9月6日/侑eyes 動き出す世界
「遂にここまで来たか……」
俺たちの目の前にあるのはレインボーブリッジのような広大な橋。
その橋の先にある島――そこが桜凛武装高校。
桜凛武装高校に行くのは初めてではないのに随分と印象が変わってしまった。
「立ち止まっていればかえって怪しまれる。一息で行くぞ」
粢先輩はその長い橋への一歩を踏み出す。
日は徐々に落ちかけている。暗くなってしまえば危険は増す。
「……あぁ、あたしの部屋はどうなってるのかしら。確か鍵かけるの忘れてた気が……」
緋咲も一歩を踏み出すが、その一歩で俺とは違う緊張感に襲われているようだ。
「それはまずいな。お前のファンクラブだって既にあるんだぞ?」
「えっ、う、うそっ!?」
「単位も足りないのに授業をサボる姿が堪らないらしいな」
「なによそれッ!?」
大丈夫かこの学校……。
でも、いくら武装高とはいっても、中にいるのは俺たちと同じ年ぐらいの生徒だもんな。
なら俺たちと何も変わらないじゃないか。
「わたしのファンクラブはあるんですかぁ~?」
奏笑は緋咲の両肩を掴み、身を乗り出すよう蒼生先輩に訊く。
「俺の情報にはないな。だが陰ではあるかも知れないぞ」
「うぅ……ちょっと残念かもぉ~」
こんな会話を聞いてたら緊張感も微塵に沸いてこないな。
確実に桜凛武装高校へ近づいているはずなのに――悪い予感がまったくしない。
「ちょと待って! なら蒼生でも知ってるほどあたしのファンクラブは勢力が強いの!?」
「否定はしない」
緋咲の顔が一気に花が咲いたように明るくなり、ツリ目の目をニッコリと細めてクスクスと笑い出す。
内心、相当嬉しいみたいだ。
確かに、自分を好きになってくれる人がいれば誰だって嬉しくなるだろう。
緋咲には今までそういった経験がなかったようだ。
「こらこらっ! もっと緊張感を持たんか! くそぉ……! 何がファンクラブだ! ……羨ましいじゃないか」
長い眉毛をピンっと張って、粢先輩も会話の渦中に入ってきた。
どうやら粢先輩からも緊張感が消えたようだ。
まったく……俺たちらしいというか何だか。相手の本拠地に来て緊張しない奴がどこにいるっていうんだ。
「……警備の者か」
ようやく視線を目前にした粢先輩の眼には二人の人影が見えている。
その二人は校門を守るよう左右に属している。
「あ、あの二人は関嶺と稲本じゃないか?」
まだ遠くて姿はハッキリとは見えないが、粢先輩の知り合いらしい。
俺から見て分かるのは女の子ということぐらいだ。
「知り合いですか?」
「ああ、同じ科の後輩だ。これは楽に突破できそうだな」
粢先輩はからかうような笑みを浮かべながら、更に先へと歩んでいく。
……先輩の特権を使うということか。
「争いは絶対にゼロにするぞ。それだけは忘れないでくれ」
首だけ振り返り、明るい空気を一掃させる程の真顔でそういう。
……そうだな。絶対にバレないとは限らないからな。
こんな所で敵にバレたら――周りは敵しかいないじゃないか。
「蒼生、頼りにしてるぞ」
先までの表情とは一変し、笑顔で蒼生先輩の肩を叩く粢先輩。
「ああ。戦術科として全力を尽くそう」
「任せたぞ」
いつの間にか校門はもう目の前になっていた。
当然、俺たちの接近に気づいている警備二名は軽く身構えているようだ。
「関嶺、稲本、警備ご苦労様」
話せるまでの距離まで近づくと、粢先輩は軽く右手を上げ、挨拶を交わす。
「あ、粢先輩! ご苦労さまです!」
俺たちの事を何一つ怪しむことなく、深々と礼をする二人。
すると何かを思い出したよう少し慌てた身振りでその一人が粢先輩に駆け出した。
「あっ! 粢先輩っ! パートナーとは一緒じゃないんですか?」
「パートナー? 沙耶のことか?」
「は、はいっ! そうです!」
爛々と目を瞬かせ、粢先輩の答えをただ待っているよう。
沙耶という人物が粢先輩の本当のパートナーなのか。初めて聞く名前だ。
「沙耶ならこの世界に堕ちた当日に此処を飛び出して行ったぞ? その後は一度も会ってない」
「そ、そうでしたかぁ……」
残念そうに肩を竦める少女。明らかに何かを期待していたらしい。
「せ、関嶺? な、何か沙耶にあったのか?」
どうやらこの少女が関嶺さんらしい。という事はもう一人が稲本さんか。
「えぇっ!? 粢先輩、知らないんですかっ!?」
俺たちは大事なことを無数に見落としている。
そしてこの少女――関嶺さんはそれを知っている。
まさか――その答えがこの世界の真実なのか?
真実という二文字が胸を掠めた瞬間、今までになかった鼓動の昂ぶりを感じた。
「……でも、確かに。この世界の連絡網なんて全部途絶えてますからね」
「ああ、それに今まで私たちはちょっと遠い所に行っていたもんでな」
恥ずかしそうに頬を掻く粢先輩。
「でも信号弾は届いていたはずですよ?」
「信号弾……信号弾……しんごうだん」
何度も同じ言葉を刻んで、記憶の中を確かめている。
信号弾――まさかあの時じゃないのか?
赤瀬川麗那と対決したとき、彼女が退く原因となったあの音――
「……思い出した。だが先も言ったが私たちは本当に遠い所に居たんだ。戻るなんて面倒くさいじゃないか」
「うふふ、粢先輩らしいですね。でも確かにその通りですよ。私が今伝えれば何も問題はないです」
粢先輩も目を丸くした。
内容は一片も解らないが、その事が真実へ直結していることぐらいは解ったからだ。
「お、教えてくれ!」
縋るような声で少女に近づく粢先輩と共に、自然と俺たちも身を寄せていた。
「あぁ……、は、はいっ! 解りましたから少し落ち着いてくださいっ!」
関嶺さんは群がる俺たちを必死に両手で押し返し、落ち着いてくださいっと何度も手と共に言い返す。
まずいな……真実を前に冷静さを完全に見失っている。
一生懸命に俺たちを落ち着かそうとする関嶺さんの姿を見て、俺も少し落ち着くことが出来た。
「簡潔に言います。当時は桜凛高校全生徒の殺害という惨い命令でしたが、今の命令は桜夜沙耶率いる小隊の根絶やしです」
……今、何て言った?
その言葉の意味を一瞬では理解出来なかった。
同時は桜凛高校全生徒の殺害という命令。だけど今は桜夜沙耶率いる小隊の根絶やしという命令。
ということは俺たち、桜凛高校の生徒は対象に入っていないということ。
この世界に堕ちてから背負い続けた重みが本当に一瞬で抜け落ちる。だけど……。
本来なら安堵すべき言葉かもしれない。だけど……今の対象にたっているその人物は粢先輩の――
「…………」
関嶺さんが語った事を黙して聞き、その衝撃に言葉も顔の色も粢先輩は失っていた。
「……けるな」
身も震えるほどの畏怖の声。
見れば肩を震わせ、深い陰が顔にさすほど俯いていた。
「ふざけるなぁ―――ッ!!!!!」
狂ったように叫んだその声は、粢先輩の中の何かが粉々に砕けて散った証拠。
「沙耶が何をしたって言うんだ―――ッ!? 沙耶を殺す理由がどこにある―――ッ!? 答えろッ!!!」
完全に我を見失った粢先輩は関嶺さんの胸倉を強引に掴み、その睨む視線に畏怖した彼女は小刻みに震え戦慄してしまっている。
「せ、関嶺ッ!?」
「粢先輩ッ!?」
俺と稲本さんが駆け出したのはほぼ同時だった。
関嶺さんは何も悪くない。粢先輩を止めないと……!
格闘の知識なんてまったくないが、全意識が関嶺さんにいっている故、粢先輩の背中を取るのは容易だった。
「粢先輩ッ!」
俺は粢先輩を羽交い絞めにすると、まるで鬼のような形相で俺を睨み返し四肢を激しく動かして抵抗する。
いつもは可愛らしいその瞳も――まったくの別人のようだ。
「はぁ……はぁ……」
粢先輩から開放され、関嶺さんは文字通り崩れ落ち、その恐怖に涙を浮かべていた。
同じだ。今の粢先輩はあの時の俺らと。
桜凛高校全生徒の殺害という真実を知ったとき、俺の中の何かが壊れ、どうしようもない思いをただぶつけていた。
「関嶺、行こう」
稲本さんは自分の肩を関嶺さんに貸すと、ゆっくりとその場から去って行った。
俺らは――それを見送ることしか出来なかった。
「粢氏、少し頭を冷やせ」
閑散とした校門前で、蒼生先輩が突き放すような言葉を投げ掛ける。
そして直ぐに校門を潜って行ってしまった。
「ちょっと蒼生! どこ行くのよ!?」
「調べたいことがある。俺は先に行かせてもらおう」
緋咲の呼びかけに足を止め、首だけ振り返り、それだけ言って更に奥へと消えていった。
もう、俺たちが争いに巻き込まれる心配はない。それが解ったからだろう。
これが事実のはず。なのにこの事実を素直に受け止めない俺がいた。
誰も傷付かない道はこの世界にはないのだろうか。
今、粢先輩のパートナーである桜夜沙耶は必死に戦っているのに……。
まさかその人がこの世界の元凶なのか?
だから彼女の殺害命令を――
いや、でも確かに彼女は桜夜沙耶率いる小隊といっていた。
この世界の元凶はその小隊ということなのか?
肝心な所は結局訊けず仕舞いだった。
「蒼生を追ってくる。あとで集合ね」
長いツインテールの髪を舞い上がらせながら、緋咲は蒼生の後を駆け足で追っていった。
真実を知って――俺たちはバラバラになって来ている。 もう一緒にいる意味なんてないから?
本当にこれで良かったのか? こんなにも簡単にバラバラになる俺たちだったか?
だけど、俺にももう戦う理由はない。俺たちは狙われない。
なのになんだろう……このモヤモヤとした気持ちは。
「粢先輩……?」
気がつけば俺の中にいる粢先輩の抵抗がまったくなくなっている。
糸が切れた人形のように、何の力もなく。
「さやぁ……さやぁ……」
ぽた。ぽた……ぽた。
その足元に幾つの粒が零れて弾ける。言うまでもなく粢先輩の涙だ。
粢先輩の身体を支えているのは、羽交い絞めにしている俺の腕だけだろう。
それを理解したとき、いてもいられない虚しさに駆られた。
せめて……粢先輩を包んであげたい。
俺は優しくお腹に手を回し、抱きしめるような格好で粢先輩を支えた。
「……うぁああああぁぁあああああぁあ!」
胸が振動するぐらいに大きな声で、ただ子供のように泣く。
俺はただ抱きしめることしか出来なくて。何も出来なくて。ただ無言で抱きしめ続けていた。
細く、折れてしまいそうな身体を。彼女が泣き止むまでずっと。