第四話 クリスマスマーケットの噂(小森春香視点)
主な登場人物
小森春香:高校二年生。凄く穏やかで、ほんわかした空気をまとった女子。何事にも一生懸命で、とても優しい。あまり自分の意見を言わないので、色々と人から頼まれがちな性格。料理が得意。
村上健斗:高校二年生。涼しげな顔をして、実は独占欲強めの不器用な男子。春香を前にすると、執着心が凄く、嫉妬深くなってしまう自分に少し戸惑っている。
森本修弥:高校二年生。春香の幼馴染で健斗の親友。
木下京子:高校二年生。春香とは別の高校。頭が良く、進学校に通っている。春香と修弥の幼馴染で、修弥の彼女。
文化祭が終わって数日たつのに、私の心はまだどこかふわふわしたままだった。
あの二日間は、とにかく忙しくて、あっという間だった。
私たちのクラスのカフェは、予想以上に人気だった。
「味が高校生レベルじゃないってSNSで流れてる!」と、誰かが興奮して言っていた。
実際、文化祭が進むにつれ、どんどん列が長蛇になっていって、調理担当の私達は、ほとんどずっと調理室にこもりっぱなしだったし、接客担当の子達も休む暇無く、大忙しだったと聞いた。
私はお昼のための二十分の休憩以外、ずっと包丁を持って、山のような具材を切って、ひたすら挟んで、混ぜて、焼いてを繰り返していた。
もし京ちゃんがあの場に居たら絶対に「春香、ちゃんと休憩しなよ!」って叱られてたと思う。だけど、京ちゃんの学校も同じ日に文化祭だったから当然、来ることは出来なくて。
ほんとはお互いの学校の文化祭、一緒に周りたかったけど、こればっかりは仕方ないよね。
でも、みんなが「美味しい!」って顔をほころばせてくれるのを見ると、疲れなんて全部どこかへ吹き飛んだ。
……それに。
試食を作る為に調理室を借りた日。
あの時、窓からパネルを抱えた村上くんが「いいな、俺も食べたい」って言いに来てくれた時。
あの瞬間のことが、どうしても頭から離れない。
サンドイッチを口に運んだあの瞬間。
自分でも、あんなに手が震えるとは思わなかった。
指先に、かすかに彼の息を感じて、胸がぎゅうっとなって、心臓がはち切れるかと思った。
あの時、私も相当緊張してたけど、彼が緊張してるのも凄く伝わってきて。
……私、絶対に真っ赤になってた。
思い出すだけで、一人で勝手に恥ずかしくなる。
その日の帰り道、村上くんと二人になって、並んで歩いた。あの時間も忘れられない。
「当日、売り子する女子、なんか可愛い服用意してたじゃん。……あれ、着てほしくなかったから」
私なんかが着ても似合わないのは分かってるけど、村上くんにはっきりそう言われるとちょっと辛くなってしまって、内心、落ち込んでしまった。
だけどそれが顔に出てしまってたみたいで、すぐに村上くんが「違うよ」って否定してくれて、そして。
「……春香のそんな格好、他のやつに見られんのやだって言ってんの」
息が止まるかと思った。
信じられないくらい嬉しくて、心臓がバクバクしすぎて胸がくすぐったくて、まともに呼吸ができなかった。
どう反応したらいいのか分からないまま、ただ真っ赤になってしまった。
だってそんなこと言われたら、期待しちゃうよ……?
彼と話すたびにドキドキして、言葉一つ一つに心臓が掴まれる。
落ち着いているフリをするだけで精一杯で。
こんなの、好きにならない方が無理だと思った。
そうして月日は流れ、十二月になった。
来週の水曜日からある期末テストが終われば、冬休みが待ってる。
学校が嫌いって訳じゃないけど、冬休みはやっぱり待ち遠しいな、と思いながら教室に入った瞬間、女の子たちが楽しそうに話している声が聞こえてきた。
「ねえ!イブの日に、クリスマスマーケットやるらしいよー!」
「ああ、それ知ってる!学校の近くのおっきな公園でやるやつでしょ?」
「そうそう、それ!規模かなりでかいらしいね」
クリスマスマーケットかぁ。
イルミネーション、ホットチョコレート、可愛い雑貨がいっぱい並んだ出店。
……いいな、行ってみたいな。
クリスマスらしい雰囲気をイメージするだけで、ワクワクした気持ちになった。
そしてその日のお昼休みのこと。
いつもの様にお昼ご飯を友達と食べた後、私は図書室に本を返しに行くために、友達と別れて一人、図書室に向かっていた。
すると向かいから村上くんが歩いてくるのが見えて、小さく手を振った。
村上くんも私に気がついて、立ち止まってくれた。
手を振ったは良いけど、特に話したいことがあった訳ではなかったから、咄嗟に話題を考えて、今朝、みんなが話していたクリスマスマーケットの話題をふってみる事にした。
「そういえば、学校の近くの公園でクリスマスマーケットがあるんだってね。村上くん、知ってた?」
「ん? ああ、なんか今日、女子が話してたな。二十四日だっけ?」
「うん。なんかすごく大きなやつみたいだよね。……あれ、行く人多そうだよね」
「へえ、そうなんだ」
ちょっとだけ間があって、
「……ちなみにさ、春香は誰かと行ったりするの?」
何気ない質問。
でも、なんでだろう、胸が一気に熱くなった。
「ううん。特に予定は、今のとこないよ」
「そっか。俺も、……特に無いや」
その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅっとする。
本当は、喉まで出かかっていた。
じゃあ、一緒に行く?
でも、喉まで出かかったその言葉を、言うことは何故か出来なかった。
誘った時の、困った顔や、断られる可能性がまず最初に浮かんでしまって、想像だけで辛い。
逆に、もし「いいよ」と言ってくれたとしても、私はもう、絶対にその先に続く何かを期待してしまう。それも怖かった。
友達だったら、気楽に誘えるのに、好きって思うだけで簡単に動けなくなる。
恋って何でこんなにも、人を臆病にするんだろう。
ちらっと村上くんを見ると、何か言いたそうに口を開いて、でもすぐ閉じた。
その仕草に、何故か胸の奥がざわついた。
「……」
短い沈黙。
漂う空気に、何故かそわそわしてしまって、笑って誤魔化すみたいに話題を引き出した。
「……クリスマスマーケット、すごく混みそうだよね」
「あ、ああ……。うん、だろうな。屋台とかもいっぱい出るって言ってたもんな」
少し遅れて返ってきた声は、どこか上の空だった。
「うん、そうみたいだね。可愛い雑貨とか、ホットチョコとかもあるのかな……。見てるだけでも楽しそうだよね」
そう言うと、村上くんはまた何か言いかけて、今度は途中で息を止めたみたいに黙った。
それから、ゆっくり私を見る。
「あー、その、春香ってさ……」
一拍。
「……そういうの、好きそうだよな」
「えっ?」
「イルミネーションとか。雰囲気あるやつ。……違う?」
探るみたいな視線。
「う、うん……。確かに好きかも」
「……やっぱり。だと思った」
そして、ちょっと悩んでいる様な顔で、片眉を下げて、微笑んだ。
彼の見たことの無い表情に、キュッと胸が締め付けられた。
結局、“一緒に行く?”の一言が言えないまま、お昼休みは終わってしまった。
だけど、この時間は、私の気持ちを再確認させるには充分すぎるもので。
ああ、どうしよう……。やっぱり私、こんなにも彼のことを好きになっちゃってる。
気づけば、六月のころよりも、文化祭のときよりも、彼を想う気持ちはずっと大きくなっていた。
だけど、どんな精神状態であれ、日常は変わらずに存在していて。
とりあえず今、私が取り組まないといけない事は、期末テストだ。
テストっていう、必ず正しい答えが存在する問題に向き合ってなきゃいけない状況が、今は少し、ありがたかった。
まさか定期テストにそんな事を思う日が来るなんて、自分でも驚きだけど。
ーーー
家に帰った後は、両手で頬を叩いて一旦気持ちを切り替えて、晩ご飯とお風呂の時間以外は、自分の机の前でひたすら問題集をした。
日頃から予習と復習をしている事もあって、試験範囲の問題は、ある程度は理解できてる。
丸つけをして、間違ってた応用問題を解説見ながら確認を終えた丁度その時、スマホから着信音が響いた。
スマホの画面を確認すると、そこには「京ちゃん」の名前が光っている。
胸の奥がふっと緩んで、通話ボタンをタップした。
『はるか、久しぶり!やっと模試終わったよー』
「京ちゃん、おつかれさま!京ちゃんの学校、テスト多くてほんと大変だよね」
京ちゃんの学校は進学校で、テストが多い。文化祭が終わってからというもの、小テストとか大きめの模試とかが重なって、ずっと大変そうにしていた。
『ありがと。……まあ、次は来週の期末テストの勉強しなきゃなんだけどね』
「う、そうだね…。頑張らなきゃね……」
『でもちょっとくらい息抜きしなきゃ、やってらんないから電話したの。だからちょっとだけ付き合ってね』
ちょっとおどけた様にそう言う京ちゃんに、私はクスクス笑いながら答えた。
「うん、息抜きになってたら嬉しいな」
京ちゃんが話題を文化祭の事に変えた。
『っていうか、あんたのとこの文化祭行けなかったの、今でも悔しいんだけど!』
「うん、私も……。残念だったよね。日程被っちゃうなんて」
『ほんとにね!あー、私も村上くん見てみたかったなぁ〜!くっそー、修弥ばっかずるい!』
スマホ越しでも分かるほど、京ちゃんが悔しそうな声を出す。
「……え、京ちゃん、村上くん見たいんだ?」
村上くんの名前が京ちゃんの口から出てきて、ドキッとした。
『そりゃ見たいよ!うちの可愛い春香の心掴んだ男が、あんたに見合うほどの男なのか見定めなきゃでしょうが……!ていうかあんた、その声だと絶対なんかあったでしょ』
「え、……わ、分かる……?」
京ちゃんは、本当に鋭い。どうして電話越しなのに、ここまで何でも見抜いてくるんだろう。
『うん、分かるよ。で、何があったの?』
興味の中に、心配も混じった様な声音でそう聞かれ、今の状態を伝えた。
「あのね、何かあったって訳じゃ無いんだけど。でも、最近ね、私、ずっと村上くんのことばっか考えちゃってるなって思ってて……。こんなことこれまで無かったから、なんか不思議だなって思ってね……」
耳まで熱くなっていくのが分かる。
そんな私の狼狽を楽しんでいるのか、京ちゃんが電話越しでくすくすと笑い声を上げた。
『そりゃ、恋してたら誰でもそうなるでしょ。自然なことだと思うよ。……あー、でもあの春香がねぇ。そっかぁ』
どこか嬉しそうにそう言った後、声を弾ませて続けた。
『そうだ!春香、クリスマスイブ、ダブルデートしようよ!』
「……え?」
言っていることがよく分からなくて、聞き返してしまう。
『あんたの学校の近くのおっきい公園でさ、夕方からクリスマスマーケットやるじゃん?あれ、四人で行こうよ!』
「あ……ああ、あれ……、学校でも話題になってた……」
というか、村上くんともその話をしたばかりだ。
私だって、本当は誘えたら良いなって思ってた。……勇気出なくて、誘えなかったけど。
だけど、まさかダブルデートって形で京ちゃんに誘われるなんて、想像もしてなかった。
「ダ、ダブルデートって……そんな……。だって、そもそも私と村上くん、付き合ってないんだよ!?それに修ちゃんも、夏祭りの時みたく、四人より京ちゃんと二人きりのほうが良いんじゃないかな……?」
前は、三人で行くのが当たり前だった夏祭り。
だけど、修ちゃんと京ちゃんが付き合い始めてから、状況は少し変わった。
本当は二人で行きたいから、悪いけれど理解してほしい、と修ちゃんにお願いされた。
でも、「春香だけを呼び出して相談するのは、三人での時間も大事にしてる二人に対して不誠実だと思うから」と、わざわざ京ちゃんと私、二人ともを呼び出して、修ちゃんが頭を下げてお願いしてきた日のことは、今でも鮮明に覚えている。
『それは大丈夫!』
即答。ものすごい勢いだった。
『元々、修弥とは二十五日に会う予定だったの。だから前日のイブから会おうって言ったら多分あいつも喜ぶよ?』
「……確かに」
修ちゃんが嬉しそうに目を輝かせる姿しか浮かばなかった。修ちゃんの京ちゃんへの溺愛は、凄まじいから。
えっと、じゃあ……。
『というわけだから、決まりね?修弥には私から言っとくから。春香は絶対、村上くん誘いなさいよ?絶対だからね!?』
「え、でも、誘うって……、難しくない……?」
『春香が難しく考えすぎなだけだって。それに、動かなきゃ、何も始まらないんだよ?』
確かにそれは、本当にその通りだ。
もし本当に村上くんと一緒にクリスマスマーケットに行けたら。
イルミネーションの下で並んで歩いて、ホットチョコレートなんか飲んだりして……。
ちょっと心臓、持ちそうにない……。でも。
「……もし行けるのなら、行ってみたいな」
小さく漏れた声が、スマホ越しに吸い込まれていく気がした。
『でしょ?じゃあ決まり。頑張りなさいよ?』
「……うん!分かった!私、頑張ってみるね!」
言ってしまった瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。
嬉しいような、怖いような、でも前に進めたような、そんな複雑な気持ちが混ざり合う。
通話を切ったあとも、私はしばらくスマホを握ったまま、ベッドの上に座りこんでいた。
だって。
イブに、村上くんと、クリスマスマーケット。
考えただけで胸がぎゅうっと締まって、頬が熱くなる。
もう一度問題集に向かってみたけれど、文字を追っているだけで、全然頭に入ってこなかった。
丁度キリも良いし、もういっそ続きは明日頑張って今日はもう終わろうかな、と一瞬考えたけど、時計を見ると、まだ八時半を少し回ったところで……。
さすがにこの時間で寝るには早すぎる。
一旦気持ちを切り替えてもう少し頑張ろうと、私は本日二度目のお風呂に入ることにした。
ーーー
翌朝のこと。
「おい春香!!」
「ひゃっ……!?」
登校してすぐ、正門をくぐったところで、急に肩を掴まれた。思わず変な声が出てしまう。
振り返ると、そこには修ちゃんが仁王立ちしていた。
目が本気だ。……なんなのこの圧。
「クリスマスマーケット、絶対行くからな!春香は絶対!絶対!!健斗誘えよ!!」
「修ちゃん、おはよう。突然びっくりしたよ……」
「おはよう!!……で、誘えよ!!」
朝の挨拶を一瞬で済ませ、怒涛の勢いが続く。
「断られんなよ!?お前にかかってんだからな!本っ気で頼むぞ!」
「わ、分かったって!もう、そんなに怒鳴らなくても……」
「怒鳴ってねぇ!応援してんだ!!」
全力で怒鳴っている声だった。修ちゃんの強い口調に、ちょっと驚く。
京ちゃん、いったいどんな誘い方したんだろ……。
でもその顔は、とても嬉しそうで。
ああ、本当に京ちゃんのこと好きなんだなぁ、と微笑ましくなって、くすっと笑ってしまった。
そして同時に。
京ちゃんと修ちゃんがここまで後押ししてくれているのを感じて、胸がキュッと引き締まった。
……勇気出して、誘わなきゃね。
けど、やっぱり少し怖い。
断られたらどうしようとか、そもそも誘うとか、迷惑じゃないかな、とか。
どうしたって、いろんな不安が押し寄せてしまう。
でも。
イルミネーションの灯りの下、村上くんと並んで歩いてみたい。
その願いがもう既に、胸の奥で大きく膨らんでしまっていて。
昨日、京ちゃんも言ってた。……誘わなきゃ何も始まらない。
覚悟を胸に、私は息を吸い込んで校舎へ歩き出した。




