第三話 初めての感情(村上健斗視点)
主な登場人物
小森春香:高校二年生。凄く穏やかで、ほんわかした空気をまとった女子。何事にも一生懸命で、とても優しい。あまり自分の意見を言わないので、色々と人から頼まれがちな性格。
村上健斗:高校二年生。涼しげな顔をして、実は独占欲強めの不器用な男子。春香を前にすると、執着心が凄く、嫉妬深くなってしまう自分に少し戸惑っている。
森本修弥:高校二年生。春香の幼馴染で健斗の親友。
木下京子:高校二年生。春香とは別の高校。頭が良く、進学校に通っている。春香と修弥の幼馴染で、修弥の彼女。
夏休みは、とにかくバイトを入れまくった。
いつものコンビニのシフトに加えて、修弥に誘われた郵便局の配達の短期バイトまで組み込んだら、気づけばほとんど休みがないみたいな生活になっていた。
修弥は別の学校に通っているという彼女と、夏祭りに行ったらしい。
本当は俺だって春香を誘って、一緒に夏祭りに行きたかった。
だけど、そもそも連絡先を知らないから、誘う以前の問題だった。
修弥はきっと春香の連絡先を知ってるから、一瞬あいつに聞こうかとも思った。
でも修弥に聞くのは違うだろって、変なプライドが邪魔をして。
結局、夏祭りの日もシフトを増やしてバイトに出た。
……いいんだ。俺は稼ぐんだ。高二の夏休みは、そのためにあるんだ。
そうやって自分に言い聞かせて、どうにか寂しさをごまかしながら心を偽って過ごした。
だけどやっぱり、あの子のことを考えてしまって。
春香も誰かと行ったのかな。男と行ってたら、嫌だな。
夏祭りに一緒に行くくらい仲いい男子、修弥以外にはいなさそうだけど、誘われたら分かんないしな。
暇があったらそんな事ばかり考えてしまって、だから何か考えておきたくて、バイトにあけくれた。
結果として、財布は膨らんだけど、心はずっとモヤモヤしたままだった。
そして夏休みが明けた、二学期。
教室の扉を開けた瞬間、いつも通りの風景の中にいる春香を見つけて、胸の奥がふっと熱くなる。
ああ、やっぱり可愛いな。
夏休みに会えなかった分、彼女を思う気持ちが一学期よりも強くなってしまった様な気がした。
春香に、気にしてない風を装ってそれとなく夏祭りに行ったのかを聞いてみたら、クラスの女子と行ったと教えてくれてほっとした。
そしたらその時、「村上くんも行ったの?」と聞き返されて、お前の事を想いながらバイトしてたよ、なんて正直に言えるはずもなく、「ちょっと用事あって行けなかったんだ」と言葉を濁した。
そうだったんだ、と相槌を打つ彼女を眺めながら、やっぱ誘いたかったな、と改めて思った。
だけど結局、二学期になっても春香に連絡先は聞けないままで。
誰か、気になってる子に、自然にそれとなく連絡先を聞く方法を俺に教えてくれ、と内心思って深いため息が漏れた。
そうやって、月日ばかりが流れ、いつの間にか十月になってしまっていた。
朝夕が少し冷え込むようになって、学校全体が文化祭モードに染まりはじめる頃。
廊下を歩くだけで、どこからともなく絵の具の匂いや紙を切る音がして、なんとなく落ち着かない。
俺たちのクラスはカフェをやることになった。まあ、この学校じゃ定番中の定番だ。
俺は設営担当。木材を運んだり、パネルを組み立てたり、地味だけど体力任せの役だ。こういうのは、わりと嫌いじゃない。
で、春香は料理が上手なことを買われて、裏方の仕事をする事になってた。
へえ、料理上手いんだ……。いいな、春香の料理、食ってみたいな。と内心で思ったけど、それを本人に言う勇気なんて無かった。
放課後、廊下でパネルを両腕いっぱい抱えて歩いていたときだ。
ちょうど調理室の前を通った。
「……春香、本当すごくない?これ普通に売れるよね!」
「ね、マジヤバいよね!これ購買で売って欲しい」
聞こえてきた女子の賑やかな声。
春香の名前が出た瞬間、反射的に足が止まってしまった。
どうしたんだろう?春香が、なんかいろんな女子に褒められてる……。
気になって調理室を横目で覗くと、春香が作ったサンドイッチを他の子が試食しているところだった。
春香が可愛い笑顔で、ちょっと照れくさそうにしながら笑っている。
あ、やばい。
その笑顔を見るだけで、なんか胸がきゅっと苦しくなった。
女子たちに囲まれて、嬉しそうに頬をほんのり赤くしてて。
いつもの穏やかな雰囲気そのままで、でも料理を褒められているのが嬉しいんだろう。
照れくさそうに頬を染めて笑う笑顔が、なんかもう、めちゃくちゃ可愛かった。
気づけば俺は、ドアのところまで近づいてた。
「……なに盛り上がってんの?」
つい声をかけてしまって、女子たちがびっくりした顔で振り向く。
「えっ、村上!?なにその状態……」
「あ、パネル運び?健斗、お疲れー」
「てか、今ね、春香のサンドイッチがめちゃ美味しくて!」
その瞬間、春香と目が合った。
春香が「あ、……村上くん……」って小さく名前を呼んだ。
ちょっと嬉しそうに、でも驚いたみたいに。
胸が跳ねた。
「春香が作ったやつ?……いいな、俺も食べたい」
素直に言えた。
いや、ほんとは言うつもりなんてなかったんだけど、気づいたら口から漏れてた。
途端に、春香の表情が一瞬固まった。けど、そのあと小さく、「いいよ」と頷いてくれた。
でも俺は両手が塞がってるし、それに、この状態で調理室に入るわけにもいかない。手も服も埃まみれだし。どうすんだこれ、と思った。
どうしようと思いながら、窓の外から春香を見下ろす形になって、その瞬間、俺の口が勝手に動いてた。
「……えっと。食わせてくれない?」
あ、やべ。
言った瞬間、自分でびびった。
女子たちが「え……」って一瞬固まる。
春香はもっと固まった。
でも、すぐにふわっと頬を赤くして、目を泳がせて、小さく息を飲んで。
「……う、うん。……いいよ……」
その声音が、震えてた。
春香が小さな皿を持って窓のそばに寄ってくる。
細くて白い、綺麗な指が、ちょこんとサンドイッチをつまんでいて……それを俺の口元へ差し出す。
……これは、やばい。
この時点で心臓がうるさすぎて死にそうだった。
女子たちの視線が刺さるのも分かってるのに、そんなの全部どうでもよくなるくらい、春香の表情にやられてた。
「……どうぞ」
小さく囁くように言う春香。
その声に、喉が鳴った。
唇が指に触れてしまわないように、そっと前に身を寄せて受け取ると、春香の指先がほんの少し震えた。
うわっ、近い……。
正直、味わう余裕なんか全く無かった。
でも、間違いなく、過去一で美味い。色んな意味で。
「……ありがと。すっげえ美味い」
限界だった。これ以上居たら絶対顔が真っ赤になる。いや、もう絶対赤いんだろうけど。
女子たちが「何、今の!」と騒ぎ始める前に、逃げるようにその場を離れた。
その後、教室で準備を続けていると、調理室組の女子たちが戻ってきた。
「村上、さっきの〜〜!」
「マジ、文化祭本番より盛り上がったって」
うるせぇ。
茶化してくる女子を適当にあしらって、でも、勝手に顔が緩んでくるのを止められなかった。
下校時間。昇降口へ向かう廊下で、春香を見つけた。
追いかけて隣を歩いた。
気を抜くと距離が近くなってしまいそうで、ほんの少し隙間をあけながら。
「……今日、ありがとな。サンドイッチ、ほんとに美味かった」
「あはは、ありがと。すごく嬉しい」
春香が嬉しそうに笑いながらお礼を返してくれた。柔らかい笑顔が、心臓に悪い。
「……春香、当日も裏方なんだよな?」
あれだけ美味かったら、当日は忙しくなるだろうなと思いながら聞いた。
「うん、そうだよ」
頬がほんのり染まっていて、目がちょっとだけ伏せられていて、その姿が、どこか嬉しそうで。
「やっぱそうだよな。マジで美味かったもん」
「ありがと……がんばるね」
言いながら、春香が両手のひらをきゅっと握った。
気合いを入れたんだろうけど、そんな仕草すら可愛いって、一体どういう事だ。
「うん……でも、良かった」
ぽろっと出た言葉に、自分でも驚く。
「え?」
春香が首をかしげた。
「当日、売り子する女子、なんか可愛い服用意してたじゃん。……あれ、着てほしくなかったから」
すると春香は一瞬だけ驚いた表情をして、そしてすぐに落ち込んだように目を伏せた。
「あの服、可愛いよね。試着してる子、凄く可愛かったもん。……でも私なんかが着ても似合わないもんね」
……違う。なんでそうなるんだよ。
胸の奥に、ぎゅっとした焦りが湧いてきた。
「違うよ」
立ち止まって、春香の方を向く。
彼女も驚いたように止まった。
言うの、めっちゃ恥ずかしい。
でも、このまま言葉の意味を誤解されたままの方がもっと嫌だ。
だから、恥ずかしくてもちゃんと伝えておきたい。
「……春香のそんな格好、他のやつに見られんのやだって言ってんの」
春香がぽかんと目を丸くして、それから。
「……え……」
頬を真っ赤に染めた。
驚いたみたいに目を瞬かせて、俺を見つめてくる。戸惑ったような、少し嬉しそうな、そんな表情。
息を呑む音が、静まり返った廊下で小さく響く。
……やば。
ほんとに可愛い。何、この子、ほんとずるい。
こんな可愛い子の可愛い格好、絶対に他のやつに見せたく無いだろ。
胸が焼けるみたいに熱くなる。
知らなかったな……俺、こんなに嫉妬深いんだ。
文化祭の喧騒のなかで、春香と並んで歩く帰り道。
胸の奥で、どうしようもない想いがじわじわと広がっていった。
たぶん俺はもう、簡単には戻れないところまで来てしまっている。




