13・《ラスト・ゲーム》
「……イカサマだよ! 魔術を使った、な」
直後、ギャラリー達から今までにないざわめきが巻き起こった。
――今なら、カードをすりかえれば。
カエデはこちらを見ていない。魔術は封じられたとはいえ、ヘンリーは幾つもの《手技》がある。背中を見せている今ならば、いくらでもやりようがあった。
だが。
――この、女ッ!
まるで、私がカエデの目だ。とばかりにモカがカードデックを凝視している。
ほんの先程まで、この子どもじみた女はうろたえるだけのオマケだったはずなのに。
「い、イカサマとは心外ですね」
震える手を引っ込めながら口にしてはみるが、信じる者はいないようだった。
「だったらハッキリ言ってやるよ。こいつらはな、封魔結界を逆手に取ってたんだ」
――やめろ。言うな!
叫びそうになるが、口にする訳にはいかない。
感情を吐露する事こそ、ヘンリーがイカサマを行っている証左となるからだ。
「ほんのさっきまで、《テーブルの向こうは結界の範囲外だった》。俺達は結界の中で、あいつらだけは外にいる。分かるか? つまり……奴らは堂々と魔術を使ってイカサマをしてたんだよ! たった今、俺達はその結界を会場全体に広げた!」
証明されてしまった。
爆炎の魔術姫によって与えられた必勝の策を。
「何を証拠にそんなデタラメを!」
「だったら、あの火事は何だ? 魔術を使ったから焼かれたんじゃねェのか?」
「……ま、まさか。ありえませんよ魔術など」
「はんっ、よく言うぜ。火元を見てみろ。壁の向こうに人が通れるほどの空間が広がっているだろう?」
カエデが指を指したのは、最初に火が上がった場所。
既に壁には完全に穴が空き、外の景色が見えていた。
「テントの壁が三重になってるのは何故だ? どうしてそんな事をする必要がある」
「そ、それは……」
「奴らは壁の隙間に魔術師を配置し、カードやダイスを操作していた。三重なのはテントの外から《残滓》を感知されるのを避ける為だろう」
「ははっ、何を馬鹿な事を。《封魔結界》ですよ? 例え魔術が使えたとしても、結界内にあるカードに細工は出来ませんとも。魔素が弾かれてしまいますから」
「馬鹿な事を言ってんのはテメェだ! 《デックを握ってるのは、結界の外にいるディーラー》だろ。《魔術による書きかえが終わったカードは、ただの物体でしかない》んだ。つまり、テメェらにとっては、結界があろうとなかろうと関係無ぇんだよ!」
もう、何を言っても無駄のようだった。
カエデはヘンリー達の仕掛けを完全に理解し、衆人環境で暴きたてている。
――何故、どうして。
《システム》はこの上なく完璧で、そしてシンプルな物だった。
《封魔結界》の外で魔術を使い、書き換えたカードを配る。それだけだ。
たったそれだけで、一国を傾かせるだけの勝ちを築いてきた。
だが、全てはもう露見してしまった。
もはや、逃げるしか道は無い。だが、彼にはもう逃げ場すら存在しないのだ。
国王がこの場にいる。つまり精鋭の近衛部隊も周辺に紛れている。
この炎の中、歴戦の戦士相手に逃亡できるほど、ヘンリーは武に優れている訳ではない。
「お前らもお前らだ! いつまで騙されてんだよ!」
熱気の中、ギャラリーたちに向けカエデが叫びを上げる。
「いい加減気付け! ギャンブルに勝ちなんざ存在しねぇ! 遊ぶ分には問題ないだろうよ。だけどよ、違うだろ! 今のお前らは搾取されてる。負けるように仕向けられてる」
拳を握りしめ、屈辱に歪むヘンリーをよそに、カエデが演説を続けていく。
「それでいいのか!? 折角戦から解放され、仕事を選ぶ自由が認められ、貴族と平民の垣根が取り払われようとしているってのに、お前らはいつまで騙されてんだよ!」
彼は、激怒していた。
漠然と生き、騙され、搾取されているカジノの客たちに。
自らの可能性を頑なに封じ込めようとする、飼い慣らされた羊たちに。
逃げ出す事も、カエデに賭ける事も選べない、中途半端な民衆たちに。
「いいか、一度だけ。たった一度だけ全部お前らに返してやる。こいつらに呑まれた財産全部。そして、教えてやる。ギャンブルなんざ、夢も希望も無い、インチキとイカサマの塊だって事を!」
拳を振り上げ、彼の心のマグマが言葉に乗せられギャラリーへとぶつけられる。
「だから、テメェら自身の頭で《自由》に考えろ! 臆病な負け犬のまま見ているか、それとも牙を剥いて立ち向かうか!」
だが、追い詰められたヘンリーとは言え、カエデの言葉は虚勢としか思えなかった。
確かにイカサマは封じられた。とはいえ、条件が対等になったに過ぎないのだ。
ブラック・ジャックはゲーム開始時において、僅かではあるが確実にディーラー有利のゲームである。
カエデはまだ、最後の難関である《ヘンリーに勝利する》という大きな壁を残しているのだ。
「ようやく、分かりました。カエデ様、あなた……莫大な賭け金を提示する事で《手打ち》を狙っているのですね?」
「……あぁ?」
振り返ったカエデが、不機嫌そうに低い声を上げた。
「私にとっても支払い不能な金額を提示する事で、負け分を取り戻そうというのでしょう?この火事もその為の布石、と。なるほど、分かりまし――」
「誰がンな事を言ったよ。続行に決まってんだろうが」
――馬鹿なっ!
何もかもが予想外で、常識外れだった。
今の状況を作り出しただけで、カエデにとっては幸運を遥かに超えているのだ。なのに、さらに多くを望んでいる。
爆炎の魔術姫は、紛うことなくヘンリーの味方だ。
彼女がヘンリーに《深淵》の知識を伝え、そしてこの回収システムを築き上げた。
フランシスカがヘンリーに求めた条件はたった一つ。
《深淵の智将》が現れた時、彼の財産全てと、身体の一部を奪う事。
彼女はヘンリーに、後ろ盾となってくれる貴族まで紹介し、カジノ・フリーデの為に尽力してくれた。
地下で何が起きたのか、ヘンリーに知る由は無い。
だが、フランシスカに何かが起きた事だけは――《ありえない事が起きた》のは事実だ。
だからこそ、ヘンリーは《カエデが勝つ見込みはない》確信があった。
「……不可能だ。もう、《貴様は全ての運を使い果たしてる》んだぞ!」
「はんッ! 不可能だと? 馬鹿な事を言ってんじゃねぇよ! いいぜ、だったら見せてやる……」
どんな指摘や揺さぶりも、今のカエデには通用する気がしない。
彼はさらに大仰に、そして芝居かかった口調で、高らかに吼えた。
「魔術やイカサマなんてチャチなもんじゃねぇっ! 人の英知が織りなす本物の奇跡――《魔法》って奴をな!」
瞬間、一人が銀貨の入った袋をテーブルにひっくり返した。
「お、俺は賭ける。カエデ様に賭けて、全部、やり直す……!」
その言葉が合図だった。
関を切ったかのようにギャラリーたちが「俺が! 私が!」と現金や貴金属、衣類をテーブルに積み上げていく。
誰も、炎を恐れていない。
熱気の中、ただただテーブルへと物品が積まれて行く。
「もういねぇのか? ド汚ぇ手段でお前らから搾取してきたクソ野郎どもをブッ潰したいって奴は!」
五人までがプレイできるテーブルは、既に品物の山で埋め尽くされ、今にも崩れてしまいそうだった。モカに至っては、ギャラリーにより全身を宝飾品で飾り立てられ、目を白黒させている。
――だ、駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ!
もしヘンリーが敗北すれば、全てを失うだけではなく莫大な借金を背負うことになる。 おそらく、後ろ盾の貴族も彼を切り捨てることだろう。
「ちゅ、中止だ! こんな勝負、認められるか!」
「ふざけンじゃねぇぜッ!」
カエデの怒声に、周囲のギャラリーがそうだそうだと囃したてる。
「さっきも言っただろうが! 一度テーブルにチップが載せられた以上、退く事はできねぇってな。さあ、早くしろよ。俺達が焼け死ぬのが早いか、それともケリが付くのが早いか。運試しといこうぜ」
進めば地獄。だが、戻る事も逃げる事も出来ない。
どうしようもない袋小路へと追い詰められていた。
「さあ、カードを配りな。死にたくなけりゃな」
カエデがモカに視線をやる。まるで『付き合わせて悪いな』とでも言うように。小柄で童顔の少女はただはっきりと頷くだけだ。
二人に、怖れは感じられない。
――負けて、られるか。
必死に深呼吸をし、心を落ち着ける。
大丈夫。大丈夫だ。
結界が破られた訳ではない。もし、破られていれば危険だった。
相手が行ったのは、結界の触媒の位置を動かし《広げた》だけ。
外から魔術は届かなければ、内側で魔術を行使することもできない。
つまり、条件は対等になっただけ。しかも、僅かとは言え確率的にはヘンリーが有利なのだ。
――自信を持て。勝利の女神は、まだ私の味方だ。
『死にたくなければ』
カエデの言葉がヘンリーを冷静にさせた。
彼はもう、死を恐れない。既に死んでいるも同然なのだから。
だがここで逃げてしまえば、死んでしまえば、ヘンリーは復讐の機会を永遠に失うだろう。
既にトリックは暴かれた。そして、フリーデも焼け落ちようとしている。
テントの外周部はほとんど燃え、火の手はヘンリー達のテーブルへと迫りつつある。
根気強く残っていたギャラリーたちも思い思いに散り始め、今ここにいるのは余程頭のおかしい連中だけだ。
――自分を、信じろ。
暗闇の中で、この国の全てを壊す事だけを目的に生きてきた自分自身を。
後ろ向きかもしれない。狂っているのかもしれない。
だが、復讐こそが彼の《信念》なのだ。
「それでは、配ります」
もう、手は震えていなかった。
しっかりと意識を持ち、ヘンリーがカードを配る。
――やはり!
内臓が飛び出しそうな緊張感の中、思わず笑みが漏れる。
カエデのカードは、合計で十二。
そしてヘンリーの一枚目の札は、絵札――十だったのだ。
次回、決着!




