死体には魔素が残り、禁魔区域での魔術殺人事件の出来上がりって訳だ」
「なっならば。鍵がかかっている件はどうなる? 鍵は現場で発見されたんだぞ!」
なんとかして突破口を見出そうとするリキドだったが、無駄だった。
「鍵、ねぇ……。調書によると、鍵は客室内で見つかったって書いてるけどよ……これ、どこで見つかったんだ? 被害者の懐か? それともベッドか?床か? 見せて貰った調書のどこにも書いちゃいねぇぞ」
「……まさか、警官に共犯者がいるとでも?」
「ンな事は言ってねぇよ。人間、誰だって間違いはあるさ。だが警官でなくてもな、俺が死体を発見した時は既に部屋のドアは開いていた。それどころか、数人のやじ馬だっていたんだ。真犯人に金でも握らされた奴がどさくさに紛れて鍵を部屋に紛れ込ますことくらい簡単だと思わないか? それに、犯行現場が別の場所だった根拠はもう一つある」
「き、き、聞かせて貰おうか!」
「声だよ。焼き殺されたってのに、誰ひとりカルロスの悲鳴を聞いちゃいない。いくらフロルの防音が優秀だと言っても限度はある。事実、俺を起こしに来たモカの大声を別の従業員が聞いていたんだからな」
「だとしたらだ! カルロスや共犯者はどこにいると言うのだ!」
癇癪を起こし、机を何度も叩きながらリキドが吼える。
しかし並の市民ならいざ知らず、その程度でカエデを威圧できる訳が無かった。
「抜かしてんじゃねぇぞボンボン。本物のカルロスはどこかで生きている。それを見つけるのがお前らの仕事だろうが。真犯人なのかどうかのかは断定できねぇがな」
冷たい目と声で言い放つと同時に、外套からさらに大量の書類を取り出し机の上に乗せる。
「こいつが証拠と証言のリストだ。ついでに言っておく。現在、俺の助手が都市中の新聞社にこの情報をばら撒きに行ってるからな。ここまで聞いておいて起訴どころか有罪になんざしてみろ。どうなるか分かったもんじゃねぇぜ?」
どこまでも織り込み済みという訳だった。
たった一日でここまでの用意をしてくる事は驚きだったが、統一戦争後期から三年前までにかけての彼の偉業を考えれば納得できる事だった。
「未だに《王の双翼》を崇拝している人間は多い。《神去りし世界》において、英雄は信仰の対象だ。何せ、この国を貴族の搾取と我儘な戦争から救った生きる伝説なんだからな」
「そ、そんな。馬鹿な……認めん、僕は認めんぞっ!」
貴族であるリキドに対する嫌味たっぷりの言葉。
しかし、今の彼は何を言われようとも全身を震わせ、声を振り絞ることしかできない。
例えようが無く惨めで、醜い姿だった。
そろそろ潮時だろう。
「お待ちくださいませ。リキド・ワ・シネバ検事」
「リキド・ダ・シルヴァだっ!」
「失礼しましたわ。ですが、裁判所の人間として一つ言わせていただいても宜しいでしょうか」
声をかけたのは、今まで静観を決め込み、ただじっと様子を見ていた裁判官。
《彼女》だった。
爆発しそうな胆の内を必死に秘め、努めて冷静に告げる。
「弁護人の提示した証拠は、これ以上ないほどに論理的です。物的証拠も多数あり、こちらとしても今の状態で訴追を受ける事は難しいと思われますの」
穏やかな口調ではあったが、《彼女》の切れ長の瞳には有無を言わせない迫力が存在した。
恐らく、リキドも裁判に持ち込んだとしても勝ち目はない事は分かっているのだろう。
そのまま借りてきたハムスターの様に大人しくなってしまう。
「……ウェルドナ。保釈要求の書類を受け取り、上へ回せ。起訴を見送るかどうかは追って指示する」
「はっ、了解したであります!」
見張りの警官が嬉々とした表情で立ち上がり、書類を抱えて部屋から去る。
「……良い気になるなよ。平民如きが」
警官が去るのを憎々しげに見つめた後、リキドが吐き捨てた。
――そう、慢心しないで。次こそは、必ず。
敗北する覚悟は昨日のうちに済ませた。
隣の検事の様にみっともなく喚いたりはしない。
何故なら、彼女にはやらねばならない事があるから。取り戻さねばならない物があるから。
――一刻も早く、手を考えなければ。
柔らかな表情を崩さぬまま、静かに《彼女》は決意するのだった。
■
「どうだった、モカ」
「ばっちりですよ。どこの新聞社も乗り気でした。すぐにでも記事に取りかかってくれるそうです」
モカが都市内の新聞社数社に情報の提供を終えから数十分。警察官吏局のロビーで待つカエデに吉報を告げると、彼は珍しく相好を崩した。
「だろうな。こっちも上々だ。俺の見立てでは週明けにでもフランの起訴は取り下げられるはずだ。これから取材と営業で忙しくなるからな。覚悟しておけよ」
「はいっ」
賑やかなフロルが帰ってくる。
ほんの一日二日の困難ではあったが、モカには随分長く感じられた。
「それじゃ、帰りましょうっ。みんなに教えてあげないと!」
モカが長椅子から立ち上がり、座ったままのカエデの手を取って急かす。
「おいおい、ガキじゃないんだ。人だって大勢いる。そんなにはしゃいでると人にぶつかるぞ」
カエデが注意をしてくるが、モカの耳にはほとんど入っていなかった。
「だって。絶対みんな喜びますよ! 今日はパーティです。祝勝会で……あっ」
背中に強い衝撃。図らずとも忠告通りになってしまった。
カエデを立たせようと力を入れたモカが、ロビーを通りがかる誰かとぶつかったのだ。
「す、すみません! よそ見してて」
振り返り、慌てて頭を下げる。
「あら、気にしないでくださいませ。お気持ちはわかりますから」
瞬間、モカの思考が停止した。
衝突した相手が、息を飲むほどの美女だったのだ。
法務官のバッジを付けた、柔和な笑みを浮かべた切れ長の目の女性。
「あんたは、さっきの……そう言えば名前を聞いていなかったな」
どうやら、カエデには面識があるようだった。恐らく、今回の事件がらみの事なのだろう。そうでなければカエデに美女の知人などいる訳が無い。
「名乗るほどのものではありませんわ。英雄のお陰で一つ仕事が減ったただの裁判官です」
「そう言わないでくれ。あんたの一言でカタブツの貴族が引き下がったんだ。謙遜は美徳だが、度は過ぎない方が良い」
「……そこまで言われるのでしたら」
女が息を吸い、一歩下がる。
そして、艶やかな長い黒髪を揺らしながら、優雅な礼と共に名乗りを上げた。
「ライムリア・ヘレノア・セタ二等法務官。ライムリア・ヘレノアでは長いので、ライムで結構ですわ」
吸い込まれそうな笑顔に、モカはもとより通りかかった人間でさえも息を飲み、黙りこくる。貴族式とも軍式とも違う礼だったが、うっとりするほど様になっていた。
「そこまで立派な礼をされてはこちらも返さざるを得ないな」
小さく笑い、モカの手を取りカエデが立ち上がる。
「ホテル・フロルがオーナー、カエデと申します。家名と称号は官職を辞した時に王に返上いたしておりますのでご容赦下さい。そしてこちらが我がホテルの実務を担っておりますモカ。どうかお見知りおきを」
いつもの無礼さをどこに忘れたのか、今まで見た事も無いような美しい仕草で、カエデが礼と共に名乗りを上げる。慌てて彼の後に続き、モカも深く礼をする。
顔を上げると、先程と同じようにライムは柔和な笑みを浮かべ、大きく頷いていた。
「素晴らしいですわ。作法も、そして推理も。まさに不可能を可能にする男、ですね」
「知は力だからな。ヒトの最大の武器の前に不可能はない」
「なるほど、《知は力》。智将らしいお言葉。ですが、私はこう思うのです」
言葉と共に、カエデへとライムがゆっくり近づいていく。
顔と顔とが密着しそうな距離で、しっかりと目を見据え、彼女は言い放った。
「《力とは法》であると」
「……法律屋らしい大したお言葉だ」
「筆頭政務官時代の色々な逸話、聞いていますよ。多くの脱法行為を行った事も。もう、王の庇護は期待できないのですから、あまり目立ち過ぎない方がいいのでは? 未だあなたを怨んでいる貴族も多い事ですし。無用な心配かもしれませんけれどね」
「肝に銘じておくよ。忠告ありがとう、ライム法務官」
「いいえ、ファンの戯言ですよ。今回の一件で惚れ直しましたわ。それでは、また」
「裁判官とはあまり縁を持ちたくないがね」
「ふふっ、確かに」
カエデの冗談にライムが微笑み、そのまま廊下の奥へと消えていく。
「さて、モカ。帰るとするか。今度は人にぶつかるなよ」
「もうっ、からかわないでください!」
顔を赤くして言い返すモカではあったが、今度は周囲を確認するのを忘れなかった。
■
外に出ると、時刻は既に夕刻だった。
白石が積まれた待並みは橙色に染まり、行き交う人々もまた赤く染まっている。
「モカよ、先に謝っておく」
石畳のストリートを歩きながら、唐突にカエデが口を開いた。
「へ? どうしたんですか」
「これから、忙しくしてしまうと思ってな」
「そんな事ですか。大丈夫ですよ! ホテルが忙しいのは嬉しい事ですから」
「……そうじゃない。おかしいとは思わないか? 異様なまでにスマートに片づけられた部屋、火葬へ向かった死体、隠滅された証拠、爆炎の魔術姫に罪を擦り付けようとした誰か。そして何より、その事件がフロルで起きた事」
瞬間、モカの背筋に悪寒が走った。
考えてはいたが、目を背けていた事だったからだ
「何か、大きな陰謀が動き出している。おそらく、官憲を巻きこんだどでかい陰謀だ。もしかしたら、また、何か起こるかもな」
「そ、そんな。脅かさないで下さいよ!」
「……悪かった。だが、大丈夫だ。何があろうと、俺達が屈する事はない。お前自身が言ったもんな。『みんなで頑張れば、不可能はない』ってな」
カエデの言葉に再びモカの頬が熱くなる。自分の言葉とは言え、恥ずかしい台詞を口にしてしまったものだ。
「とにかく、今は再オープンの準備だ。気合入れてくれよ」
「もちろんです。先生にも手伝ってもらいますからね」
どうせ、いつものように「断る!」と力強く言ってくるのだろう。
だが、特に期待を込めずに放った言葉への返答は――
意外な物だった。
「……仕方ないな。手加減してくれよ」
「ほへ?」
余りに想定外な言葉に、モカの思考が停止する。
「ほら、着いたぞ。チーフがボケっとしてたら仕事にならんだろうが。早く来い」
言葉を失ったままのモカを置いて、カエデは彼女たちの家――ホテル・フロルの扉を開けるのだった。
次回!
深夜に現れたサン・メディス国王!
筋肉モリモリの髭のおっさん(28)から与えられた密命はとんでもないものだった!
次回、もか×えで 第二話
《封魔結界のイカサマギャンブルをぶっつぶせ!》
カエデ「そんな……右腕を、賭けろ。だって?」