第十一話 素直な気持ちを伝えたら(小森春香視点)
主な登場人物
小森春香:高校二年生。凄く穏やかで、ほんわかした空気をまとった女子。何事にも一生懸命で、とても優しい。あまり自分の意見を言わないので、色々と人から頼まれがちな性格。料理が得意。
村上健斗:高校二年生。涼しい顔をして、実は独占欲強めの不器用な男子。春香を前にすると、執着心が凄く、嫉妬深くなってしまう自分に少し戸惑っている。
森本修弥:高校二年生。春香の幼馴染で健斗の親友。優しくて頼り甲斐がある。彼女の京子のことを溺愛している。
木下京子:高校二年生。春香とは別の高校。頭が良く、進学校に通っている。春香と修弥の幼馴染で、修弥の彼女。
「……春香、どうしたの?何で黙ってるの」
何も言えずにいると、村上くんに再度聞かれて、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
泣きたくなんてなかったのに。泣いてるところなんて見られたくなかったのに。
私は溢れてくる涙を必死で堪えて、無理やり押し込めた。
「……泣いてないよ」
咄嗟に、そんなつまらない嘘が口から零れた。
村上くんが、少しだけ眉を寄せる。
「泣いてるじゃん。……何で嘘つくの?そうやって嘘つかれると、辛いよ」
え、と息が止まった。
だって、その声音が、ほんとうに苦しそうだったから。
泣いた私より、ずっと悲しそうな顔をしてる。
どうしてあなたが、そんな顔をするの。そんな顔見せられたら、また涙が溢れてしまいそうになる。
もう我慢出来なくて、思いのたけを彼にぶつけてしまった。
「……だ、だって、村上くん、春休みのあの日から、私と距離取ってるよね?……私の勘違いじゃないでしょう?」
やっとの思いで声を出すと、村上くんはその言葉にハッとしたように目を逸らした。
「それは……」
そのごまかすような沈黙が、胸を刺した。
ああ……、やっぱり。やっぱりそうなんだ。
分かってはいたけれど、実際に突きつけられて、より辛さが増してしまった。
「……私が、あの時怯んだから。村上くん、愛想つかしちゃったのかなって、……ずっとそればっかり考えちゃって」
声が震える。
言葉にした瞬間、自分の中の不安が全部あらわになって、恥ずかしくて情けなくて。
「私が……もっと経験あって、大人だったら違ったのかな……。村上くん、もう私のこと、好きじゃない?」
抑え込めた涙が再び溢れてくる。頬を伝う涙を止められなくなった。
もう息をするたび痛くて、怖くて、苦しくて。
その私の言葉を全部静かに聞いていた村上くんが、はぁ……、とひとつため息をついた。
その音が、妙に冷たく聞こえて、一瞬胸がぎゅっと掴まれた。
だけど。
「……そんなわけないでしょ」
返ってきた声音は、驚くほど優しかった。
まるでそっと心を抱きしめてくれようとしてるみたいな声で。
「俺がどれだけ我慢してると思ってるの」
その言葉と同時に、村上くんの指がそっと私の頬に触れた。そして優しい手つきで、そのまま軽く上へ持ち上げられる。
顔をあげた先で、村上くんが少し眉を下げて、ほんのり困ったように微笑んでいた。
「……我慢?」
驚いて思わず聞き返すと、村上くんは小さく息を吐き、堰を切ったように語り出した。
「そうだよ。……俺、今の関係で、どこまで踏み込んでいいのか分からなくて、ずっと迷ってた」
「……」
「春香のこと、ちゃんと大切にしたいって思ってるのに、実際目の前にしたら、また前みたいに、がっついちゃいそうで……。だから、すげぇ我慢してた」
言いながら、ほんの少し目を伏せた。
「……それに、名前……。修弥のことは修ちゃんって呼ぶくせに、俺のことはいつまで経っても苗字のままだしさ」
その横顔が、悔しそうで、でも優しくて、
こんなにも私のことを考えてくれていたなんてと思い、じんわりと胸が熱くなる。
「……でも、こんなの知られたら、かっこ悪いと思ってたから、ずっと言えなかったけど」
え?……かっこ悪い?
そんなわけない。
そんな本音、ずるいほど嬉しいよ。
知らなかった。
私ばかりが不安で、私ばかりが苦しいと思ってた。
でも彼は彼で、でずっと迷って、我慢して、苦しんでたんだ。
胸の奥から熱が広がって、気づけば言葉が零れていた。
「ねえ、……健斗くん」
言った瞬間、彼の目が大きく見開いて、喉が小さく動いた。
そして。
「我慢なんて……しなくていいんだよ」
涙混じりの声で、でもちゃんと笑って言った。
「あの日、私ね、……緊張してただけなの。嫌だったとか、そういうんじゃないんだよ。私も、……その……健斗くんに、触れたいし、触れられたいって……思ってるんだからね?」
言った途端。
ぐいっと、力強く抱きしめられた。
「っ……」
肩にまわされた腕が、あまりにも熱くて。
鼓動が触れそうなほど近くて。
呼吸が止まりそうになる。
ぎゅう、と抱きしめられたまま、耳元に低い声が落ちてきた。
「春香の気持ち、知れて本当に嬉しい」
その言葉に胸の奥がきゅっと締め付けられ、気づけば私は彼を求めるように腕を回していた。
応えるように、抱きしめられていた腕に力がこもる。逃がさないと言われているみたいで、胸が高鳴った。
顔を上げた瞬間、熱を帯びた視線と真正面からぶつかった。
……あ、キスだ。
そう思って、私はそっと目を閉じる。
けれど、唇に期待した柔らかさは触れてこなかった。
どうして……?と疑問が浮かんだ、その直後。
彼の唇が、私の額にそっと触れた。
予想していなかった場所に落ちたキスに驚いて目を開けると、すぐ目の前に、必死に衝動を堪えている彼の顔があった。
「……今、唇にしたら、止められそうにないから」
「そっかぁ……」
正直、かなり残念だったから、出た声に、残念の色が思いっきり乗ってしまった。
それがすごく恥ずかしくて、頬を赤く染めた。
すると彼は小さく笑って、私の頬を掌でそっと撫でた。
優しい手つきで、ゆっくりと撫でてくる。触れる手から彼の熱が隠しきれずに伝わってきて、胸の奥がじん、と疼いた。
「でも、」
彼が、私の耳元に唇を寄せて、低い声でそっと囁く。
「今日、放課後迎えに行くから。絶対待ってて」
「……え?」
思わず聞き返すと、健斗くんは熱を帯びた瞳で私を見つめて、ふっと笑った。
「春香の気持ち知れたのに、何もしないなんて出来る訳ないでしょ。覚悟しておいてよ」
その笑みは、今までで一番大人びて見えて。
胸がきゅうっと縮んで、息が震えた。
覚悟って……。
心臓が、うるさいくらい鳴っている。
彼は指先で私の頬をツ、と撫でた。熱を残すようにゆっくりとなぞってから、名残惜しそうにゆっくり離して、言った。
「春香が逃げても、今日は絶対捕まえるからね」
「に、逃げないもん……!」
「ならいいけど」
その言い方が優しすぎて、また少し泣きそうになった。
今日の放課後が怖いくらい楽しみで。胸が苦しいほど高鳴って。彼を見つめながら、私は口を開いた。
「……覚悟、しておくね」
小さくそう呟いた私に、健斗くんは少し驚いた顔をして、そしてとても嬉しそうに微笑んでくれた。




