8・復讐者の《生きる意味》
「彼の、右腕は……私です!」
モカこそが、今のカエデの右腕なのだから。
オーナーであるかどうかなど知ったことか。腕に、身体の一部に雇用関係などありはしない。例え切り離されようと、身体の一部は一部であり、ずっと一緒なのだから。
「なっ、何をしている!?」
軽やかに身を捻り、ゲームテーブルの上へと飛び乗ったモカに対し、初めてカエデが本物の狼狽を見せた。
「賭けなければならないのは、右腕なんでしょう? だったら私です! ホテル・フロルの営業の一切を取り仕切る私を差し置いて、誰を右腕って呼ぶんです!」
涙を必死に堪え、精いっぱいの虚勢を張る。
「ふざけるな! 何を考えている!」
「何を、って。信じてるだけですよ。今、先生が戦えなくなったら誰がやるんです? 誰がフロルを取り戻して、誰が城砦都市の外で苦しむ人たちを救ってあげるんですか!」
イカサマで相手を騙し、身体の一部まで奪おうとする外道を放っておく訳にはいかない。
みんな、被害者なのだ。恐らく数時間前に襲ってきた盗賊も、この男さえいなければ命を落とす事も無かった。
敵は用意周到で、悪趣味で、下衆で、外道で、そして驚くほどに頭が切れる悪党だ。
だが、カエデなら。
カエデとフランシスカなら。
《深淵の智将》と《爆炎の魔術姫》なら、目の前の狂った男を倒すことができる。
モカができるのは、ただ信じるだけだ。
「信じる、だと? 馬鹿を言えっ! 妄信と信頼は違うんだ!」
「妄信なんてしていません! 私はただ、今まで見てきた一人の男が出した結果と、そしてその相棒のフランシスカさんを信じているだけです!」
「良いから止めろッ! お前が右腕だと? そんな理屈、通る訳が――」
「通しましょう。私が認めます」
カエデの怒声をヘンリーが鋭い声で遮る。
「ふざけるな! 人身売買は犯罪だぞッ!」
「いえいえ、別に売買ではありません。彼女は若いと言えど法令上は成人。しかも自らの意思で身を命を賭けようと言っているだけなのですから。まあ、知り合いに美女のはく製を作るのが趣味の貴族はいますがねェ。もちろん、隠された趣味ですが」
「……テメェ」
「どうやら、あなた……自分の身は捧げる事が出来ても、お仲間の命は大事のようですから。こちらの方が効くと見ました」
「いいから馬鹿な事は止めろ、モカ! 駄目に決まってんだろうがッ!」
「馬鹿はあなたです。最初に言いましたよね……一度テーブルに載せたら、もう後戻りは出来ないと」
そう、もう後戻りは出来ない。
あらゆる未来を受け入れる覚悟をし、モカがテーブルの端で片膝をつく。
気付けば、周囲を武装した数人の男が囲っていた。恐らく、入口も塞がれているだろう。
ギャラリーたちは完全に言葉を失い、思考すらも放棄しているように見える。
「賭けて貰いましょう。あなたの《右腕》。勝てば今日の負け分は全てお返ししますよ」
ヘンリーの合図とともに、先程奪われた金塊や権利書などがボーイにより運ばれてくる。
「……完全にハメられてた、ってワケか」
カエデはただ、苦虫を噛み潰した表情で睨むことしか出来ない。
相手はただ、挑発しているのだ。目の前に失った財を並べることで、カエデ達の心を折ろうとしているだけだ。
「はめたとは心外な。あなたの下らない演技に今まで付き合ってあげていたのです。感謝してもらいたいくらいです」
――演、技?
モカの胸が、冷たい鍵爪で鷲掴みにされる。
まさか。
「テメェ……俺が今日ここに来る事を知ってたな」
策が知られていた。つまり、内通者がいる。
一体、どこに。誰が。
周囲を見回すが、もちろんモカに分かる訳がない。
「さあ、私には何のことやら」
「なるほどな。ようやく分かったぜ。狙いは俺の身柄でもなかった訳か」
飄々とした様子のヘンリーを見て何かを察したのか、カエデが苦々しげな表情を浮かべる。
「恐らく、最後にお前は言うんだろう?『命を賭ければ、負け分を取り返させてやる』と。誰に頼まれた? どこかの貴族か?」
「……貴族、だと?」
どうしたことだろうか。
突如、ヘンリーが静かな怒声と共に義手を振り上げた。
「私を、私を見くびるなっ!」
鋼鉄がテーブルを殴りつける音が周囲に響いた。
彼の表情に浮かぶのは、張り付いた笑みでは無く《怒り》。
「……十年前。私はある貴族の元で部隊を預かっていました」
自身の感情を押し殺すように義手の指を固く閉じ、ヘンリーが続ける。
「連戦連勝。向かうところ敵なし。いい部下と仲間に恵まれておりましたが、その勢いも途中で止まりました。ある男の出現によって」
ヘンリーが震えながら睨みつけるのは、カエデだった。
「あなたの初陣ですよ、カエデ様。見事な策にはまり、私は二千の部下と右腕を失った」
彼の怨念のこもった言葉で、モカの体に震えが走る。
どうしてカエデは右腕を賭けさせられたのか。今、理解できた気がした。
「軍は敗走。傷を焼き、命からがら故郷に逃げ帰った私に待っていたのは、街の広場に晒された《家族の首》でした」
城砦都市においては、百年近く前から公開処刑は禁じられている。
だが、各貴族の自治がまかり通っていた当時の他都市では、《見せしめ》というのはよくある話だった。
「誰かが私を生贄にしたのですよ。無能な司令官が、部下を捨てて敵前逃亡をした、ってねぇ」
右手で義手の指を折りながら、ヘンリーが闇く呟く。
「……そんなの、逆恨みですよ! 先生は何も悪くないじゃないですか!」
戦争が起きたのはカエデのせいではない。戦わなければ死んでいたのもカエデである。
そして裏切ったのはヘンリーの部下で、処刑したのは貴族だ。
カエデが恨まれる筋合いなど、どこにもあろうはずがなかった。
「逆恨み? それがどうしたと言うのです。戦の事だから水に流せ? ふざけるな!」
叫びと共に、義手が遊戯卓を更に強く叩く。
「ならば私は何を憎めばいい! 誰を怨めばいい? 国か? 王か? 貴族か? 裏切り者か? それと私の腕を落とした名も知らぬ兵士か?」
感覚が無いはずの拳を震わせ、さらにヘンリーが言葉を紡ぐ。
「違うね! 私は全てを憎む! 人は、弱い。拠り所無しに生きる事は出来ないのだよ! どれだけ怨んでも、嘆いても、失った物は帰って来ない!」
彼の叫びは、悲痛だった。
だからこそ、モカにも彼の気持ちは痛いほどに理解できた。彼女もまた、奪われた者なのだから。
「だから、決めたのだ! 私が《奪う側》に回ると!」
世界は、理不尽に人間から何かを奪っていく。
例え戦争が無くとも同じだ。不条理はそこかしこに転がっている。
貧民街のように、賭博村の外縁のように、フロルが冤罪事件に巻き込まれたように。
「この国から、全てを奪う。貴族の権威も、金も、財産も。何もかも奪い尽くす《不条理そのもの》に私はなる!」
悪鬼。としか表現できなかった。
彼は妄執に取りつかれている。
奪われた者たちの怨念を全て背負い、戦おうとしている。
彼の進む道には、嘆きしか待っていない事を知っていながら。
「……そうやって、俺からも全て奪うつもりなのか?」
「ご明察。既にフロルとあなたの《右腕》は頂きました。次に奪うのは本物の右腕。今のうちに愛でておくと良いでしょう」
「気が早い事だ。まだ勝負は始まってないぜ」
果たして、カエデは彼に勝てるのだろうか。
初めてモカの胸に不安の色がよぎった。
何故なら、カエデもまた奪われた者なのだ。
故郷を焼かれ、戦場の中で数えきれないほどの仲間を失い、そして貴族の陰謀で城から去る事になった。
もはやこの勝負は、ただのギャンブルでは、無い。
怨念と妄執の復讐劇だ。
カエデは英雄であると同時に、多くの同胞の命を奪った人間でもある。
戦争が終わったとは言え、割り切れない思いを抱く国民は少なくはない。
ヘンリーは、カエデの《負の側面》の化身なのだ。
――先生。
今、カエデにとって最も重要なのはヘンリーの憎悪に心を飲みこまれない事。
自らの行いを正面から見据える事。
財を全て奪われ、肌が焼けんばかりの憎悪を向けられた今のカエデに、果たしてそれができるのか。
最後のゲームが今、始まろうとしていた。
「そう言えば、一つ伝え忘れていたことがありました」
カードをシャッフルするヘンリーが、まるで世間話のようにカエデへ問いかける。
「あなたがたがずっと待っている《助け》ですが……来ませんよ」
くつくつと喉が鳴らされ、デックがテーブルへと置かれる。
「何を言っているのか分からないな」
カエデはいつものように堂々と惚けているが、モカは気が気ではなかった。
「既にあなた方の策は筒抜けだと言っているのです」
今までにない狂気と狂喜の表情を浮かべ、ヘンリーがデックをカエデへと差し出す。
そして、ただ優しく告げた。
恐るべき事実を。
「何故なら、《爆炎の魔術姫はこちら側の人間》なのですから。最初から、ね」
凍てつく空気の中、モカはもとよりカエデさえも口を開く事は出来なかった。




