6・人の《英知》が織りなす奇跡
『助かったぞ。お前の食い意地のお陰だ』
『へ? ど、どう言う事です?』
『俺一人じゃこの結論には辿りつけなかった。俺が考えなきゃならなかったのは《どうやって焼き殺した》じゃない。《何故、焼き殺したか》だったんだよ」
『言ってる意味が分かりませんよ! 説明して下さい!』
湧き立つようなカエデの言葉に、モカは困惑しか見せる事は出来ない。
だからこそ、危険だった。
才ある者は、発想を飛躍させる。余りの頭の回転の速さに言葉が足りなくなる。故に、常人には彼らの言葉の真意が理解できない。
――証拠は、どうなっている。
頭の中のメモ帳を開き《証拠》が完全に隠滅されるまでの期間を計算する。
被害者や《カルロス殺しの犯人》から自分の身元が割れる事は無いのは分かっている。
だが、それでは駄目なのだ。
せっかくお膳立てした全ての計画が水の泡になってしまうのだから。
『なあ、モカ。こんな事件に巻き込まれて、お前はどう思っている?』
『それは勿論、悔しいですよ。私達は何も悪い事をしてないのに、どうしてこんな目に遭わなきゃって……』
『そうだ。俺だってハラワタが煮えくり返ってる』
――証拠隠滅まで、後一時間。気付くなよ。気づかなければ、私の勝ちだ。
《彼女》には信じられなかった。ほんのわずかな間で状況が引っくり返った事が。
『間違いなくこいつは陰謀だ。爆炎の魔術姫を殺人犯に仕立て上げ、失脚させようって言う誰かのクソ汚ぇ謀略だ』
焦る《彼女》を無視するように、カエデが言葉を続ける。
『俺は我慢ならねぇ。そんなくだらねぇ策謀に、お前達……フロルの連中を撒きこんだ事を』
彼は未だに一つ勘違いをしているようだった。
《この殺人事件は、フランシスカを失脚させる為の陰謀である》と。
真実は違う。ホテル・フロル……否、カエデ自身も標的なのだ。
――だが、そんな勘違いがなんだと言う。
奴は間違いなく真実に近付いている。
《彼女》の額から汗が滲み、息が荒くなる。
『モカ。被害者の死体がどこに運ばれたか聞いているか?』
『一応、ホテルで起きた事ですから聞いてはいますけど。今日のお昼過ぎに火葬場に運ばれるらしいですけど。って言うか説明を――』
『しまった! 今から馬を借りたとして、火葬場まではどれくらいだ?』
『へ? た、多分一時間くら――』
『急ぐぞ!』
言うが早いか慌ただしい足音と共に立ち上がるカエデ。
『ち、ちょっと待って下さいよ、もう!』
モカがカエデを追い、そして足音が遠ざかって行く。
「……ちくしょうっ!」
ノイズだけしか聞こえなくなった魔素結晶を放り投げ、机を殴る。
ハムスター達が驚き、回し車から飛び出して籠の隅で怯え出してしまった。
「あっ、ごめんね。ハムちゃん」
自身の不肖を恥じ、籠のハムスターに歩み寄り、くすぐる。
籠の中の小さな命がつぶらな瞳を閉じ、寝入るのを確認してから《彼女》は小さく呟いた。
「どこで間違えた。何を間違えた……!」
すぐさま手を打たなければならない。
そうでなくば、計画は失敗に終わる。
「ライムリア様。そろそろ入廷の時間です」
ノックの音の後、安っぽい扉の向こうから男の声が響く。
彼女を《仕事場》まで送る御者だ。
「申し訳ありません。担当中の事件で新事実が明らかになりました。開廷は少々遅れる旨を関係者に連絡しておいてくださいませ」
「はっ……? それだと……」
「時間が無いのです。急いで下さいませんか?」
「……畏まりました」
反論を許さず、御者を外に出す。
どうやら作り声の演技は成功したようだ。
――急いで追わなければ。
恐らく、追いついた所で《彼女》に出来る事はないだろう。
それでも、行かねばならなかった。
カエデ達がどこまで辿りつく事が出来るかを知る為。そして、《彼女》がどう次の手を討つべきかを考える為に。
例え、己の職務を投げ出す事となっても。
「……許せない」
襟に付けた二等法務官のバッジをポケットに突っ込みながら、《彼女》は憎々しげに吐き捨てた。
■
「ギリギリセーフ、だな」
「大丈夫なんですか? 勝手にこんな事をして」
馬を走らせ一時間弱。北のはずれにある火葬場へとカエデ達は辿りついてしまった。
彼らの立つ広場では幾つもの炉が距離を置いて並べたてられ、黒い煙を放っている。一つの炉に一つの担当が付き、それぞれを遺族が見守っていた。
――くそっ。間に合わなかった。
どうにか追いつきはしたが、先回りすることまではできなかった。
今、《彼女》に出来る事は物影から彼らの様子を探る事だけだ。
「悪いな。無理を言って」
「あの、少しだけですよ。最後のお別れって言うなら私達も止める気はありませんし」
硬貨を握り締めた火葬担当者が困り顔で告げる。
「あぁ。迷惑はかけない。だが、他にも知り合いが来るのでもう少し待ってほしいんだ。それと、少し席を外してほしい」
そう言って、カエデが更にポケットから宝石を取り出し、相手に握らせる。
「こ、こんなに!? いや、お金とかはどうでもいいんですけど。まあ、お別れですしね。へっへっへ」
担当者が建物の中に消えるのを確認し、カエデがにんまりと笑った。
「予想通り、だ。おかしいと思わないか?」
「何がですか?」
「カルロスは隣国の商人だ。身分のはっきりした外国人を勝手に燃やすなんざ、常識ではありえない」
「でも、遺体は酷い状態でしたよ。あんな状態で国に返すのは……」
「確かにな。筋は通っている。まあ、調べてみれば分かるさ」
そう言ってカエデが棺を開ける。
「うっ……」
相変わらず、酷い姿だったのだろう。中身を見て、モカが思わず目を背ける。
「丁度良い、今から講釈してやる。昨日今日と事件のせいで授業が出来なかったからな」
顔色一つ変えず、カエデが棺桶の中身を物色する。
「科学とは、自然を論理で解明する事だ。どうして鳥は空を飛べるのか。何故魚は水中で息ができるのか。魔術師はどう言う原理で炎を放ち、稲妻を呼ぶのか。《古代魔法文明》の人類はその謎を解明し、自由に海を渡り、空の先まで飛ぶ事が出来たと言う」
――止めるべきか。
朗々と続けるカエデを見ながら、心中で呟く。
――だが、どうやって。
彼が行っているのはただ死体を調べているだけだ。そこに違法性はない。
「炎に巻かれたら人はどうなるのか。焼死体と刺殺体は何が違うのか。森羅万象、生と死。それらを論理で体系付け、解明する事が科学であり、人類の進歩だ。今こそ見せてやろう。《知は力》である事を」
そう言って彼が懐から取り出したのは、異様なまでに薄いナイフだった。
――気づかれたッ!
人を呼ぶか。だが、他国ならいざ知らず、この国の法において死体は物体でしかない。損壊を訴える遺族が存在しない以上、止める方法も無い。
そして例え違法だとしても、どうやって止めると言うのだ。
《通りすがりの裁判官が偶然見つけました》など、不自然に決まっている。
「目を逸らすなよモカ。人が死ねば、最後は土くれに還る。残る物は何も無い。だが、それでも《遺るもの》は存在する」
もう、間に合わない。
歯噛みする《彼女》を嘲笑うかのようにカエデが朗々と続ける。
「それは、心であったり思い出であったり……《証拠》だったり、な」
最後に唇を歪め、高らかに吼えた。
「今、見せてやる。魔術なんてチャチなモンじゃねぇ。人の英知が織りなす奇跡――本物の《魔法》って奴をな!」
次に彼が行ったのは魔法などでなく《奇行》。
だが《彼女》だけには理解できた。彼が行おうとしている行為の意味が。
カエデが外套をはためかせ、刃を振りかぶる。
モカは目を逸らせず、ただじっと見つめている。
そして。
薄刃が、カルロスの腹部に深々と突き立てられた。
同時に彼女は理解することとなる。
自身の策が、失敗に終わった事を。