第9話
「キッカケは、寄進金の横流しだったわ」
マリセアは「ふふん」と胸を張って、得意げに語った。
曰く、僕の命名日を祝うために断石砦に帰って来る前。
王都でちょっとした小遣い稼ぎをしていたのだと。
「王都の大聖堂に、モルヴァートって司祭がいてね?」
その男は王都で、信徒からの寄進金を横領している悪人だった。
カエリウス・モルヴァート正教枢機官。
「だいたい四十くらいの、まぁ、よくいる小悪党だわ。顔は猿と馬の半々ってところね」
「はぁ」
「不細工な男よ。私はひょんなことから、そいつの悪事を知ってしまったの」
ひょんなことで他人を貶めるのがマリセアである。
「だから、脅迫して寄進金を横流しに?」
「悪い? どうせ腐った金なら、派手に浪費してやるのが民のためじゃない」
あくまで私は、王都の経済を回してあげただけよ。
マリセアは悪びれもせずに「ハン!」と鼻を鳴らす。
ドレス、ジュエリー、ケーキにお菓子。
きっとさぞや贅沢三昧の高飛車暮らしだったんだろうね。
民のためとか言ってるけど、本音はまったく違うところにあるのが分かる。
「けどね? しばらくは良かったんだけど、あの不細工、なにを勘違いしたのか……途中から私に懸想したみたいで!」
「懸想」
つまり、横領司祭は従姉に恋をしたのか。
弱みを握られ脅迫され、寄進金をかなり横流しさせられただろうに。
恐ろしきはマリセア・ダイアニーシアスの美貌と魅力。
王都の貴族社会では、大陸で一番の美人とも噂され。
その類まれな「顔整い」は、叔父をして「我が﨟たし黄金の華」と評させたほど。
もっとも、マリセアという華の香りに誘われて、これまでどれだけの男たちや女が破滅したかは分からない。
従姉の笑顔は悪に蕩けた魔性のそれだ。
よほどの勇者でもなければ、毒に冒されあの世行き。
ベルグラム家の王子との婚約レースで、王都では何人もの令嬢とその庇護者たちが失脚したと聞いている。
それでもなお、未だマリセアに引き寄せられる人間たちの多いこと多いこと。
美しさは誘蛾灯だね。
ただ、カエリウス・モルヴァートって男は、少し他とは違ったようだ。
「正教の司祭よ? しかも、醜男なのよ? 私おかしくって、つい他人の目の前で大笑いしちゃったのよね。〝冗談は顔だけにしてくださらない?〟って」
「ハハハ。きっと、それ以外にもさぞや扱き下ろしたんでしょう? その結果、今度はマリセアがモルヴァートに弱みを握られた」
「迂闊だったわ。でも、何がいけないのかしら? どうせ私のものになる男と、ちょっと先に楽しんでいただけだっていうのに」
「たしか、プリンス・ベルグラムは僕より歳下ですよね?」
「十四歳だったかしら。父親と違って、ほんとうに可愛いらしくて」
クツクツと、マリセアはウブな少年王子をからかうように笑う。
「実に羨ましい限りですが」
「あら。ダリアスも私と楽しみたいの?」
「叔父上に殺されます。それに、いま問題なのはマリセアが婚約前の王子と何をしていたのか? そのモルヴァートとかいう司祭にスキャンダルの証人を握られているコトですよね?」
「なぁに? オマエも私を淫蕩だって責めたいの?」
「寄進金の横領と未来の王との醜聞では、どちらが人々の関心を買うと?」
「フン」
マリセアは不機嫌そうに顔を逸らした。
この従姉にしては、珍しく失態を演じているため、いまはぐうの音も出ないのだろう。
カエリウス・モルヴァートは、マリセアとプリンスの現場を目撃した人間を匿っているらしく。
現在、古巣である西部の宗教都市に逃げ込み、暗殺の脅威から身を守るほどの用意周到さだそうだ。
普段であればマリセアは、自分に脅迫を仕掛けて来た人間なんて即座に排除しようとする。
しかし、今回はそれを実行するには、敵があまりに身軽に防備を堅めてしまい。
且つ、和解のための交渉や金銭的取引にも応じない強硬さ。
マリセアがなかなか王都に戻らず、長いこと断石砦に引き篭もっていた理由がようやく判明したね。
「モルヴァートが私に突きつけて来た条件は、三つよ。三つの内、どれかを選べって言うの」
「そのひとつ目が、マリセア・ダイアニーシアスが『死の侍女』となって俗世から離れること?」
「冗談じゃないわ」
「でしょうね」
死の侍女とは、正教が王国で執り行う葬送儀礼、すべての葬式において。
いわゆる葬儀屋の仕事を全面的に引き受ける専門修道女を指す。
その職務の特性上、死の侍女になった女性は俗世の社会から隔離され、厳しい規則に縛られた生涯を強制される。
死人を〈冥夜〉に引き渡す最後の行事。
大半の遺族は、大切な家族を神聖で厳粛な送り人に委ねたがるからね。
世を儚んだ未亡人や、政治的に失脚した高貴な女性なんかが、事実上の出家扱いでこの肩書きを背負わされる。
うん。マリセアには絶対に耐えられない。
「ふたつ目は、〝マリセア・ダイアニーシアスが『贖罪の道』を歩くこと〟よ」
「なるほど」
罪を犯した人間が、もはや神の前で何の隠し事も無いのを証明するため、全裸で街道を歩かされる恥辱刑。
男も女も関係なく、この刑を執行された者は尊厳を凌辱される。
街道を歩く際には、大勢の市民や農民に腐った野菜や汚物を投げられ、口汚く罵られたり身体の特徴を嘲笑われるのが通例だからだ。
「とことん憎しみを買いましたね」
「ええ。絶対に殺してやるわ」
「三つ目は、特にひどい」
「……」
マリセアも口を噤む。
想像するだけでもハラワタが煮え繰り返るのだろう。
僕も先ほど聞いて、カエリウス・モルヴァートは死期を早めたなと確信した。
〝三日三晩、マリセア・ダイアニーシアスはカエリウス・モルヴァートと閨をともにする〟
王都の大聖堂に足を踏み入れるほどの正教枢機官。
それだけの司祭ともあろう男が、潔いほどのゲスっぷりだ。
寄進金を横領するような手合いなら、大して不思議も無いけれど。
「どの条件も、論外ですね」
「だから、裁判の権利を主張したわ」
カエリウス・モルヴァートの告発は無意味。
無実の罪を着せる名誉毀損だと冤罪を主張。
マリセアは敢えて事を大事にしたようだ。
王国の民には王国の法によって、どんな罪人にも二種の裁判を要求する権利がある。
決闘裁判。
そして、公開裁判。
「ほんとうはエヴァンに戦ってもらおうと思ったんだけど、ヘイルガーデンから帰って来ないんですもの」
「副総督家とゴタゴタしていますからね。でも、もっと早くに頼ってくれれば、決闘裁判で簡単に片がついたのでは?」
「うるさいわね。私にも計画があったのよ」
暗殺の試行。
および、和解交渉という名の金銭的取引か。
残念ながら、どれも失敗に終わってしまい、ついには僕へ話が舞い込んで来たと。
「一応の確認ですけど、公開裁判のほうでいいんですよね?」
「当然でしょ?」
「よかった。僕にエヴァンと同等の働きを求められていたら、どうしようかと思いましたよ」
司祭の暗殺も、証人の暗殺も。
マリセアは失敗している。
どんな部下を使ったのかは知らないけど、それが手練れでなかったはずはないからね。
「ダリアスはただ、弁護してくれればいいの」
「マリセアが無罪を勝ち取れるように、演説して?」
「出来なくは無いでしょう? 男なんだから」
女性の発言権よりも男性の発言権のほうが強く、また、信ぴょう性も高いとされているのがこの王国である。
マリセアが自分で自分を弁護しようとしないのは、そうした社会背景もあるんだろうね。
「叔父上でなくていいんですか?」
「父上に頼ってしまったら、王家との関係に亀裂が入るわ」
問題がより大事となって、厄介な事態を招くと。
マリセアもそれなりに考えてはいる。
しかし、公開裁判ならどのみち、叔父の耳には入る……いや、もう知っているかもしれないのに。
自分の不始末は自分でつける。
これもマリセアのプライドか……
「でも、どうして僕なんでしょう? 僕はそれほど、口の達者なほうではありませんよ?」
「アッハハハッ! 笑わせないで。オマエは男なのにロクな武芸が無い。にもかかわらず父上がいまも生かしているのは?」
「……」
能ある鷹は爪を隠す。
しかし、隠し切れていない有能さが、僕にはあると。
マリセアは抜け目のない眼差しで指摘した。
こちらの胸板を指でなぞり、ツン、と突いて。
「マリセア。それはちょっと違いますね」
「ん?」
「無能すぎても殺され、有能すぎても殺される。それが僕の立場ですよ」
「……だったら、今回は無能さよりも有能さのほうを発揮してちょうだい」
「喜んで」
司祭の古巣。
西部が誇る貴族文化圏。
その一角を占める宗教都市、『白亜の聖市アルトゥス』へ向かう道すがら。
揺れる馬車のなかで、僕と従姉はそんな会話を楽しんだ。
◇◆◇◆◇◆◇
白亜の聖市アルトゥス。
大陸の古語で、"高み"を意味する名の街。
西部に存在する有数の大都市のなかで、ここは最も信心深い者たちが暮らす宗教都市だ。
肥沃な土地と、洗練された文化の発展。
およそ人間が知性を磨くにあたり、西部には他よりも適した環境が整えられている。
交易の要衝、湾岸都市部との結びつき、軍需生産。
貴族が築き上げた文化圏は、立派な生活基盤をも拡大して。
古代からこれまで、人が自然と集まり、経済が自ずと回る、そうした都市部を増やして来た。
アルトゥスもそのひとつだ。
白亜の聖市の名に恥じず、その街並みは白を基調にしていて清廉なものを感じさせる。
街に入る前から視界に広がっていたのは、大地に広がる緑と青い空に見下ろされた三色のコントラスト。
季節は秋なのだが、まるで初夏を思わせるような晴天がアルトゥスを照らしている。
そして、街に入ってからも視界に目立っているのは、言うまでもなくひとつの建築物だ。
- 緑の丘聖堂 -
アルトゥスを古巣とするカエリウス・モルヴァートの本拠地。
白亜の聖市は丘陵地帯に建てられた三層構造で、上層には白壁と緑に囲まれた八角形の聖堂が聳え立っている。
西部人に親しまれやすくするためか、自然色を豊富に取り込んだステンドグラスが遠くからでも分かった。
「あれが、今回の公開裁判の会場ですか」
「聖堂なんて、どこも一緒でしょ」
八神を崇める王国の正教では、聖堂はだいたい何処も八角形構造だ。
マリセアは大して興味も無いのか、それよりも市民が暮らす街並みのほうに目を向けていた。
聖堂の丘を取り囲む環状中層街。
枢機官たちの館や修道女たちの院、それから枢機官を志す若き者のための神学校。
雰囲気が異なる屋敷類は、寄進商会のクランかギルドだろうね。
「チッ」
マリセアは舌打ちをして、次いで下層の河岸街を見る。
馬車の窓から覗ける範囲ではあるけど、そこは中層から上とは明確に違う〝層〟だった。
巡礼者宿に孤児院、古くなった共同墓地や、施しを求めるために集ったのだろう貧民たちの家々。
彼らの視線は道の往来を通る僕らの馬車へ注がれ、何事かを訴えるかのように意味ありげな沈黙と一緒だった。
「いいわね」
マリセアは何故か機嫌を良くした。
「ここには弱い者がいるわ」
「まさか、市民をどうにかするつもりですか?」
「どうにかって、なによ。私はただ、使えると思っただけ」
公開裁判では、身分のある人間を集めて多数決による有罪無罪の判定が行われる。
しかし、その判決の過程は市民たちにも公開され、結果が市民の納得できないものだった場合。
高確率で暴動が発生し、裁判会場にいる特権階級は〝巻き込まれ〟のリスクをゼロにはできない。
決闘裁判の場合は、最終的にどちらに罪があるかは神が決める、という不文律で告発者と被告発者または代理人が命を懸けるだけだけど。
公開裁判では参加者の全員が命を懸ける。
そういう慣例なのである。
大抵は護衛を入れて、特権階級の参加者は身の安全を図るものだけどね。
「見なさい? ダリアス。ここの市民は、ちっとも救われてなんかいなそうよ?」
「寄進金が横領されているくらいですもんね」
下層の民に施されるべき慈悲。
アルトゥスにはそれが、まったくではないにしても不足している。
マリセアの上機嫌は、モルヴァートを追い詰める武器を見つけられたと考えての、早計な油断だった。
「まぁ、たしかにここは、叩けばいろいろ埃が出そうです……」
「でしょう? 任せたわよ、ダリアス」
「任されちゃったね、ダン」
エスメラルダの声には反応せず、僕は馬車の窓から目線を背ける。
今日はこれから、まずモルヴァートと顔を合わせる必要があるんだけど、その前に嫌な事実が判明してしまった。
「……」
ひとつ、緑の丘聖堂にいる化け物。
あれは、幽霊だろうか?
とても大きくて、下半分が半透明に透けている。
断頭台と収穫鎌。
仮面を貼り付けた司祭服のゴーストは、聖堂の屋根の上で収穫鎌を片手に腰を振っていた。
ギロチンは複数台浮いていて、そのいずれにも全裸の女性が囚われている。
女性たちは自らの歯で断頭台のロープを噛み、刃が落とされるのを懸命に防ぎながら、司祭服のゴーストに順繰りに犯されているのだ。
どう考えても、ロクな存在じゃない。
そのうえ、この街の市民たち──とりわけ女性には。
いや、この街にいるすべての女性には。
「──低級の淫魔が、とんでもない数だね」
その肉体を弄び、ニタニタと舌を這わせる手だけの人外が取り憑いていた。
人間の手を模した外見に、眼球と口が傷口のように開いている……
女性の乳房を、臀部を、局部を。
淫魔は無遠慮に撫で、舐め、視姦し──
「失せろ、下郎」
エスメラルダがマリセアに取り憑いたそれを、ひと睨みして簡単に消し飛ばした。
馬車の中は、とりあえず、その光景で安堵を取り戻す。
(……なんだ、この街は)
異様だった。
これまでにも似たような人外は見たコトがある。
しかし、数が異常だ。
白亜の聖市アルトゥスは、あまりに男性的な欲望に澱みすぎている。
僕らはエスメラルダのおかげで、おぞましいモノから守られているが。
(カエリウス・モルヴァート)
腐敗した正教枢機官は、もしかするとすでに。
人の心など、持ってはいないのかもしれなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
聖堂に着くと、公開裁判の日取りは二日後に決まった。
件の司祭は案の定、常軌を逸した精神性の持ち主だった。
「信仰ですよ。信仰こそが、秩序をもたらすのです」
本人は下劣な欲望を、覆い隠してすらいなかった。
というか、自らのそれを欲望とは認識しないで。
あたかも本気で、世のため人のためであると信じ込んでいるような口ぶりだった。
マリセア曰く、猿と馬を半々で混ぜた醜男とのコトだったけど。
僕の眼にはもう、馬車から見たのと変わらない。
信仰という仮面で顔を隠して、歪んだ快楽を貪ろうとする気の触れた生き霊にしか視えなかった。
人間としての実像よりも。
人の道から外れた化け物としての像が、前面に出ている。
恐らく、騙る神の名前は〈賢者〉と〈収穫〉だろうね。
「西部総督家である我が家と、本気で事を荒立てるのだとしたら、それは正教側にとっても不本意な運びではありませんか?」
「いいえ。むしろ大陸西部を預かるダイアニーシアス家だからこそ、これは良い機会だと知るべきです」
「枢機官。貴方も寄進金を横領していたはず」
「ええ、その通り。しかしその罪ならばもう、私は贖っているのですよ」
「いつ」
「奇しくも! そちらにおられる高貴なるお方が、私に教えてくださった! この世には魔女がいる! 秩序を乱し混沌と堕落とを招く悪徳の魔女が! ゆえに私は魔女を狩り! 地上にあるべき人の世を築いてみせると誓ったのです……!」
緑の丘聖堂には、異端収監のための地下牢と“浄化室”があった。
カエリウス・モルヴァートは〝まつろわぬ民〟から女を捕らえて、日々、拷問と処刑を繰り返していた。
「……どこでこれだけの蛮族を?」
「奴隷商人から買い取りました」
「横領した寄進金を、貴方は己が怒りと憎しみのために使っている」
「そうですとも! 私は怒っているのです。憎んでいるのです。たとえ一時でも」
カエリウス・モルヴァートはマリセア・ダイアニーシアスに惑わされ、魅了され、愚かな感情に振り乱された。
恋などという幻惑に脳味噌が働かなくなり、世界のためにならない行動をしてしまった。
司祭は目蓋を閉じ、唇を震わせ、唸るように吐き出す。
「正教の司祭とは、この大陸に生きるすべての人民のために、八神を通して〝あるべき人の世〟を教え諭さなければならない者なのにです!」
「では、いまの貴方が〝あるべき人の世〟にそぐう人種だと?」
「異なコトを……若き翼獅子、ダンタリアス殿もお分かりでしょう」
「なにを」
「我らは同じ男ではありませんか。男には義務と権利がある。世界をより良くするための義務と権利が」
「義務と権利? 女性には無いと?」
「当然でしょう。女性は戦で戦えますか? 男のように命を張って国や家を守れますか?」
「同条件では厳しいでしょうが、時と場合によっては」
「お若いですなぁ。それは誤りです。女には戦えません。真に大事なものを守るためには、男のような力が必要ですが、女にはそれが無い!」
「腕っぷしがすべてだと? でも、すべての男は女性から生まれて来ますよ」
「ええ。それが女の数少ない能だ」
呆れて物も言えない、とはこの僕をして久しぶりだった。
旧態依然とした男尊女卑思考。
だけど、この世界じゃこれが大多数派を占める。
表向き、男たちには〈地母〉を敬うように女性を敬えと語られるけど。
ほとんどの男の本音は、蓋を開けてみればこんなものかもしれない。
高度に発展した文明社会だったなら、人々の価値観や思想にもアップデートが行われて、少しはマシな道に進めるかもしれない。
残念ながら、それはいま完全に諦めるしかない希望だ。
だって時間が足りない。
前世でさえも、それは数百年は必要とした認識改革。
僕は識ってしまっているから諦める。
三千年間も剣と魔法の世界だったここでは、想像すらできない未来だから。
でも、マリセアの憎悪はここで爆発した。
「まるで、オマエ自身が戦で戦ったことがあるみたいな言い草をするわね。でも私は知ってるわ? オマエは一回も剣を握ったことなんか無い。ただの臆病な腰抜けよ!」
「キンキンと喧しいですなぁ……これだから女性というのは困る。感情的で、すぐにヒステリーを起こし、合理的で知性に富んだ会話もロクに行えない」
「ほら、怖いから逃げるんでしょう? 女を痛ぶって悦に入るだけ。私はなんなら、今ここで剣を取ってオマエと決闘したっていいのよ!」
「おお、野蛮野蛮。ダイアニーシアス家も大変ですな? これでは蛮族と何も変わりありませぬ」
「その蛮族と、三日三晩も閨をともにしたいと望んだのは、貴方ですよね」
「浄化のためです。先立っての私の愚かしさは、たしかに認めましょう。しかし、女が正教枢機官である私に、あのような屈辱を与えたまま放置することはできません」
ましてや婚約も結んでいないうちに、年少のプリンスを堕落と退廃の道に堕とそうなど。
「我々の世界にヒビを入れる悪徳。すなわち旧レストロヴァン王朝を滅ぼせし新ベルグラム王朝への背信。秩序は保たれなければなりません。敬意ある信仰こそが、世にあるべき人の秩序をもたらすのです」
刻限は二日後。
裁判会場にはそれぞれの立場から、投票者となる参加者が集められて罪状の是非が問われる。
つまり、より多くの味方を揃えて。
相手よりも数で勝る参加者を用意できれば、公開裁判では有利だ。
会場の席には限りがあるから、多少の有利不利ではあるけれど。
二日後の刻限まで、できる限り味方集めをしておくのは当然の戦略。
向こうも同じように、数を集めるだろう。
僕は無表情のまま、マリセアを連れ立って聖堂を後にした。
「ねえ、ダン。あの人を私が殺しちゃえば、話は早くない?」
エスメラルダの疑問はとても正しい。
僕も最終的には、あの愚かなフェルドレンのようにモルヴァートを殺してやるのがいいかと考えていた。
だが、僕はまだエスメラルダから「お願いごと」をされていない。
順番は守らないといけなかったし、モルヴァート以外にも証人がいる。
証人はただの小間使いだそうだ。
不運にもスキャンダルを目撃してしまい、そのせいで大貴族の問題に巻き込まれてしまったただの小間使い。
そんな人間まで殺してしまうのは、どうかと思ったし。
この公開裁判では、正式な勝利をおさめてモルヴァートを発狂させてやりたい。
モルヴァート自体が、今回は人外みたいなものでもある。
ラウグレイ高原やミアグレン村とは違って。
僕はここで、人外の力をアテにして望みを叶えるんじゃなく。
逆に、相手が人外的だからこそ、望みを叶える方法を考えるべきだと思った。
アルトゥスは敵の根城であり、あの男の腐った息の匂いで敵わない。
僕とマリセアは当初の予定通り、白亜の聖市とは真隣にある街へ移動した。
そこは西部軍監家。
ここらの複数都市を、有事の際には“統制”する権限を持つ一族の本領。
西部においては、総督家と副総督家に次いで権力を認められた武門統括の要。
- 南西部ベルトシティ・ウォッチ -
- 西部軍監 エルマントン家 -
本城の名は、天衡楼。
旗印は、白地に楡の大樹と枝から吊られた秤。
その標語は、〝量りて、偏らず〟だ。
叔父はエルマントン家に、事実上の宗教統制を任せて西部の軍事を見張らせている。
味方にできれば、ああ、非常に心強いことこの上ない一族だよ。
なお、この期待は裏切られる。




