2・ひねくれ白衣の《過去の出来事》
「あ、あの。そんな酷い事をしているなら、取り締まって財産没収、とかできないんです?」
重い空気を破ろうと、努めて明るい声でモカが問いかける。
だが、二人は彼女の言葉を聞くと、深くため息をついた。
「それが出来れば苦労しない。お前は俺の元で何を学んでいたんだ」
「相手は法を守っているのだ。反乱の予兆も何も無い。役所に営業許可を取り、決められた税を納めている。民の手本である我々が無法を行う訳にはいかんのだ」
「す、すみません」
「別にいいさ。この国の憲法にもあるだろう? 《国民は他者を権利を侵害しない限り、喜怒哀楽、愛、憎しみなどの感情を自由に持つ事が出来る。また、他者に縛られることなく物事を考える権利を持つ》。思想・思考の自由だ。疑問や意見を持つ事はむしろ正しい事だぞ」
細い指先で頭をくしゃくしゃになでられ、モカの顔が羞恥に染まる。
そんな彼女を撫でる手を引っ込め、カエデが王に向かい口を開いた。
「……話は分かった。だが、どうして俺なんだ? ギャンブルならフランにでもやらせておけばいいだろう」
カエデの表情は、どこか不機嫌そうだった。ずいと顔を寄せ、国王を見つめる。
「お前にとって俺は軍師であり、政務官かもしれない。だが、俺は魔術師でなければギャンブラーでもサマ師でも無いんだぞ」
「そう言うな。お前は貴族に嫌われておるからな。少し貸しを作っておいてやった方が商売もやりやすかろう」
「それは建前だろ? で、本当の狙いは何だ?」
問いかけるカエデに対し、国王が真剣な面持ちで、重く口を開く。
「通したい法案があってなあ。一番ラクそうな方法を考えたらお前しかおらんかった」
「帰れ! 法案を通したいんだったらお前専用の抜け穴を用意しただろうが!」
「冗談だ。国家の危機だぞ」
「だったらなおさら真面目にやれ!」
「それに法案にしろ、あの《抜け穴》は乱用できん。一度限りの奇襲ではないか」
「知るか。また話が逸れてるぞ。このままだと夜が明けちまう」
カエデの指摘に、国王が「すまんな」と返し、再び本題が続けられていく。
「とにかくこの案件、お前にしか頼めぬのだよ。何故なら――」
言葉と同時に、国王の皺の刻まれた口元に獰猛な笑みが浮かんだ。唇の隙間から犬歯が覗き見える。まるで、魔獣の牙だった。
「相手が《深淵》に触れている可能性があるからだ。カエデ、お前と同じようにな」
次の瞬間、カエデの目が見開かれる。
「……深淵?」
意識せず、モカの口から疑問が漏れた。
カエデの過去の二つ名、《深淵の智将》と何か関係があるのだろうか。
「古代魔法文明については知っておるか?」
「はい。以前に先生から講義を受けました」
遥か昔の人間は、《魔法》によって馬よりも速く走り、鉄の鳥で空を飛び、海を渡る事さえも出来ていたらしい。
どうして滅びてしまったのかは現代に生きる彼女たちの知る由もないが、存在していた事だけは明らかになっている。
「稀に天啓のように失われた魔法文明の知識の片鱗を《思い出す》者がいてな」
「それが、先生……?」
初耳ではあったが、納得できる事でもあった。
《深淵の軍師》は荒唐無稽な戦術や斬新な用兵によって多くの戦で奇跡の勝利を手にした男である。
彼の策の根底に失われた文明の知識があったとしても不思議ではない。
「左様。あくまでも知恵の片鱗であり、完璧なものでない。個人によって《思い出す》内容や分野は違えど、原因も法則性もいまだ解明できておらん」
「何せ、《深淵》に触れた奴のほとんどは脳の回路が千切れて死ぬか、発狂しちまうんだからな。恐らく、世界中しらみ潰しに探しても十人といないだろうさ」
「お主も何を知っているのかワシに教えてくれんしな」
「過ぎた力は身を滅ぼす。政に身を置く人間なんだから分かるだろ? 昔も言ったように、深淵に触れて得た知識は墓まで持っていくつもりだ」
ぶっきらぼうに言い放つカエデに、国王は頷く。どうやら納得済みのようだった。
そして次の瞬間。
モカにとって思いもよらない言葉が王の口から放たれた。
「ちなみに今の内容は国家の最高機密。誰かに漏らしたら命が無いと思うがよい」
――またそのパターンですか!?
叫びだしそうになるのを必死に堪える。これでも彼女は王宮侍従に訓練を受けたプロだ。
生来のツッコミ気質を抑える事は不可能ではない。多分。
喉から漏れそうになる声を必死に押さえるモカを無視してカエデが続ける。
「で、どうして相手が深淵に触れていると?」
「さっきも言っただろう。勝ち過ぎている、と」
「それだけで納得出来るかよ。ギャンブルって言うのは確率論に基づき、必ず胴元が儲かるように出来てるんだ」
「そう。お主の言う通り、ギャンブルとはつまるところ確率のビジネスだ。だが、奴らは明らかに《確率を無視した莫大な利益を上げておる》」
「……イカサマか?」
国王が頷く。
「だが、さっぱり分からんのだ。幾人もの間諜や奇術師に見張らせても、仕掛けをしている素振りは無い」
「だったら魔術だろう。トリックが無ければ魔術。魔術でなければトリック。どちらかしかないんだからな」
ほんの一か月前の事を思い出す。カエデは見事に禁魔区域での死体入れ変え事件のトリックを暴きたて、今のフロルは過去にない賑わいを見せていた。
スラムの餓死体を魔術で炙り、フランシスカに罪を擦り付ける陰謀。
結局、真犯人は未だ捕まっていない。
「……魔術も、ありえんのだ」
沈みそうになるモカの気持ちを重ねるように、国王が重く口を開いた。
「《封魔結界》と言えば分かるな? 戦時中、お主達を幾度も苦しめた代物が賭場全体を覆っている」
「おいおい、封魔結界と一言にいっても種類が多すぎる。ちゃんと説明しろ」
「至極シンプルな仕組みだよ。魔術を行使する際の精神集中を感知し、違反者を燃やす。それだけだ」
「つまり、《双方ともに魔術の使用は不可能》と? 随分物騒だなぁ、オイ」
「死なない程度に火力は抑えてあるようだ。客には入念に事前説明を行い、消火設備も治療施設も準備しているので、法的には問題ない」
「だったら、結界の外から魔術を仕掛けた可能性は?」
人差し指を立て、得意げに言うカエデだったが、王は首を振るばかりだ。
「外も調べたが《残滓》の痕跡は見受けられなかった。残念なことにな」
《会場は、魔術を封じる結界の中》
《外でも魔術が使われた形跡はなく》
《トリックを行っている様子も見受けられない》
《だが、間違いなくイカサマは行われている》
矛盾した出来事。余りに不可解な話に、もはやモカの頭はパンク寸前だった。
だと言うのに、どうしてだろうか。
カエデは頭を垂れ、くつくつと笑いを漏らしていた。
「シミュレーションはやったのか?」
「無論。レプリカを作成し学者たちがあらゆるプレイと計算を試みたが、一晩のうちに人間を破滅させるような結果には至らなかった」
「当然か。一気に絞り取れば客がいなくなる。マトモな胴元ってのは客を生かさず殺さず絞り取るんだからな。恐らく、相手は長く商売を続ける気が無いんだろうさ」
――うん。やっぱり駄目なパターンだ。
モカの隣で肩を震わせるカエデを見て、内心で呟く。
案の定。
カエデがいつもの芝居かかった仕草で諸手を上げ、高らかに言い放った。
「つまり王よ、お前はこう言いたいんだな? 《封魔結界のイカサマギャンブルをブッ潰せ》と!」
「いかにも。奴が被害者に行ったように、今度はこちらが同じ目に合わせてやるのだ」
「借金漬けにして、お前の元で飼いならす……って訳か。そりゃあ《深淵》に触れた者なら、喉から手が出る程欲しいよなァ。何せ、ここにいるお前の友人は口を割るつもりがないんだ。しかも、ボンクラ議員どもにも恩を売れると。一石三鳥の完璧な作戦じゃあないか」
「……民の為ならば、な」
興奮するカエデに反し、王は真剣な面持ちで小さく呟くだけだ。
そのまま、答えを待つようにカエデの黒い眼をじっと見つめる。
交差する二人の視線。
互いの腹を探るように、想いを確かめるように。
やがて、カエデが唇を吊り上げて言い放った。
「謹んで断らせてもらう」と。
「えっ?」
声を漏らしたのはモカだった。
てっきり『面白ぇ。そのゲーム、乗ってやる』とでも答えると思っていた。だが、彼が実際に口にしたのは拒否の言葉だった。
「俺は、逃げ出したんだよ。背負った荷物をほっぽり出して、託され続けた願いと想いにツバ吐いて、尻尾を巻いて逃げたんだ」
以前、フランシスカが言っていた言葉を思い出す。
『どうして三年前、勝手に逃げ出したの。陛下には、あんたが必要だってのに』
統一戦争の英雄であったカエデは、戦後も国家の為に尽力してきた。
国王の右腕として、戦争ばかりを繰り返していた貴族を締めつけ、特権を少しずつ奪い、出自を問わず参加できる官僚・議会中心の改革を国王と共に行ってきた。
多くの反発はあったが、おおむね順調だったと言えよう。
だが、カエデは三年前に突如官職を辞した。
噂では国王との不仲や、貴族からの反発への敗北、安定した国家の目処が立ったための円満引退など枚挙にないが、真実を本人は語ろうとしない。
「もうたくさんなんだよ。下らない既得権益を守ろうとする貴族と戦りあうのも。何も考えずに思考停止するクソみたいな民衆の為に動くのも、もう止めたんだ。俺はもう筆頭政務官でも無ければ、深淵の智将でも無い、ただのカエデだ」
「厭世家きどりか? 下らぬ」
肩をすくめ、うんざりだとばかりのポーズを取るカエデの言葉を、国王が両断する。
「お主がどうして城を去ったか、ワシが知らんとでも思ったか?」
「俺はただ飽きただけだ。下らねぇ妄想を吹こうモンなら即座に叩きだすぞ」
気付けば、彼らの間には険悪な空気が流れていた。
カエデにとっては余程知られたくない過去なのだろう。
脅しつけるカエデの視線を真向に受けながら、国王が口を開く。
「政敵に弱みを見せぬ為、女も作らず、市井との関わりを最小限に留めていたお主だったが、孤児院や学校施設だけは違った。裁量で公金を注ぎ、定期的に慰問し、私財の一部も使っていたな」
「……大きな変化を遂げるこの国の次代を背負うのはガキどもだ。児童福祉の優先度は高い。それだけだ」
「ほう、言い張るか。それはさておきだな、三年前。ある孤児院で小さなボヤ騒ぎがあったのは覚えているな?」
「さあ、な」
カエデはとぼけたが、モカは知っていた。
何故なら、その孤児院は《石の家》だったからだ。
「お主が頻繁に慰問していた施設だ。覚えていないとは言わせんぞ」
「……黙れよ」
「情でも移ったか? 戦場では女子供であろうとも容赦しなかった氷の男が」
「黙れって言ってんだよ!」
「黙るものか! 火を放ったのは貴族だろう? 脅しを受けていたならどうして相談しなかった! ワシやフランは友では無かったのか!?」
「言えるかよ! 奴らは本気だった! 食いつめた傭兵を雇い、俺が去らなければ幾つもの施設を襲う計画だったんだぞ!」
初耳だった。
同時に、知ってしまった。
彼が下野したのは、他ならぬモカ達を守るためだった事に。
「……嫌になったんだ。戦争が終わってでさえ、他人の命を道具として使わなきゃならねぇ世界が。笑えば良いさ。数万の自国民の命を奪った深淵の智将が、たかだか数十数百のガキの為に全部投げ出したんだからな」
初めて見るカエデの姿だった。
いつもの不遜な態度はどこにも無い。目を伏せ、唇を小さく震わす様子はどこにでもいる若者と同じだった。
「今にも夢に見る。野盗に焼かれた故郷の事を。同じ釜のメシを食った仲間たちが枝葉みたいに倒れていく姿を。生還不可能な作戦だってのに、笑顔で発っていった部下の事を。俺は、もう失いたくなかった。仲間たちから渡された遺志のタスキを投げ捨ててでも、手に届くモノを守りたくなっちまったんだ」
国王は、何も口に出来ないようだった。
カエデは平民の出だ。トロヴァーン王のように生まれついて背負っているものがある訳ではない。
その彼が、自ら背負うと決めた者たちの為に下した決断を、どうして否定できるというのか。
友ならば、否、友であるからこそ口が挟めない事もある。
だが。
「先生……」
モカは、違った。
「だったら、どうしてフランシスカさんを助けたんですか?」
「……っ!」
カエデは、モカの存在をすっかり忘れていたようだった。
唐突な質問に言葉を失う主に向かい、さらに次の句を続ける。
「先生は言いましたよね。何か、大きな陰謀が動いてるって。分かってるのに、どうしてあの時、事件解決の為に動いたんです? フロルが、巻きこまれるかもしれないのに」
今、改めて考えれば分かる事だった。
カエデがその気になれば、事件など解決せずとも新聞社に広告を流す事で悪評を打ち消す事が出来たはずだ。
だが、彼は敢えて危険を承知で事件の解決に踏み出した。
口をつぐんだままのカエデから、どこか驚いた表情を浮かべる国王へと視線を変える。
「国王陛下。賭博村の案件を解決できるのは、先生しか考えられないのですよね」
「そうだ」
「このまま放っておけば、再び戦争が起きるかもしれないのですよね」
「我が身の未熟だ。民には詫びても足りぬ」
真摯に頭を下げる王に恐縮しそうになるが、心を強く持って堪える。
再びカエデに目を向け、さらに語りかける。
「先生。戦争が起きれば、また私たちの様な子どもたちが出てくるんですよ。それどころか、今でさえ、騙されて人生を滅茶苦茶にされてしまった人達もいるんですよ」
「……何が言いたい」
「中途半端なんですよ。先生らしくない」
モカの知るカエデは、どこまでも振り切った男だ。
陰謀に巻き込まれるかもしれない怖れより、友人の危機を助ける事を取ってしまう。
百万の民を救う改革より、目の前の子どもたちの命を取ってしまう。
理詰めのように見えて、彼の心の中心にあるのは感情だ。
「質問します。《賭博村》の胴元にムカついてますか?」
ぐいと額を両手でつかみ、モカと視線を合わさせる。逃がすつもりはなかった。
「イエスだ」
「戦争は、嫌ですよね? 許せないですよね?」
「それも、イエスだ」
黒目を動かし、視線を逸らそうとするが許すものか。
額と額をくっつけ、逃げられないようにしてやる。
「相手のイカサマがどんなものか、興味はありますか?」
「……イエス、だ」
絞り出すように出された答えに、満足げに笑顔を向けて手を放す。
「だったらいいじゃないですか。先生はいつもみたいにふんぞり返って、『仕方ねぇな』とか言ってればいいんです! ワケ分かんない理屈で、興味がある事に勝手に首を突っ込んで『面白ぇ!』とか言ってればいいんです!」
それがモカの知っているカエデだ。
彼の《心の根》は違うかもしれない。
だが、モカ達に見せかけようとしたカエデは、いつも余裕綽々で自信たっぷりな優男なのだ。
「何をスネてるんです? 何を迷ってるんです? 深淵の智将でも筆頭政務官でも無い私の知っている先生は、頭に来たら怒鳴りこんで、興味があればすぐに首を突っ込むぼんくらオーナーですよ」
「……スネてるって、お前なぁ」
何か言いたそうだったが、途中で口をつぐむ。恐らく、自分の中にある本心に気づいたのだろう。
「それで、《ただのカエデ》はこの事件をどうしたいんです?」
「決まってるだろう」
軽く鼻を鳴らし、カエデが立ち上がる。
白い外套が風も無いのに揺れ、いつもの芝居がかった大仰な口調で彼は宣言した。
「《封魔結界》で行われるイカサマギャンブル。面白ぇ、騙された連中の事なんざどうでもいいが、この俺がブッ潰してやるよ!」
既に先程の弱気な若者は存在しなかった。
立っているのは、深淵の智将でも元筆頭政務官でもない、ただのカエデだ。
だが、モカは知っている。
この男こそが、己の知性の全てを振り絞り、奇跡を起こす者である事を。
「もちろん、種銭は出してもらうぜ?」
立ち上がったまま、カエデが国王を見下ろし告げた。
もちろん、王は無言で首を縦に振る。
「その上で、成功報酬として勝ち金の三割を貰う。こいつでどうだ」
「ほう、随分と良心的だな」
迫力に圧される事無く、国王は意外そうに眉をひそめた。
「貴族に恩を売りたいんだろ? だったら多めに残しておかないとな。本当は全部貰っちまいたいくらいだがね」
「成る程、な。で? 報酬の三割でどうするつもりだ。おおかた都市外の浮浪者を救済する事業を考える、と言うところだろう」
「……っ!」
ほんの今まで余裕綽々で上機嫌だったカエデの顔が真っ赤に染まる。どうやら図星だったようだ。
「この期に及んでヒネた男だ。だが、それが堪らなく魅力的でもある」
「……くそったれ。まあいい。こっちが用意してもらいたいのは二つだ」
首を振り、気を取り直したカエデが《今回の作戦》で必要な物を要求する。
「まずは種銭。こいつは相手の財産を調べた後で決めればいい。次に、人員だ。腕の立つ魔術師を一人と、《シノビ》を一小隊貸してほしい」
「構わんよ。ワシが自由にできる金はそれほど多くはないが、お主が勝ち筋さえ見つけばそれでいい」
そのまま二人は胴元潰しの算段を始めていく。
何やら難しそうな確率計算が飛び交い、聞いた事も無いゲームのルールや、天文学的な金銭の話にモカは頭から煙を出す事しか出来なかった。
否、煙だけならどんなに良かった事だろう。
次の瞬間、彼女の頭が爆発するような事をカエデが口にしたのだ。
「そうだ、忘れていた。《賭博村》には助手としてコイツを連れていく。差し当たって数日ほどフロルの補充人員を貸してくれ。今はポンコツだが、仕事中のモカは王宮侍従数人に匹敵する能力があるからな」
「……えっ。え? えぇぇぇぇぇっ!?」
今、カエデは何と言った。
《モカを、賭博村に連れて行く》と聞こえたのは気のせいだろうか。
余りに意外な発言に、憐れな少女はただただ唖然とすることしか出来なかった。
直してたら倍に増えました。お待たせして申し訳ありません。




