第3話
「貴方にはどんな願いでも叶える権利があるわ」
その女はずっと同じ言葉を繰り返した。
「富、名声、力、ハーレムが欲しくはない?」
いや、女ではないんだろう。
僕の眼には十代後半。
少女から大人の女性へ変化する過程。
その特有の時期にしか見られないアンバランスな魅力を備えた、どう見ても美人としか言えない異性に視えているけれど。
人間ではない。
化け物の類いだと、断石砦からの道中ですでに確信している。
人間と誤解してしまったのは、女の外見が、容姿が。
あまりにも造形の整った貌形をしていたせいでもあった。
しかし、よくよく見れば頭部には、イヌやネコを思わせる獣耳が生えてヒョコヒョコ動いているし。
腰の後ろからは、こちらもクネクネと擬音の似合う動作で興味深く揺れている尻尾もあった。
獣の特徴。
人外、異形の特徴。
最初に眼にした時は、ローブを目深に被っていた。
だから気づけなかった。
信じられない。
人間のような格好をして、人間のように言葉を喋る化け物がいるなんて。
この世界にはこういう存在もいるのか。
つくづく、知らないコトだらけだとウンザリしてしまったよ。
「ねぇ、聞いてる? いいかげん、無視はヒドイと思うなー」
西陽を浴びる黄昏の麦穂のような、豊かな黄金の毛髪。
その襟足や、毛先に入り交じる鮮やかな青と緑。
虹彩も同じで、女の全身には西部を象徴するような色ばかり溢れていた。
声は軽やかで、どこか気まぐれなネコを感じさせる。
なので、きっとイヌ科ではなくネコ科に違いない。
まぁ、その直感を裏付けるかのように、女はすでに自身の素性を語っているんだけどね。
曰く、
──私はエスメ。エスメラルダ。
──短いほうが可愛いから、エスメって呼んで?
──貴方たちには、セラフィオンって言ったほうがいいかもしれないけれど。
セラフィオン。
つまり、伝説の翼獅子。
我が家、ダイアニーシアス家の家紋にもなっている幻想上の存在である。
そしてセラフィオンは、孔雀の翼を生やした黄金の獅子だと語られている。
ライオンはネコ科だ。
でもって、女の特徴は孔雀らしい青や緑の色彩も兼ね備えていた。
化け物が人間らしく、自己紹介をしてくるのも奇妙極まりないけど。
およそ二十日ほどの時間。
女は──エスメラルダは、何故だか僕に付きまとい続けた。
そのせいで、イヤでもその存在に思考を傾けないワケにはいかなかったので、恐らく真実なのだろうと思う。
これは日本の萌えアニメだろうか?
獣耳の美少女人外なんて、僕の知る『FAI』には存在しなかったのに。
って、いったい何度こんな考えを繰り返せばいいんだろうね?
僕が知っている『FAI』だなんてものは、とっくのとうに足元から崩れ落ちているっていうのにさ!
未練は尽きないね。
だから未練って言うんだろうけど。
それはともかく。
「もしもーし。もしもーし? ダンタリアス・ダイアニーシアスさ〜ん? 聞こえてますかー? 言っておくけど、私は貴方がそうやって無視し続けても一向に構わないのよー?」
もう何度も言ってるけど、とエスメラルダは飽きもせず嘆息もしないで呟く。
僕以外には視えていないから、二十日間ずっと人目も憚らず大きい声でこの調子だ。
声もどうやら、僕にしか聞こえていない。
「私の時間と貴方の時間は違うわ。私は十年でも二十年でも続けてられるけど、貴方は耐えられる? もう分かってるでしょうけど、人間は我慢比べで私に勝てないわよー?」
おっしゃる通りだった。
僕はこの二十日間で、最初の一言以外はエスメラルダと口を利いていない。
それは周りに、五十人の騎士たちがいたからでもあるし。
化け物と関わり合いになるのを、ひたむきにも避けようとするためでもあった。
たとえ手遅れだったとしても。
致命的な失態を犯した状況からでも最後まで足掻いてみせるのが、人間の底意地ってヤツじゃあないかなぁ?
繰り返すようだけど、僕がこの世界で否応なしに視界に入れてきた人外ってヤツは。
どれもこれも、好き好んで視界に入れたいとは思えないおぞましいヤツらばかりだった。
ビジョンでもドラマのVFXでも、登場人物たちが時たま垣間見ていた化け物はずっとそんな感じ。
なので、「……ところで、キミは誰です?」ってあの一言の後。
僕は少々わざとらしいかと自覚しながら、「っれー? っかしいなぁ。いま、そこに誰かいた気がしたんだけど……」と両目をゴシゴシした。
白昼夢でも見ていたんですよ、という演技をしたのだ。
見れば分かる通り、無駄だったんだけど。
エスメラルダは完全に僕をロックオンして、とうとう北西部のラウグレイ高原までついて来てしまった。
その間、僕は周囲に異常者だとバレないよう、普段よりも余計に神経を張り詰めさせなきゃならなかったよ。
うん、疲れた。
今日はやっとラウグレイ高原で本格的な天幕を張り終えている。
つまり、ようやっとひとりで気を休められる時間を手に入れた状況だ。
……なら、そろそろ自分の不始末とも、覚悟を決めて向き合わなきゃいけない時間なんだろうね。
「富、名声、力……ハーレム? なんですか、それは? 貴方は僕を海賊王にでもするつもりなんですか?」
「あ、やっと話す気になったんだ!」
口を開くと、エスメラルダは不思議なほど嬉しそうに顔を華やがせた。
悔しいけど、その笑顔がやはりとても可愛いと思えてしまう。
断石砦の広間で、大勢の男たちに相手を求められていたどんな娼婦たちよりも、エスメラルダは比較できない。
だが、化け物だ。
人の天幕で、こちらがそろそろ寝ようとしている時間だって事実には、何の気遣いも無いのが〝らしい〟証拠だよ。
僕が諦めたのは、このままではそのうち、こちらがノイローゼになるのも構わず、夜通し話しかけられ続ける気がしたからでもあった。
それに、僕の名前と身分は割れている。
相手が化け物で、常人には感知できない超常の幻想存在なのだとしたら、叔父の城に入り込むのもさぞや容易かったに違いないけど。
どうやらこのセラフィオン、最初から興味があったのは僕だけらしい。
「うんうん。やっぱり、そうだった。ダンタリアス・ダイアニーシアス。今代の契約者は貴方だって、私には最初から分かっていたんだから!」
「……今代の契約者、ですか?」
「そうよ? 私は貴方に仕える奴隷。貴方の願いを叶え、貴方の欲望を現実にして、貴方を幸福の絶頂にまで押し上げる存在。そういう契約で縛られています」
「悪魔じゃないですか」
「あ、悪魔ー!? 失礼ね! そりゃたしかに、これまで何人かは〝あちゃー〟って方向に突き進んじゃったけど、それは貴方たちの精神活動に際限が無くて、魂が澱んで行くのもあっという間だからでしょ〜!」
私、悪魔じゃないもん! 神様なんだから!
と、エスメラルダは猛烈に抗議の声をあげる。
よく分からなかったが、とりあえず想像通りにヤバそうな化け物なのだとは分かった。
人間らしい姿形と声音で取り繕っていても、明確にこちら側を異なる存在として捉えている。
奴隷だとか願いを叶えるだとかは、きっと耳触りの良い言葉でこちらを騙そうとしている悪魔の甘言に違いない。
仮に神様という発言が事実だったとしても、恐らくは邪神の類いだろうね。
あちゃー、てなんだよ。
マズそうなところだけ、ふんわり濁しやがって。
僕はいったい、何に取り憑かれちゃったんだ?
あと、魂とか軽率に口に出さないで欲しい。
なんだかスピってる人種を相手にしているみたいで、別種の緊張感が湧いてくるから。
目の前の人外は、マジモンのスピリチュアルだと頭では理解していても、前世で培った感覚っていうのはなかなか拭い去れないからね。
「で、どうして僕が、そんな契約を貴方と結ばなきゃいけないんですか?」
「え? そんなの、古代からの約束だからだよ?」
「古代からの約束?」
「うん。ずっと昔に、貴方たちの先祖が私とそういう約束を交わしたの」
「……なんですかそれ? じゃあ、今の僕には何の関係も無いですよね?」
「関係はあるわよ! だって、それが私の約束なんだもん!」
「キャンセルで。契約は破棄でお願いします。お帰りください」
「キャ、キャンセル〜!? 嘘でしょ、貴方! 今までこんな速攻で契約破棄を申し出る契約者はいなかったわよ!? っていうか、無理だから! あと、ひどい!」
エスメラルダは驚愕し、ジワジワと憤慨した。
感情表現が豊かで、表情もコロコロと変わって愛嬌がある。
けれど、油断はできない。
こうやって裏の無さそうなリアクションを続けるコトで、コイツは僕を騙そうとしている可能性があるのだから。
人間ではないモノが、人間のような姿形を取って、人間にとって魅力的な言動をする場合。
それは人間を、欺こうとしているからではないだろうか?
契約というのが何なのか。
エスメラルダがどうして、回りくどい真似をしているのかは分からないけど。
この二十日間で、コイツにも何か不都合があって、直接はこちらを害せないってのは確信した。
出来ればそれは、契約ってヤツをまるまる破棄してしまえば、エスメラルダごとオサラバできる厄介事だったら良かったんだけど。
どうもそのあたりは、思ったようには行かないらしい。
「ねえ、ほんとうに興味が無いの? 富も名声も力も、ハーレムも」
「……人並みに興味はありますが、どれも僕が求めるレベルで手に入れるのは不可能ですからね」
「?」
「この世界じゃ、どうやったって上限が知れているんですよ。言ったって伝わらないでしょうけれど」
「ふぅん?」
僕が肩を竦めると、エスメラルダはわずかに目を細めた。
小首も傾げて、いちいち可愛らしく。
かと思えば、
「ああ、そういうコト。貴方、混線しちゃったんだ」
「──は?」
「舐めないで欲しいわ。貴方が求めるレベルなんて、私がその気になれば簡単に用意できるんだから」
「……なにを? なにを言ってるんです?」
「ちょっとだけ頭の中を覗かせてもらったけど、出来ると思うわよ? この世界でも」
「!」
思わずベッドからガタンッと立ち上がり、エスメラルダを凝視してしまう。
この女はいま、明らかに僕の前世を見透かした発言をした。
目の前の存在が、急激に空恐ろしさを増していく。
「……僕が何なのか、分かったっていうんですか?」
「そう驚かないでよ。べつに、いいと思うわ。貴方って、要は選ばれし者でしょう?」
選ばれし者……?
「僕が、選ばれし者だって──?」
そんなのは、違う。
たしかに、そうであればと思わない日は無い。
転生者という事実が、世にありふれた一般的な代物じゃないのも分かっている。
そういう意味では、僕はたしかに選ばれし者だろう。
何者かになれた人間だろう。
けれど。
けれど……
「──あいにく、自分を真に選ばれた存在だと心から思えたのは、十五年も前の話です」
「私が見るに、火はまだ灯っているように見えるけど? 野心の火」
知ったような口を、化け物はあまりに軽々しく叩いて見せる。
胸の裏側を、ザラザラとした舌でゆっくり舐められているようだ。
僕は心を掻き乱されている。
痛い。
でも、否定はできない。
伝説の翼獅子を自称するこの女は、人智を超越している。
ほんの数言、ちょっと言葉を交わしただけで。
ここまで〝人外〟を思い知らされるとは思ってもみなかった。
神様という発言も、あながち嘘とは思えない真実味を帯びてきている。
悪魔にしろ邪神にしろ、どうあれ人間以上の存在で確定だ。
なんてこった。
エスメラルダの前でどう言い繕ったって、これじゃあ僕はマヌケなピエロにしかなり得ない。
嘘を吐いても見透かされるなら、欺瞞は滑稽なだけだ。
「いいから素直になっちゃいなさいよ。貴方の望みはなぁに? 貴方が欲しいものはなぁに? 私がぜんぶ、なんでも叶えて揃えてあげるよ?」
ああ、女の囁き声がする。
人間の欲望を、根源的な衝動を、チロチロとわざと焦がすような女の声。
常人であれば、容易に傾いて転がり落ちて行ってしまいそうな、危険な誘惑。
エスメラルダは意図してそうしているのか。
あるいは意図せざるして、僕を溺れさせようとしているのか。
ごく自然な動作で両腕を広げて。
魔的で、妖しい目線。
スッと一歩滑り込んで来るや否や、ゾッとするほどたおやかな手を差し伸ばしてくる。
思わず、その手を掴んだ。
すると、女はやはり嬉しそうに口元を綻ばせるが──
「えっ?」
ぐいっ、と。
僕は逆に、エスメラルダをこそ自分のほうに引っ張った。
互いの顔が近づき、化け物でも女の姿を取るからには身長差はあるんだね、などと今さらの事実に思考の表層が埋まりつつ。
長い睫毛や繊細なおとがいに、眼を奪われかけながらも。
しかし、見下ろす。
富、名声、力。
それに、ハーレムだって?
「──僕の来歴を見抜いて、そのうえで、僕の一番の望みがそんなものだと?」
「えっと……違うの?」
「違う」
断言した。
この化け物は、ああ、きっとこれまで常人しか相手にして来なかったのだろう。
だから、この豹変にこんなにも意表を突かれた顔をして、眼を瞬かせる。
「僕の望み──いえ、目的は」
意味だ。
「意味……?」
「さっき、僕を選ばれし者だと言ってくれましたが……ええ、白状しましょう」
僕は、僕が選ばれた理由を知りたい。
「なぜ僕だったのか。なぜ僕の脳にこちらの世界が混線し、どうしてあんな人生を歩ませたのか。僕はなぜ転生し、生き恥としか言えない無様を終始自らに突きつけられながら、それでもなお未だに〝ありうべからざるモノ〟を視る眼を与えられているのか」
悪役貴族、ダイアニーシアス家のダンタリアスに転生した意味は?
仮にも作家を名乗るコトが許されるなら、作家の末席に名を連ねていた僕が今こうして奇妙な立場に収まっている理由は?
僕は何を求められている?
「知り得る限りのビジョンを、単純になぞればいいんですか? それとも転生者であるコトを活かして、未来を変えればいいんでしょうか? というか、アレはほんとうにこの先も起こり得る未来だと思っていていいのか。そもそも僕ごときが、天上の主が構想を練ったであろう作品に手出しできるんですか? 分からない。何も分からないんですよ。分からないコトが多すぎて、僕はだから意味を探さざるを得ない」
自分の人生に、意味はあるのか。
不可解極まる境遇に、憤りや悲嘆よりも何故? という疑問符が先を走る。
「僕の動機は、究極それだけです」
転生したことの意味を探している。
前世でビジョンを見続けたことの意味を探している。
どうして最後になって、幸福なまま終わりを与えず絶望を強制されたのか。
僕の人生とは、果たして今も意味を持ち続けているのか?
それが分からないからこそ、こうして目を背けずに〝異世界〟と向き合い続けている。
かつては行間と、余白の陰に過ぎなかったものにまで目を凝らして。
陰湿で不快な、悪役の行動理由や背景にも注意を払って。
自分自身が昔、キーボードに打ち込んでいた単なる三点リーダーが表していた沈黙や、罫線による間の取り方、心情の強調や文意の工夫から読み取れるもの、すべての汲み取りに全霊を注ぎ続けている。
テキストデータだけでは分かり得なかった真実を求めて。
僕は、僕が選ばれたことの意味を何より欲しているんだ。
そう行動している内に、実際、思ってもいなかった共感を叔父一家に抱くようにもなった。
大事なのは、寄り添いによる共感だ。
「──つまり、要約すると?」
「言わせないで欲しいんですけどね……」
作家が自身の著作を、〝未完の傑作〟と呼ばれるコトに。
内心で、複雑な気持ちにならないはずがないだろう?
この世界の行く末を、僕は今度こそ見定めたい。
「僕を狂わせたこの世界を識るコトで、僕の人生に意味はあるのか探究したいんです」
だから、すべては意味のためだ。
小説という媒体が世に出されるとき。
意味の無い無駄な文章、意味をなさない誤字の類いは、推敲や編集、校正といった工程で削られるからね。
僕の人生は、削られたのだろうか。
削られるべき無意味さだったのだろうか。
僕はその問いに答えを出すため──書き手から役者となった現状を受け入れている。
ダリアス。
悪役貴族、ダンタリアス・ダイアニーシアス。
シリーズ全体の構成からしたら、序盤も序盤で死ぬ使い捨てのキャラクター。
いずれ僕の前にも、王女様が現れるんだろうけど。
この役柄は彼女が魔法に覚醒するキッカケ作りのためだけに、使い尽くされる。
踏み台、とも言えるかもしれないね。
「そう。貴方は自分を、狂人だと思ってるんだ。私の目には、狂いたくても狂い切れなかった可哀想な理性の化身に見えるけどなー。私に触れても、ちっとも揺さぶられている感じがしないし」
「……」
「ま、いいわ。貴方の望みは理解しました。そのうえで感想なんだけど」
エスメラルダは、僕の頬を両手で挟んで眼を覗き込んで来る。
まるで、どこまでもこちらの奥底を見透かすように。
「要するに、この大陸で覇を唱えたいってコトでいい?」
戦乱が起こると知っている大陸で。
その行く末を見定め、自分の人生に意味を求めたいと言うのなら。
「それって、運命に反逆して世界を捩じ伏せてでも、勝ち続けたいってコトでしょう?」
貴方は理性の化身なのに。
「自分の理性に納得を与えたいからって理由だけで、悪役の衣を羽織って、利用しようとしてる」
「覇を唱えたいだなんて、そんなコトは思っていませんよ」
「でも、結果的にはそうなるんじゃないのかしら?」
かもしれない。
少なくとも、僕は僕が知っている最終巻直前の時点までは。
誰かの踏み台、噛ませ犬で終わるチンケな悪役で終わるつもりが無い。
そんな僕が人命の軽いこの世界で、誰かを蹴落としてでも意味の探究をやめないのなら。
歯車は狂って、物語は破綻して、舞台は大混乱に陥るかもしれないね。
でも、最初に僕の人生を狂わせたのはそっちだし。
「なんです? まさか、倫理に背いているだとか、人道に悖るとでも?」
「ううん。でも、こんな契約者は初めて。貴方はこの大陸を、その狂気的な理性で焼き尽くす史上初の人間になるかもしれないわ」
契約は自動で結ばれているから、「どうせ私もしばらくは貴方の傍にいなきゃだし。ちょっとだけ興味も出てきちゃった」と。
孔雀の翼、黄金の獅子は無意識かもしれないが、その瞬間、たしかに舌なめずりをした。
「富も名声も力も、ハーレムも、結果的には貴方のものになる」
「……」
……あれ、どうしてこんなコトになったんだっけ。
契約は、つまり破棄できないのかな?
僕はこれから、ずっとこの人外に眼をつけられて?
しかも、なんか自分から興味まで引いてしまった?
あ、逃れる術は無いヤツだ、コレ。
完全にしくじった。
これまでどうにか、恨みを逸らしたりして取り憑かれずにやり過ごしてきたのに。
まさか今日ここで、とんでもなさそうなヤツに眼をつけられるなんて。
「エスメラルダ。僕からも訊ねたいことがあります」
「なに?」
「貴方の目的は? 契約は自動的なもので、貴方自身にも拒否権が無い感じなのは、なんとなく察しましたけど」
コイツは僕の願いを叶えようとしている。
そこには、嫌々契約のせいで従わされているといった、暗い雰囲気が無い。
というか、むしろ嬉しそうに欲望を刺激してくるフシがある。
それは何故? と訊ねると、
「フフフ。何故? 何故? ダンってばそればっかりなのね?」
「……ダン? 僕の愛称は、ダリアスですが」
「それ、他の人も使ってるでしょう? 私、自分だけの特別な呼び方がしたいの」
「……」
「あと、私の動機なら単純よ? 契約者を幸せにしたいだけ」
ほら、簡単でしょう?
エスメラルダはニコニコと単純に答える。
上位存在特有の愛玩、だろうか?
真意は分からなかったけど、嘘を吐いている様子は無い。
仮に嘘でも、見抜ける自信も無かった。
まだ出会って間も無いし、我が家同様、時間をかけて理解に努めるしかないだろう。
「……人目がつく場所では、一切相手をしませんよ」
「いいわよ、べつに? どうせもう少ししたら、実体化もできるようになると思うから」
そうすれば、他人の目から見て不自然には映らなくなるでしょう?
エスメラルダはどこか待ち遠しそうに、ますます厄介そうな未来を匂わせた。
ラウグレイ高原、一日目の夜の出来事だった。
翌日、僕はコイツが人間を黄金に変えるところを目撃する。
さぁ、第一章の始まりだ。




