3・決戦の地、その名は《カジノ・フリーデ》
そして十日後。時刻は昼前。
夜明け前に出発し、早数時間。街道を走る馬車の中の空気は、最悪だった。
カエデは相変わらずの仏頂面。向かいの女も同じ面構えだ。
幌馬車の中にいるのは三人。
純白の外套を纏った枯れ木のような男、カエデ。そしていつものエプロンドレスではなく、薄い赤を基調とした仕立ての良い平民服を着たモカ。
さらに、魔術師然とした黒ローブに身を包んだ金髪の女性、フランシスカ。
何と、国王から派遣された魔術師は《爆炎の魔術姫》だったのだ。
確かに、カエデは腕の良い魔術師を要求した。この国において、フランシスカ以上の適任はいまい。
だが、どうした事だろうか。先日の一件で和解したと思いきや、二人は軽い挨拶をした後は一言も口を聞いていなかった。
「あ、あの。何か話す事とかないんですか? 昔の事とか、会ってない間の出来事とか」
「特に無いな。聞かなくとも、耳には入ってくる」
「無いわねー。聞かなくても想像がつくし」
以上、会話終わり。再び沈黙。
ただ、一つだけ理解できた事がある。二人の間に険悪な空気はない。
ただ、会話する必要がないから口を開かないだけだ。それだけ二人に信頼があると言う事なのだろう。
それでも、モカは話題が欲しかった。必死に頭を巡らせ、質問する。
「あ、あの。魔術って何なんです? 不思議な力って言うのは分かるんですけど、私が思うほど何でも出来るって訳でも無さそうですし。よければ教えてほしいなー、なんて」
「あら、カエデから何も教わってないの?」
「魔術は特殊だ。理屈を知っていようとも門外漢が講義をしていい学問ではないだろう」
「確かにそうね。けど、魔術師でも言葉で講義するのは難しいのよ。センスや感覚に頼る部分ってのがどうしても多くなるから。どこから話せば――」
フランシスカが説明を始めようとした時だった。
突如、馬車を激しい揺れが襲った。
急な震動に体が耐えきれず、三人の体が壁へとぶつかる。
馬車が急停止したのだと気付くのは、数瞬経ってからだった。
「……フラン」
「分かってる。モカちゃんは奥で伏せててね」
カエデが椅子の下に収められた長槍を手に取り、フランシスカが前屈みに飛び出す態勢を取る。
外から聞こえるのは、怒号。
話には聞いていたが、恐らく野盗だろう。
「気配から察するに、十人程度か。一人でやれるか?」
「当然。あたしを誰だと思ってるの。魔術が無くてもイケるわ」
言うが早いか、フランシスカが馬車から飛び出す。
恐らく、彼女の言葉に嘘はない。噂によれば、《爆炎の魔術姫》は剣や体術だけでも並の兵士数十人分の動きをするというのだから。
「目を閉じてじっとしてろよ。俺は戦力としてはアテにならんし、多分お前より弱い」
対する英雄の片割れは、どうしようもない事実を自慢げに口にし、モカを椅子の下に押し込んだ。
言われるがままに目を閉じ、そのまま体を丸める。
どうせ逃げ場はないのだ。縮こまっていた方がいくらか安全に違いない。
後はただ、僅かな恐怖と強い信頼に心を寄せて待つだけだった。
モカの耳に聞こえてくるのは、爆発音と男たちの悲鳴。
肉の焼ける臭いが馬車の中へと僅かに届く。
以前、カエデが言っていた。フランシスカが本気になれば、生身の人間の五人や十人程度なら相手にもならないと。
彼の言葉は紛れもなく事実だった。
何と、数分と経たぬ内に周囲に静寂が訪れたのだ。
「追っ払ったわよ。馬も人も怪我人は無し」
馬車に顔を突っ込んだフランシスカの言葉は、まるで簡単なおつかいを終わらせただけといった口ぶりだった。
「丁度いい、課外授業だ。外に出るぞ。御者は待たせておけ」
言うが早いか、カエデが立ち上がり馬車から飛び降りる。
後を追ってモカが馬車から出ると、眼前には凄まじい光景が広がっていた。
鬱蒼とした森の中、土と石ころで出来た道に転がる幾つもの死体。
あるいは炭となり、あるいは下半身が吹き飛ばされ、あるいは一月前の事件のように全身を醜い火傷で包まれている。
「死体は三つか。さすがだ、と言いたいところだが少し腕が落ちたんじゃないのか? お前なら死なない程度に痛めつけることだって出来ただろうに」
「あんたたちの安全を優先したの。こういう事、あまり言いたくはないけど……見せしめよ」
惨たらしい死体を見せる事で戦意を削ぎ、撤退させる。
彼女の目論見は成功したと言えよう。
同時に、理解する。
フランシスカ達は、モカとは違う世界の住人なのだと。
生まれは貧民街とは言え、モカは人生の半分以上を《平和な》都市で過ごしてきた。
だがフランシスカ達は、戦争の中で生まれ育ち、そして戦場を駆け抜けてきたのだ。
「本当は、命までは奪いたくなかったんだけど。そうも言ってられないしね」
フランシスカが、黒焦げの遺体に向け、手を合わせる。
「願わくば、魂の安息があらんことを」
死者に対する祈りの言葉。盗賊とは言え同じ人間だ。
もしかしたら、賭博村で騙された人間のなれの果てだったのかもしれない。
全てを奪われ、失い、そして誰にも知られぬままに命を落とす。
だとしたら、あまりに憐れな最期だと言えよう。
モカ達も手を合わせ、印を切る。
祈りを終えたフランシスカが顔を上げ遺体に手を伸ばすと、先程まで人の姿をしていたものが、またたく間に細かな灰となって空へと散っていった。
そのまま同じように、残り二つの死体も《埋葬》していく。
「これが魔術だ。多くの制限はあれど、条件さえ揃えば術者の意思通りに世界を《書き換える》力。市街地に住む俺達では滅多に目にする事はないがな」
「呪文とかは無いんですね。ちょっと意外です」
「慣れればね。大きな術や結界を張る場合は補助として呪紋陣を使う事もあるけれど」
軽く言い放つフランシスカだったが、どうやらカエデの考えは違うようだった。呆れるような声で反論する。
「それはお前だけだ。言っておくがモカ、フランは本物の化物だからな? 今のような埋葬が出来る魔術師ですら、一流と呼ばれる中の一握りだ」
「なっ、化物とは失礼じゃないっ? 訴えるわよ! 謝罪を要求するわ!」
「いいから行くぞモンスターウィッチ。略してモンィとモカ。続きは馬車の中だ」
「待ちなさいよ! 何その変な略称!? どうやって発音したの!?」
「って言うかその流れだと私がモンィの同族みたいなんですけど!?」
「だからどうやって発音してるの!?」
軽口の叩きあいに、少しだけほっとする。
先程までの殺伐とした雰囲気が嘘のようだった。
そのまま騒ぎながら、カエデを先頭に馬車へと戻って行く。御者の中年男性も呆れ顔だ。
「あぁ、そうだ。魔術に関して、一つ面白い話を忘れていた」
馬車に足をかけたカエデが小さく呟く。
「面白い、ってどんなです?」
続けて身軽にモカが飛び乗り、フランシスカが後に続く。
「魔術の中にも、少しだけ特殊なものがあってな」
三人が椅子に座り、馬が走りだすと、再びカエデの講義が始まった。
「《呪い》だよ」
口を歪め、カエデが放った言葉にどきりとする。
何とも恐ろしげな単語だった。
「おとぎ話で聞いた事があるだろう? 一夜にして人が干からびたとか、健康だった人間が突然街中で苦しみ悶えて死んだとか」
――あ、また駄目なパターンだ。
モカは以前、カエデが今と全く同じ表情をするのを見た事があった。数年前、政務官だったカエデが《石の家》を慰問した時のことだ。
詳しい経緯は覚えていないが、何故かあの時、彼は突然怪談を始めて《石の家》の子ども達を恐怖のどん底に叩き落としたのだ。
今の彼は、当時と全く同じ顔をしていた。、
「勿論、ほとんどは噂や迷信だ。だが、ほんの一部だけ……真実の場合がある」
口の端が裂けそうな笑み。まるで悪魔だった。
「《呪い》は被害者に制約をかける。例えば、特定の単語を発してはいけない。例えば、術者を裏切ってはならない。例えば、腹が減ったからと言って食堂に忍び込んでこっそりつまみ食いしてはならない」
モカの額から汗が一筋流れる。最後の一言が余りにも具体的すぎた。
どうやら、最大の秘密がバレているらしい。
「もしお前が術者にかけられた制約を破ったら、どうなると思う?」
「私が呪われてるの前提で話すのは止めて下さいっ! そりゃあ、想像はつきますけど」
「そう! もしお前が制約を破り、生まれ持っての食い意地に負け、つまみ食いを行った場合……次に待つのは凄惨な死だ!」
「あぁっ、ごめんなさいっ。謝りますからっ! 半分の週三回に減らしますからっ!」
「ふはは! 涙目で懇願しても許さんぞ! と言うより、週六回もやってたのか」
何故か目を剥いて驚くカエデに、何度も頭を下げるモカ。
食べ盛りの乙女だから仕方がないとは言え、さすがに多すぎたようだ。もちろん、つまみ食いを止める気はさらさら無いが。
「で、でも呪いって言うなら、先生の方こそ危ないんじゃないですか?」
権力による不当な弾圧に対抗するため、必死に言い返す。
だがカエデはまるで意に反さず、今度はフランシスカを指差して口を開いた。
「危ないのはコイツも同じだ。新聞読んだぜ? 議会から派遣された副院長と相当やりあってるそうじゃないか。俺もお前も、貴族からは嫌われてるからな」
「……それ、半年前の記事じゃない。彼は貴族議員だけど上手くやってるわ。誰かさんと違って私は品行方正に生きてるもの」
冷やかしてくるカエデに対し、フランシスカが軽く言い放つ。やはり、カエデの対応には慣れているらしい。
フランシスカが全く怯えの色を見せない事がつまらなかったのか、壁に体重を預けたカエデが最後にフォローの言葉を放つ。
「まあ、呪術はそう簡単に使えるモンじゃない。数十年に一回しか行えない程に厳しい条件があり、死体からすぐに足が付いちまう。しかも、許可なく使用すれば問答無用で死刑だ。余りに危険で、邪悪な――《人の心を縛る術》だからな」
最後の言葉は、どこか苦虫を噛み潰したかのような雰囲気だった。
何となくではあるが、モカは彼の感情が理解できる気がする。
人の心を縛る術。
トロヴァーン王により統一された今のサン・メディス王国では、誰もが自由に思考し、感情を表現し、思想を持つ事が許されている。もちろん、他人や公共に迷惑を与えない範囲と言う条件は付くが。
モカの知識によると、憲法草案にはカエデも大きく関わっているはずだ。
そんな彼からしてみれば、呪術は、《人の心を自由》を奪う忌むべき物なのだろう。
「これで呪術の講義は終了だ。何か間違ってたらフランが訂正してくれるだろうさ」
軽く言い放ち、カエデがフランシスカに視線をやると、彼女は静かにほほ笑むだけだった。
どうやら、訂正すべき場所はないらしい。
「と、随分話が長くなっちまったな。着いたみたいだぞ」
馬車がゆっくりと速度を落とし、停止する。
モカが半身を乗り出し外を覗いてみると、そこには不思議な光景が広がっていた。
「ふぁっ……!」
意識せず、声が漏れる。
見渡す限りの人、人、人。
農村の入口に似つかわしくない露店の数々。所狭しと張られたテントは恐らく臨時の宿屋だろう。
馬車から下りて周囲を観察してみれば、地面に座りみ小銭を賭けてダイスを振っている者たちもいる。
だが、賑やかなばかりでは無い。
村の外側に目を向けてみれば、財を失った浮浪者が生気を失った目で座り込みゆっくりと最期の時を待っている。
さらにその近くでは、悪態を付きながら村人が穴を掘り、飢えか病気で死んだであろう躯を放り込んでいる。
――負ければ、全てを失う。
敗者の凄惨な末路に身震いさせていると、背後からカエデの不機嫌そうな声が上がった。
「……ここまで大事になっているとはな。全く、胸糞悪い光景だ」
「魔素も少しだけ薄くなってるわね。けど、ここはまだ入り口よ。あたしたちが行くのは、この《賭博村》の中心――」
フランシスカが一歩前に出て、数百メートル先にそびえ立つひと際大きなテントを指差す。
「サン・メディス最大の賭場。《カジノ・フリーデ》なんだから」
農村のど真ん中に堂々と構えられた巨大なテントは、コンサートや演劇でさえ行えそうだった。
「あそこが、勝負の場所……」
モカの胸が、僅かに騒ぐ。
彼女の知る限り、カエデは出来る限りの準備を整えていた。
資金も目が飛び出るような額を準備した。策も幾重に用意してある。
後は、騙された人たちを救うために勝つだけだ。
だが、モカは知る由も無かった。
彼女がこれからこの村で起きる僅か数時間の出来事で――
《命を賭ける》事になるとは。
※TIPS
魔術の《多くの制限》の中には《生物に直接魔術をかける事は出来ない》と言うものがあります。
故に、RPGで言う即死魔法は意味を成しません。
例外として回復魔術がありますが、そちらも発動には諸条件が必要となっている為、意外と不便な物だったりします。
もう一つの例外としての呪術ですが、こちらは本文中に述べたように多くの縛りがあります。
以上、本編には全く関係の無い設定厨のたわごとでした。
今後も物語に関係の無い設定は問答無用でカットするのでご了承ください。