第12話
断石砦に戻ると、死体が磔にされていた。
皮を剥がれた死体だ。
それらが城下の至るところに、立て札と一緒に晒し者にされている。
〝この者たち、詐欺師、ペテン師、約定破り、嘘偽りの身分を騙りし名無き者ども〟
〝よって皮を剥ぎ、真実の姿を晒すことで欺瞞への罰とする〟
西部総督、ヴァルドリック・ダイアニーシアスの署名と押印。
叔父はどうやら、間諜や密告者の類を一斉摘発したようだ。
城門に吊るすだけじゃなく、城下町全体に罪人を磔にするなんて。
よっぽど怒りが深いのか。
あるいはそれだけ、示威的な態度を取らなければ敵も怯まないのか。
相変わらず敵が多そうで、それでいて減らそうともしない強気な姿勢だった。
けど、最近はこうやって町中にまで恐怖を広げるのは、控えていたはずなのに。
帰って来てそうそう、僕は叔父の顔を見るのが憂鬱になってしまった。
「詐欺師、ペテン師、約定破り……」
「人間は嘘を吐く生き物で、叔父だって必要とあれば平気で誰かを騙すはずですけどね」
「勝手だね」
エスメラルダはコテンと首を傾ける。
僕の肩に小さな首を預けて、ふわりと白パンのような香りを髪の毛から漂わせ。
恋人のような距離感で、身を寄りかからせていた。
例の発言の意図は、聞けていない。
問いただしても、エスメラルダは口を割らなかった。
その代わりこうして猫のように甘えながら、何度も頬ずりをして誤魔化している。
僕も次第に訊くのをやめて、結局、断石砦に着くまで真意を聞けずじまいになってしまった。
もっとも、それはエスメラルダの様子が、あまりにも普段と変わりないからでもあった。
別れの言葉を口にした一秒後には、「パン食べたいな」と食べ物をねだり。
「羊のバターと蜂蜜、塩を混ぜて焼いたあまじょっぱいヤツ食べたいな〜」
「……僕がダイアニーシアスじゃなかったら、まず手に入らなかったでしょうね」
「ふふふ。ありがとっ!」
帰りの馬車で、僕はすっかり侍従たちにパン狂いの健啖家と思われてしまった。
アルトゥスではロクな食事にありつけなかったに違いないと、変な哀れみまで向けられたよ。
おかげで、馬車のなかは度々上質な白パンの小麦の匂いでいっぱいになり、エスメラルダの髪からも僕の髪からも、きっと同じような匂いがしているはずだ。
美味しそうにパンを貪るエスメラルダを見ていると。
それが自分以外には視えない人外の存在だというのも忘れて、錯覚をも覚えてしまう。
いつの間にか、僕のそばにはエスメラルダがいて当然、という感覚がこの脳を満たしていたんだね。
霊体状態なのに、物質を〝食べられる〟のってどういう理屈なんだろう? とか思いながら。
まぁ、エスメラルダはいろいろと規格外でもある。
過去に人間に懲らしめられただとか、契約云々だとかの話はあるけれども。
いまの時代の人間に、どうこうできる存在には思えないし。
これだけ存在感がハッキリしていると、ちょっとやそっとの出来事でいなくなるだなんて。
僕にはまったく、信じ難い冗談のように思えてしまっていた。
腕に絡んだ少女の形をした神の握力や腕力も。
僕には抵抗できないくらい圧倒的なものだったし。
時折り、服の上から肌に食い込む爪の鋭さ。
下手をすると、アザになっているかもしれない。
ラウグレイ高原での言葉が思い出される。
そうだ。エスメラルダは契約の破棄を望んでいない。
──こんなにベッタリなのに、何を言ってるんだ?
分かったぞ? と。
僕は思った。
きっと気まぐれな猫よろしく、大した重さは含んでいない言葉だったんだろう。
そう思いつつも。
僕は念のため、頻度を減らしながらも繰り返し訊ねた。
「お別れって、どういうコトなのか言う気になりましたか?」
「デートをしてから、教えてあげる!」
断石砦に着いたからかな?
エスメラルダは馬車を降りる前、そこでようやくまともな返事をした。
にこやかに、あっけらかんと。
いつもと何も、まったく変わらない声音で。
「もちろん、ダンの人生の意味も一緒にね」
◇◆◇◆◇◆◇
書記官の話では、叔父は報告を後回しで良いと言っているらしい。
「ほんとうに? アルトゥスでの件を、ほんとうにすぐ報告しなくていい?」
「閣下はそのように申されております」
「……マリセアを優先してるのかな」
僕は怪訝に思った。
なぜなら従姉は途中で王都に直行してしまったから。
叔父が裁判の件を一族の者から話を聞く場合、いまは僕しか該当者がいない。
「それとも……皮剥ぎ死体の件で忙しく?」
「私には分かりかねます」
書記官の返答は淡々としていて、隙が無かった。
表情もスンと澄ましたもので、声の調子もとことん無駄が無い。
いかにも叔父が好みそうな人材だなぁ、と思いながら。
その書記官が出立前に聞かされていた〝僕付き〟だという事実に、遅ればせながら気がついた。
留守のあいだ、手紙が何通も届いているらしい。
「よろしければ私が代わりに代筆を務めますが、いかがしましょう?」
「開封せずに僕の意向を?」
「閣下からはすべて目を通すように申しつかっておりますが、いまの私はダンタリアス様付きの書記官ですので」
仮ではあっても、僕の顔を立てるつもりだと書記官は言った。
なかなか出世の早そうなヤツだと思った。
あるいは、これも僕の懐に入り込むための陰謀か。
手紙は最初に僕が読むコトにする旨を告げて、しかし、叔父への叛意や隔意が無いコトも証明するため、開封するときは書記官の前でのみとお互い同意のうえで取り決めを結んだ。
さて、その後で。
「それじゃっ、デートをしよっか!」
エスメラルダがいよいよ、待ちきれなさそうな顔でビシィ! と指を立てた。
場所は僕の私室。
「デートなら、城下の露店とかに行きますか?」
というか、エスメラルダにはどこか行きたい場所があるんだろうか?
そんな当然の疑問に、帰りの馬車ではまったく思いも至らなかった自分に、いまさらだけど舌打ちしそうになった。
男なら、異性との最初のデートはできる限り、相手を喜ばせられるものにしなければいけない。
意外と食いしん坊なコトが発覚したので、とりあえず、美味しいものがあればいいだろうと幾つか店の候補に思いを巡らす。
しかし、エスメラルダは予想に反して首を横に振った。
「ううん。デートはここでします」
「ここ?」
「そうっ、ダンの部屋!」
まさかの、お家デートをご所望された。
僕の部屋なんて、大しておもしろいものは転がっていない。
「どうして僕の部屋なんです? 城下なら流行りの芝居とか、食事だって……」
「えー? だってダン、そういうのは興味ないんじゃない?」
「……」
「自分が本気でおもしろそうだとか楽しそうだとか思ってないコト、ヒトに勧めるのはどうかと思いまーす」
神は唇を尖らせて、僕のベッドに飛び乗った。
最初に話したときと同じだね。
僕の本音を見透かされている。
けど、だからってひどい。
「普通、デートっていうのは、そういうコトから始めるものだと思うんですけどね……」
「? どういう意味?」
「いえ、最初はお互いに、一般的な価値観の確認作業から始めていったほうが……なんでもありません」
「そ?」
「ええ。これは僕が間違っていましたね」
エスメラルダ相手に、普通の人間と同じデート戦略は意味が無い。
第一、これは初対面に近しい異性とデートをする場合の手法だ。
大人になってからマッチングアプリとかやると、最初は常識の確認作業から入らなきゃいけない、って教訓のせいでもある。
ああ、僕はなんでこんな記憶すら捨てられなかったのか。
幸い、いま目の前にいるのは非人間なので。
どんな化け物的価値観が出てきても、仕方がないって心の準備ができているのがおもしろい。
「なんか、そこはかとなくシツレイな感じで笑ってない?」
「すいません。気にしないでください」
「ま、いいけど! ねぇ? それより教えて?」
少女はベッドの淵に腰掛けながら、本棚を指差した。
そこには、僕がこの世界で覚えなきゃいけない知識、として蒐集したハードカバーが並んでいる。
「ダンはもともと作家さんだったよね」
「……ええ」
「なら、そこの本棚には新しい作品はある?」
「ありませんよ。あるワケないでしょう」
「どうして?」
「どうしてって……」
「だってダンは、この部屋をなるべく前のものと同じようにしているでしょう?」
「────」
それは、悪意のない質問だった。
エスメラルダに人間の気持ちは理解し切れない。
表層だけならまだしも、奥深いところにある挫折やコンプレックスは範疇の外。
ゆえに、僕の以前を知ると言っても。
上辺だけを理解しているエスメラルダには、この部屋が中途半端な代物に映ったようだ。
「白くて清潔な寝具に、埃ひとつ落ちてない床。枕には香り水を振りかけて、窓の近くとドアの横には虫除けのためのお香」
「……」
「衣装タンスには同じようなデザインの正装ばっかり。スーツ、って言うんだっけ? ダンは決まって着回してた」
「効率的ですからね。衛生的な環境を整えるのも、人間なら普通です」
「じゃあ、これもそうなの? ベッド横のテーブル」
「……」
「ダンが前に使ってた道具に比べたら、さすがに見劣りはしちゃうね? でも、そのわりにズラリと羽ペンとか並んでるし、紙の束だって積まれてる。全部真っ白だけど。燭台も、替えのロウソクが何本もストックされてる」
「……それが?」
「ダンはほんとうは、新しい作品を書いてみたいんでしょう?」
「まさか」
指摘には本気で、いやいや、と首を振った。
苦笑すら出ない。
だってそれはもう、ほんとうに僕のなかから失われた感情なんだ。
「いまの僕は役者ですよ」
悪役貴族、ダンタリアス・ダイアニーシアス。
何者かになったつもりで、その実何者にもなれていなかった。
哀れで滑稽な、道化作家からは引退した。
私室を見渡して、「ハハ」と愉快にも思う。
小説にとって、情景描写は大事だ。
場面の情報を説明するとき、それが意味の無い事実の羅列だったら紙幅がもったいない。
登場人物の私室ともなれば、そのキャラクターがどんな人間なのかを効果的に表す手法としても使える。
整理整頓が行き届いているのか。
物が散らかっていて、不衛生な環境なのか。
分かりやすい例だと、几帳面か自堕落かなどを印象づける際に、しばしば利用される。
けど、それがなんだ?
「たしかに、僕は以前の生活を、なるべく再現しようとしていたかもしれませんね」
「? どうして否定したがっているの? 私はべつに、それが悪いコトだとは思わないよ?」
「でも、僕がまだ作家であろうとしてるって、言いたいんですよね?」
だったら、それは違う。
ハッキリ、否定しておかなきゃならない。
「羽ペンや紙が多いのは、字の練習の名残りです。貴族ですから」
なるべく綺麗な字を書けたほうがいいんだ。
叔父はそのあたり厳しかったし、僕も勉強が必要だった。
「ベッドも、タンスとかも、普段から使う物なんですから、効率的な状態に整えておくのはおかしな話じゃない」
かつて文字を書くコトだけが、生き甲斐だったつまらない男がいたとしても。
いまこの部屋に、その男の未練は介在しない。
断言して頷く。
すると、エスメラルダはまたしても首を横に振った。
「私には分からないけど、でも、いまのダンを突き動かしているものは、全部『前』のダンから続いてるものだよね」
「……」
「ラウグレイ高原でも、ミアグレンの灌漑農村でも、宗教都市のアルトゥスでも」
僕を突き動かしていた根源的な価値観は。
どれも前世からの地続きだったと。
人の根っこを見透かす化け物は、欺瞞も詐称も無意味に指摘する。
「現に、ダンはこの世界の娯楽に価値を感じてないもん」
「……言葉が強いな。その言い方じゃ、無価値だって思ってるみたいじゃないですか」
「あ、ごめんね? 多少は価値を感じてるよね」
でも、それだけ。
さっきも言ったように、城下町の芝居や露店の料理だとかに、僕は優れた価値を感じていない。
「当然だよね? ダンは遥かに優れた時代を知ってるんだもん」
この世界のこの時代では。
あらゆるものに、〝足りなさ〟を感じてしまう。
「ほんとうなら嫌だって、うんざりだって、退屈で不愉快で、気持ちが悪いって思ってしょうがないはずなのに」
ダンはそれでも──と。
何故か、エスメラルダは愛おしそうに、そこで微笑んだ。
いつだったか手を差し伸べて、妖しく抱擁を誘ったときとは何処か違った。
「ダンはそれでも、眼を背けない。それどころか、ずっと眼を凝らして向き合い続けてる」
「なんでそんな話を? 僕らは今日、デートをするんじゃなかったんですか?」
「私にとっては、これがデートだよ? 貴方と同じ時間を過ごして、貴方と同じ想いを共有するための、大切で素敵なはずの時間」
「……はず?」
「うん。そこが残念なところなんだけど、私にはやっぱり分からないんだ。ダンと同じ気持ちを理解するには、価値観が違いすぎるせいだね」
いったい、エスメラルダは何を望んでいるんだろう?
意味深で不可解な会話に、僕の脳には疑問符が連続した。
だが推測するに、
「僕の部屋で僕の価値観を話題に上げる。そうすることで、僕の人生の意味を語ろうとしてる?」
「うん。正解」
「……よく分からないですね」
僕が仮に、この世界でもまだ作家であろうとしているとして。
それがどうして、僕の人生の意味に繋がるんだろう?
ビジョンを見ていた意味。
脳が別世界と混線していた意味。
人外を視る眼がある意味。
悪役貴族に転生した意味。
困惑の気配を感じ取ったのか、少女は「うーん!」と伸びをしながらベッドに背中を倒した。
「貴方が今もそういう人だから、私は人間の幸せについて答えを出せたんだ」
「……それは、僕の人生の意味と関係があるんですか?」
「関係大アリ! ダンにとっては、ポカーンって感じかもしれないけどね?」
エスメラルダは言う。
人間の幸せが何なのか?
それはエスメラルダにとって、長年の命題だった。
ダイアニーシアス家の先祖との契約。
子孫の誰かを幸せにすれば。
いつか自由の身に戻って、奴隷の立場から解放される。
そのために、エスメラルダは代々の契約者に『幸せ』を与えて来た。
「私は黄金を司る。人間は黄金が大好き。だから黄金を与えれば、後は必然的に他のものだって与えることになったわ」
富、名声、力、ハーレム。
「どの契約者も大喜びしたし、これならすぐに人間を幸せにできるって私も思ってた」
「……でも、どの契約者でも『自由』に届くほどの幸せは得られなかった。そうですよね?」
「うん」
そこから、エスメラルダの長い探究が始まった。
富も名声も力もハーレムも、人間にとって幸せである事実に違いはなかった。
「量が足りないのかな? 質も足りてなかったりする? ……そうやって私は、何度も何度も同じことを繰り返したわ」
方向性は間違っていないはずだった。
エスメラルダは人間をそう理解していた。
何故なら、どの契約者とも霊体から実体化するところまでは進めたからだ。
「でもね?」
秋の麦穂のような、長い金髪と尻尾を揺蕩わせて。
少女のカタチに閉じ込められているモノが言う。
「ダンとの契約は、そこにすら届かない」
「……え?」
「私も最初はおかしいなーって思ったんだよ? ほんとならもう、今ごろは実体化できてたと思うから」
ダンタリアス・ダイアニーシアスは。
富、名声、力、ハーレム。
そのうちの、富は最初から有していたと置いておくにしても。
「いま、貴方は残りの三つを私の助けを借りながら、手に入れたと言っていい」
「……否定は、しませんが」
「ありがとう」
ラウグレイ高原。
僕は疫病のヌシを鎮めることで、あの戦場に後始末をつけた。
グレイムヒル家のフレイア嬢は、あれ以来、頻繁に手紙を送ってくる。
叔父からは従士に認められ、家の後継ラインに組み込まれた。
ミアグレン村。
僕は怒り狂う水の精を鎮めることで、数で優った盗賊団を全滅に追いやった。
かつての副総督家にして元婚約者、ヴェルデミア家のローゼリッタ嬢との出会い。
後ろ盾としての名乗り。
白亜の聖市アルトゥス。
僕は人外に敵を排除してもらうのではなく、人外を恐れる民衆に敵を破滅させた。
エルマントン家……いや、オルトシャー家のシェリエル嬢が、コロリと態度を変えたのは記憶に新しい。
西部軍監家とのパイプ構築。
「若き翼獅子の異名は、智将や妖術師といった噂も交えて広がって行った。そこには、私の関与があったよね」
「ええ」
「だから、ダンの頑張りが全部、私のおかげだって言うつもりは無いけど」
僕がエスメラルダに助けられて、いまの地位と名声、ハーレム……を手に入れたと言っても間違いではない。
にもかかわらず、と神は苦笑した。
「ダンはちっとも『幸せ』じゃないの」
「……」
「私、まだ霊体だよ?」
ベッドの柔らかさ以上に、至福の柔らかさを持っていそうなカラダの女が僕を見上げる。
僕のベッドで、僕の部屋のなかで。
しかし、まるでやましい気持ちにはならなかった。
エスメラルダは笑っていたけど、僕には泣いているようにも見えたからだ。
「あ、もちろんだけど、ちょっとは幸せになってくれてるよ?」
「……でもそれは、ほんとうにちょっとでしかない?」
「うん」
意味が分からない。
僕が幸せを感じていないことじゃない。
エスメラルダがそれで、どうして〝答えを出せた〟と言ったのか?
いまの契約者である僕が、エスメラルダ曰くちっとも幸せじゃないのなら。
コイツはどうやって、人間の幸せを理解したって言うんだろう?
そしてどうして、こんなにも寂しそうに笑うのか。
僕が黙っていると、女はひとりでに言葉を続けた。
「ある昔話をしてあげるね」
脈絡は無かったけれど。
どうやらそれを語らないことには、僕の人生の意味についても語れないらしい。
「昔々、あるところに」
◇◆◇◆◇◆◇
ふたつの世界がありました。
ひとつはご存じ、神秘が存在する世界。
もうひとつは神秘が、空想上の存在としてだけ存在する世界。
ふたつの世界は別々の宇宙で、表と裏のような隣り合わせの関係でした。
でも、どちらも独立した世界です。
もしかすると、始まりは同じだったかもしれませんが。
長い長い悠久の時のなかで。
ふたつの世界は完全に別物として枝を分かち。
互いを認識することも、互いに影響を及ぼすこともありませんでした。
けれど、あるとき。
神秘があるほうの世界で、なにか大きな事故が起こってしまったみたいです。
貴方の知識を借りるなら、ビッグバンのようなとても大きな事故。
そのせいで、ほんとうなら関わり合うことなんて無いはずだった双方の世界は。
一時的に大きな穴を通して、互いの秩序を交換するコトになってしまいました。
人間にも分かりやすく言うと。
秩序とは、物理法則のような世界の仕組みを指しています。
神秘があるほうの世界には、神秘が無いほうの世界から物理法則が混ざり込んで。
その逆に、神秘が無かったほうの世界には、超常法則とでも呼ぶべき不可思議が混ざり込みました。
架空とされていた事柄。
民間伝承や御伽噺、迷信と思われていた事柄。
神話の怪物や、魔法といった現象を成り立たせる法則が、もともとあった法則を犯して融合したんです。
その結果、この世界が生まれました。
神秘が無かったほうの世界で。
異世界の法則が比較的、強く集まった場所。
それは新しい世界を創り出して。
神や魔物といった存在さえも、新しいカタチで生み出しました。
有翼の獅子、シャルベーシャという名前に聞き覚えはありますか?
私の元型はそれでした。
でもそこに、異世界の女神……だと思うのですが。
黄金を司るべつの神様の情報も溶けてしまって。
そのほかにも、孔雀や熾天使といった概念が、コブを作るみたいに一塊になったんです。
私が生まれました。
新しい姿と新しい力。
生まれたばかりの私は、それらが純粋に楽しくて。
目につくものは黄金に変えて、目の届く限りを綺麗な金色に全部変えてしまおうと。
ええ、遊んでいたんです。
そうすると次第に、小さくてたくさんいる生き物が「わー! わー!」と向かって来るようになりました。
小さくてたくさんいる生き物たちは、人間と云うようでした。
私はムッとしました。
何故なら人間は、楽しく遊んでいた私に、剣や槍といった武器で襲いかかって来たからです。
力の差は見れば分かるのに、どうしてそんな無駄なことをするんでしょう?
私は特に考えず、ただ鬱陶しかったので人間を黄金に変えました。
小さすぎて、砂つぶみたいな金ピカになりました。
砂金になった人間は「わー! わー!」とうるさくもないので、私は人間を見かけたら砂金にすることを決めました。
けど、それがマズかったみたいです。
──遠い宙の外れから、邪悪な黄金がこちらに混ざり込んでしまったか。
──もはや完全に別物のようだが、迷惑をかけた側の人間として放置もできないな。
──悪いが大人しくしてもらおう。
異世界の人間です。
もともと神秘があったほうの世界から、その人間はこの世界に流れ着いていて。
金色の髪と、紫の眼を持つソイツは、私をあっという間にコテンパンにしました。
ソイツは、神様みたいに強い人間だったのです。
名前は、
──私か? 私はエスメラルダ。
──いずれこの世界から、我々の残滓は消え失せる。
──世界の自浄作用だろうな。
──だが、逆に言えばそれが来るまで、神秘はしぶとくこびり付いたままだろう……
三千年という長き時間が経っても、剣と鎧の時代が続く。
エスメラルダは言いました。
いずれこの世界から、神秘は消える。
神秘の時代は終わりを告げて、もともとあった人間の時代が取り戻される。
でも、それはいつになるか分からない。
彼女は異世界人として、それを申し訳なく思っていたようです。
なので。
エスメラルダは私に、人間の世界を守ってくれないか? と頼み事をしました。
もちろん私は、なんでそんなことを? と反論しました。
──神代を終わらせるためには、人間が霊長の座に返り咲く必要がある。
しかし人間は弱いのです。
神秘の存在に立ち向かう。
その蛮勇は有していても、異世界側の人類でなければ神秘に対する抵抗力もありません。
人類も混ざり合って、新しい人類が誕生していましたが。
その結果は、神秘が無いほうの法則に強く影響を受けていました。
エスメラルダなら、神殺しも夢ではありません。
でも、あいにくとこの世界の新人類は、大半がエスメラルダではなかったのです。
だから。
──私の子孫を守ってくれ。
──私の血を引く末裔なら、人の時代を取り戻せる。
なるほど、と私は頷きました。
頷いて、だからなんで私がそんな頼みを聞かなきゃいけないのか、と呆れました。
そしたらエスメラルダは、生かしてやった恩を忘れたか? と脅して来ました。
とんでもない人間でした。
私は怯えながら、けれど、人間なんかに従わされるのが癪で。
だったら、ひとつだけ条件があると突きつけました。
──条件?
神代の終わりを望むなら。
異世界側の人類であるエスメラルダ自身も、この世界では死ななければいけません。
神より強い人間とか、まさしく神秘の化身なのですから。
まさか自分の命を擲ってまで、見知らぬ者を救いたいワケではないでしょう。
私は、完全に論理的な勝利をおさめたと思って、勝ち誇りました。
──なんだ。そんなコトでいいのか。
エスメラルダは、笑って了承しました。
は? と空いた口が塞がりませんでした。
しかしエスメラルダは、もっともな指摘だと満足そうに頷いて。
──まぁ、すぐに死ぬのは家族に迷惑がかかるからな。
──身辺整理を済ませるので、しばし待って欲しい。
──そのあとは頼んだぞ。
呆ける私に、構うこともなく。
ほんとうに、それからすぐに準備を済ませてしまって。
私も言い出しっぺなものですから、後に引き下がるコトもできなくて。
彼女が最後に、契約の魔術を使うのを眺めながら。
呆然と、どこか現実感も薄いまま、ただ淡々とその終わりを見届けるコトになったんです。
彼女は条件を呑みました。
神が人に試練を与えた結果として、それは報酬を与えないワケにいかない偉業です。
──私は、エスメラルダ・ダイアニーシアスを失った。
──その代わりに、未来のダイアニーシアスを守らなくてはならない。
人間の時代、人間を霊長の座に返り咲かせるために。
ダイアニーシアスを庇護し、加護を与え、翼の内側で大切に育てる。
約束でした。
神には到底理解できない、人間の不可思議が成した約束です。
彼女はどうして、そこまで他の生命のために──
彼女はどうして、そこまで簡単に命を捨てて──
彼女はどうして、そこまで化け物を信じられたのか──
分かりません。
分かりません。
分かりません。
およそ人の精神活動は複雑怪奇で矮小短息。
じっくり腰を据えて、理解しようと努めても。
目を離した隙に別人のように。
なんて不出来で。
なんて脆弱で。
なんて儚く、なんて身勝手な。
けれど、どうしようなく尊い命──
私は、彼女のすべてが理解できませんでした。
理解はできなかったけれど。
彼女のすべてを、失ってから「美しい」モノだと感じてしまいました。
ああ、それはほんとうに価値があったのです。
目にまばゆい黄金の光と輝きよりも。
人間の一生がときに見せる、刹那の星の瞬き。
私は自分の名前を、エスメラルダとしました。
未来永劫、この身が朽ちるときまで忘れぬように。
彼女の名前を、その人生に敬服と感動を以って戴いたのです。
約束は守ります。
それが緩やかな自殺行為なのだと分かっていても、胸を焦がす激情は今なおアツく震えているのです。理由も分からないまま、たしえに燃えているのです。
なのに、お節介な彼女は逃げ道を用意していました。
私は彼女に、命を差し出させたというのに。
彼女は私を契約で縛り続けるコトを良しとせず、子孫の誰かを幸せにすれば、自由を返すと契約内容に盛り込んでいました。
舐めないで欲しかったのです。
一度守ると決めた約束は、絶対に破りません。
私はたとえ、ダイアニーシアスの子どもたちがどこかで幸せになったとしても。
個人的な信条に従って、神代の鎮圧を続けるつもりでした。
ダイアニーシアス家は人間の時代の旗頭です。
人間が繁栄すれば、神代はそれだけ早く終焉を迎えます。
富を与えました。
黄金を与えました。
溢れんばかりの繁栄をもたらしてやりました。
……しかし、何故でしょう?
私がそうやって、気前よく加護を授ければ授けるだけ。
ダイアニーシアスの子どもたちは、彼女とは似ても似つかない魂の持ち主になっていきました。
地に富を築き、天を打ち破ろうとするモノ。
その繁栄は堕落に染まり、いつしかひどく醜い有り様に成れ果てていったのです。
ですが、それは必然です。
加護をもたらした神そのものの発端が、邪悪だからです。
シャルベーシャという有翼の獅子に混ざった、異世界の女神。その分霊のようなもの。
黄金の神性は、人間の欲望を増幅させて、堕落に誘う衝動を植え付けます。
それがなくとも、強欲は人間の七大罪です。
……約束は守ります。
ダイアニーシアスの子孫を守り、幸せにします。
富、名声、力、ハーレム。
人間が喜ぶモノは、分かっているのです。
それ以外に必要なものが、何なのかが分かっていないだけです。
でも、たぶん似たような代物でしょう?
人間はそういう欲を糧に、快楽を啜る生き物なのですから。
量を増やして、質を上げて。
たくさん繰り返せば、いつか必ず彼女にまた会える。
「私はね、ダン?」
貴方を識るまで、ほんとうにそうとしか思ってなかったのです。
◇◆◇◆◇◆◇
「エスメラルダは、きっと分かっていたんだと思う。こんな私じゃ、貴方たちを幸せにするコトはできない。最初に話したときも、言ってくれたよね」
「……」
「彼女は自分の命を差し出すしかなかった。私が野放しになれば、家族と子孫が仕返しされるかもしれないから」
それを恐れた彼女は、化け物を契約で縛って家の守り神に変えた。
自分の命を犠牲にするコトで、血族と他の大勢の人々を守った。
「そして、いま──貴方が私の契約者になった」
「……それが?」
「エスメラルダの望みは、神代の終わりだよ? いつか遠い未来で、人が自分たちの力で神秘を否定する時が来たら……私を殺すつもりだったんだよ」
「……意味が分かりませんが?」
「ウソ。分かるでしょ? ダンは頭がいいもんね」
ほんとうはもう、話の筋が見えている。
最初の契約者、魔術で神を縛った異世界人。
彼女は自分を殺した化け物に。
きちんと同じ末路を残してから逝ったのだ。
どんなに価値観が異なる存在でも。
いずれ人間のなかに、神から与えられる恩恵や祝福では、まったく幸福を感じないモノが現れる。
その奇妙さ。
その自律。
その気高き、立派な自己批判精神。
富に眼が眩まず、名声に酔いしれもせず。
力に驕らず、ハーレムにも何処か冷めている。
そんな契約者が現れれば、神ははじめて時間を得るだろう。
深い理解とまでは行かずとも。
これまでに比べれば、たしかに歩み寄りの余地ある理解のための時間。
そしてそうなれば、神の存在意義は無に等しくなる。
無に等しいのだと理解する。
「エスメラルダはもしかしたら、初めからそうするのが目的で、私を生かしておいてくれたのかもしれないね」
「いや……それは」
「いいの。それでもいいの。私があの日、エスメラルダに見たモノは変わらないから」
後悔は無い。
そのような機能は無い。
人間のような精神活動は、孔雀の翼持つ黄金の獅子には備わっていない。
「ダン。貴方は彼女と、同じ眼をしてる」
「……人外を視る眼、ですか」
「そう。紫色の眼。思えば最初に気がつけば良かったんだけど、たぶん貴方はこの世界が生まれたときの混沌……バグ? で、いろいろ混線しちゃったんだと思う」
神秘が無かったほうの世界。
世界そのものの呼び名さえ無かったから、便宜上、地球と呼ぶしかない星の知性体は。
遥かな未来なのか。
遥かな過去だったのか。
どちらにしても、ふたつの世界が部分的に衝突し合って生じた無秩序から、新世界のビジョンを脳に直送されていた。
一度パスが繋がれてしまえば、逆側からも因子は流入する。
「僕が上位存在と思っていた、正体不明のなにかは……」
「──エスメラルダだったんじゃないかな」
「なる、ほど……」
「だって、貴方は私の権能でも絶対に幸せにできない。契約を、約束を守れないのなら、私の役目はもう終わり。続ける意味は無い。続けて欲しいとも思われていない」
理性の化身。
人間が他の動物とは違い、ときに本能さえ捩じ伏せた行動を取る理由。
生き物として矛盾しかない行為に手を染め。
本能的に気持ちよくない行為に熱を入れ。
ただ知性が求める納得のためだけに生物として落第の矛盾に走る愚かしさ。
「貴方こそ、人間の時代を象徴する無二の魂」
だからこそ。
「貴方の人生の意味は、私を殺して神代の終わりを決定的に加速させるコトだわ」
だから、お別れのデートなんだよ? と。
その人ならざるモノは、致命的な真実を。
やはり、なんてコトない口ぶりで宣うのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
「話は終わったのか? ならば、さっさと向かうぞ」
「叔父上……?」
「結局、カビの生えた迷信だったな。正当なる後継者がいても、最後は自らの手で遺産を手放すハメになるとは」
「なにを……なにを言っているんです?」
僕の私室に、いつの間にか叔父が現れている。
部屋の扉からカツンと踵を鳴らして、僕と、部屋の全体を確認する。
視線の向きが定まるコトは無い。
「指輪が無ければ、声も聞こえんな。フン、まぁいい。ついて来い」
「……は?」
「殺されたいか? さっさと立て」
「行くよ、ダン」
叔父が背中を見せる。
その後ろを、エスメラルダがついて行く。
気づけば僕は、足元が崩れ落ちたかのように床へ膝を着いていた。
まだ情報を、こっちは咀嚼し切れてもいない証拠だった。
なのに次から次、どんどん意味が分からない展開が進んでいく。
叔父はエスメラルダが視えていない。
声も聞こえていない。
それでも、エスメラルダの存在は知っているようだ。
「……指輪……」
ああ、思えば。
僕がエスメラルダと初めて会ったのは、叔父から父の形見を譲られた後……
契約が正当な後継者によって引き継がれるのだとしたら。
その縛りは、この黄金と孔雀石の指輪を憑代にしていたんだろう……
叔父とエスメラルダの背中を追う。
「──何処へ、行くんですか」
「始まりの地」
「私が彼女と、契約を結んだ場所だよ」
すなわち、初代ダイアニーシアスの墓地にして我が家の心臓の琴線。
- 金鉱地下大墳墓 ヴェイルスモルン -




