第8話:論理という名の処刑台
「墓穴だと? 何を訳のわからないことを!」
エドワード様が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
しかし、その声には明らかな焦りの色が混じっていた。
周囲の貴族たちも、私の指摘を聞いてざわめき始めている。
「確かに、あの日付は……」「アリア様は領地にいらしたはずだ」という声が聞こえる。
「ご覧くださいませ、殿下」
私は書類の一箇所を指先で弾いた。
「ここの日付、『5月12日』となっております。この日、わたくしは領地で発生した水害の復興視察に行っておりました。公爵家の公務日誌にも、現地の役人の記録にも残っておりますわ」
「なっ……そ、それは……サインがあるではないか! 後日サインしたのだろう!」
「いいえ。この請求書の品目は『当日の夜会用生花』です。一週間も後に、枯れた花のためにサインをする馬鹿がどこにおりますの?」
私は扇で口元を隠し、冷ややかに嘲笑した。
エドワード様が言葉に詰まる。
彼の描いたシナリオは、あまりにも杜撰すぎた。
私の行動履歴も確認せず、ただ適当な日付で書類を捏造したツケだ。
「そ、それに! 他の日付はどうだ! 全部が全部、アリバイがあるわけではなかろう!」
「ええ、王都にいた日もございます。ですが……」
私が言いかけたその時、講堂の扉が重々しい音を立てて開かれた。
「そこまでにしなよ、兄上。見苦しい」
凛とした声が響き渡る。
人垣が波のように割れ、一人の青年が悠然と歩いてきた。
夜空色の瞳に冷徹な光を宿した第二王子、ルシアン様だ。
その手には、分厚い革張りの帳簿が抱えられている。
「ルシアン!? 貴様、なぜここに……」
「父上――陛下に命じられてね。王室会計の臨時監査を行っていたんだよ」
ルシアン様は壇上に上がり、エドワード様の隣に並んだ。
そして、持っていた帳簿をドン、と演台の上に置く。
その重い音が、エドワード様の心臓を叩いたように見えた。
「兄上が提示したそのペラペラの紙束は、市井の偽造屋に作らせたお粗末な代物だね。……本物の記録は、ここにある」
ルシアン様が帳簿を開く。
そこには、王室の金の流れが正確に記されていた。
私が「共犯者」として提供した情報と、彼が裏で集めた証拠が合わさった、完璧な断罪の剣だ。
「読み上げるよ。……王室費・外交交際費の項目より支出。宝飾品『情熱の森』、金貨五百枚。購入者サイン、エドワード・ヴァルドア」
会場が静まり返る。
『情熱の森』。
それは今、ミエラの胸元で毒々しい輝きを放っているブローチだ。
「おかしいね。外交交際費は国賓への贈答に使われる予算だ。なぜ、それが男爵令嬢の胸にあるのかな?」
ルシアン様の視線が、ミエラを射抜く。
彼女はひっと息を呑み、慌ててブローチを手で隠そうとしたが、もう遅い。
数百人の視線が、その証拠品に釘付けになっていた。
「さらに続くよ。特注ドレス十着、金貨三百枚。高級鞄五点、金貨二百枚。……これら全て、兄上のサインで決済され、納品先はミエラ嬢の屋敷になっている」
次々と読み上げられる品目と金額。
その全てが、以前ルシアン様と私が「泥船」と呼んで監視していた浪費の数々だ。
会場の空気は一変した。
疑惑の目は私ではなく、壇上の二人へと向けられている。
「ち、違う! それはアリアが……そう、アリアが欲しがったから、私が代わりに!」
エドワード様が必死に叫ぶが、その弁明はあまりに苦しい。
「アリア嬢が欲しがったものが、なぜミエラ嬢の屋敷に届くんだい? それに、アリア嬢自身の買い物は、全て公爵家の予算で適正に処理されている。こちらの帳簿とも照合済みだ」
ルシアン様は淡々と、しかし容赦なく逃げ道を塞いでいく。
論理という名の処刑台の上で、エドワード様はもがけばもがくほど、その首を絞めていた。
「う、嘘よ……そんな……」
ミエラが青ざめた顔で後ずさる。
彼女は助けを求めるようにエドワード様を見たが、彼もまた脂汗を流して震えているだけだ。
「さて、兄上。横領の罪をアリア嬢になすりつけようとした動機も明白だ。使い込んだ穴を埋めるために、彼女の持参金か、あるいは公爵家の資産を狙ったんだろう?」
「ぐっ……!」
図星を突かれたエドワード様が唸る。
彼の手には、まだあの「真鍮の鍵」が握りしめられていた。
私から奪った、金庫の鍵だと思い込んでいるガラクタが。
「その鍵もそうだ。兄上はそれを『隠し財産の鍵』だと言ったね。……調べてみようか? それがどこの金庫を開けるものなのか」
ルシアン様が一歩近づくと、エドワード様は反射的に鍵を背中に隠した。
その姿は、おもちゃを取り上げられまいとする子供のようで、王太子の威厳など欠片もなかった。
勝負あり。
誰の目にも明らかだった。
私は扇を閉じ、静かに告げる。
「殿下。わたくしは、そのような不誠実な方とお話しすることはございません。……婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
かつて私を絶望の淵に追いやった言葉。
それを今、私は勝利の宣言として突き返した。
だが、まだ終わらない。
ミエラが震える唇を開く。
その瞳には、恐怖と、そして卑劣な生存本能が宿っていた。
「……あたしは、知りません!」
彼女が叫んだ。
「全部、アリア様に命令されたんです! 『王太子の寵愛を受けるふりをしろ』って! あ、あたしは被害者なんです!」
会場が再びざわめく。
最後の悪あがき。
見苦しい責任転嫁。
だが、その展開さえも、私とルシアン様の想定内だった。
ルシアン様が懐から、小さな魔石を取り出す。
淡く光るそれは、音声を記録する希少なマジックアイテム。
「被害者、ね。……じゃあ、これを聞いてもらおうか」
ルシアン様の指先が魔石に触れた。




