第9話:崩れ落ちる砂上の楼閣
静まり返った大講堂に、ノイズ交じりの声が響いた。
『ねえエドワード様、本当に大丈夫なの? 使い込みがバレたら……』
『心配するな、ミエラ。全てアリアのせいにすればいい』
甘ったるい猫なで声と、傲慢な男の声。
紛れもなく、そこにいる二人のものだ。
録音魔石から再生される会話は、あまりにも鮮明で、そして残酷なほどに雄弁だった。
『あいつは堅物で、金勘定が得意だからな。私がサインした書類を少し改竄して、あいつが横領したことにする。そうすれば、国庫の穴埋めはローズベリー公爵家の資産で賄えるし、私は婚約破棄の正当な理由を得られる。一石二鳥だ』
『すごぉい! さすが殿下、天才ですわ! じゃあ、あの堅苦しい女は追放?』
『ああ、国外追放か、あるいは処刑か。……まあ、どうでもいいさ。私には君さえいればいい』
下卑た笑い声で、音声は途切れた。
ルシアン様が魔石を握り込むと、会場は氷点下の沈黙に包まれた。
数秒後、爆発したようなざわめきが起きる。
もはや誰も、壇上の二人を王族や貴族としては見ていない。
そこにいるのは、国家反逆罪に等しい詐欺と横領を企てた、愚かな犯罪者たちだ。
「ち、違う! これは……何かの間違いだ! 声色が似ているだけで……!」
エドワード様が顔面蒼白で叫ぶが、その声は裏返り、誰の耳にも届かない。
ミエラに至っては、腰が抜けたのかその場にへたり込み、ガタガタと震えている。
先ほどの「アリア様に命令された」という被害者面は、完全に剥がれ落ちていた。
「言い逃れはできないよ、兄上」
ルシアン様が冷たく言い放つ。
「この録音魔石は、宮廷魔導師団が管理する最高等級品だ。音声の加工や編集は不可能だと、法で定められている」
論理的な詰み。
エドワード様は後ずさり、演台にぶつかった。
その手から、例の「真鍮の鍵」がカランと音を立てて床に落ちる。
彼が勝利への鍵だと信じていたそれは、ただ虚しい音を立てて転がっていった。
その時、重厚な足音と共に、講堂の扉が大きく開かれた。
「――そこまでだ」
低く、威厳に満ちた声。
近衛兵を引き連れて現れたのは、この国の最高権力者、国王陛下その人だった。
「父上!? な、なぜここに……」
「我が国の恥を晒す息子を、この目で確かめるためだ」
国王陛下は壇上へゆっくりと歩み寄り、エドワード様を見下ろした。
その眼差しには、怒りよりも深い失望の色が浮かんでいる。
「ルシアンからの報告、そして今流れた音声。……これ以上の証拠が必要か?」
「お、お待ちください! 私は騙されたのです! そう、この女に! ミエラにそそのかされて……!」
エドワード様はあろうことか、足元のミエラを指差して喚いた。
愛を誓ったはずの相手を、保身のために一瞬で切り捨てる。
その見苦しさに、周囲の貴族たちは一斉に顔を背けた。
「見苦しいぞ、エドワード」
国王陛下が一喝する。
「お前の王位継承権を剥奪する。王室費の私的流用、公文書偽造、そして無実の婚約者を陥れようとした罪。……地下牢で頭を冷やすがいい」
「そ、そんな……私は王太子だぞ! この国の未来そのものだぞ!」
近衛兵たちがエドワード様の腕を掴む。
彼は暴れたが、屈強な兵士たちには敵わない。
ずるずると引きずられていく姿は、かつての私が処刑台へと連行された姿と重なった。
だが、今の私に同情はない。
これは因果応報。
彼が自分の意思で選び、積み重ねてきた愚行の結果だ。
「嫌ぁっ! 離して! あたしは関係ないわ!」
続いてミエラも拘束された。
彼女の胸元で、あの『情熱の森』が皮肉なほど赤く光っている。
横領品を身につけたまま捕まるなど、まさに動かぬ証拠を抱いて自爆したようなものだ。
二人の姿が扉の向こうに消えると、国王陛下は私の方へ向き直った。
「アリア・ローズベリーよ」
「……はっ」
私はその場に跪き、臣下の礼をとる。
「其方には苦労をかけた。王家の腐敗を暴くため、あえて悪名を被り、ルシアンに協力してくれたこと……深く感謝する」
国王の言葉に、会場が再びどよめいた。
「悪名を被って?」「では、あのアリア様の態度は全て……?」「なんと忠義に厚い……」
評価が一瞬で反転する。
悪役令嬢から、国を救った悲劇のヒロインへ。
これもまた、ルシアン様が書いたシナリオ通りだ。
「顔を上げてくれ。其方の名誉は回復され、公爵家の汚名も晴らされた。……これからは、自由に生きるといい」
「勿体なきお言葉、恐悦至極に存じます」
私は深く頭を下げた。
肩の荷が、すっと降りていく感覚。
終わったのだ。
処刑の未来も、理不尽な汚名も、全てが過去になった。
国王陛下が退室し、緊張が解けた会場は、今起きた大逆転劇への興奮で包まれている。
遠巻きに私を見る目には、もう軽蔑の色はない。
むしろ、畏敬と賞賛が混じっていた。
私は誰とも視線を合わせず、そっとバルコニーへと続く扉を開けた。
熱気から逃れるように、夜風の中へ出る。
「……お疲れ様。見事な幕引きだったね」
予想通り、すぐに背後から声がかかった。
振り返ると、ルシアン様がシャンパングラスを二つ持って立っている。
「殿下こそ。陛下を動かすなんて、いつの間に根回しを?」
「君がドレスや宝石店で派手に動いてくれている間にね。君という優秀な囮のおかげで、僕は誰にも怪しまれずに証拠を固めることができた」
彼は悪戯っぽく微笑み、グラスの一つを私に差し出した。
「乾杯しようか。君の自由と、僕たちの勝利に」
「……ええ。乾杯」
カチン、と澄んだ音が夜に響く。
冷たい液体が喉を通り、渇きを癒やしていく。
私は手すりにもたれかかり、大きく息を吐いた。
「これで、契約終了ですわね」
目的は達せられた。
婚約は破棄され、慰謝料代わりの名誉も得た。
私は自由だ。
領地に帰って温泉でも掘り当てようか、それとも商会を立ち上げてバリバリ働こうか。
夢は広がる。
けれど、なぜだろう。
胸の奥に、小さな穴が開いたような寂しさがあった。
この心地よい「共犯関係」が終わってしまうことへの、未練。
私がグラスを見つめて黙り込んでいると、ルシアン様がふっと笑った。
「何を寂しそうな顔をしているの?」
「……別に。これからの計画を考えていただけですわ」
「そう。でも、一つ忘れていないかい?」
彼は私の手から空になったグラスを取り上げ、手すりの上に置いた。
そして、私の両手を包み込むように握る。
その熱に、心臓が跳ねた。
「契約はまだ終わっていないよ、アリア」
夜空色の瞳が、逃がさないとばかりに私を捕らえていた。




