29話-(2)
雨の音だけが滔々と聞こえるだけの世界。
もはやそんな世界に生まれ落ちた此処で色々な事が起こり過ぎた。
『汐見あすか』と出会い『朝倉』と再会を果たす。
あすかからはこの世界の鍵を。
朝倉からは世界の真実に繋がる手掛かりを。
どれも求め続けた真実なのに……俺の心は酷く沈んでいた。
とても声を発せられる状況じゃないが、このままだとどんどん悪くなって行く。
皆が一つにならないといけない。今後の事も話さないといけない。
やるべき事は無数にある。
「黙していても何も始まらないぞ。私たちは前に進むしかない」
一つの迷いも無く言った桜夜先輩の言葉。
その言葉にようやく気付く事が出来た。
まだ俺たちは絶望に打ちひしがれた訳ではない……。
俺の周りに眼が死んでいる者は誰もいないじゃないか……。
だから俺は欺瞞に誓った浅はかな誓いを、今度は確かな意思で誓った。
「何も変わらない。君たちは私が守る。だから安心したまえ」
桜夜先輩の優しいその言葉が、俺には身に沁みて痛かった。
こんな状況下なのにも関わらず、桜夜先輩の志は折れる事なくむしろ震い立っていた。
「まず話を纏めよう」
重くならないように、そう意識しながら桜夜先輩は話し出した。
「うん……さすがお姉ちゃんだねぇ。 さあらもしっかりしないとなぁ」
自分の頬をパンッと叩く星見郷。
……俺は一体何をしているんだ。
それはかつて感じた事もない程の自分への憤りだった。
こんな時も黙っていたら、俺は一体どこで動き出すんだ。
もっとしっかりしろっと自分自身に暗示した。
だから俺は、輪の中心がそれになるように拳を突き出した。
それは俺たちの絆を確かめるために、俺たちの意思を確かめるために。
最中、もう一つ突き出された拳が一つ。
それは美唯の拳だった。
「みんな……ごめんなさい。もう大丈夫だよ」
波紋が広がるように、次々と拳が突き出される。
それはいつしか一つの輪を描いて行く。そしてこの輪はいつしか揺るぎ無い力になって行く。
「……すごいな中沢くん。皆の心を一つにするとは」
「それは違いますよ桜夜先輩。最初から皆の心は一つなんです。その事にようやく気付く事が出来ました」
「ふぅ、そうだったな」
こうやって心を一つにしたのは何時以来だろうか。
本当に、本当に強い力になって行く。
どんな相手でも凌駕出来そうな気がする。
それは盲信ではなく確信へと繋がって行った。
◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇
「まずは追って話そう。私たちは最初、汐見あすかと出会った」
桜夜先輩は淡々と語りだした。
「だが、彼女は10年前程に死んでいる。合っているな?」
その視線は確かめるように美唯を見た。
「……はい、そうです」
唇を噛み締めながら美唯はとても辛そうに頷く。
「詳しく話してはくれないだろうか?」
哀切の念を抱いている美唯に、桜夜先輩も強くは聞かなかった。
幼馴染である俺もこの話についてはまったく知らない。
「……解りました」
美唯がゆっくりと口を開いた。
今から9年前。
俺が8歳で美唯が今日で8歳になる日、8月3日。
その年に俺は家族を失い、絶望に打ちひしがれていた。
当然、家族を失った俺を何度も何度も慰めてくれた美唯にとっても、それはかなりの精神的苦痛だった。
そんな生活の繰り返しで心身症になり掛けた美唯に、優しく手を差し伸べたのが同級生の『汐見あすか』だったのだ。
あすかの性格と家系上、人と関わる事なんてなかったが、その時を切っ掛けに美唯と毎日遊ぶようになった。
二人で俺を慰めに来た事もあったが聞く耳を持たなかった俺にはその記憶はない。
そしていつしか、あすかは美唯の親友になっていた。
そんなある日。遂に美唯の誕生日はやってきた。
この日は珍しくあすかから誘われ、商店街へと出かけて行った。
普段は修練で忙しいあすかなのに誘ってくれた。それが私はとても嬉しかった。
それは本当に楽しい時間だった。辛い事や哀しい事、それを忘れられる時間だった。
『こんな時間をまた潤と一緒に過ごせたらな……その時はあすかも一緒に遊びたいな』
『そんな願いごと私が叶えてやる。ほれ、誕生日プレゼントじゃ』
それは今も片時も離していない私の宝物。赤いリボンだった。
最高に嬉しかった。泣きたいぐらいに幸せを感じた。
それを潤と共有出来なかったのが残念でならなかった。
そんな矢先、低い銃声のような音が響き渡った。
周りはいつの間に囲まれ、私たちの居る場所が中心になっている。
何も知らない私はこれが事件だとは思わなかった。
そしてまた、銃声が響いた。
突然、見えなくなる視界。その視界に映る鮮明な赤。
あれは流れ弾で、本当は私が受けていたはずの弾丸だった。
だが、それを修練を積み重ねているあすかは見抜き、私の盾となった。
「何度も何度も私は名前を呼んで……生きてるのが不思議なぐらいの血だったのにあすかは……私を心配させない為に話してくれた」
周りの騒音なんて一切聞こえない。あすかの音すらも聞こえない。
ただ、あすかを抱き寄せた右腕が血で赤く染まっていく。
医療に関してまったく無知だった私にも助からないぐらいは解った。
溢れる涙はただあすかの顔に零れ落ちていく。
だけどあすかは笑っていた。『美唯のせいじゃない』っと。
私には解った。あすかは私を後悔させないように嘘をついているんだ。
それでも唯一私が出来る事、顔が涙でくしゃくしゃになっても私はあすかの名前を叫び続けた。
「最期にあすかは、どうか私の事を忘れないでって……消えそうな声で言った。あともう一つお願い事を私にしてくれた」
汐見あすかの最後の願い事。
『どうか美唯の大切な少年を救ってあげて』
それは誰でもなく俺の事だったのだ。
「だから私は絶対にあすかの事を忘れたりしない。あすかが記憶を忘れてたってあすかだから」
あすかは……最後の最後まで美唯の幼馴染である俺の心配をしていたのか……?
なのに俺は……あすかが生きたくてしょうがなかった明日を……俺は無駄に過ごして来たのか?
その日々の中、俺が立ち直っていれば汐見あすかは今も生きていたかもしれない。
俺はどんだけ馬鹿なんだよ……。
自分だけじゃなくて、結局は俺を心配してくれた人たちも見殺しにしている……。
殻に閉じこもっていた昔の自分を殺意が湧くほどに悔恨した。
「……やはりそうだったのか」
桜夜先輩は自分の中の問いに答えが出たようだった。
「辛かっただろう。話してくれて感謝する」
「いえ……お礼なんていらないですよ」
だけど……今、汐見あすかはこの世界にいる。
この世界が異世界だからか?
真意は解らないが、この世界を理解する鍵になる事には違いない。
「それともう一つ。聞いてもいいかな?」
「……はい」
その問いの中身を既に察しているように、美唯はバツが悪そうに少し俯く。
「成沢くん、君はあのとき瞬間移動を使った。君は異能者なのか?」
異能者。
その言葉に俺自身も反応してしまう。
俺の左眼がそうであるように、瞬間移動なんて人間が成せる業じゃない。
だったらまさか……本当は美唯も異能者なのか?
「……解りません。ただあすかを助けたかったんです。その思いが何かを超えた時、気付いたら其処にいたんです」
それが美唯の異能の発動条件。
俺はここに来てから能力が目覚めたが、昔は美唯と同じ発動条件だったのだろう。
まさか美唯まで異能者だった何て……。
「いや、待てよ! 俺と美唯が異能者なんて倫理的に確率がかなり低いんじゃないか!?」
誰にでもなく、俺は辺りを見回す。
「ああ、確かに中沢くんの言う通りだ。異能者の数は確率で示すとゼロに等しい」
ゼロに近い存在である俺と美唯を桜夜先輩は凝視する。
「その確率上、異能者と異能者が近い関係にいる可能性はゼロに等しいはずだ」
謎が謎を呼び、その謎は大きな溝を創っていく。
まさかこれも世界の真実と関係してるのか?
いや、でも俺と美唯が出会ったのはずっと昔……ならこの世界の創造とは関係ない。
……考えすぎか。
どうやら伏線が見えると、直感的にそう考えてしまう思考回路が出来てしまったらしい。
「なら成沢くんは異能者ではなく能力者と言うべきかもしれない」
俺は言葉が出なく、ただ唖然としてしまう。
それを否定出来ずに、俺は空を見上げていた。
いつの間にか額に冷たく落ちていた雨も止み、雲の隙間から陽が射し始めていた。
「それより今は朝倉が言った意味を考察するべきじゃない?」
いつもと変わらない冷静な口調で清王さんは言った。
あはは、本当に考えなくちゃいけない事が俺たちには一杯あるな。
頭がおかしくなってしまいそうで、俺はつい笑ってしまった。
「ああ、そうだな」
桜夜先輩は涼しい顔で腕を組む。
もしかしたら桜夜先輩も俺と同じ状況かもしれない。
「朝倉は私たちに至高の手掛かりをくれた。そして真実へ辿り着く術もだ」
俺は鮮明に朝倉の言葉を思い出す。
「事実は自ら語り出すという事だ。今は何も考えなくていい。私たちは――戦うしかない」
それがいつか本当の真実へ繋がっていく。朝倉の言葉は俺にもそう聞こえた。
だが、どうしても最後に言った言葉が頭から離れない。
『俺はお前たちの勝ちを祈っている』
明らかに俺たちを倒そうとしているのは解る。なのになんで朝倉は俺たちの勝ちを望むんだ?
「もう遠くない未来に桜凛八重奏も動き出す。これは今までとは比べ物にならないぐらい峻烈を極めるだろう」
桜凛八重奏。
前に桜夜先輩から聞いた覚えがあった。
桜凛八重奏とは武装高の8科の中から一人ずつ、実力が一番の者のみで構成された組織。
その組織が俺たちを倒す為だけに動き出す。
実感はまったく湧かないが、誰が見ても俺たちに勝ち目はないぐらいは解る。
だけど不安も恐怖も感じない。
それはかけがえのない仲間がいるからだ。
確証も何もない。だけど勝てそうな気がしてならないんだ。
「私一人では桜凛八重奏には想定歯が立たないだろう。だが、皆が力を合わせれば力は未知数になる。だからこれからは一人の戦いではなく総力戦になる」
桜夜先輩の眼は桜凛高校出身である3人に向けられていた。
俺たちはその視線の意味を理解し、強く頷く。
これからは一人ひとりの総力戦。
それは命を懸けて戦った事もない俺にとって、過酷すぎる言葉かもしれない。
だけど心の底から嬉しさが込み上げてきた。
それは、もう皆の背中に隠れたまま何もしないで、ただ茫然と成り行きを見守る事が出来なくなったからだ。
一人ひとりが出来る事をする。それが俺たちの真意だ。