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【悪役と人外の戦記】 - 悪役貴族に転生した僕には、神秘の滅びを謳う戦乱の大陸で人外を視る眼があり、ゆえに成り上がる  作者: 所羅門ヒトリモン
第1巻

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第13話



 西側山中の金鉱地帯。

 そこは断石砦(クラグホルン)からすぐの場所で。


 叔父がダイアニーシアス家の本城を移したのは、単に戦略的な利点ばかりを求めただけじゃなく。

 東側の峡谷方面を正面に見据えた場合、背後に広がる重要な資金源にして、家の聖地を保護するためでもあった。


 採掘事業は万年順調で。


 掘っても掘っても、黄金は尽き果てない。


 ダイアニーシアス家はそんな金鉱を確保し続けることで、〝黄金は豊穣の証〟という金満的な標語さえも掲げるようになったんだ。


 富の独占。


 しかも、そこには一族の始祖を眠らせる墓まで建てて、蓋をした。


 - 金鉱地下大墳墓 ヴェイルスモルン -


 人間っていうのは、不思議だよね。

 そこに死者が眠っていると思うと、途端に金鉱の利権を主張しづらくなる。


 もちろん、盗賊や墓荒らしの類いは絶えないけれど。


 大陸に存在する他の名家が、我が家のヴェイルスモルンに手を出そうとするコトは、表向きかなり無くなった。


 西部の貴族たちは、総督家に忠誠を誓いさえすれば十分な対価を受け取れた。

 だから長年、特に反発のような動乱も起こらなかったって話だよ。


 しかし、最近になって。


 ヴェイルスモルンの金の採掘量は、減少の一途を辿っていた。


「理由は言うまでもないな?」


 鉱夫たちが働く作業場から、少しズレた坑道の先。

 入り口にあった大墳墓の門構えと、神殿のような光景さえも見せかけの蓋。


 ほんとうの墓は、隠された坑道の奥にあると語って。


 叔父とエスメラルダは僕を随行させた。


 いま、そこには異界としか思えない、神の領域が広がっている。


 ──黄金である。


 見渡す限り、上下左右すべてが黄金に浸蝕された大洞窟。

 光源なんて何も無いのに、キラキラと眩しいくらい光っている。


 叔父が松明を放り投げた。


 コーン、と硬質な音。

 真昼の夏のように、炎の明かりが小さい。


 その最奥で、怪獣のごとく身を横たえていたのが、孔雀の翼を持った黄金の獅子だった……


「あれが、私のほんとうの姿。本体って思ってくれていいよ?」


 デカい。

 そして、セラフィオンは眠っている。

 目蓋を閉じて、息をしているのかは分からないけど、翼を畳んで微動だにしていなかった。


 その周囲には、鎖……糸? のような線がグルグル回っていて。


「で、アレがエスメラルダ」


 神と向かい合うように、ひとつの椅子とひとりの骸骨。

 初代ダイアニーシアスと思しい遺体が、糸に結ばれた状態で鎮座していた。


「見えるか? いや、視えているな?」


「……叔父上」


「オマエは正当な後継者だそうだ。私にはこの洞窟が、ただ黄金であるコトしか分からん」


 朽ちかけた椅子と、疾うに朽ち果てていて然るべき骸。

 特殊な防腐処理や、薬液に浸かっていたワケでもないのに、骸骨は新品も同然。


「違和感だとも」


 そう、違和感しかないと。

 叔父は自分の認識と、自分が知覚できている現実を親切にも僕へ告げる。


 奥には、とても巨大なモノがいるような気がすると。


 そして、「それこそが我が家の守り神なのだろう」と吐き捨てるや、腰元から剣を抜いた。


 切先を僕に向ける。


 しかし、そこに殺意は無さそうだ。

 いや、敵意はあるかもしれない。


 人を容易く殺傷せしめる凶器を握った叔父は、戦争経験者、殺人者としての風格を強めて。

 いつにも増して凄味を増した。


 切先を向ける動作は滑らかだった。


 ただ、力が込められていない。

 いまはまだ。


「笑うがいい。これは皮肉だ」


「……なんの?」


「我が人生、すべてへの皮肉だ」


 ヴァルドリック・ダイアニーシアスは、弟として生まれた。

 大陸西部を預かる総督家の男児、大貴族の次男。


「昔から、兄よりも私のほうが優秀だった」


「……」


「だが長男でなければ、家督は相続できない。長男が無事である内は、残りの子どもはスペアでしかない」


 分かるな? と。

 叔父は僕に、この世界の常識を話す。

 ああ、分かっている。


 僕が叔父にとって、エヴァンドルのスペアに過ぎないように。

 叔父もかつては、父のスペアに過ぎなかった。


 だけどそれは、簒奪劇によってひっくり返された順位付け。


 叔父が何を言いたいのかは分かる。


「〝オマエの兄は愚かな豚だった〟」


「……」


「以前、叔父上は僕にそうおっしゃいましたね。間違いではないでしょう。僕の父は、貴方の兄は、〝我こそは乳房と葡萄酒の神なり〟と(うそぶ)いた果てに」


「娼館で喉を切られた。やったのは私だ」


「そうするだけの理由がありました。叔父上は父から、家督を奪う必要があった。権力を握る必要があった」


 暴王の遺した脅威に対抗するため。

 西部を守り、先祖代々の暮らしと子孫の未来を守るため。

 暗愚な兄が権力を握ったままでは、どうしても不都合があった。


「父は金葉城(ファーンサンク)から動こうとしなかったんですから、あの簒奪は正しい行いでした」


「だがそのせいで、私は実の兄を殺すコトになった。兄を殺してからは、より多くの者を殺すコトにもなった。勘違いするな? オマエの言う通り、私はそれが正しいと思った」


 子どもが語る夢や幻の物語。

 歳を取ればおのずと忘れ去るようなお伽の話。


「暴王は頑なに迷信を信じ続け、暴王の信奉者どもも戯言の世界を見続けていた。それを否定するために立ち上がり、剣を取って戦うのは……あの時代、誰もにとって大義のある選択だった。いまも大義は続いている」


 だが!


「大きな戦争が終わってからしばらくして、私がようやく兄の形見をまともに整理しようと腰を上げたときだ」


「……指輪が見つかった」


「私は神秘が現実のものだと突きつけられた」


 暴王の理屈を否定し。

 暴王の価値観を否定し。

 暴王の影から逃れるため。

 血の繋がった兄さえ殺し。


「多くの者が命を賭した。多くの者が命を懸け、奪った」


 その果てに待ち構えていたのが、すべての発端となった神秘そのもの。


「指輪を填めたとき、私には声が聞こえた。一族の守り神だという、一族の始祖と同じ名前を名乗る化け物の声だ」


 声だけ。

 姿は無し。


 叔父は「皮肉だった。ああ、ほんとうに皮肉以外の何ものでも無かった」と無表情で首を鳴らす。

 僕が填めている指輪を見つめて──睨んで。


「あろうことに、その指輪の化け物は、私を正当な後継者ではないとも言った」


「……」


「たしかに、私は正嫡ではない。正当な手段で当主の座を得たのでもない」


 しかし。


「我が家とその責務に対しては、誰より貢献して来た。西部は誰が守っている? あの戦争で兄が剣のひとつも振るったか? 他の誰に同じことができた? 私だ。私こそが……」


「もちろんです。叔父上こそ、西部の民が畏敬と感謝を捧げる偉大な英雄──」


 西部総督、ヴァルドリック・ダイアニーシアス。

 現王ベルグラムとともに、大陸を狂気で脅かした暴王を討ち倒した男。

 偉大な王朝を滅ぼしたのちに、世情は荒れに荒れ。


 その混沌と混乱をいち早く鎮めるために、恐怖の椅子へすら真っ先に座った者。


 僕は思わず跪く。


 だけど、それすらも叔父は「皮肉だ」と告げて、剣を握る腕に力を込めた。


 当然だ。


 叔父からしたら、指輪が云うところの〝正当な後継者〟である僕にこんな態度を取られても、胸の内側がザラザラとした舌で舐められているようなものだろう。


 痛いのだ。


 だから僕もすぐに立ち上がった。

 何故なら、叔父の不幸はこれだけに留まらない。

 エスメラルダの話が真実なら、


「……この指輪を僕へ譲ったのは、持っていても意味が無かったからですね」


「そうだ」


「我が家が代々受け継いで来た指輪(神秘)は、正当な後継者がセラフィオンと契約を更新するコトで富を約束していた」


 なら、ヴェイルスモルンの金鉱脈から、最近になって新たな金が採れなくなったというのも。

 叔父が指輪を持っているままでは、契約の更新が滞ってしまうからだ。


 契約が更新される度、エスメラルダの力はリセットされる。


 西部総督家の家長である男には、それは絶対にどうにかしなければいけない問題だった。


「最初はオマエに、単に指輪を譲ればいいだけだと考えていた」


「ダンに指輪が渡れば、契約はその時点で自動更新! 私もじきに力を取り戻すはずだったからね」


「……でも、契約は思ったようには──」


「ああ、そうらしいな? 私には仔細が分からんが、失敗だったらしいのはコレで知らされた」


 懐から羊皮紙を取り出して、叔父はそこに書かれた短い文章を見せる。


 〝力は戻らない〟

 〝けれど、せめてもの埋め合わせはする〟


「……エスメラルダが、書いたんですか?」


「そうなのだろう? 私の机の上に、私の筆と紙を使って、勝手にこんなモノを置くとしたら」


 それは化け物以外にいない。

 断石砦(クラグホルン)の厳重な警備体制と。

 叔父の執務室内。

 そこにある叔父の持ち物が、どれだけ事細かく管理されているかについて思いを馳せれば。


 反論は思い当たらなかった。


 エスメラルダ自身も、「私が書いたわ」と頷いている。


 僕を幸せにするコトが、エスメラルダの契約であり目的だった。

 だけど、エスメラルダが知っている人間の幸せは、堕落と等号の代物だった。


「もう、ダンにも分かっちゃったよね?」


 つまり。


「貴方のお父さんを破滅させたのは、私なの」


「……」


「私は契約者をダメにするコトで、力を取り戻していたの」


 それが間違っているとは思わなかった。

 それがイケナイことだとも思っていなかった。

 エスメラルダにとって人間は、あまりに小さく、一瞬でしかなかったから。


 気がついたら、魂が澱んでいて。

 気がついたら、なんか汚い感じに薄汚れている。


 ──私はたしかに、人間を幸せにしているはずなのに。


 そんなエスメラルダが、はじめて〝変化をしない〟人間に出会った。


 僕と出会い、僕を識り、そこでようやく……


(人間の幸せが、何なのか答えを出せただって?)


「貴方たち人間は、いつか未開の荒野にすら征服の旗を立てて、この世から神秘を駆逐する」


「……アルトゥスでのアレが、確信になったとでも言うんです?」


「ううん。それはあくまでオマケみたいなもの。だって私は、ダンと出会って知っちゃったから」


 人間はいつか、遠い宙の月面にすら足を下ろす。

 神秘のことごとくは狩り立てられ、科学という名の叡智が新たな神の代わりとなった。


「もともとこの世界は、そういう在り方が正しかったんだから……私は契約に従うだけ」


 神代はどのみち終わりを迎える。

 人代は遠からずして元の覇権を取り返す。

 兆しは始まった。

 大きなうねりとなって、始まった。


「だったら、孔雀の翼を持つ黄金の獅子なんて神秘も、そろそろここいらで席を譲っておいたほうがいいかなって」


「……なんで、そんな簡単に」


「嬉しいからだよ。私は彼女を美しいと思った。彼女が目指した未来なら、もっと美しいんだと信じてる」


「だから! 僕に貴方を殺せと!?」


「うん。私じゃダンを幸せにできない。けど、どんな人間でも即物的な問題からは逃げられないでしょう? 私が死んだ後でも、もうしばらくはお金を残してあげようと思ってさ」


 人間がこの世界で、さらなる繁栄を得られるように。

 神は、自らの命を終えるコトで、最後の権能を使うのだと云う。


 叔父は黙って僕を見ていた。


 叔父からすれば、虚空に向かって一人芝居しているようにしか見えない光景でも。

 それがダイアニーシアス家の存亡にかかった一人芝居なら、一見に値するとでも言うように。

 あるいは、値踏みするように冷徹に。


 依然として、刃の切先を黄金の光に濡らしながら。


「聞いたか? 守り神はありがたいコトに、この洞窟の黄金を遺すと仰せだ」


「……せめてもの埋め合わせ?」


「ここの黄金はキズつかない。どんな道具を用いても、採掘できん」


「エスメラルダのお墓だもん。私はここを、永遠の黄金として定めたわ」


「だが守り神が死ねば、黄金は我らの常理に堕ちてくるらしい。ヴェイルスモルン最後の採掘事業だ」


 正当な契約者ではないはずなのに。

 叔父はとても、いまのエスメラルダと息が合っている。


 人と人ならざるモノの利害が一致すると、こんなにもとてつもないコンピネーションを見せるのかと。


 僕も思わず笑ってしまった。


「皮肉だ」


「なに?」


「……いえ、なんでもありませんよ。ただ、運命というのはつくづく業を巡らせるものだなぁ、と」


「オマエにも何かしら、そう思わせる過去があったか」


 とはいえ、分かっているな? と。

 叔父はもう、何度目かも分からないプレッシャーをかけてくる。


「私では化け物を殺せん」


「……ええ、そうなりますよね」


 叔父にはエスメラルダが視えていない。

 視えていないのなら、声も聞こえないし触ることだって出来ない。

 血縁ゆえに、かろうじて気配のようなものは知覚できても。


 存在そのものには、干渉できない。


 指輪が無ければ、叔父に人外を感知することはない。

 叔父が僕に、剣を向けている意味が分かった。


「甥よ。私にオマエを傷つけさせるな」


「言ってるコトと、やろうとしてるコトがまるで違う……」


「西部総督の座が、心と体をかけ離れさせずに座れるものだとでも?」


 叔父の覇気は、有無を言わさない眼力と一緒だった。

 はじめて甥と呼ばれたのに、それがまさか、こんな形だなんてね。


「ダンじゃないと、私は殺せない」


「殺すって……どうやってやれって言うんですか」


「契約者なら、あの結界の内側に入れるわ。あとは普通に、剣かなにかで霊核を壊してくれればいい」


「霊核?」


「首とか頭とか、心臓とか」


 急所の位置は普通の生き物と、同じらしい。

 うんざりした。


「そんなに死にたいなら、自分で死ねばいいだろ」


「契約で縛られてるから。私から契約を破るコトはできないんだ」


 ごめんね? と。

 どこまでも身勝手に。

 人でなしは人間の都合なんか関知しない。


 心も汲み取らない。


 だから、人ではないんだろう──


 叔父が二本目の剣を、無造作に放り投げる。

 カランカラン、と音を立てて。

 黄金の上を滑った鞘が、つま先にぶつかった。


「拾え。そして、やれ」


 叔父はいつもと同じように、命令を下す。

 拒否権は無い。

 逆らえば命は無い。


 叔父からすれば、もともとこれは〝無ければ無いで構わない〟ものだ。


 半生を懸けて否定してきた暴王を。

 今さらここで、何がなんでも肯定しなきゃいけないくらいなら。


 ヴェイルスモルンの金鉱に見切りをつけて。


 叔父はこれからでも、十分に見込みのある新たな手立てを探っていくはず。

 それだけのバイタリティは持っている。

 為せば成らないことは無い。


 それでも。


 叔父も心の底では、思ってしまっているのか。

 自分が兄を殺さなくてはいけなかったのは、兄自身がどうしようもないほど救えなかったからではなくて。


 堕落衝動を埋め込んだ化け物のせいだった。


 ……ヴァルドリック・ダイアニーシアスは、そう思っているのかもしれない。

 そう思いたいのかもしれない。


 人ならざるモノの神秘。

 荒唐無稽な超常現象。


 最後にそれを、たしかに確認できたならば。


 一抹の救いはある。


 叔父の心に、微かな安らぎは与えられる。

 もちろん、そこには現実的なメリットも多分にあるし。

 内憂の種である甥を、これまで生かし続けた報酬にもなる。


 僕がここで首を縦に振らないなら、叔父はそれこそ利用価値を見失って心を閉ざすかもしれないね。


「……」


 剣を取らない理由は無かった。

 フラつく足で、驚くほど力の入らない指先に、精いっぱい電気信号を送り込んで。


「ありがとう、ダン」


 この期に及んで、まだ決意を鈍らせようとする女に、心底から腹を立て。

 ふたりに見守られながら、静かに巨大な神のもとへ向かう。


 途中で、朽ちた椅子に背中を預ける骸骨を睨んだ。


 異世界人だかなんだか知らないけれど。

 他人の人生をどれだけ狂わせれば、気が済むんだろう。


 こんなものが僕の意味か。


 世界で最も美しい女を殺すために、僕は生まれて来たのか。


 悔しさと諦観から、憎悪を込めて睨んでやった。










「え」









 僕の眼はそこで、意外なものを映した。


 ()()()()()


 金色の髪と、紫の瞳。

 後ろからだと椅子の背もたれが邪魔で、分からなかった。


 女性は申し訳なさそうに眉を八の字に下げると。

 セラフィオンと自分自身とを囲う契約の糸を指差す。


「────!」


 その瞬間、僕の脳には真実が明かされていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 ダンタリアスが突然、ピタリと足を止めた。

 少年はそれまでのフラフラとした足取りが嘘のように、しっかりとした姿勢で背筋を伸ばしている。


 剣を握る腕にも力が入り、ふたりは突然の変化を疑問視する。


「どうした? なぜ、足を止める?」


 ヴァルドリック・ダイアニーシアスは、言葉に硬質な響きを含ませていた。

 甥の変化が自身にとって、よくない兆候だと見て取ったからだ。


「ダン。いいんだよ? 私はこれで」


 一方で、人外のほうのエスメラルダは、契約者の意思表示が優しさゆえのものだと誤解した。

 この世に生まれてきた意味を問う。

 契約者にとって、それは人生の目的そのものであり。


 探究のためなら、たとえそれがどんな相手であってもまずは寄り添い、共感しようと努めた。


 その姿勢を知っている。


 契約者が内心で、この世界のほとんどを嫌悪し、眉を顰め、不愉快に感じているコトも。

 だけどそのうえで、契約者がまったく眼を逸らさずに、正面から向き合い続けていたコトも。


 他人よりもおぞましい視界に悩まされながら。


 時には自ら苦難の道を選択し、安易な選択には流されなかった。


 歴代の契約者で、およそダンタリアスほど自他に真摯な者はいない。

 そのせいで夜はまともに眠れず。

 身を縮こまらせて、丸まるように寝台でうなされていた。


 しかし、その魂にあったのはどこまでも、〝人間〟だった。


 人がこれから、さらに人の時代を築き上げていくにあたって。

 神や魔法に頭を垂れず、克己心で以って立ちあがろうという素晴らしさ。


 エスメラルダには感動があった。


 三千年の旅の果て。

 私はようやく、あの日の輝きの続きに出会ったのだと。


 ゆえに、契約者が化け物にすら不要な感情移入をしているのを、ありがたいと理解する。


 金色の髪と、紫色の眼。


 彼女は彼となって、再び答えをくれた。


「誰にでもまず寄り添おうとする。それはダンのいいところだけど、知ってるでしょう?」


 この世界には、人間の生きる価値観(せかい)では到底理解し得ない化け物がいる。


 人外がいる。


 人の内側では生きられず。

 人の外側からのみ、人へ対するモノ。


 人の間と書いて、人間だ。


 間に入れないから、人外なのだ。


「ダメだよ、ダン。私は貴方のお父さんを殺してるんだから」


 たとえ転生者だとしても。

 ダンタリアス・ダイアニーシアスは、父親の愛した物を知っている。

 堕落と退廃に満ち満ちた、暗愚な性根。


 けれど、その根底にあったのは平和を愛する心。


 戦乱に呑まれた、あまりにも弱かった男の罪と運命。

 金葉城(ファーンサンク)とその名を口に出すとき、少年は必ず笑っていた。

 懐かしさと寂しさが、盛大に詰まった悲しげな笑みを。


 であれば、そう。


「私は貴方に殺されるほうがいい。だって何もかも、そうなったほうがいいって状況でしょ?」


 人外はやはり無情に、契約者へ告げるのだ。

 お互いの探究譚は終わった。


 迷う必要は無い。

 躊躇う必要は無い。

 逡巡する必要は無い。


「足を止める必要は無い。それとも、さては心変わりでもしたか」


 ヴァルドリックが一歩、剣を突きつけながら甥に近づく。

 西部総督は怒っていた。


 たったひとつの骨董品。


 古びた指輪によって、己が半生を否定され。

 家の繁栄のため、忸怩(じくじ)たる想いで呑み込めば。

 結果は散々。


 守り神は「やっぱり無理だった」と吐かし、約定を破った。


 正当な後継者に指輪を譲りさえすれば、金鉱の問題は簡単に解決すると約束したのに。


 だが、相手は人間ではない。


 城下町にいくら皮剥ぎ死体を並べて、示威行為を行ったところで。

 所詮は人間に過ぎないヴァルドリックには、ただ諾々と言われたコトを呑み込むしかない存在だった。


 軽蔑も侮蔑も、ゆえに極まる。


 カビの生えた迷信妄言、ことごとく目障り至極。


 ならばもう、さっさと役目を果たして消えるがいい。

 こんな面倒ごとはすぐにでも片付け、西部総督はいつもと同じ世界に戻ろうとしている。


 ──しかしながら。


 そんなふたりは今、ダンタリアス・ダイアニーシアスの哄笑によって想いを阻まれていた。


「ハハハ」

「ハハハハッ」

「ハハハハハハハ」

「ハハっ」

「ハハハッ」

「ハッハッハッハッハッハッ!」

「あーあ……」


 クルリと振り返った彼は、狂ったような笑い声とは裏腹に。

 やはり、


「やめだ」


「やめだ、だと……?」


「僕は殺さない」


 いつものように、理性に浸された眼で世界を睥睨(へいげい)しているのだった。


 少年は言う。


 剣を片手に、プラプラ鋼を揺らしながら。

 彼の叔父ではなくエスメラルダに向かって、まっすぐ視線を通して。


「勘違いですよ」


「……え?」


「貴方は彼女の真意を履き違えています」


 彼女とは、言うまでもなく初代ダイアニーシアスを指している。

 ダンタリアスは彼女の骸へ、一瞬だけ顔の向きを変えて。

 ただ朽ちかけた人間の骨しか残っていないはずの椅子に、何故か眼を細める。


「彼女は、貴方を殺そうとなんて思ってない」


「……どうして、そんなコトが断言できるの?」


「どういう意味だ? 私にも分かるように話せ」


「簡単な話です。我が家の守り神は自分が死ねば万事解決だと思い込んでいたが、実はそうじゃなかった」


 甥の発言にヴァルドリックが眉間の皺を深める。

 男は言葉の意味を舌の上で吟味するように唇を閉ざし、「続けろ」と短く命令した。


「いま、僕らの前に立ちはだかっている問題は三つです」


 ひとつ。


「エスメラルダ──初代ではなく、指輪に取り憑いているほうの──は、契約によって代々の契約者を幸せにしなければいけませんでした」


「だけどそれは、私じゃ絶対に無理だって分かったから……」


「そして契約には、我が家に繁栄をもたらすコトで、人間の時代を後押しする意図があったと語っていました」


 神代の鎮圧。


「初代ダイアニーシアスはエスメラルダを利用して、そのうち、人間がエスメラルダの力さえ必要としなくなったとき、最後の仕上げとしてエスメラルダを死に導くつもりだったとも」


 しかも、これが厄介だったのは。


「エスメラルダ自身も、その運命を歓迎してしまった。だから僕に殺してくれと頼んで、ここへ至った。まず、これが一点目」


 続くふたつ目は、一点目を起点とした人間側の都合。


「叔父上は実利主義者です。我が家の富の源泉が、自然の恵みではなく摩訶不思議な神秘に支えられていたと分かっても、それならばそれで現状得られる最大の利益を追求している」


「当然だ」


「ええ。これは西部総督として当たり前のご判断であり、だからこそ僕も剣を突きつけられている」


 ダンタリアスがエスメラルダを殺せば、最後にこの洞窟内の黄金が物理法則下に堕ちて来る。

 神秘由来の理屈はさておいて。

 ヴァルドリックには使える黄金が手元に残るなら、なんでもいい。


 ほんとうなら、エスメラルダはダンタリアスを幸せにして、力を取り戻しているはずだった。


 力を取り戻していれば、ヴェイルスモルンの金も再び復活していた。


 だがそれは叶わず。

 今代の契約者が、黄金の魔性に眼を焼かれない脅威的な人間だったがために、頓挫した算段となった。


「そうして三つ目にブチ上がった問題こそ、僕が剣を握らされたコトです」


「オマエは殺したくないのか」


「ええ、殺したくないですね」


「なぜだ?」


 端的な問いには、少年も苦笑した。

 同じ視界を共有できない相手に、どうやったら納得できる理由を説明できるのか。


 ダンタリアスはしばし返答を躊躇い、エスメラルダを直視して、こう言うしかなかった。


「──綺麗だから」


「っ……!」


「は?」


「僕の眼が人とは違うのは、ご存知だったんでしょう? だったら聞いてください。この世界は叔父上が思っているよりも、最悪だ」


「……」


「エスメラルダだけなんですよ。僕がこの世界で、唯一、心から世界の美しさを思い出せたのは」


 結局、理由なんてそんなもの。

 これを皮肉、運命と言わずに何と云う?


 片や人間を美しいと感じ、三千年前から一途に時を止めていた化け物と。

 片やその化け物を美しいと感じ、時の果てから時を動かしてしまった人間。


 後者は突きつけた。

 人間の幸せは、強欲を満たして終わるものじゃないと。


 だからこそ、前者は告げた。

 貴方の人生の意味は、私を殺すコトだったと。


「理解できんな」


「……」


「神秘など、まやかしだ。胡乱で、いかがわしく、戯言の世界でのみ存在する。いや、存在していなければならない。私はそう定める。であれば、オマエはその定めに従うのが道理だろう」


「ほかに選択肢が無いのなら」


 なに? と。

 そこで、ヴァルドリックはついに甥の思考が読めなくなった。

 エスメラルダもまた、要領が掴めず困惑する。


 その戸惑いと困惑を、少年は剣を振り掲げて斬り捨てるものとした。


「僕はいつだって、この眼で視た選択肢を選び取る」


 掲げられた剣は、ただ虚空に向けて掲げられた。

 剣がそこから、どのような軌跡を描いたとしても、何にも届きはしない。


 ゆえにエスメラルダの困惑は続き、ヴァルドリックの不理解は続行する。

 

「エスメラルダ。貴方は勘違いをしています」


「勘違い……?」


「初代ダイアニーシアスは、貴方を死に導くつもりなんて欠片も無かった」


「どうして、ダンにそんなコトが言えるの?」


「僕の眼は彼女と同じだって、貴方自身が言ったじゃないですか」


「……彼女と、同じ……」


 紫色の眼。

 人ならざるモノを視る眼。


「そう。僕の眼は貴方がたを視る。そして──」


 視えているのなら、他の五覚にも知覚は有効化される。

 聴覚、触覚、嗅覚。


「味覚は試したことがないので、何とも言えないですが……貴方の声と音、貴方の熱と震え、貴方の香り」


「……な、なんか恥ずかしいよ……」


「僕にはすべて分かる。だったら!」


 ダンタリアスは剣を、虚空に向けて振り下ろした。

 否、それは虚空を斬ったのではない。


「あっ!」


「なんだ? ……なにを、した?」


「糸を斬りました。エスメラルダを縛っていた契約の糸。つまり、契約の魔術そのものを!」


 この大陸で唯一の異能者。

 人外視の悪役貴族には、荒唐無稽な超常現象、すべてに干渉し得る権利がある。


 エスメラルダの霊体は、直後、光に染まり始めた。


 そのとき、エスメラルダの眼にも老婆の姿が映し出される。

 ヴァルドリックにも、視えたかもしれない。


「──ぁ」


「貴方は人間を、とことん理解できちゃいない」


「そっか……そうなんだ……」


 初代ダイアニーシアスは、意地悪な神の〝条件〟によって命を奪い取られた。

 彼女は条件を聞いて、すぐに準備を済ませてしまった。


 ──まぁ、すぐに死ぬのは家族に迷惑がかかるからな。

 ──身辺整理を済ませるので、しばし待って欲しい。

 ──そのあとは頼んだぞ。


 呆ける神に、構うこともなく。

 ほんとうに、すぐに準備を済ませてしまったのだと。

 エスメラルダは語っていたが。


 だがそこには、違和感があった。


「エスメラルダ。人間が歳を取って、老いる速度でさえも」


 人ならざるモノには、あっという間だったのだ。

 外見が多少変化しているコトさえ、細かな違い。

 人間が蟻の個体差を、ほとんど認識できないのと同じで。


 孔雀の翼を持つ黄金の獅子には、初代が即座に命を(なげう)ってしまったように感じられた。


「加えて、初代ダイアニーシアスの人物像です」


 エスメラルダから話を聞かされた初代の人物像では。

 そもそも〝意地悪さ〟が感じられない。


「貴方を自殺に追い込む仕掛けなんて、残すような人だとは思えないんですよ」


 だって、そうだろう?


「貴方が見惚れた彼女の輝き。人間の幸福を望みながら、しかし、化け物である貴方を生かしもした行動の意味」


「ダンが彼女と、同じ眼を持って生まれた理由は──」


畢竟(ひっきょう)、感謝だと思います」


 これまで長年、子孫たちを守ってくれてありがとう。

 約束を破らず、契約を破らず、分からないなりに人間の幸せと向き合い続けてくれてありがとう。

 人類はここまで成長した。


「報酬はいつだって、目の前に明示されてたもんね……」


 神すら殺せる人間なら、己が異能を後世に託すくらいはやれるだろう。

 つまり、


「伝説のセラフィオン。貴方に、自由をお返しする」


 神代の終息は、どのみち決定事項。

 結果が変わらないなら、いまここで殺す必要も無い。

 末裔はただ、契約の満了を告げる。


「っ!」


 霊体が光の粒子となって、完全にほどけた。

 輪郭は崩れて、少女のヒトガタは霧散して。

 やがてその光は、洞窟の最奥で眠りについていた神の本体へ吸い込まれた。


 ヴァルドリック・ダイアニーシアスが、眼を見開く。


「──これが、神か!」


 巨獣が、咆哮した。

 神なる獣が、覚醒した。


 孔雀の翼が広げられ、黄金の獅子は三千年の時を超えてその威容を起こした。


 老婆が満足そうに姿を消す。

 骸骨と椅子が神威を浴びて塵になる。


 反面、力を取り戻したエスメラルダは、もはや霊体ではなく肉の器を持つ実体だった。


 孔雀石の眼が、気持ち良さそうに細められる。

 獅子の肢体に、溢れんばかりの神気が充溢していき、洞窟が震える。


 そのまま、少女だった神は爆発するように駆けた。


 自由の感触に居ても立っても居られず。

 きっと、子どものように駆け出さずにはいられなかったのだろう。


 大気に漂う塵すら黄金に変えて。

 セラフィオン・エスメラルダは颶風(ぐふう)のように地下を走り去る。


 人間は成す術もなく、身をすくませて、ただその躍動と突風を看過するしかなかった。


 ──洞窟内の黄金は、無論、人間側の常理には堕ちていない。


 神が去った後で、ダンタリアスは剣を捨てた。

 叔父は甥に近づき、疲れたように吐息を漏らした。


 そして、すぐさま少年の頬を殴った。


「ぐっ……!」


「我が家よりも、オマエはあの化け物を選んだ。これで立派な反逆だな?」


 申し開きはあるか? との問いに。


「……っ、叔父上。我が家は往々にして、人の道を外れていると弾劾される。でもですよ?」


 この野蛮で、無分別で、堪え性がなく。

 他者への共感性に欠如した、あまりにも不寛容な世界で。


「エスメラルダは、三千年も約束を守り続けていたんです」


「それが?」


「どっちが、人間らしいんでしょう」


 回答に、喉元を逸らさせる鋼の冷たさ。

 ダイアニーシアスの男たちは、そのまま静かに人の世界へ帰還した。


 複雑な曖昧さなど、未だ甘受する余裕も無い未成熟な世界。


 殺伐として、極めて冷酷無比な人間の世界に。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 それから、僕は牢屋に入れられた。


 真っ暗な石の地下牢で、時間感覚が分からなくなって。

 糞尿を垂れ流した状態のまま、自分の悪臭と不潔さに吐き気を催し。

 パサついた髪と、ひび割れた皮膚と唇から血さえ微々たる量。


 なのに、そのうち食べ物さえも届けてはもらえなくなった。





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