10・英雄同士の《信頼》
「それでは、人生最後の仮面舞踏会、お楽しみになるといいですわ」
ライムリアの一言が合図だった。
周囲の男たちが統制された動きで飛びかかってくる。
――確かに彼らは強い、けど!
たかだか十人でフランシスカを止められると思ったら大間違いだった。
正面へと足を踏み込み、一人目の男の腹部に靴底を叩きこむ。
潜在能力を解放した今のフランシスカは、存在そのものが凶器である。相手が鎧で覆われていようが関係無い。常識を越えた超高速の飛び蹴りは、一撃で相手の肋骨を粉砕し、背後の水晶球を巻き込んで壁に激突した。
――まずは一人。
そのまま壁へと駆け寄り、振り向く。
「あら、かかって来ないの?」
武器も使わずに一人が無力化された事が余程意外だったのだろう。
男たちは警戒し、攻めあぐねているようだった。
――こっちの思うツボね。
仮面から覗く口元を歪め、余裕綽々にステップを踏む。
革靴がリズムを刻み、金属の滑車が地面と擦れて金属のメロディーを奏でる。
「だったらほら、追いかけてごらんなさい」
軽やかに剣を振りながら、外壁伝いに舞い始めたフランシスカがよほど腹にすえたのだろう。
怒号と共に二人の男が武骨な剣を振りかぶり、飛び出してきた。
「死ねぇっ……え?」
だが、どうしたことだろう。
二人目の男が振り下ろした剣は、《仲間の首に突き刺さっていた》。
理由は明白。
フランシスカが剣を払い、軌道を変えたのだ。
驚きに目を剥く男に軽く微笑み、鎧の隙間に剣をねじ込む。
「が……っ!」
喉を貫かれ、声にならない悲鳴とともに絶命する男。
――これで、三人!
容赦などするつもりはなかった。
目の前の男たちは、このカジノの一味だ。
不正を働き、無辜の民の人生を狂わせ、多くの死と不幸と嘆きを撒き散らしてきた許されざる《悪》。
「どうするつもり? ギャラリーが減るのは寂しいんだけど?」
ローブで血を拭きながら、さらにフランシスカの舞いは加速して行く。
刻むリズムは激しさを増し、滑車の摩擦で地面に火花が散る。
襲い来る男たち切り裂き、突き、暴風の如き蹴りで打ち砕く。
――五、六、七。
既に戦場は混沌の様相を示していた。
結界を安定させる為の水晶球の半数は壁にめり込み、呪紋陣も血で上塗りされている。
――八人目!
鎧の隙間から内臓を貫き、剣を引き抜こうとする。
だが。
――抜けないっ!
僅かに歪んだ刀身が、肉か鎧の隙間に挟まってしまったのだろうか。
直後、一瞬の隙を見せたフランシスカの背後から、稲妻のような槍突が襲いかかる。
「馬鹿がっ。剣一本で十人も切れる訳がなかろう」
手ごたえを感じたのだろう。得意げに男が言い放つ。
だが。
「なっ……!」
彼の目の前にフランシスカはいない。
必殺のはずの一突きは、フランシスカではなく自らの仲間を貫いていたのだ。
「……あなたの言う通り」
《男の頭上》からフランシスカが告げる。
彼女は男が一撃を放つ直前、上空へと跳びあがっていたのだ。
「でも、一本じゃないのよね。これが」
フランシスカが腕を振るうと同時に、男の眉間へダガーが深々と突き刺さる。
もし、男の反応がもう少し早ければ、気づく事が出来たはずだ。
フランシスカのローブの内側には、無数の刃物が隠されている事を。
「女は秘密が多いの。知ってた?」
最後に、フランシスカの剣と味方の槍に貫かれながら、なお立ち上がろうとした八人目の男に蹴りを叩きこみながら口にする。
吹き飛ぶ男は水晶球を巻き込んで、派手な衝突音と共に沈黙した。
「それで、残りはあなた一人だけど?」
踊りを止めることなく、挑発するようにフランシスカが問いかける。
ライムリアは、最初の位置から一歩たりとも動いていなかった。
「あらあら。やはり魔術を封じても敵いませんね。ですがご存じの通り、あなたに私は攻撃できませんことよ」
拍手と共に讃えるライムリアの様子に焦りは無い。
相手もフランシスカの正体にはとっくに気づいていたようだ。
「そして、あなたは御存じでしょうけれど……この結界は、破壊できない」
まさに、余裕綽々。どこかの陰険軍師を思わせる口ぶりだった。
「もちろん、分かってるわよ」
足元の呪紋陣は、いくら血に塗れようとも傷つけようとも発光を続けている。
つまり、結界の核になっているのは、巨大な水晶だ。恐らく、全てを破壊する事で《封魔結界》は効果を失う。
だが、いくらフランシスカが身体強化の術をかけていても、あれほどの物体を素手や剣で破壊するには数時間では足りないだろう。現に、水晶のいくつかは壁にめり込んでいるというのに傷一つない。
「ならば、どうするつもりですの? 術者である私を攻撃する事も出来ず、触媒を破壊する事は出来ない。今、上はどうなっているのでしょうねぇ?」
フランシスカの頭上では、未だカエデが魂を削るような時間稼ぎを行っているだろう。
見立てよりも大幅に時間を食ったせいで、現在どうなっているかなど想像もつかない。
それでも、一つだけ確信があった。
舞いを止め、真っ直ぐに天を指し、ライムリアを睨みつける。
「きっと上手くやってるわよ。あいつならね」
「うふふ。美しい信頼ですわね。ですが、きっと……」
真正面から放たれる覇気など気にも留めず、穏やかにライムリアが口にする。
「今頃、爆炎の魔術姫が裏切っている事実を、オーナーが口走っている頃かと思いますの」
瞬間、フランシスカの呼吸が止まった。
聞き間違いだろうか。今、目の前の女は何と言った。
《フランシスカが裏切っている》?
「状況から考えても説得力はありますものね。全てを失い、借金を背負い、いつまで経っても助けが無い状況ですから」
確かに。普通ならば簡単に信じるだろう。
人の心は余りにも脆く、弱い。
しかも、実際にフランシスカは彼に多くの秘密を隠しているのだから。
だが――
「……ぷふっ」
フランシスカから漏れたのは――
「あははははははははっ!!」
腹の底からの笑いだった。
「ああ、おかしい。確かに、あんたの言う事は事実よ。だけどね、あんたはカエデを見くびってる」
分かっていない。ライムリアは何も分かっていない。
カエデと言う男を。かつて深淵の智将と呼ばれた英雄の事を。
「あいつは馬鹿なの。どうしようもない大馬鹿なの。果てがないほどの論理馬鹿なの」
唯一被害から免れた水晶球を撫でながら、朗々と告げていく。
「で、その論理馬鹿が今、何を考えてると思う?」
フランシスカには、カエデの思考が手に取るように理解できた。
彼との付き合いは長い。しかも、何よりも濃密な空間である《戦場》を共に過ごしてきたのだ。
「あたしには分かるわよ。あいつは今『フランシスカが、結界を打破する』って考えてるの。『早く打破してくれ』でもなければ、『打破してほしい』とも違う。希望的観測や願望なんてどこにも存在しないわ」
「呆れるほどの信頼ですわね。それとも、妄信と呼ぶべきでしょうか」
「だからあんたは何も分かってないのよ。カエデがあたしを信じてるのは、信頼や友情なんてものじゃない。あいつが信じるのは、確固たる論理と計算、自らの《知と理》だけよ。腹立たしい事にね」
恐らく、カエデにとっては今の状況さえも織り込み済みなのだろう。人使いの荒さは何年経っても変わらない。
「かつて《深淵の軍師》と呼ばれた男が見ているものは、あたしたちでは想像もつかない世界よ」
フランシスカは、幾度となく見てきた。
カエデの起こした奇跡を。信じられないような魔法を。
彼は時にフランシスカに歓喜を与え、そして時に怒りと屈辱を与えてきた。
その彼が自分を信じているのなら、起きる結果は一つしか無い。
「だから、予言するわ」
静かに、事実だけを告げる。告げてやる。
「《封魔結界は……私がぶっ潰す》ってね」
「うふふ。けれど、一体どうやって?」
「こうやって、よ!」
叫ぶが早いか、今まで触れていた巨大な水晶球を思い切り押し出す。
勢いのまま壁へとめり込む球体。だが、無傷なのは相変わらずだ。
相手はただ、何事かと呆気にとられるだけ。
フランシスカが何をしようとしているのか、気付きもしないようだった。
「まだ気付かないの? あんた、それでも魔術師? 偽物じゃないの?」
嘲る口調と共に、鈍く輝く呪文陣の外――壁際へと飛び退る。
「どうしてあたしがこんな靴を履いてたと思う? どうして無駄としか思えないヘタクソなダンスを踊ってたと思う?」
「まさか……!」
ようやく気付いたのだろう。だが、もう遅い。
「今のあたしに結界を破壊する事は出来ない。だけど、《上書きする事は出来る》!」
宣言と共に、精神を周囲の魔素へと溶け込ませる。
溶けだした精神は、神経組織のように《世界》へと浸食し、呪紋陣へと流れ込む。
全ては、この時の為だった。
奇妙な靴を履き、舞う素振りを見せていたのは新たな呪紋陣を描く為。
常に水晶を巻き込みながら戦っていたのは、《結界の鍵》にする為。
「これが《深淵の智将》が予測した結末よ」
宣言と共に、呪紋陣が強く輝き、光柱が天へと向かい放たれた。
発動成功。
全ては彼女の計算通り。
「これで、あたしの仕事は終わり。あとはカエデ次第って所かしら」
フランシスカの狙いはただ一つ。
結界を破壊する事では無く、範囲を広げる事。
広げた事で、どうなるか……カエデならば気付いてくれるはずだ。
「ぶっつけ本番のコンビプレイ、あんたなら分かってくれるわよね……!」
口の中で小さく呟き、再びライムリアを睨みつける。
だが既にライムリアの姿は無く、彼女の視界には九人分の死体が転がっているだけだった。
「前は負けたけど、今回はあたしの勝ち。必ず、取り戻して見せるわ。あんたらがあたしから奪った物を、全部」
静かに決意するフランシスカの声だけが、遺跡の中に小さく響くのだった。
このシーンで《ある違和感》を感じた方。胸にしまっておいてください。




