9月6日/侑eyes どうかずっと
声が聞こえた。
それは俺たちが夢にも見なかった声――のはずだった。
「桜凛高校の生徒は体育館にて保護をさせて頂いてます! もしも桜凛高校の生徒がいらっしゃいましたら体育館の方へ移動をお願いします!」
世界が変わった。何もかも。天地が覆る程に。
俺たちの殺害命令を出していた桜凛武装高校は手の平を返して俺たちを保護すると言う。
当然、そうなった経緯も丁寧に話してくれるそうだ。
そう、それが真実。こんなにも簡単に――真実が語られる。 一体、俺たちは何をしていたんだ。
そう思うほどあっさりと真実へ辿りついてしまった。
これから体育館に行けば全ての謎が紐解かれる。ならば行くしかない。
体育館に行けば、俺たちは絶対に安全と言えるし争いは皆無。全て解決されるはず。
それに、もしかしたら潤たちもいるかも知れない。そうだとしたら最高のハッピーエンドじゃないか。
だけど――このモヤモヤがまったく消えない。それは彼女が泣いているから――
誰もが幸せなハッピーエンドって……どうしてないんだろうな。
この世界にも神がいるんだろう? なら教えてくれよ。なんでこんなに理不尽なんだよ。
俺たちの安全が確保されたのに、次は粢先輩の友達が死なないといけないって……おかしすぎるだろ。
「……ごめん。……行こう。……真実を確かめに」
涙が霞む震えた声で粢先輩はいつも通りの目で俺を見てくれたが、今にも泣き出しそうなその瞳が――激しく俺の胸を荒ませて行く。
そして何より、彼女の為に何一つできない自分の無力さが歯痒くてしかたなかった。
「――行きましょう」
ゆっくりと粢先輩から手を離し、後ろに佇んでいた菜月たちを見つめる。
「うん……行こう」
「覚悟は出来てるぜ。行こう」
「わたしは大丈夫だけどぉ……。粢先輩、大丈夫ですかぁ~?」
心配そうに見つめる奏笑に向かって粢先輩は明らかな無理笑いを浮かべて、
「あははは、私なら大丈夫だ。行こうじゃないか」
どこも大丈夫じゃない。俺でも解った。
でも今は行こう。真実を確かめる為に――
◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇
体育館に行くと、懐かしい面子が揃っていた。
同級生、友達、昔のクラスメイト。でもその中に――潤たちの姿はなかった。
情報によると、桜凛高校の死亡人数は200人超。
亡くなった人全てに慰霊碑が立てられ、そこで亡くなった人の確認も出来るらしい。
これだけでも解る。桜凛武装高校は止むを得ず桜凛高校の生徒を殺害したのだと。
そして遂に語られた。この世界の真実。
この世界はある一人の少女が夢見た争いのない世界――になるはずだった。
桜凛市に一人、世界の創造が可能な力。異能を秘めた人物がいるらしい。
その能力さえあれば、この世界を争いのない世界へ変えることが出来る。
争いのない世界。それが少女の今も昔も変わらない夢だったのだ。
だからこそ、夢の世界を現実化させるため、1年の時を費やして日本を覆う魔法陣を完成させた。
この魔方陣はその能力の真価を引き出し、新たな世界を創造するための陣――俺たちが遭遇した見えない壁の正体はこれだったのだ。
だが一つ問題点があった。
異能の力が大きすぎるため、一度創造した世界を消すことは出来ず、元の世界に戻る術がなかった。
異世界が平和でも、本当の世界が変わらなくては意味もない。
ならば、新しく作った世界を元の世界に上書きすればいい。
そうすればもう一つの世界を異世界ではなく、本当の世界として恒久に維持することが出来る。
彼女はそう考え、日本を覆う程の魔法陣を1年という月日を経て創造することに成功した。
異能者の異能を自ら操り、その能力を引き出す魔法陣を。
そして、全ての準備が磐石になった2010年9月1日午後5時10分。一人の少女の魔法によって遂に実験が行われた。
実験内容は本当に実験程度の小さいもの。
まずは能力を引き出せるかどうかを確かめ、新しい世界の創造が可能かどうかこの世界をもう一つ創る。
出来るはずだった世界は――桜凛武装高校に一生満開の桜を咲くだけの世界。
それがこの異世界の本当の姿だった。
結果、確かに新たな世界が創られた。
だが、その世界は少女の望んでいた平和な世界ではなく、桜凛武装高校と桜凛高校の生徒しか存在しない世界。
電気は使えない。人はいない。まるで廃墟の世界。
――実験は失敗に終わった。
だが、それだけでは終わらなかった。
この世界は一時間後に、元の世界に上書きされるよう魔術で仕組まれていたのだ。
本当は桜が咲くだけの世界になるはずだった実験は、誰もが予想を超える最悪な結果になった。
しかし、根源である魔術師の少女が死ねば魔法は停止するはず。それが魔法の理でもある。
だが、今回の実験はその理から外れていた。
異能の力を引き出そうと第三者の力を使ったからだ。本来、魔術は術者一人にしか関与していない。
その少女は何度も魔術の停止を試みた。しかし、もう自分の力が及ばないことに気付かされる。
彼女にこの異世界を終わらす術はないのだ。
あと一時間でこの異世界は本当の世界に上書きされる。
それは遠回しに世界の終りを意味していた。
異能者が死ななければ、この異世界は終わらない。
それが桜凛高校全生徒の殺害命令の真意だった。――世界を救う為の唯一無二な方法として。
だが、唯一の幸運があった。
それはエラーにより世界が上書きされる時間が一時間後ではなくなったことだ。
だけど世界の運命は変わらない。一時間後が一週間に延びただけだ。
「…………」
この世界の真実を聞いて俺はただただ茫然自失としていた。
嘘だろ……。この世界が本当の世界に上書きされるなんて……。
一週間後――つまり明日。このままだと世界が終わる……。
俺は――何をするべきなのだろうか。想像すら出来なかった。
「…………ッ!!!」
粢先輩はいたたまれない短い声を上げ、顔を隠すようにこの場から去ろうとする。
その軌道を追うように滴が強かに舞っていた。
「し、粢先輩ッ!?」
彼女の肩を引き留めた瞬間に気が付いた。俺は粢先輩に何を言えるのだろうか。
粢先輩の親友率いる小隊が死ななければ本当の世界は消滅してしまう。
俺は親友を見殺しにしろと言うのか?
それとも親友を守って世界を見殺しにしろとでも言うのか?
「……もう、ファーゼストクンパニンは解散だ」
粢先輩の震える声には様々な感情が入り混じっていた。
悔しさ、寂しさ、そして怒り。
「そんな……そんなこと言わないでくださいよ!」
顔に深い影が差している粢先輩の表情はわからない。
だけど、粢先輩は泣いている。苦しくて、本当に辛くて、そしてどこまでも理不尽で――
「今までずっと……! ずっと一緒に戦ってきたじゃないですか! それなのに……どうして!?」
自分の気持ちを素直に言えない。本当はこんな理由じゃないんだ。
俺は――ファーゼストクンパニアンが好きなんだ。心の底から。皆の事が。
一緒にいるだけで楽しくて、嬉しくて。何でも出来るって本気で思える大切な仲間なんだ。これが俺の新しい日常なんだ。
「もう私たちが一緒にいる理由はない。もう私たちの戦いは終わったんだ」
一緒にいる理由が――ない。
その言葉に俺の中の何かが弾け飛んだ。
「そんな理由が必要なんですか!? 本当に俺たちの戦いは終わったんですか!?」
粢先輩の肩を掴む手の加減が効かなくなる。
「ああそうだ!!! もう良いじゃないかぁ!!! これ以上侑たちを危険な目に合わせたくないんだぁ!!!」
親友の命が狙われているのに、俺たちを庇う粢先輩の優しさに涙が出そうなぐらいに心打たれた。
確かに俺の戦いは終わったのかも知れない。だが、粢先輩の戦いはまだまだ続いている。
なら――俺たちの戦いはまだ終わってない。
「まだ粢先輩の戦いは終わってないじゃないですか!? ならファーゼストクンパニアンの戦いはまだこれからじゃないですか!?」
「……もう、もう良いんだ侑。もう……どうしようもないんだ。私もお前たちと仲間でいられて……本当に楽しかった」
俺が何を言っても粢先輩の想いは変わらないだろうし変える必要もない。
仲間を守ろうとする気持ちはこの世界で一番美しい。
だから俺も、仲間である粢先輩を守りたい気持ちは絶対に変わらない。
「まだ決断を下すのは早いぞ。粢氏」
体育館入口から聞こえる第三者の声。
思わずその声に反応して、声がする方を目視した。
「あ、蒼生……?」
ゆっくりと近づいてくる仲間の姿。
「武装高はある一つの真実を隠している」
「そうそう。だからまだ腹を決めるのは早いってことよ」
「緋咲……?」
また俺たちは輪になれた。まるで惹きつけられているように。
二度と一緒にいられない気がしてた。だけどそんな不安が嘘だったかのよう、当たり前だった光景がもう一度広がっていた。
「それは、桜夜沙耶を討ってもこの世界は終わらないということだ」
その言葉を素直に受け入れられないのか、しばらく呆然としていた粢先輩。
「ど、どういうことだ?」
「言葉通りの意味だ。桜夜沙耶はこの世界に関係はない」
「な、ならどうして沙耶が狙われて……!」
「桜凛高校全生徒の殺害命令。それが今になってようやく理解できた」
「――ッ!」
粢先輩もその事に気付いたらしく短い声を上げていた。
「つまり……異能者は桜凛高校の生徒で」
「そうだ。桜夜沙耶のグループにその異能者がいる。だから狙われているだけだ」
散りばめられた謎という名の点と点。その点が綺麗な直線を描いていく。
安堵するべきかもしれない。だが安堵できるはずもなかった。
「そのことを……沙耶は知ってるのか?」
「分からない。だが、知っているとなれば決断を強いられている時だろう。仲間の死か世界の死か」
仲間の死か世界の死か。
第三者から見れば結果など分かりきっている天秤だ。
だけど、もしもそれが自分だったら――
俺は仲間を見殺しにして世界を守れるだろうか?
「粢氏。お前ならどちらを請う?」
「…………」
粢先輩はぎゅっと唇を噛み締めて床を睨み黙考していた。
「私は……」
涙を一杯に浮かべた決意の瞳で、
「私は仲間を守りたい!!!」
その言葉に俺はようやく心から安堵することができた。俺の答えも――やはり仲間だった。
「あんたならそう言ってくれると信じてたわよ! それでこそあたしたちのリーダーね」
称賛するよう嬉しそうにツリ眼を細め、どこか安堵そうな微笑みを見せる緋咲。
こんな柔らかな表情、出会った時からは想像もつかないぐらい素直な微笑みだった。
「俺もこんな事で仲間を捨てるリーダならお前について行ってはいないさ」
蒼生先輩だってそうだ。こんな柔らかな笑顔は出会った時からは想像が付かなかった。
「よぉ~し! ならあの時みたいにもう一回皆で抱き合おうよ~!」
奏笑は出会った時と何も変わっていない。その明るさは何度も俺たちに光を灯してくれた。
「あの時みたいに……? 俺たちが皆で抱き合ったことなんてあったか?」
聖夜。俺はお前に何回も助けられたよ。粢先輩たちと出会う前、お前の判断がなければ今、俺はここにいなかったかもしれない。
「ま、初めてでも良いんじゃない? それに悪くないと思うわよ。皆で抱き合うのって」
菜月。正直、俺はお前が心配だったよ。だけどそんな心配は杞憂だったな。お前は強かった。俺なんかより遥かに。
「あはははは! それだとただの『おしくらまんじゅう』じゃないか」
粢先輩。本当にあなたについて来て良かった。心から感謝させてください。ありがとうございます。
そしてこれからも――ずっと仲間でいさせてください。
「ぶ~! 違いますよ! おしくらまんじゅうはお尻からじゃないですか! でもわたし達は胸から行きます~!」
「止めろ奏笑氏。下ネタに聞こえてならない」
「はぁ! こんな事が下ネタに聞こえるなんて蒼生も変態の域に急降下したもんねぇ!」
どうかずっと。どうかずっとこの賑やかな日常が続きますように。
俺は眩しすぎる光景に思わず目を細めて、この瞬間を魂に焼き付けていた。