30話-(2)
空が暗くなっていく。其れは夜の訪れ。
こうして空を見上げるのは何回目だろう。
本来の俺なら空を見るだけであの時の記憶が蘇っていたのに、空には涙が滲んでいるように見えていたのに。
今になってはこの空に絆されているみたいだ。
「……潤、いつの間にか空を見れるようになったんだね」
いつも隣にいる美唯が同じ先を見つめる。
こうして美唯と一緒に空を見上げることなんて初めてかもしれない。
「ああ」
短く返した。一秒でも長く、美唯と空を見上げたかったから。
「青空だったら良かったのにね? 私は青空って好き。潤は――まだ嫌いなの?」
初めて聞いた。美唯が青空が好きということを。
……そうか。俺のことを思ってそのことを隠してきたのか。
本当に迷惑かけてばっかりだな、俺は。いつか潤の恩返しをしないとな。
「――嫌いじゃない」
「――そっか」
美唯は表情を隠すよう更に大きく空を仰ぎ見て、小さく微笑みを漏らした。
「嬉しいなぁ! 潤の空嫌いが克服できて!」
「可笑しい奴だな。そんなことが嬉しいのかよ」
自然と頬が釣り上がる。
ああ、やっぱりこれが俺の日常だ。まだ俺の日常は壊れていなかったんだ。
「……仲睦まじいところすまないが、そろそろ行くぞ」
桜夜先輩の一言でまた現実へ誘われた。
朝倉の言うことが本当なら俺たちはこの世界全員と敵対しているんだ。
どうして俺たちが?
それを見知した瞬間が、真実を視るときだ。
その瞬間まで俺たちは戦う。ただ立ち向かうしかない。
「……しかし、行くと明言したがどこに行けば良いのだろうな」
常に俺たちの先頭に立って行動していた桜夜先輩だが、ここにきて行き先に苦悩している。
……それもそうだ。
俺たちは桜凛高校、桜凛武装高校と真実が浮遊していそうな所は一通り行っている。
「そうですね……。他に行くべきところは――」
次の言葉が出てこない。
俺たちの知っている世界にあって、この異世界にはない。というものはないのだろうか?
いや、その逆でも良い。
ならそれを見つけられる場所に行けば……。
「桜凛市を一望できるところに行きませんか?」
「……桜凛市を一望?」
「元の世界にあって、この異世界にはない相違点を見つければ、それも真実へのヒントになるかも知れませんよ」
「……ほぉ、なるほど。……確かに今できる最良のことかもしれないな」
目を細めて納得してくれた桜夜先輩は一つ、小さく息を吐いた。
これは明らかに疲れている溜息だ。それに口語だっていつもより確実に弱い。
初めてだった。桜夜先輩の疲れた表情を見るのは。
桜夜先輩だって人間だ。疲れを感じるのだって当然のこと。
なのにどうしてこんなに驚いているのだろう。
「桜夜先輩? 大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ。……君の言う通りに行動しようじゃないか」
彷徨う瞳は下へ流れていく。炎を灯しているかのよう強気だったその瞳もいつの間にか消えてしまっていた。
本当に目の前にいるのは桜夜先輩なのか?
そんな事すら感じるほど衰退してしまっている。
今まで俺たちが見えない所でずっと苦しんでいたのかも知れない。
それを遂に俺たちにも見える所で見せてしまう程、桜夜先輩は追い込まれているかも知れない。
だけど決して弱音は見せない。それが桜夜先輩だ。
「桜夜先輩、少し休憩しましょう」
俺は桜夜先輩の目を見据えたまま、確かな言葉で言う。
「さすが潤だねっ! 私も少し疲れちゃったよ!」
嬉しそうに声を弾ませる美唯を横目で見ると、ウインクが返ってきた。
やはり美唯も気付いていたのか。桜夜先輩を庇う為にわざと……。
「えっ! 休憩!? いま休憩って言ったよねぇ!?」
月守さんを連れて何か疚しい事を教え込んでいた星見郷も自然と輪の中に入り、本気で休憩を喜んでいる。
ここまでこれば桜夜先輩は断らないだろう。
「……休憩か。まぁ良いだろう」
そうボソッと言うと桜夜先輩は俺たちに背中を見せてしまった。
顔を見られたくないからだろう。それ以外に理由なんてない。
「休憩って大切だよね」
美唯は小さな声でそう呟き、俺の傍らに腰を下ろした。
そして自分の隣の地面をツンツンと指差す。
――座れっとのことだ。
「まぁそうだな」
美唯の言う通り俺も腰を下ろし、どこを見ていいのか分からない視線は自然と地面へ落ちていった。
「なんかね、多少思考が散漫になるような休憩を取れば、待ち望んでいたアイデアがひらめく可能性が高くなるんだって。前にテレビでやってた」
「待ち望んでいたアイデアねぇ……」
俺たちで照らし合わせば、待ち望んでいたアイデアとはこの異世界からの脱出方法だろう。
確かに、今までは考えるより行動だったから頭で考えることはほとんどなかった。
良い機会だ。休憩がてら考えてみよう。
「って、それだと休憩の意味がないのか」
「え? 何が?」
「いや、休憩がてらこの世界の脱出方法を考えようと思ってな。それだと休憩の意味がないっての」
「あははは、そういうことか」
しかし……休憩って何をすればいいんだろうな。
いや、今の俺はものすごくリラックスしてるんじゃないか?
家族を早く亡くした俺にとって、幼馴染の美唯と過ごした時間が一番多い。
慣れ親しい時間に触れることが何よりのことかもな。
「そういえば美唯――」
どこにでもある世間話をするつもりだった。
だけど、俺の声は不意に響いた派手な爆発音によって掻き消された――
「――ッ!?」
俺と美唯は同時に息を呑み俊敏に立ち上がる。
なんだ……? この爆発音は……? まさか敵が近くに!?
「あれはガイの信号弾。――敵が近い事を示唆する合図」
清王さんは既に二丁の銃を手にして、身の毛がよだつような眼で周りを見据える。
ガイ――姿が見えないと思えば雑木林の中に隠れていたのか。
信号弾さえ放てば相手も強襲は出来なくなり、作戦通りには行かないというガイの企てだろう。
「――ようやく来たか」
桜夜先輩は軽く頬を吊り上げながら腰に差してあった刀――千鳥の柄を握り、清王さんにも引きを取らない眼で周りを凝視する。
言動からするに桜夜先輩は戦いを待ち望んでいたのだろうか。
「私たちは戦うことでしか真実へは辿り着けない。なら――戦って戦って戦い貫くまでだ」
そこにいるのは――桜夜沙耶だと確信する。
それが桜夜先輩の答え。それが桜夜先輩の生き様。
もう俺たちが心配することは何もないかもな。後は――俺たちの生き様を映し出すだけだ。
「行くぞッ!!!」
迎え撃ちもしないし逃げもしない。
疾駆する桜夜先輩を先頭にして、乾坤一擲の気迫と共に返り討ちにするだけだ。
それが――今の俺たちの生き様だ。