第七話 イルミネーションの下で(村上健斗視点)
主な登場人物
小森春香:高校二年生。凄く穏やかで、ほんわかした空気をまとった女子。何事にも一生懸命で、とても優しい。あまり自分の意見を言わないので、色々と人から頼まれがちな性格。料理が得意。
村上健斗:高校二年生。涼しい顔をして、実は独占欲強めの不器用な男子。春香を前にすると、執着心が凄く、嫉妬深くなってしまう自分に少し戸惑っている。
森本修弥:高校二年生。春香の幼馴染で健斗の親友。優しくて頼り甲斐がある。彼女の京子のことを溺愛している。京子の事が絡むと時々暴走してしまう事もある。
木下京子:高校二年生。春香とは別の高校。頭が良く、進学校に通っている。春香と修弥の幼馴染で、修弥の彼女。
春香の手を握ったまま、二人きりでクリスマスマーケットの中を歩く。
人混みに紛れないように、という言い訳をして繋いだ手。
春香の指は俺のよりずっと細いのに柔らかくて、冷気に冷やされてちょっとひんやりとしていて、包むと簡単に折れそうなくらい華奢だった。
……小さいな。
俺の手とは全然違う小さな手が冷たくなってるのが気になって、あったかくしてあげたいなと思って繋いだ手に少しだけ力を込める。すると、春香もきゅっと握り返してくれて、胸の奥が跳ねた。
今日は寒いはずなのに、むしろ全身がじんわり熱いくらいだった。
春香が、少しだけ俺の腕に寄り添いながら可愛い笑顔で屋台を眺めている。
その横顔が、ライトに照らされてふんわり光って、すごく綺麗で、堪らない気持ちになった。
「……なぁ、ホットチョコ飲まない?」
「あ、いいね、飲みたい」
さっき四人で回っていた時に春香が飲みたそうにしていたからそう言ってみると、彼女が、ぱっと顔を上げて笑った。
屋台のおばさんに注文すると、紙カップからふわっと甘いココアの香りが立った。
「熱いから気をつけてね」
渡してくれたおばさんにお礼を言い、二人分を受け取った。
ココアの甘い匂いが鼻をくすぐる。温かいホットチョコの上には生クリームがふんわりと浮いていた。
一つを列から離れて待ってた春香に渡す。
「ありがとう。はい、お金」
そう言って自分の分のお金を渡してきた。
「え、いいよ。これくらい」
そう言うと、「え、でも……」と、ためらわれた。
だけどせっかくの、春香との初めてのデートだ。これくらい、俺に奢らせて欲しいと思った。
だから少し考えて、そして勇気を振り絞って言ってみた。
「じゃあさ、今度、二人きりでデートしようよ。今度は最初から二人で。……その時にコーヒーでも奢って?」
すると春香は目を大きく見開いて驚いた後、頬を真っ赤に染めながら嬉しそうに微笑んでくれた。
「うん、分かった。……約束ね?」
「うん、約束」
俺は叫びだしたいほどの気持ちをなんとか抑えて平静を装いつつ、笑顔でそう頷いた。
「えっと、じゃあ、……いただきます」
そう言って、彼女がホットチョコを両手で包み込むみたいに持ちながらこくこくと、ゆっくりと飲んだ。
「ん、甘くて美味しい……」
幸せそうな顔でホットチョコを飲む姿にきゅんとして、そして、ふと、春香の口の端に生クリームがついているのに気が付いた。
「春香、生クリームついてる」
「えっ、どこ!?」
春香があわあわしながら頬や口の横を触った。けれど、場所が違っていて。
その必死な姿があまりに可愛すぎて、思わずふはっと笑ってしまった。
「ここ」
気づいたら、親指を伸ばしていた。
彼女の上唇の端。柔らかい肌を、そっとなぞるように拭う。
肌の感触が指先に触れて、同時に彼女がピシリッ、と固まった。
頬が一瞬で真っ赤になって、呼吸すら止まってるみたいに。
……っ、俺、何やってんだ……!?
「ご、ごめんっ!」
自分の行動に気づいた瞬間、頭が真っ白になった。
春香はぶんぶん首を振って、真っ赤なまま小さく笑った。
「う、ううん……ありがと。とれた?」
「……うん。とれたよ」
今視線が合ってしまったら、何もかも顔に出てしまいそうで、誤魔化すようにホットチョコをすすった。
心臓が跳ねてしょうがなかった。
カップをゴミ箱に捨てて戻ると、俺たちは何も言わないまま、どちらからともなく手を繋いだ。
どっちが先とかじゃなく自然に指が絡んで、それが凄く嬉しかった。
「……あ、あったかくなってる」
さっきは冷たかった春香の手があたたかくなっているのに気づいて、そう言った。
「うん……、えへへ……村上くんの手もあったかいね」
春香が照れくさそうに微笑んだ。
なんでこの子、いちいちこんな可愛いんだろう……?
可愛すぎて、抱きしめたくなる衝動をぐっと堪えて、何か別の話題を探した。
「……な、なぁ、イルミネーション見にいかないか?春香、楽しみにしてたよな?」
「うん、行きたい……!行こう!ツリーがすごいんだって!」
顔を輝かせてそう言う春香に、つられてこっちまで笑ってしまった。その表情を見てるだけで幸せをもらってるみたいだった。
クリスマスマーケットの喧騒を抜けて、イルミネーションの道へ足を踏み入れる。
木々の枝に沿って星みたいなライトが散りばめられ、頭上には白い光のアーチ。途中で雪がちらつきだして、ライトに反射してきらきらと舞った。
「わ……素敵……」
隣で春香が、息を弾ませるような声で感動を漏らした。俺は、横を歩く春香をそっと見つめる。
頬がほんのり赤く染まって、黒目がちな大きな瞳はライトを受けてきらきら揺れている。
そして、さっき指先がほんの少しだけ触れた、小さな淡い桃色の唇に、視線が吸い寄せられる。
光を受けて妙に艶めいて見えて、気づけばそこから目を逸らせなくなっていた。
……可愛い。触れたい。
衝動のまま、思わず顔を近づけかけて。
その瞬間。
……やばっ。
理性を飛ばしかけていた自分に気がついて、慌てて視線をそらした。
危なかった。あと少しで、本当にキスしてた。まだ告白もしてないだろ、……ちょっと落ち着け、俺。
「……む、村上くん、どうしたの?」
挙動不審な動きをしてしまった俺に、春香がおずおずと、上目遣いで聞いてきた。
「……寒いだけだよ」
そう言って無理矢理誤魔化すと、春香はどこかほっとした様な、だけど少しだけ残念そうにも見える様な、そんな顔で微笑んだ。
「そっか。うん、寒いよね」
そう言って、あたためようとしてくれたのか、繋いだ手をキュッと握り直してくれる。
その行動が、むしろ俺に追い打ちをかけるとも知らないで。
やがて、並木道の向こうに、巨大なクリスマスツリーが見えてくる。無数のライトがついていて、緑と金が混じったイルミネーションが、夜空に浮かび上がる。
「わぁ……すご……!」
春香が、その場で足を止めて見上げた。ライトの輝きが頬に反射して、瞳の中にツリーの光が映り込んでいる。
ああ、……綺麗だな。
ツリーよりも、隣にいるこの子が圧倒的に綺麗だと思った。
胸の奥にしまい込んでいた言葉が、静かに浮かび上がってきた。
「春香」
「ん?」
名前を呼ぶと、春香が振り向く。
その瞳がまっすぐ俺を捉えた瞬間、胸の堤防が崩れた。
「俺、春香のこと……ずっと好きだった」
春香の肩が、驚いたように小さく揺れる。
息を呑む気配が伝わってきて、心臓が嫌なほど大きな音を立てた。
期待と不安が胸の中で絡み合う。怖くて、緊張して、それでも伝えずにはいられなかった。
「俺と、付き合ってくれないかな」
驚いたように、春香の肩が小さく震えた。
はっと息を呑む音が聞こえる。
期待と不安が同時に心の中で暴れる。どうしたって答えが怖いし、緊張する。それでも、伝えたいと思った。
「俺と付き合ってくれないかな」
ツリーの光が揺れて、春香の表情がかすかに滲む。
涙をこらえるように、唇が小さく震えた。
「わ、私も……、ずっと、……ずっと好きだったよ。すごく嬉しい……。こちらこそ、よろしくお願いします」
今にも涙が落ちそうな、そんな顔で、笑ってくれる。
胸の奥がぐっとあたたかくなって、俺はそっと彼女を抱き寄せた。
細い肩が俺の胸に触れた瞬間、愛おしさが溢れてきてたまらなかった。
春香を抱きしめたまま、しばらく動けなかった。
腕の中にある細い肩は驚くほど軽くて、少し力を入れただけで折れてしまいそうなくらい華奢で。ぎゅっと抱き返してくれる指が、確かにここにいるんだって俺に教えてくれるみたいに温かい。
冬の空気は冷たいのに、胸の奥まで熱が広がっていく。
「春香……」
名前を呼ぶと、俺の胸に顔を埋めたまま、小さく「ん……」と返事が返ってきた。
その声がくすぐったくて、愛しくて、どうしようもなく嬉しい。
「泣いてんの?」
「……だって、すごく嬉しかったんだもん……」
顔を上げた春香の瞳は、まだ涙の名残でうるんでいて、イルミネーションの光を反射してきらりと輝いていた。
その顔があまりに綺麗で、心臓がぎゅっと掴まれた様な気持ちになった。
「……俺も、嬉しい」
思ったままの言葉が自然とこぼれる。
春香がふわっと笑う。ほんのりと頬が赤くて、その柔らかな笑顔を見ているだけで満たされた。
「村上くん……」
「ん?」
抱きしめた腕を少しだけ緩めて、彼女の顔を見る。
すると彼女が少し躊躇いがちに、けれど期待の篭った瞳で俺を見上げた。何か言いたそうにして、けれど言えずに、言葉を詰まらせる。
この空気、この距離。彼女の熱の篭った瞳から、何を言おうとしているのか察した。
求めているのは俺だけじゃないと分かって、胸の奥が一気に熱くなった。
でも、ごめん。それは俺から言わせて欲しい。再度口を開きかけた彼女の名前を呼んだ。
「春香……」
そっと名前を呼んで肩に手を添える。
触れた肩が服越しでもじんわりとあたたかくて、その温度がじわっと指先に伝わる。
「……キス、してもいい?」
囁く様に聞くと、春香は恥ずかしそうに頷いてくれた。
心臓の音がやたら大きい。
自分の鼓動なのか、春香のなのか分からない。
「春香、……好きだよ」
至近距離で言うと、春香のまつげが震え、唇が小さく吸い込むように動いた。
「……私も……村上くんのこと、大好き……」
小さく囁いた可愛い声に突き動かされるまま、俺は顔を近づけた。
そっと、柔らかい唇に触れる。
その瞬間、じんわりと胸の奥が熱くなった。
春香の肩がきゅっと縮こまったのが分かった。
可愛い……。
可愛すぎて、すぐにもっと欲しくなった。けど無理に深くするのは違う。
何とか我慢して、触れ合った唇を、名残惜しく思いながらゆっくり離す。
唇が離れると同時に、白い息がふわっと混ざった。
「え……へへ……キス……しちゃったね……」
羞恥と嬉しさが混じった笑顔で笑う彼女。
それを見て、理性が一瞬吹っ飛びそうになった。
気づいたら、もう一度抱きしめていた。
ぎゅっと、今度はさっきより強く。
細い身体がすっぽり腕の中に収まって、春香の香りがふわっと鼻先をくすぐる。
「……春香」
「なぁに?」
俺の胸に頬を寄せたまま、上目遣いに見てくる。
その可愛さに、また胸が鷲掴みにされたみたいに締めつけられた。
「……絶対、大切にするから」
そう言うと、春香はとても幸せそうな笑顔で、微笑んでくれた。
「うん。私も、……絶対大切にするからね」
小さな声で、でも確かに聞こえるくらいの声でそう言った。そして彼女ももう一度、さっきよりも強く、ぎゅぅっと抱きしめ返してくれる。
胸が熱くなる。こんなに嬉しいこと、きっと他にない。
「……幸せだなぁ」
彼女が俺の胸の中で、ぽつりとそう呟いた。
その言葉を聞くだけで、胸の奥から幸せな気持ちが満ち溢れてきて、じんわり熱くなる。
「俺も。幸せだ……」
……ああ、やっと叶った。
その事実だけで、もう本当に幸せで、世界が一気に輝いた。




