最終話 君の魂に抱かれて
『ピンポーン』
インターホンが不意に部屋中に鳴り響くのが、布団の中から聞き耳を立てずとも聞こえてきた。
『ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン』
降り注ぐインターホン地獄。完全に安眠を打破され、次はまだ寝たいという苦しみに苛まれる。
それがいつもの俺。だが、今の俺の意識は衝撃と驚きで既に覚醒していた。
「――ッ!!」
勢いよく上体を起こし、目の前に飛び込んできた光景。それは見慣れた俺の部屋。
地面のような冷たい感覚ではなく、何事もなかったかのようにベットの上にいる。
「戻って……きたのか!?」
窓から漏れる明るい陽射し。鳥たちのさえずり。そして――幼馴染が俺を起こしてくれる当たり前の朝。
俺たちの――そして俺の日常が戻ってきた。
その平穏さは、異世界で過ごした日々がまるで幻だったかのように。
「……美唯!」
居ても立っても居られない俺はベットから飛び起き、慌てて制服に着替える。
ふと視線が捕まる先にはデジタル時計。日付は9月1日と表示されていた。
異世界で過ごした時間は一週間。本当なら9月7日のはずなのにどうして……。
そんな疑問が一瞬頭を過るが、すぐに浮かんでは消えていく。
もう一度、本当の世界に戻ってきた喜びと、もう一度、新しい未来を創っていくという希望に掻き消されて。
制服に着替え終わると、足が縺れながらも急いで階段を下り、ようやく玄関に辿り着く。
目の前にある扉を前に大きく息を吐いた。
いつもなら軽々開けられる扉。だけど今はまるで違う扉に見えた。
ここから始まる新しい未来。この扉を開ければきっと未来は動き出す。
こんなにも心が躍ったのは初めてだ。
あの頃の俺はもういない。
未来に希望も持てず、過去の束縛に未来までも縛られていた過去の俺。
そんな生き方はもうしない。
今、ここにいられる奇跡。当たり前の日常。
それがどんなに幸せなことか、あの異世界を経験してようやく分かった気がする。
「……手が震えるな」
ドアノブ目指して伸ばした指先が小刻みに震える。
見えない未来に対する恐怖なのか、本当に最愛の人が待ってくれている不安からか。
そんなどうしようもない不安が指を震わせていた。
「久しぶりだから腕がなまってるかもなぁ」
不安は希望に変えれる。絶望は未来に変えれる。それを仲間が教えてくれた。
そして何より、あんな異世界でもずっと一緒にいた、強い絆がある。
「美唯―――――ッ!!!!!」
絶叫と共に、俺は全ての力を込めてドアを猛スピードで開けた。
「きゃふっ!!」
サンドバックを地面に叩き付けたような鈍い音の後、短い悲鳴が耳に入る。
「つぅ……相変わらず手荒い挨拶だこと……」
そこには――ドアが直撃した額を軽く抑え、安心したように優しく微笑む――幼馴染の姿があった。
魂の中から熱い感情が湧き上がってくるのが分かる。今まで堪えてきた物が一気に溢れ出てきた。
「……潤? まさか泣いてる……の?」
下を向く俺の顔を覗き込むような美唯の動作。
「……泣いてなんかない!」
ずっと一緒にいたい。これからもずっと、何があっても。
お前だけは絶対に離したりしない。
涙を隠すよう、不意に俺は最愛の人を強く抱きしめた。
「え? えぇええッ!?」
何が起こったのか分からず、頭より早く身体で理解した頬は紅く火照る。
「……じゅん」
少し間が空いたあと、優しく名前を呼びながらお互いを抱き合う。
吐息すら感じられるほど、美唯の顔が近くにある。耳をすまさなくても声がすぐ近くにある。
見慣れた幼馴染の顔。それなのに胸の鼓動が止まらない。
しばらく見つめ合った後、どちらからでもなく――
「ん……」
吸い寄せられるみたいにそっと唇を重ねた。
ただ唇と唇が触れ合うだけの――最初のキス。
こうしているのが当たり前かのように、俺たちはずっと――少し苦しくて、だけど幸せな時を共にしていた。
「……遂にキスしちゃった」
少し潤んだ目で俺を見つめる美唯。
「止めろよ照れくさい……」
幼馴染。
その言葉通り一緒にいるのが当たり前で、いつまでも同じ距離だった俺たち。
言い方を変えれば最高の相棒。親友とは少し違う、まさにそれに近い感じだった。
だけど、その認識を変えてくれたのは間違いなくあの異世界。
気付けない本当の幸せ、心から守りたいもの。それを教えてくれた。
そして――
「……中沢くん! 成沢くん!」
何より大切な仲間と出会えた。
「さ、桜夜先輩!?」
美唯は声を裏返して吃驚しているが、自然と俺は驚きもしなかった。
なんとなく、桜夜先輩が来てくれそうな気がしていたから。
「お、お取込み中のところ申し訳ない! だが、本番をするというなら外ではなくベットでし……」
「ほほほほほ本番ッ!? 何を言ってるんですか桜夜先輩はッ!?」
美唯は言いながら恥ずかしさのあまり睨み目になり、真っ赤になっている。
どこからどこまで桜夜先輩が見ていたのかは分からないが、第一声がどこか籠っていたため、ついさっき来たという事はなさそうだ。
「いやぁ~、本当の世界で見る桜夜先輩は何だか新鮮ですね」
優美に靡く紅い髪。その炎を取り巻くような蒼い瞳。
何というか、この世界に桜夜先輩が存在していること自体信じられない。
俺の中で桜夜先輩はあの世界でしか会ったことがないのだから。
「ふぅ、君は本当に変わりないな。正直、敵視されると思っていたよ。だから耳栓をして来ようかと……」
「それだと話せないじゃないですか」
この世界で、俺たちは初めて笑い合った。
これが新しく始まる日常。それを象徴しているかのような光景だった。
「……中沢くん、成沢くん」
明るい雰囲気には似合わない程重い、改まった桜夜先輩の声。
唇を噛み締め、眉を切なげに揺らしながら――
「本当にすまない!」
瞳に浮かべた目一杯の涙を隠すように深々と頭を下げた。
落ちる雫は一瞬だけ光っては消えていく。それは間違いなく――あの桜夜先輩の涙だった。
「…………」
桜夜先輩の――こんな姿を見るのは初めてだった。
だから変な言い方だけど見とれてしまっていた。
「桜夜先輩! 大好きですよ!」
「――へ?」
突然、突拍子もないことを笑顔で言う美唯に、思わず桜夜先輩も顔を上げてる。
これもまた、桜夜先輩から出たとは思えない気の抜けた声だった。
「ずっと守ってくれましたよね。だから、最後ぐらい恩返しをしただけです。ね?潤」
ウインクで俺を見る美唯。
「そうですよ。桜夜先輩が今まで守ってくれなかったら、こんな最高の結果は生まれませんでした」
もしもあそこで桜夜先輩と出会わなかったら――
確かにもっと早く世界は終わっていたかもしれない。俺と美唯は瞬殺されているだろう。
だけど――それだと虐殺された桜凛高校の生徒はどうなる? 何も知らないで、あんな世界で死ぬことになるんだぞ。
「私の異能はどんなモノでも創り出す力だったんです。だから、9月1日に戻れるタイムマシーンを創っただけですよ」
だから――だから俺も生きているのか。
戻って来れた興奮で忘れかけていた真実を俺たちがここにいる軌跡を知った。
そのタイムマシーン製作に少しでも力になれたかと思うと俺も少しながら鼻が高い。
「……本当に君たちはすごいよ。仲間だったことを誇りに思う」
微笑みながら肩を脱力し、思い出を話す桜夜先輩。
だけど、俺はその言葉に異常なほどの違和感を覚えた。
「なんで過去形なんですか? 今もこれからも最高の仲間じゃないですか」
「な、なんでそんなこと言えるんだ!? 私は君を殺したんだぞ!? 仲間を裏切ったんだぞ!?」
「仲間同士、ケンカだってしますよ。それでも納得して貰えないなら仲直りのハグでもしますか?」
からかうような笑みを浮かべながら、冗談のつもりで言った俺の目の前に――
「……好きだ。大好きだぞ中沢くん―――!!!」
「ええぇえええッ!?」
体当たりする勢いで抱きつく桜夜先輩を、思わず後退しながらも受け止めた。
その瞬間、ふわっ。こんなにも桜夜先輩の香りが近くに感じる。
「私をときめかすとは罪な男だ! よし私と結婚するぞ!」
「えぇ~!? どうしようっかなぁ……」
「だ、だめぇ! 潤もなに本気になって考えてるのさッ!?」
背後からもの凄い衝撃を受けたと思うと、直ぐにそれは美唯の鉄拳であることを理解する。
「潤には私がいるでしょッ!? 桜夜先輩も離してくださいよぉ!」
「どうやら中沢くんは私に夢中だぞ? 恋人と謳うのなら振り向かせてみせよ」
……いや、あまりの衝撃的な展開で身体と思考が並走しないんです。
「そ、それは……もぉお潤!」
半ばやけになった美唯は強引にも俺を回そうとする……!
しかし桜夜先輩の腕で完全に固定されている俺は微動だにもしなかった。
ああ、これも俺の新しい日常なのか。
賑やかで、どこか穏やかな日々。これを俺は日常と呼ぶ。
俺が今まで送ってきた日常は失われたけれど、また新しい日常が生まれ落ちた。
ただ過ごすだけの日々だった。だけど、今はこの一瞬一瞬が奇跡に思えるほど愛おしい。
今という時を駆けれる嬉しさ。こんな日々をいつまでも続けたいという願い。そして――それは決して叶わないという現実。
それでもいい。だからこそ今、この瞬間を精一杯に輝けばいい。
瞬きをする瞬間に何か起こるこの世界を、異世界で共に戦った仲間たちとまた駆け抜ける。
どんな困難があっても、またあの時みたいに力を合わせて乗り越えられる。
深い絶望に襲われた時は、また旅に出ればいい。
それも良いかも知れないな。
――君の魂を抱いて、君の魂に抱かれながら。