第6話:仕組まれた断罪の招待状
銀の盆に乗せられた一通の封筒を、私は指先でつまみ上げた。
上質な厚紙に、金箔で押された王立学園の校章。
宛名は「公爵令嬢アリア・ローズベリー様」。
中身を見るまでもない。
これは、私への死刑宣告書だ。
「……卒業パーティーの招待状ね」
呟いた声は、驚くほど冷静だった。
以前の人生において、私はこのパーティー会場でエドワード様に断罪され、そのまま地下牢へと引きずり込まれた。
開催時期も、場所も、流れも、すべて記憶にある通り。
運命の修正力というべきか、あるいは彼らの思考回路が単純すぎるのか。
いずれにせよ、舞台は整ったようだ。
「お嬢様、顔色が優れませんが」
控えていた執事のセバスチャンが、心配そうに眉を寄せる。
私は封筒を丁寧に机の上に置き、鏡の中の自分に向けて微笑んだ。
「いいえ、セバスチャン。武者震いというものよ。当日のドレスは、あの『赤』を用意してちょうだい」
「……畏まりました。最高に美しく仕上げましょう」
長年仕えてくれている彼は、多くを語らずとも私の覚悟を察してくれたようだ。
私がこれから向かうのは華やかな社交場ではない。
人生を懸けた決戦の場なのだから。
* * *
その日の午後、私は王宮にある王太子妃教育用の執務室を訪れた。
婚約破棄が成立していない以上、私にはまだこの部屋を使う権利がある。
そして今日、エドワード様がこの部屋の前を通ることも、ルシアン様からの情報で把握済みだ。
私は机の上に、古びた真鍮の鍵を一つ、ことりと置いた。
これは私の私物であるアンティークの鍵で、どこの扉も開かないただの雑貨だ。
だが、今のエドワード様には「宝の地図」に見えるはずだ。
「……来たわね」
廊下から、荒々しい足音と、甘ったるい笑い声が聞こえてくる。
エドワード様とミエラだ。
私はタイミングを計り、わざと扉を半開きにしたまま、机に向かって独り言を呟いた。
「よかった、誰も見ていないわね。この金庫さえ見つからなければ、私の『秘密』は守られる……」
そして、大げさに周囲を見回し、鍵を机の引き出しにしまうふりをして、実際には分かりやすくペン皿の下に隠した。
そのまま私は、裏口から部屋を後にする。
物陰から様子を窺うと、すぐに二人が部屋に入り込んでいくのが見えた。
「ねえエドワード様、今アリア様が何か隠しましたよ?」
「ああ、聞こえたぞ。『秘密』と言っていたな。……間違いない、あれこそが横領の証拠、あるいは隠し財産を記した帳簿に違いない!」
二人はハイエナのように机を漁り始めた。
そしてすぐに、私が置いた鍵を見つけ出す。
「ありました! これですわ!」
「でかしたぞミエラ! これでアリアの弱みを握れる。いや、この鍵で開く金庫の中に、奴が着服した金があるのかもしれん!」
エドワード様は歓喜に震えながら、その鍵を自分のポケットにねじ込んだ。
哀れなほどに単純だ。
彼らはその鍵が何を開けるものかも確認せず、ただ「アリアが隠そうとしたもの=自分たちに有利な証拠」だと信じ込んでいる。
その鍵を持ち出した時点で、彼らは「他人の所有物の窃盗」という罪を犯したことになるのだが、今の彼らに法や倫理を問うても無駄だろう。
私は音もなくその場を離れた。
廊下の角を曲がったところで、壁に背を預けて待っていたルシアン様と目が合う。
「上手くいったみたいだね。兄上の顔、クリスマスプレゼントを見つけた子供みたいだったよ」
「あの中身が空っぽの箱だと知った時、どんな顔をするか楽しみですわ」
「いや、空っぽじゃないさ。その鍵が『証拠』になるんだから」
ルシアン様は楽しげに笑い、私の手を取って歩き出した。
彼の手の温もりが、冷え切った私の心臓をじんわりと温める。
「卒業パーティーの準備は万端だ。録音魔石の配置も、国王陛下への根回しも済んでいる」
「陛下は……信じてくださいましたの?」
「父上も、兄上の浪費癖には薄々勘付いていたからね。そこに僕たちが集めた客観的な証拠――商店からの請求書、裏帳簿の写し、そして君の完璧なアリバイ証明を提示したら、顔面蒼白になっていたよ」
ルシアン様は事も無げに言うが、現国王を動かすのがどれほど大変なことか、想像に難くない。
彼はこの一週間、私の見えないところで奔走してくれていたのだ。
「ありがとうございます、ルシアン殿下。貴方のおかげで、私は戦えます」
「お礼を言うのはまだ早いよ。……それに、僕が欲しいのは感謝の言葉じゃない」
彼は立ち止まり、私の顔を覗き込んだ。
その瞳は真剣で、吸い込まれそうなほど深い色をしていた。
「全てが終わったら、約束通り君をもらう。……覚悟はできている?」
以前、舞踏会のバルコニーで言われた言葉が蘇る。
あの時は社交辞令か冗談だと思っていたが、今の彼の目には一切の揺らぎがない。
契約上の「共犯者」から、その先へ。
私の心臓が、早鐘を打った。
「……まずは生き残ってからですわ。悪役令嬢らしく、派手に散って見せませんと」
私は照れ隠しにツンと顔を背けたが、頬が熱いのまでは隠せなかったかもしれない。
ルシアン様は満足そうに目を細め、「そうだね」と頷いた。
* * *
そして、運命の夜がやってきた。
王立学園の大講堂は、卒業を祝う生徒たちと、招待された貴族たちで埋め尽くされている。
華やかなドレス、高価な装飾品、楽しげな笑い声。
三年前、私はこの喧騒の中で孤独に震え、絶望の底に突き落とされた。
だが今は違う。
私は胸を張り、真紅のドレスの裾を翻して会場に足を踏み入れた。
隣にエドワード様の姿はない。
彼は今頃、ミエラと共に舞台袖で「断罪劇」の開演を待ち構えているはずだ。
(さあ、いらっしゃい)
私は扇を開き、口元に不敵な笑みを浮かべる。
会場の中央に進み出た瞬間、ざわめきが止まった。
視線が突き刺さる。
軽蔑、好奇心、嘲笑。
それら全てを一身に受け止め、私は優雅に背筋を伸ばした。
カツン、カツン、と壇上から足音が響く。
現れたのは、自信に満ちた表情のエドワード様と、私のドレスのミニチュア版のようなピンクの衣装を纏ったミエラだった。
「そこまでだ、アリア・ローズベリー!」
エドワード様の高らかな声が、講堂の扉に反響する。
音楽が止まり、静寂が訪れた。
「今ここで、貴様の悪行を白日の下に晒し、断罪してやる!」
始まった。
私の人生を賭けた、最後の大芝居。
震えはもうない。
あるのは、静かに燃える青い怒りと、彼を信じる確かな気持ちだけ。
私はゆっくりと扇を閉じ、壇上の彼を見上げた。
「……あら、奇遇ですわね、殿下。わたくしも、お話ししたいことがございましたの」




