5・《黒幕》― wirepuller ―
ホテル・フロルの裏手の安宿。
まともな調度品と言えばベッドしか無く、ただ雨風を凌ぐだけの部屋と言った趣。
特徴と言えば一つ。愛玩用のハムスターが飼われた籠が並んでいる事だろう。ふっくらとした毛玉が忙しげに回し車の中で足踏みをしている。
そんな薄暗く埃っぽい石造りの部屋の一室で、一人の女が奇妙な形をした緑色の宝石に耳をそばだてていた。
石からノイズ混じりに聞こえてくるのは、一組の男女の声。
『どうするんです、先生。フランシスカさんに動機が無いって。もう、私……ワケわかんないですよ』
『確かに、な。清掃された客室、禁魔区域で使われた魔術、隠滅された証拠。はっきり言って手詰まりに近い』
宝石――魔素結晶から漏れる言葉を聞き、女が口元を歪める。
何もかも《彼女》の思惑通りだった。
カエデ達は何も気づいていない。今回の事件の《仕掛け》に。そして今、魔術を用いて彼女が《盗聴》を行っている事も。
警察官吏局から戻った二人は現在、オーナー室で作戦会議中。とは言っても、捜査には何一つ進展がないようだった。
『こう言う時はあらゆる可能性を考えるしかないな。例えば、フランが嘘を言っている、とかな』
『まさか、そんな。先生は、フランシスカさんが犯人だと思ってるんですか?』
『いや。恐らくシロだろうよ』
カエデの私室に仕掛けた送信機から届けられた声は、《彼女》に喜びを与えた。
ここまで読み通りだと、逆に怖いくらいだ。
『だがまあ、調書の何もかもが嘘っぱちなのと同じレベルであいつが嘘を言っている可能性もある。魔素結晶の事も喋らなかったしな』
『さっきも言ってましたけど、魔素結晶って何です?』
『魔術院で研究されている《魔素を封じ込めた宝石》の事だ。実用化されれば市街地だろうがどこでだろうが魔術が使える』
『確かに、そんな便利なものがあれば今回の犯行も行えるでしょうけど……って、先生はフランシスカさんがその《魔素結晶》を使って犯行を行ったと?』
彼らの会話に思わず、吹き出してしまう。
魔素結晶の事を知っているのは驚きだったが、まさか《彼女》が当の代物を用いて盗聴しているとは夢にも思わないだろう。
『正直、分からん。俺が知ってるのは三年前に研究が行われていたって事だけだ。それも、最高機密扱いだ。進展したのか頓挫したのか、中央を離れた今の俺には分からない』
『ちょ……そんな事を私に言っていいんですか!?』
『良くはないな。もし実用化されれば戦争すら起きかねん代物なんだ。消されても知らんぞ』
『あ、あなたって人は……!』
拳を握りしめ震えるモカを全く意に介さず、カエデが次の句を続ける。
『だが、確率はほぼゼロだろうな。魔素結晶の事を知っているのは魔術院の高位研究者と、一部の官僚や政治家だけ。俺の知る限り十人もいない。そんな足がつきやすい殺しをするほどフランは馬鹿じゃないだろうさ』
『だとすると、やっぱり誰かが嘘をついている?』
『さあな。だが、最新の秘匿技術を使って殺人を行うよりは現実的だろうよ』
二人の推理は行き詰っていた。
ノイズ混じりの声を聞きながらほくそ笑む。
まさに現在、二人は《彼女》の術中にはまっていた。
不可解な商品を売りつけに来た商人。矛盾した殺害現場。
ならば、普通の人間ならば間違いなく考える。
《誰かが嘘をついている》と。
――踊らされているとも知らずに。
調書に嘘が無ければ、容疑者の言葉も全て真実だ。
公式書類の嘘が発覚すれば大騒ぎになってしまう。そんなつまらないリスクを《彼女》は背負うつもりは無かった。
――私が行ったのはたった一つ。
検事をリキドにするよう手を回した事。
《爆炎の魔術姫》フランシスカは女は貴族から目の敵にされている。
貴族の権力はく奪と、平民中心の政治改革を推し進める現国王。そんな彼の片翼でもあるカエデが去りし後、フランシスカは国王に最も近しい存在と言えた。
そんな彼女の担当検事が貴族ならばどうなるか。
答えは簡単。《有罪にする為の捜査》が行われる。
――私は、何もしていない。いや、する必要が無いもの。
リキドは愚かではあるが馬鹿では無い。調書の偽造などは行っていないだろう。
だが、《編集》は行われているはずだ。
例えば、『殺されない内にこの国から出て行った方が良いわよ』と言う発言。調書には前後の文脈を無視して剣呑な言葉だけを抜き出している。
裁判においてあの女が何を言おうとも無駄に終わる事になるだろう。
もちろん、取調べだけでは無い。
鑑識結果も聞き込み証言も、全てにおいて恣意的な削除と書き加えがなされているはずだ。
書類に書かれている事は全て真実で、誰も嘘など吐いていない。
だからこそ謎が深みを増し、迷いは生まれる。
故にカエデ達が真実に辿りつく事は、無い。
――チェックメイト。
真実を証明する手段はどこにもない。
容疑者は筋書き通りに有罪となり、事件現場となった《開きし花》は枯れ果てる。
――全て、計算通り。
思わず、喉の奥からくつくつと笑い声が漏れる。
その時だった。
『なあ、モカ』
突如、ノイズを切り裂きカエデが呟きを漏らした。
『人間にはどうして二つの目があると思う?』
『な、なんですか。急に』
『考えた事は無いか? 片目だけでも目は見えるのに、どうして目は二つあるんだろうって。世の中には単眼の生物なんていくらでもいるって言うのによ』
――ふふっ。考えに詰まって雑談?
『俺は思うんだよ。片目でもモノは見えるが、遠近感が狂っちまう。つまり、人間に両の目があるのは物事を立体的に捉える為じゃないないかってな』
『立体的、ですか?』
『そうだ。例えば石像一つとっても、厚みがあり、高さがある。前と後ろで全く違うものが映るだろう? 同じ石像だって言うのにな』
『それがどうしたんです?』
『物事を立体的に見ろって事だ。俺達には二つの目が付いているんだからな。薄っぺらい事実の奥にある《厚み》を見抜くんだ』
事実の奥の厚み。真実の中の記述漏れ。
何故だろうか。《彼女》の背筋に寒気が走った。
『あらゆる可能性を考えろ。例えば……魔術を使わずにカルロスを殺す方法、とかな』
『そんな。あり得ないですよ。だって、現場には魔素が残っていたんでしょう?』
『あくまでも例えばの話だ。魔術が使用不可能な場所で犯行が起きたと言うのは、つまるところ《どうにかして魔術を使ったか》か《そもそも魔術なんざ使っていなかった》かしかないんだ』
さすがは天才軍師と讃えられた《深淵の知将》。非常に的を射た意見だった。
――けど、一歩足りない。どこまでも果てしない一歩が。
魔術を使ったか、使わないか。
そんなつまらない事を考えている間は、事件のカラクリは一生かかっても解ける訳がない。
『それに、気になる事も一つある。どうして被害者の悲鳴が聞こえなかったんだ?』
『ドアが閉まってましたからね。だからほら、ウチってよく密談とか商談に使われるじゃないですか』
『だったら何故フランの怒声は聞こえたんだ?』
『ドアが開いてたんですよ。あと、窓も』
『そうか。いや、本当にそうなのか……?』
再び考え込むカエデ。
彼らの迷いが、疑念が、そしてもどかしさが手に取るように理解できた。
きっと、重苦しい空気に押し潰されそうな顔をしているのだろう。
だが――
彼女の予想は裏切られる事となる。
ぐうぅぅぅぅ。
『なんだモカ。腹から愉快な音を出して』
モカのものと思われる腹の虫によって。
『い、言わないでくださいっ。仕方ないじゃないですか。お昼ご飯も食べずに、ずっと考えごとをしてるんですから』
『全く。食い気ばかり成長しやがって。少しはその貧相なカラダの方にも栄養をやらないと嫁の貰い手があべし!』
何やら珍奇な悲鳴と衝撃音が《彼女》の鼓膜を揺さぶる。
追い詰められた先で腹の虫? 何と気楽な連中だ。
――勝った。
こんなふざけた連中に自分が敗北する訳が無い。
「くくく。あははははは。なんだ、大したことないじゃない」
今確信した。カエデ達が真実に辿りつく事は無い。英雄の頭脳は平穏な日常を過ごすうちにすっかりなまくらになってしまったらしい。
緊張感が緩む。もはや捨て置いても問題はないだろう。
『食べるもの食べなきゃ頭も働かないって話です。それに、小さい頃はご飯にも困ってましたし』
何やらモカが言い訳じみた言葉を続けているが、もはや《彼女》に興味はなかった。
そのまま魔素結晶から耳を放したその時。
『そう言えば、お前はスラム出身だったな……』
だが――
『……スラム?』
再び、得体の知れない寒気が《彼女》を襲った。
『スラム。そう、スラムだよ……どうして今まで気づかなかったんだ』
――まずいッ!
寒気の原因が、はっきりと理解できた。
理由は、たった一つ。
カエデの頭に、《彼女》にとって、何か《致命的》な閃きがよぎったのだ。
悪寒に震えそうになる中、《彼女》がただじっとカエデの言葉を待つことしか出来なかった。
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