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二ヶ月以上もサボってごめんなさい。引き続き頑張ります。
「おうおう、向こうはどうだったよハル。」
交番に帰りつくなりシムが絡んできた。一人で相当暇だったんだな、と思いつつ奥のソファを見ると、アイリオーゼが座ってコーヒーを飲んでいる。
「アイリオーゼ?なんでこんな時間にここにいるんだ。珍しいな。」
コートを脱ぎつつ話しかけるが、案の定無視された。
「アイリオーゼちゃんも事件のことが気になるんだってさ。」
代わりにシムが応える。
「それで俺が帰ってくるまで2人して待ってたのか?」
「そういうこと。」
シムがうんうんと頷く。
明日にすればいいのにとハルは思ったが、事件の真相を知りたいという気持ちは同じだったので黙っていた。
ハルはコートを掛けながら 、交番の古ぼけて埃まみれになった壁掛け式の時計を眺めた。もう22時じゃないか。ハルは今日一日の疲労のためか弱冠眉をひそめ、タバコを取り出して火をつけた。横でアイリオーゼが顔をしかめるが、こんな時間まで居座っている方が悪いのだと開き直り目をそらし続ける。
「で、何か情報は掴めたのかよ。」
シムが最初の質問を反復した。タバコをふかしている場合じゃないぞ、とでもいいたげな目をしている。
アイリオーゼは黙りこくっているハルをじろりと睨み、大袈裟にゴホゴホと咳をした。
どうやら2人ともゆっくりとタバコをふかすことすら許してくれなさそうだ。
ハルはため息をつきたくなったがぐっと堪えた。
かわりに灰皿を自分の側によこし、まだまだ使えるそれを強く押し当てた。赤い光がじじと音を立て消える。
そしてシムとアイリオーゼの方に向き直り、
「今回のロバート・シルバー殺人事件についてだが…」
語り始めた。
「ふぅん…なるほどな。」
太くやや短めの足を組みながらシムが相槌を打った。
「んで、おまえはどう考えてるんだ?」
シムはハルに投げかけられるより早く言いだした。ハルはそんな同僚の心中がわかって苦笑した。
「リナは犯人じゃないということがわかっただけで、真犯人は俺には検討もつかない。不可思議な事件のトリックも、ミナ・カルダートとロバート・シルバーとのつながりも、知ってるやつがいるんなら教えてほしいくらいだ。」
「そうか…」
シムは、その返答に、いかにも残念そうにため息をついた。
ミナ・カルダートとロバート・シルバー。2人には今のところなんの接点も見受けられないが、第二の事件、ロバート・シルバー殺人事件の捜査に乗り出すことで少しは謎が解けるかと思っていた。しかし、やはり現実は甘くない。謎は解けるどころか、さらに深みを増して返ってきただけだ。
「アイリオーゼ、おまえの意見も聴きたい。」
コーヒー片手にチョコレートを食べるという、完全に聞くに徹した状態のアイリオーゼへ話をふる。
アイリオーゼはコーヒーカップをそっと受け皿の上に戻し、「そうね…」と一言つぶやいた。コーヒーの熱がうつって暖まった両の手を組んだり離したりして弄んでいる。考え事をしているときにアイリオーゼがよくする癖だ。
アイリオーゼはふと顔をあげると、
「あたしはリナが犯人だと思う。」
と言いきった。
ハルは予想外の答えに思わず「は?」と間の抜けた声を出してしまった。シムも軽く驚いている。2人とも、リナは容疑者から外して考えていたからだ。
「なんで?その根拠は。」
ハルはまるで問い詰めるかのように聞いた。
「なんでって…ただの勘だけど。」
「なんだ、勘かよ。」
脱力して言うハルに「でもそれだけじゃないよ」とアイリオーゼが言葉を重ねる。
「だって血まみれになったメイド服はリナ・メイソンのものなんでしょ?だったらそれで確定でいいじゃない。」
「そんなことしたら自分が真っ先に疑われるってことぐらい、子どもでもわかるだろ。リナ・メイソンはシロだ。」
「そんなのわからないじゃない。もしかしたら、ハルたちが そう考えることを見越してわざと自分のロッカーに入れておいたのかも。」
「でも屋敷の誰もリナを見かけてはいないし、第一、リナはこのロッキング地区にある自分の実家にいたから時間的に犯行は不可能なんだよ。」
「…確かに屋敷の誰もリナを見かけてないってことはあたしも気にかかるけど、事件が起こったときにこの辺にいたって証明はどこにあるのよ。家族の証言は法的に無効のはずでしょ。」
「近所の人…ほら、いつも庭を掃除してるおばさん。あの人が証言してくれた。いつものように掃除してたら、近所のリナちゃんが通りを歩いているのが見えた、って。あの人には別段リナと関わりもない。」
「そんなのその人の思い違いかもしれないじゃない。リナ・メイソンは結構長い間ロバート・シルバーの屋敷にいたって聞いたし、ただのご近所さんなら顔を忘れてたっておかしくないわ。雰囲気の似ている子を見つけて、それをリナ・メイソンだと勘違いしたんでしょ。」
「さすがにそれはないんじゃないか…」
「わからないわよ。リナに似てるな~と軽く思ってただけなのが、警察に聞かれたことで勝手な思い込みをしただけなのかも。だって、さっきも言ったけど、屋敷で毎日リナと顔を合わしているメイドたちが言ったなら信じられるでしょうけど、相手はただの近所のおばさんよ?おばさんの…特に自分が興味をもっていない対象への記憶力なんて、たかが知れてるわよ。」
さっきからおばさんおばさんって、アイリオーゼはあのおばさんに何か恨みでもあるのだろうか。
ハルは困ったとでも言うようにぽりぽりと頭をかき、「でもリナは違うと思うぞ。」と反論した。
「随分リナって人に肩入れするじゃない。頑固よね、ハルは。」
アイリオーゼが嫌味ったらしく言う。
頑固なのはお互い様だ。それに俺がリナに肩入れしてるんじゃなくて、アイリオーゼがリナと決めつけすぎるんだ。
「肩入れなんかじゃない。確かにリナにはロバート・シルバーを殺す動機がある。だが、そもそも、リナには第一の事件の被害者、ミナ・カルダートに対してなんの恨みもないはずだ。」
「でもリナはこのロッキング地区に住んでるんでしょ?どこかで接点があったとしてもおかしくない。」
「かもしれないが、仮に接点があったとして、じゃあどうやってリナは屋敷で働く中、列車で2時間もかかるこの場所へきて、ミナに脅迫状を送りつけ、かつ殺せたというんだ。」
「それは…」
ここへきてアイリオーゼは黙り込んでしまった。
ほらな、と、ハルは得意気な気分になった。が、すぐに素人相手に何やってんだと自己嫌悪に陥ってしまった。
「いや~、とても白熱した議論だったな、2人とも。俺は何にも言えなかったぜ。」
「「なんか言えよ。」」
呑気なシムの発言に思わずハモってしまった。2人は顔を見合せ、アイリオーゼは明らかに嫌そうな顔をした。
ハルはアイリオーゼからきつい視線を受けながら、ごほんと一つ咳払いをして、
「いい加減おまえも何かしら考えろよ。」
「そうはいってもな…」
シムが気まずそうに視線をそらす。
そしてそらした視線を時計へと移し「ああっ!もう23時じゃないか!」とわざとらしく言った。
「もう夜遅いからな。2人も早く帰って寝ようぜ。明日も早いし、な。」
さらにシムは2人に口を挟まれないように早口でまくしたてた。
「じゃあな~っ、また明日!」
そう叫びながら鞄をひっつかむと、さっさと走り去ってしまった。
シムの大きな体が闇で見えなくなるまで、そんなに時間はかからなかった。
シムがいなくなってしまうと、さっきまで勢いよく言葉を戦わせていた2人も、なんだかどっと疲れが溢れてきて、のろのろとした動きで身支度を整えて帰っていった。
「やっぱりおかしいと思うんだけど。」
キンモクセイがよく香る秋晴れの日、アイリオーゼがなんの脈絡もなくそう切り出した。
「何がどうおかしいんだよ。」
ハルはガサガサと音をたてて新聞をめくりながら答えた。
「だって、いくら田舎といえど、町の交番に巡査が2人だけってのはおかしくない?ううん、それだけならまだしも、夜交番に誰一人いないってどうなのよ。」
「仕方ねえだろ。上のお偉いさんにはこんな田舎の交番、しかも夜に、人をおく余裕なんかねえんだから。」
いきなりなんなんだ、とため息まじりにハルが答えると、アイリオーゼは苛立ちまじりに言った。
「まったく、警察の本分も果たしてないくせに給料もらってんじゃないわよ。だからミナさんを殺した犯人にも逃げられんのよ。」
いったい何でそんなに機嫌が悪いのかわからない。
「どうしたんだよ、今日は。」
言いながら、もう一枚新聞をめくる。
「そうそう。そんなにイライラしちゃって、アイリオーゼちゃんらしくないぞ~」
シムが付け加えたが、少々余計である。アイリオーゼはきっとシムを睨みつけた。
「別に。」
いつもながら棘を隠さないきつい言い方だ。
ハルは余計なことを言った同僚に同情した。
「あー、喉かわいた。」
ひと呼吸おいて言うと、アイリオーゼはまるで我が家のように給湯室に入り、コーヒーを入れて、ひとくち飲んだ。
遠くではまだ昼だというのにカラスの泣き声がする。
またどこかの家が外にごみを捨ててるな、とハルはぼんやりと思った。
秋にしては暖かい空気、部屋の中にはラジオの中の喧騒と、ハルのめくる新聞の音だけ。
アイリオーゼはコーヒーカップをおくと、2つ持ってきたバスケットの一つを机の上に出し、蓋を開けた。
時計を見ると12時。
アイリオーゼは無言のまま、もくもくとサンドウィッチを食べている。
…平和だ。
「ねえ、今日は誰がミナさんの家に行くの?」
サンドウィッチをかじりながらアイリオーゼが問う。
「ん、今日は俺、俺。」とひらひら手を振りながらシムが答えた。
ロバート・シルバー殺人事件から4日。
ウィルソン警部からはなんの連絡もなく、また同一犯の起こした事件もない。ハルたちはというと、ミナの家の捜査を相変わらず続けているのだが、新しい犯人像がまったく浮かんでこず行き詰まっている状態だった。
「俺そろそろいってくるわ。」
いつのまに昼ごはんを食べたのか、椅子を引いて立ち上がったシムのそばの机の上には、パンくずがぱらぱらと落ちていた。
空になったパンの紙袋をハルが見ていると
、「ああ、ほら、昨日給料日だったじゃんか。」とシムがにかっと笑っていった。
ああ、そういえばとハルもアイリオーゼも納得。
「そんじゃ改めて行ってきまーす!」
シムは元気良くミナの家へと向かった。
「あの重い体でよく走れるわね。」
シムがいなくなってしばらく経ったころにアイリオーゼが毒づく。
「おい。」
とハルがたしなめた。
「あんたもよくこんなところに一日中いれるわよね。」
たしなめたハルが標的にされた。
今日アイリオーゼは本当に機嫌が悪い。ハルはやり過ごすしかないと悟り、「はいはい。」と適当に相槌を打った。
アイリオーゼはむっとした顔になったが、何も言い返さずに立ち上がり、「あたしも帰る。」とふてくされたように言って出て行った。もちろん、からっぽのバスケット2つを持って。
シムもアイリオーゼもいなくなり静かになった部屋で、しばらくハルは新聞の向こうにある壁をぼんやり眺めていた。
「まったく、なんなんだ…。」
ぽそりとつぶやく。
ソファに全体重を預け、また一枚新聞紙をめくる。
時折親子が楽しそうにおしゃべりをしながら交番を横切る以外は来訪者もなく、空気の澄んだ昼下がり、ハルはただただ新聞を読んだ。
また新聞をめくった。ラジオのDJが曲を変えた。新聞を片手に持ち替え、煙草とマッチを取り出し、火をつけて一服しようとしたときだった。
電話が鳴った。
いきなり静寂が破られ、ハルは大慌てで受話器を取った。
「もしもし。こちらサイドシティのロッキング交番です。…ウィルソン警部?どうなさいましたか?」
…数十秒後、ハルは交番を走り出していた。